第五話 『風の帰還』 その1
―――食卓での悪だくみは終わりを告げて、猟兵と姫は動き始める。
竜の背に乗り、彼らは移動を開始するのだ。
まずは偵察だ、空の果てから第六師団の動きを見るのさ。
アインウルフは動き始めていた、彼は死者の弔いも放置する。
―――南西のドワーフたちの砦を目掛け、アインウルフは軍勢を進めていた。
……ソルジェは驚きを禁じ得ない、だが、納得もする。
ソルジェにはアインウルフの考えが読めていたのさ……そうだよ?
これは彼の無謀さや蛮勇さによる行いではなくて、戦の勝負を賭けた『策』だった。
―――グラーセス王国の斥候たちも、早朝の奇襲を知っていたよ。
姫の部下を通じて王国には伝えてもいたし、十分と言える成果も見ていた。
この行軍が疲弊に満ちたものだということを、ドワーフも知っていた。
わかっていたのさ、それでもね……。
―――白き軍馬・アレクシスと、マルケス・アインウルフが先頭にいる。
そうだ、先頭を行くのは騎馬部隊だよ、アインウルフが持つ最強の武器さ。
彼は戦術を捨てたのだ、雑兵を盾に使い、騎馬隊のカウンターを放つという。
今まで無敗であったそれを、このとき捨て去っていた。
―――ソルジェは、その成長を見せた将軍を空から見つめ、その血をたぎらせている。
なるほどな、さすがはエリートだ!!
戦に生きる男は、敵の武勇にさえ惚れてしまう。
彼の心は野性で獣、『強さ』を見せた男にも惹かれてしまうのがストラウスの血。
―――アインウルフの考えは何かだって?ソルジェの戦とよく似ているね。
相手に『恐怖』を与えるのさ、そう、これはハッタリ、『チキンレース』だよ。
アインウルフたちはコンディションなんて最悪さ、それでも強がっているだけだ。
これは心の戦いなんだよ、非合理的な戦術で、相手を退かせるギャンブルだ。
―――大地もぬかるんでいるままだ、戦えばドワーフたちにも勝機はある……。
将の差が、明らかになってしまう……。
ソルジェなら?クレインシーなら?シャナン王なら?
きっと、戦士たちに襲えと命じたはずだった。
―――戦もケンカも必勝法は、相手に恐怖を刻みつけること。
このとき最前線の砦にいたのは、レイド・サリードン将軍。
先日、戦死した父親の後を継いだ、若きドワーフの戦士であった。
彼は出陣するべきだったのさ、それが最良の判断なのだから。
―――それでも心が覚えている、白い軍馬と、それに乗った男が父親を殺したことを。
シャナン王に次ぐ武力を持つはずの、ジギード・サリードン。
それはアレクシスとアインウルフの前に、槍で串刺しにされていたのさ。
『恐怖』がやってくる、ぬかるみさえも気にせずに、ただひたすらに前を見て。
―――レイドは……いや、彼の指南役でもあるベテランの軍師さえも……。
アインウルフのハッタリに、『恐怖』していたのさ。
レイドも軍師も、そしてドワーフの戦士たちまでもが迷ってしまう。
そして、戦うべき時を見誤った。
―――若く未熟なレイドとその部下たちは、間違いを犯していた。
その砦を放棄して、退却を選んだのさ。
戦力の温存という意味では、完全な悪手ではないのだが……。
それでも大きな判断ミスだと、僕らは思う。
―――ソルジェは、敵の『根性』を褒める。
……大したもんだぜ、アインウルフよ?
無敗の戦術をいきなり放棄することで作ったハッタリ一つで、砦を奪ったぜ。
ああ、やりやがるな……これで、グラーセス王国軍は、王城まで下がるしかねえ。
「……ちょっと!?あいつら、どこのタマ無しドワーフよ!?」
ゼファーの背に六人も乗っているのだから、暴れないで欲しいものだ。オットーなんてレディーに気をつかってゼファーの右脚にしがみついてるんだぞ?
それでも容赦なく、ドワーフ系の姫さまは大声で叫ぶ。ここは上空300メートルだ、撤退していくドワーフたちに叫んでも、さすがに声は届かないぞ?
「姫よ、落ち着け。これも戦だ、こういう時もある。アインウルフがチキンレースに勝っただけだぜ」
「はあ?ちょっと、ソルジェ・ストラウス?あの短足は、私たちの奇襲の効果を無くすのよ?台無しでしょ、私たちの戦いが!?」
「……そうだが、撤退を選ぶ判断そのものは、褒めてやるべきだぞ」
「……そうですねえ。逃げるのにはいいタイミングでしたよ?」
「ちょっと!?ノーラン氏まで、あの短足を擁護するの!?」
「ええ。だって、ねえ?」
「そうだぞ。姫、いい教材だ。この『間合い』を覚えておけ」
「……『間合い』?」
「歩兵と軽装騎馬隊のスピード差は明らかだろ?」
「まあ、馬に走り勝てるヒトはいないわよね?……ああ、貴方のところの従業員はそうじゃないかもだけど?」
「ああ、何人かそういうヒトいるよね?」
君の近くにも一人いるよ。馬より速く走れるポニーテールの娘がね。
「う、うっす!自分、馬なんかには吸血鬼として、負けてられないっす!!」
「……はあ。夫婦そろって非常識よね」
「ひ、ヒドいっすよ、ジャスカ!?」
カミラちゃんが、オレたち四人夫婦のために怒ってくれている。でも、正妻エルフさんは違う印象を抱いているようだ。
「いや。我々は偉大なる猟兵なのだぞ?……常識などという範疇に囚われる方が、むしろ恥ではないのか?」
「ハッ!!め、目から鱗っすよッ!?」
「だろう?誇れ。我々は、常識を超越した存在なのだ!」
「うん!さすがは正妻さまは言うことが違うっす!!」
「……貴方の奥様たち、とてもユニークよね?」
「ありがとう。猟兵の夫婦なんて、こんなものさ」
「……はあ。それで?どういうことなの、『間合い』って?」
「歩兵と騎馬、それぞれのスピード差が激しすぎると、戦場では同時に戦えなくなるじゃないか?」
「そうよね?目的の場所に早く来すぎても、他の仲間がついてこれなければ、孤独ね」
「ああ。それだと、せっかく数で勝っているのに、戦力が半減してしまうだろう?そうなれば、『数の利』という最高の強みを活かせない」
「……つまり、あの短足の逃げ足に、ファリスの歩兵隊たちは追いつけない?そんなタイミングで逃げているということかしら?」
「そうだ。それが戦場での『間合い』の取り方だ。あのドワーフの若者は、そのタイミングまでは逃さなかった。だから、殺されない」
そういう意味では、最高の撤退ではあるな。負け戦でも兵を失わない。それは非常に魅力的な戦果とも言えるだろう。
「アインウルフの馬たちも、ぬかるむ大地を踏破することで疲れている……騎馬隊だけでドワーフの戦士と戦うことまでは許容しないのさ」
そうなれば、せっかくチキンレースで勝った意味が無くなるよな。朝から馬を追いかけ回って、疲れているはずのアインウルフさんよ?
「……だから、短足を褒めろって?」
「そうとまでは言わない。だが、『早逃げ』という行為には、そういう効果もある」
「好きになれないわ。でも、たしかにその『間合い』の内にいたら、背後から騎馬隊に蹴散らされて、歩兵どもに刈り取られていたってこと?」
「そこまで分かっているのなら、君は将の才はある」
戦場は一発勝負じゃない。こういう地味な戦果の積み重ねで構築されている―――この戦は、君の糧にすべき光景だぞ?
「姫よ。帝国軍との戦いには、戦力をどう維持させるかも必要だ。オレが、9年前にあの『逃げ方』を知っていたら?……何百人、顔見知りを死なせずにすんだと思うんだ」
「……重い言葉ね」
「そうだ。命がけの教訓だ。君は、状況次第では、この国を背負うことにもなる。だから、上手な負け方も知っていてくれ。毎日が勝利で彩られるほど、君の物語は甘くない」
この逃げ方を知っていれば、君が失う大切な命の数もいくらか少なくなる。それは、血塗られた道をこれからも進む君にとって、大きな財産になるのではないかね?ジャスカ・イーグルゥ姫よ?
「……サー・ストラウス。『間合い』というのは、どうやって読むの?」
「兵種とそれらの装備の重量、そして道の状態。そういうものを総合的に判断しろ」
「……難しいわね。人それぞれで違うんじゃない?」
「いいや。帝国軍の兵種や装備は、それなりに厳格だ。彼らは可能な限り同じ歩数で歩くことまで訓練されている」
ガンダラ情報だけどね。帝国軍の歩兵の足跡を見ながら、教えられたことがあったよ。
「なにそれ!?」
懐かしい。オレも初めて聞いたときはそう言ったな。だが、本当のことだよ。ザック・クレインシーの第五師団は足並みだけでオーケストラを奏でられそうだった。
足並みをそろえることを軍隊が重視するのは、指揮官の戦術というものが、個性を無視し、兵士の能力を均一のものとして作られているからだ。混沌とした戦場において、個性を把握することなんて、不可能だからな……。
個性を消した集団ほど、強い。
それはオレたち『少数』には当てはまらないが、絶対的な多数の組織においては、最も有効な戦略だよ。だから、彼らはバカみたいに足並みそろえて行進する訓練をするのさ。
「腹立たしいことに、ファリス帝国の兵士たち。ヤツらの隊列の乱れは、オレが知るどの軍事組織よりも少ないぞ。これは間違いのない認識だ」
「……じゃあ。それだけ、『読める』ということ?」
君のポジティブなところには驚かされる。いい受け取り方をしたものだな。だが、たしかにそうとも言える。
「ああ、これから戦場を歩くときは、帝国のだろうが味方のだろうが、男どもの足取りも観察しておけ。知識を瞬間的に引き出せるように、目に兵士の能力を刻みつける努力をしろ―――それが出来れば、君の感覚は戦場の全てを網羅するだろう」
「……軍師さんや将軍という連中は、そんなことが出来るヤツらなの?」
「ああ。全てがそうではないし、セオリーではない行動も取るヤツもいるだろう」
「でも、それが出来れば、私の利になるのね?」
「君が戦場で、無意味な戦死者を出さない用兵が出来るようになる」
「はあ。そうね。私は未熟だわ。小さな頃から戦士の姿は見てきたつもりだけど……そこまで細かく見てはいなかったかも」
「ならば、今後はそうすることだな」
「……貴方はいい戦争屋ね」
「お兄ちゃんは、ストラウスだからね!」
我が妹、ミア・マルー・ストラウスが褒めてくれる。そうだ。君もストラウスだ。誰よりもオレとガルフの教えを継いだ、最高傑作だ……。
「……そうねえ。ミアちゃんも、ストラウスだもんねえ!」
そう言いながら姫はお気に入りのミアの黒髪へと鼻を埋めていく。
平和だね。でも、彼女の青い瞳は、戦争を見ている。逃げる短足たちの動きを、心に刻みつけろ。彼らはその不慣れな逃げ足で、命を延ばしているのだ。
「サー・ストラウス」
「なんだ?」
「……貴方は、自前の命を惜しまないタイプなのに、誰かの命のことは考えるのね?」
「……人道的過ぎるかい?」
「さすがに、その言葉は似合わないわ……でも、たくさん大切なヒトを失ってしまったということは分かる」
ああ。そうだよ。
オレはたくさん失ったよ。
そして、君もそうだろう?
「……だから、ちょっとでもマシな人生のために、努力しているのさ」
「なるほどね!……じゃあ、私も人生を良くするために、叔父上に怒られるであろうドワーフの若者を観察しましょう」
「そうだ。彼らの逃げ足は素晴らしい。明日以降の戦いに、期待しよう」
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