第三話 『ドワーフ王国の落日』 その8
愛してあげていいんだよ。
ドワーフたちを創造したと言われる、『地母神マーヤ』のほこらで、そのやさしい風が言葉を乗せてジャスカ・イーグルゥ姫に届いていた。
『だいじょうぶ』。
その言葉をジャスカ姫は、おそらくずっと待っていたはずだ。この世界は、『狭間』にはやさしくなかった。それでは、更に、その『狭間』の子供たちには……?
……彼女の理性は、自分自身と、自分の産む子供に『だいじょうぶ』という言葉を選べなかったのだろう。
世界は、彼女すらも望まなかった。『狭間』とはやはり『少数』の存在だが……その子供たちは、更に少数になる。
少数な者は攻撃の対象になるし、身を守る術を持つことも出来ない。ただ暴力と残虐と陵辱と略奪に晒され、苦痛と恥辱の人生を送り、野垂れ死ぬこともあるのだ。
そして……彼女の大いなる騎士団、『ガロリスの鷹』は滅びようとしている。『荒野の風』が築こうとしていた、『ジャスカ姫が存在していい国家』の樹立の夢は、風前の灯火となった。その現実を前に、彼女は自分の腹に宿った新たな命の『未来』に嘆いていたのだろう。
ドワーフ王になれたはずの英雄・『荒野の風』でさえ、不可能なことだったからな。さらには、帝国軍第六師団とアインウルフ将軍までやって来た。絶望に絶望は加わり、彼女たち『ガロリスの鷹』は、いつの間にか現実をあきらめていたのか。
なるほど。
分からなくはない。
だが、それでもなお訊かねばなるまい。
なぜなら?
君はオレの愛する第三夫人、カミラ・ブリーズの戦友だからさ。
「ジャスカ姫、君は妊娠しているのか?ロジン・ガードナーの子を?」
「……ええ」
「そうか。まずは、おめでとうと言わせてくれ」
「……うん。ありがとう」
弱い言葉だな。強い君らしくないな。ああ、なるほど。今までの明るさは、どこか嘘くさかった。追い込まれている者たちのリーダーにしては、君はどこか明るい。あれは、死と敗北を受け入れたゆえの笑みだったのか。
もし、そうだとするのなら、オレは君を姫と呼ぶのを止めるのだがな―――。
オレは戦士だからね、君の心の本質が分かる。表面では、もはや折れているかもしれない。自分だって、そう達観しているのかもな。だが……『本質』はそうじゃない。
ヒトはね、自分の理性にさえ嘘をつく動物だ。今、この地母神たちに捧げられたロウソクの炎が、君の鎧を照らしているんだ。
鎧が曲がっているね。
そいつはロジンが『大地獄蟲』に化けるときに、おそらく彼の肉体を砕くために放たれた炸裂の風さ。肉体を内側から砕き、そこから『大地獄蟲』を『出す』ためにね。隠者が仕込んだ術―――そう思っていた。
だが、違うな。
これも君に流れる『血』への憎悪だよ。いや、『君たち』か。
あのクソ野郎曰くの『穢れた血』とは、君……そして、君の腹の中にいる『胎児』だな。怪しい占いも、たまには神通力を宿すのかね?……それとも、グラーセスが『ガロリスの鷹』に潜入させていたスパイが察知していたのかな。新たな命の誕生を。
神秘の力だろうが、諜報活動だろうが……どちらでもいい。
ガルードゥよ。貴様を殺したい理由が、また一つ増えてしまったぞ。
あの炸裂の風は、ジャスカ姫の腹を狙ったんだな?
……そして、ジャスカ姫。ああ、あなたは、その篭手で腹を守り、身を屈めたのさ。だから、篭手が歪み、胸をおおう鎧が歪んでいる。腹だけは守ったのさ。母としての本能だろう。いいか、君の本質は、その子の未来をあきらめちゃいない。
ジャスカ姫よ、戦闘のプロは騙せないぞ。
君の表面上の心は、自暴自棄になっているかもしれない。実際、命を捨てるような振る舞いも目立つ。だが、それでも君は母親なのだ。極限状態で君は、胎児の命を守った……いつか、聞かせてやるといい、その強い君の物語を。母上殿から、その子供へ伝えるべき、初めての愛の歌だぞ。
「……ジャスカ姫よ」
「なにかしら、サー・ストラウス?」
「今の君は、どんな『未来』を望んでいる?」
「……儚い願いでも、口にしていいの?」
「ああ。ぜひ、聞きたいね。君の願いを。さっきみたく、もう一度ね」
「……生きたいわ。出来ることなら、私とロジンと……そして……この子とで、ずっと生きていたい!!……ね、ねえ、私は……そう言っても、いいの―――?」
地母神のほこらで、近い未来に母親になる者が、涙をほほに伝わせながら、オレに訊いたのさ。ああ、辛かったのだろうな。暗んでいく運命の果てに、その望む未来が、君の伸ばした手から遠ざかっていく気がしていたのだろう?
だが、もう心配するな。
「―――もちろんさ。その言葉が、聞きたかった!!」
「ほ、ほんとに?本当に、いいのかしら?……そんな、無責任なことを!?」
「いいんだよ?言ったじゃん?私たちが、『未来』を作るってさ!」
「ミアちゃん……っ」
ジャスカ姫がうちの妹を抱きしめている?……いいや、ミアは抱きしめさせた。偉大なことをしているぜ、ミア・マルー・ストラウス。いつも君は、いつのまにか成長している。
無垢な笑顔?……そうじゃない。己の哲学を信じて疑うことのない何よりも強い笑顔で、オレの妹は迷えるジャスカ姫を抱きしめていた。
「もう。ジャスカちゃんってば、お母さんになるのに……甘えん坊さんだねえ」
「……うん……うん……ッ。ゴメンね……っ」
「……姫よ。君の妊娠を、ロジン・ガードナーは知っているのか?」
「……ロジンには、まだ言えてない。いつも近くにいたから、気づかれていたかもしれないけれど。口に出して……い、言えば……私は……そのときから、戦士でいられなくなるような気がしたのよ……っ」
「そうか。君は、本当に責任感が強い女性だな」
「そうかしら……いつ戦いで死ぬかもしれないのに、自分が生きるために、たくさんの命をこの手で殺しているのに……そんな私のお腹が、生命を宿す権利なんて―――」
「あるさ。ヒトは罪深いかもしれないが、それでも愛は止まらない」
「……サー・ストラウス」
「そだよ。いいじゃない、愛してるヒトと子供が出来るなんて、幸せな物語じゃない。おめでとう、ジャスカちゃん!」
ミアの言葉を聞きながら、ジャスカ姫の表情は明るさを取り戻す。そうだ、楽天的な君の心に、きっとオレのカミラも惹かれたのだろう。君の笑顔は、指導者としての必要性に裏打ちされたものかもしれない。
マジメなことはいいことだ。
だが、そろそろ自分のために笑うがいい。
母親の笑顔は自分と、そして子供のためにあるものだろう?
さて……最近、同僚の女子たちと連続で婚約をしているイケメン色男のはずのオレからすると、とても不思議に思えるんだが。短躯でヒゲが爆発している下品なドワーフよ。まさか、オレと似ていると評判の『荒野の風』よ、シャルオン・イーグルゥよ……。
光栄に思う部分と、そうじゃない部分が入り交じっているのだが……。
今日はアンタのすべきことを、オレが代わりにしてやろう。魂は似ている。だが、フェイスは圧倒的にオレのがマシだからな?忘れるなよ、『荒野の風』。
「……ミア。風を聞けているな?」
「うん。お兄ちゃんがさっきから呼んでたヤツだよね。分かってる」
さすが兄妹。夫婦みたいに以心伝心さ。お話ししながらだって、索敵も探査も同時進行。それが、オレたちストラウス家だよな。ミアは不敵に笑う。
「ここから、アイツを逃がすことはない。カバーはするけどね」
「ああ、頼むぜ。なあ、ジャスカ・イーグルゥ姫よ?」
「な、なに?」
「ここでミアと待機していてくれないか?」
「え……そんな、ここまで来たのよ?」
「妊婦を戦場に出す?……騎士道どころか、ヒトの道にも反する」
「まだ、お腹だって大きくなっていないわよ?馬にも乗れているし……」
「いいか?あの隠者は、ガルードゥは君の胎児を狙っている」
「……そう、ね……私の、ドワーフ王族の『血』……それを絶やしたいのね」
「君は、ヤツの哲学にそぐわないらしい。ヤツは狂気を帯びている。命を捨ててでも、君たち母子を殺そうと企むかもしれない……そんな場所に、君を連れて行くことはありえない。ミアと一緒に、ここで待っててくれ」
不満そうな顔をするね。
さすがは、『荒野の風』の血だ。荒ぶる王の血は、君を本質的に戦士としてあるように導いてしまうのか?……だが、オレの言葉は間違っちゃいないだろう?
「なあ、姫?オレは、アンタの親父に、『荒野の風』に似ているんだろ」
「……そうね」
「なら、アンタの親父がここにいても、君にオレと同じことを言うに決まっている」
「……っ!!……そうね、父上なら、きっと……」
「片腕で君を抱き上げてくれたときは、武器なんて持ってなかったんだろう?なんでも、時と場合を選ぶものさ……君は、ここで待っていてくれ。オレは悪い魔法使いのジジイをぶっ殺すから」
「私の戦いを奪うの?」
「いいや。君の言葉で、命じればいい。その瞬間、オレは君の剣になる」
「あなたはルードのクラリス陛下に雇われているのでしょう?」
「時と場合さ。クラリス陛下に訊けば、ニコニコしながら許すよ、オレの浮気」
「まあ。女泣かせね?私の友だちを泣かせないでよ?」
「ああ、オレは動物並みに彼女たちみんなを愛せるから心配するな」
「ハハハハハハ!!な、なにそれえ、と、とってもバカなのね、あなた!!」
悪意なく爆笑してくれる君にもアホの血を感じるよ。
「ああ、面白い。おバカでスケベな英雄サマね。うん。『魔王』らしいかも?」
「引いちゃうかね?」
『荒野の風』の娘は首を横に振る。
「いいえ。貴方の愛は大きくて、野生的なのね。いいじゃない。そんなバカな嵐みたいな愛があったってね?……ねえ、サー・ストラウス?」
「なんだい、お姫さま?」
「セックスだけじゃなくて、甘い言葉だけじゃなくて、生き様と……そして、『死に様』で、貴方の奥さんたちを愛してあげてね?……死ぬ日には、家族のことを想って死になさい、ソルジェ・ストラウス」
「もちろん。そう在るべきだろ、オレみたいな狂戦士は」
「そうね。貴方の遺した血と、戦いを称える歌が……意味を成すために、貴方は雄々しく生きて……そして、貴方に集う風と、貴方を愛してくる者たちを、大切にね」
「ああ。分かってる。そうじゃないと、意味がないだろう?命を費やした意味がね」
「怒りと愛のために生きるのね。なら、私は、カミラを貴方にあげるわ!!」
「君に祝福されると、オレたちの結婚生活上手く行きそう」
「……そういえば。カミラは、人間族じゃないの?」
「元・人間。吸血鬼さ」
「まあ。吸血鬼だったのね」
「そう。かわいそうな定めを背負う可愛い女子さ。でも、その呪われた力で、正義を成せる」
「……素敵ね、お似合いだわ。魔王の妻に相応しいカンジ」
「そうかもね」
「フフ。ああ、スッキリした。あの子があんなに純粋な理由も分かった。そうね、貴方はなんだか、ふれあったヒトを素直にさせるんだわ」
「ストラウスのバカは伝染するからね?なあ、ミア?」
「そうゆうこと!」
オレたち兄妹、ストラウス系スマイル!唇を大きく歪めて、犬歯を見せよう。牙のようにね。戦うための笑顔さ。愛する者を、大切な哲学を、守り抜くための戦士の微笑み。バカにしか出せない力を、オレたちは求めてる!
「アハハハ!!ほんと、おバカさんたちね。でも、この粘る昏い闇に閉ざされた世界を、貴方たちの牙なら……切り裂いてくれそう」
「任せろ。世界が君にやさしくないのなら、ぶっ壊してでも変えてやろう」
「そうだよ、それが、ストラウスの命の使い方だよね、お兄ちゃん!!」
「ああ。アホでバカで単純で……それだけに、分かりやすいだろ?世界の在りように、耐えがたいほどに腹が立つなら、ぶっ壊す。それが、物事を深く考えないタイプの、オレたちの生き様さ」
その生き様が、いつか死に様になるときに。
オレたちは歌になって、星のとなりに流れるのさ。
好きな酒の香りと一緒に思い出してくれ?
大いなるバカが築いた、今よりずっとマシな世界の夜に。
「……今日は、オレに任せておきな、ジャスカ姫。未来を創るのは、暴力だけじゃ足りないんだから」
「……そうね。そこに生きて、笑っている子たちが、いないとね?」
「ああ。オレの歌を笑顔で歌えるのは、ファリス帝国の豚どもじゃない。今このとき、不幸なヤツらだ。苦しみのなかにいたとしても……それでも、『未来』を信じているヤツらだけ。アンタと、アンタの産む子のために……オレは、今からアンタの剣になる―――なあ、命じてくれ、お姫さま」
オレはユーモアの能力があるのかね。お姫さまは微笑み、その右手をへその下あたりに持っていくのさ。命が宿るその場所に触れながら、彼女はオレをまっすぐと見つめて、その命令をくれるのさ。
「……うん。お願い、私たち夫婦と、私たちの赤ちゃんの命を狙った悪党を……その大きな剣で討ち取って」
「ああ。任せてくれ。そういうの、世界で一番得意だよ」
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