第三話 『ドワーフ王国の落日』 その9
昏い洞窟を歩いて行く。ひとりでね。しかし……妊婦さまには健康を気遣って言わなかったんだが……この奥から、やけに血のにおいがしてくるな。ああ、隠者ガルードゥの血のしずくだけじゃないよ?
ミアに切り落とされた腕から垂れたものと思しき赤い液体が、点々とつづき床石を汚している。だが、これだけじゃ、このにおいには足りないね。
しかも―――なんだ、古いぞ。
数時間じゃない。数日前か?……頭のおかしい貴様は、ここで何をやらかしているんだろう。運河の船の上で姫から聞いたが、貴様らはドワーフ王国の神秘の側面を担当する集団らしいな。オレが見てしまった貴様の半生と一致するね。
グラーセス王国の地下に潜み、地上のドワーフたちとの連絡は最小限。王墓を守り、地母神の『近く』……つまり、地下で特別な祭儀を行いながら、国家の存続を宗教的に支えていく……。
宗教集団。
そうだな、集団のはずだ。王家との連絡網を持っているからね……そうだというのに、この奥から感じ取れるのは貴様だけ。この精度を増した『アーレスの魔眼』を用いていても、風を使っても、腕を切られた痛みにあえぐ貴様だけしか捕捉できないのは何故かな?
……オレはね、貴様が殺しているんじゃないかと疑っているんだよ。
貴様のそばにいるスタッフを。
部下とか弟子とか年寄りの貴様の世話人とか護衛とか……そういう存在をね。多くはないだろう、貴様は隠者……日の当たるような存在ではない。スタッフも少数だろう。だから、貴様の狂気と魔力があれば、そんな数名のドワーフたちを殺すのも難しくなさそうだ。
さて……答えが分かりそうだな。
四メートル先に、このゆるやかな通路の終わりが見えるよ。そこからは、かなり大きな空間になっているようだな、風を聞けば分かるぞ?そこから貴様のうめき声と、灯りと、その邪悪な部屋からあふれた血で床が汚れている。
さて、何人殺しているのかな?
確かめに行こうじゃないか。
「入るぞ。ガルードゥ」
承諾の声を待つこともなく、オレは大きな態度のままに肩を揺らして歩き、その血に汚れた邪悪な部屋へと侵入していく。無礼かな?入ることは教えてやったんだから、盗賊や山賊よりはマシだろう。
「……ほう。これは、鮮やかに仕立てたね」
鮮血。そうだな、それがそのヤツにとっては神聖な空間を赤く化粧していたよ。首を刎ねられたドワーフ族の男女……僧侶かな?鎧を着ずに、ゆるやかなローブと数珠を首と手に巻いているところを考慮すれば。
その首無しドワーフが吹き散らした血が、地母神の像と、燭台と、金の杯と銀色の宝剣が祀られているこの洞穴の奥にはあった。広い空間だ。死体は8、生きているのはオレと地母神の巨像に寄りかかっている年寄りだけだな。
白髪は長い。ハゲてはいないな。肌は青白くて静脈の走行がよく分かる。痩せて、ドワーフにしては長身で、太さはない。老齢のせいか?それとも去勢されたせいで筋肉がつかなかったのか?……目は、白内障が進行しているのか、白く濁っている。そして、右腕は肘の先から切り落とされていた。
ミアの技を食らいながらも、よくぞここまで逃げたものだぜ、クソジジイ。出血は激しいはずだが、縄と布で縛った―――いいや、この肉の焼けたにおいから察するに、焼いて傷口を潰したか。片手になったばかりなのに、よく動いたな。
「……よう。アンタが、ガルードゥだな」
「……ガルーナの竜騎士か……空を飛ぶ、邪悪な獣の下僕め……ッ」
「そういうアンタはモグラさんのお仲間だろう?」
「出て行け……ここは、神聖なる母の場所だ」
母。ちょっと過敏になってしまう単語だな。オレは忘れていないぞ、ガルードゥ。貴様がオレのカミラの友と、その腹にいる子供を殺そうとしたことを。
「―――ああ。そのうち出て行ってやるさ。ドワーフ族の宗教活動を弾圧しに来たわけじゃないからね。でも、すべきことをしてからだ。分かるだろ?」
「……ワシの首を狙っておるのか」
「そうだ。切り落とすよ、貴様が、同胞たちの首を刎ねたのと同じように」
「……ふん」
好奇心。そういうものってのは、怖いね。オレはそこらに転がる首無しドワーフさんについて質問をしたくなっている。気にせずに、あのジジイを殺して、姫さまとオレの妹が待つ場所に帰ればいいのにさ。
知りたいのかね、オレも?
世の中の闇とかが?
なんか、自分のミーハーな側面に気づき、恥ずかしくもなるよ。でも聞こう。気になるよね、この首無し死体たちのことを?
「アンタ、何を考えているんだ?コイツら、アンタと同じような服装だし、ドワーフ族のなかでも、とくにアンタと親しい連中だったろ?」
「……ああ。ワシらは神官……大地母神マーヤさまへ仕える聖なる身分」
「へー。全員、去勢されてるのかい?」
無言だ。オレの言葉を屈辱と考えたのかね、ヤツがオレを濁った目でにらむ。
「ほう。違うようだ。全員がそういう目に遭ったなら、仲間意識でも生まれて、貴様の劣等感も少しはマシだったろうな」
「……なぜ、そのことを知っている」
「アンタのプライベートを、オレは色々と知っているよ。『地獄蟲』のオスの生殖針が、アンタの代わりだったんだろ?罪人の女の処刑……その前日は、それで楽しんでいた。死なせてしまうこともあったが……アンタの同僚たちは、見過ごしていたんだろう」
ということは、他の同僚も同じようなことをしていたのかね?
まあ、こんな穴に住むことになれば、たまのご褒美が欲しくなるのかもな。
「悪趣味だな。マーヤさまは、貴様の所業を許してくれたか?」
「……その邪悪な瞳で……ワシの記憶を、覗いたか」
「ああ。見たくもなかったが、見えてしまった。どれだけあの針にご執心なんだ。記憶がこびりついていたぜ」
「ふむ。悪い瞳だ。えぐってやりたいところだ」
「そりゃ残念。アンタがどうやってコイツらの首を刎ねたのか知らないが、オレのはムリだね―――ッ!!」
オレの指が、床の赤から音も無く浮かび上がっていた『触手』を捕まえていた。そう、触手……うむ。そうだと思うが、なんだ、コレは?うごめくぞ、かなりの力で。オレの握力には敵わないけど。
「尖端に鎌のようにするどい爪があるな。湾曲から察するに、引っかけて刎ねるように切るための武器―――これが、凶器か?」
「……よくぞ、それを捕まえたな。気配は消せていたはずだがな」
「音も無い、魔力の動きも少ない。だが、それだけでは竜騎士を出し抜けないぞ」
オレは握力を使い、その触手を握りつぶしていた。かなり硬いが、硬いだけに力を込めるだけで簡単に壊せたな。
「バカな……ドワーフ族でもないのに、その力は何だ……!?」
「鍛えてるのさ。で。どうして、コイツらを殺した?」
「……むろん、大地母神マーヤさまへの贖罪だよ」
「彼らが何かをしたのか?」
「……彼らではない。全ては、シャルロンが伝統を裏切ったことに起因している!!」
「シャルロン……『荒野の風』か」
―――つまり、ジャスカの父親。
「彼が何をしたという?」
「神々を裏切った!!」
ほう。そいつは何だか、とても壮大な言葉だな。だが、オレにはまったく意味は通じない。
「彼が何をしたという?君らの風習に反したのか?」
「……王になるべき魂だった!!それなのに、神聖なる決闘の場で、弟への情から勝ちを譲ってしまった!!……そして!!弱き男が、『王』になったッッ!!」
「昔のことだぜ」
「昨日のことのように覚えておるわッ!!見るがいい、その愚かな裏切りの結末を!!地上には帝国軍があふれた!!なぜか!?弱き男の、敗者の軍勢に、大地母神の祝福が降りることはないからだッ!!」
「神の祝福の有無だけで、こうなるのかね?」
「当然だろう?貴様のような幼く愚かな男は、世界の真理に気がつけないのだ」
「ふむ。確かに。長老殿に比べれば、オレなんぞはバカなガキだろうさ。で。三十年近く前のことで、彼らの首を刎ねたのか?今になって、急に?」
そうではないだろう?
今まで仲良くなって来たんだから。
どうして、急に殺意を抱いて実行したんだ?
「この首無しどもには、罪は無かったんだろう?」
「……むろん。しかし、血族の罪は、血族の血でしかあがなえない。ここにいるのは、王族の血を薄くだが継いだ者たちだ……大地母神マーヤさまに仕えるために、選別された者たち。マーヤさまの教えに生き、それを実践してきた」
「あげく、貴様に殺された」
「殺された?……ちがうな、未熟者め。彼らは、召されたのだ。殉教者なのだよ、聖なる存在だ。蟲の鎌により吹きだした血潮を、マーヤさまに返却したのさ」
あまり理解は出来ないな。
一族の失態を、今さら彼らの死で穴埋めするね……?この老人は正気なのか?それとも、ここの教義がオレの価値観とかけ離れているモノなのか……どちらともにあり得るハナシだね。どっちもかも。結論は最初から変わらない。オレには理解できないね。
「ふむ。現在の王……えーと、シャナンだったか?……そいつが気に入らないのかね?」
「当然だ。ヤツは偽りの王」
「シャルオンもか?」
「王になれば、全霊で仕えるべき男だった。誰よりも、ドワーフの王に相応しかった。弟などに情けをかけずに、大地をも砕く豪腕を切り落とされなければなッ!!」
「……アンタは、兄貴に虐待された口だろう?」
「そうだ。ワシは兄に去勢を強いられた。ドワーフの王族とは、そういうものだ」
……『そういうもの』、ね。そう言われると反論のしようもない。
コイツは……自分の運命を受け入れすぎているのだろうな。去勢されたのも、自分の運命だと?……シャルロンとシャナンが、ドワーフの運命に殉じれば良かったのかね。シャルロンが勝者となり、シャナンが首かアレを切り落とされたなら、納得したのだろうか。
その悲惨な運命の囚われだからこそ、運命が変わってしまった事実に耐えられないのかもしれない。ヤツの世界観や美学に合わないのだろう、強きドワーフの兄が、弱きドワーフの弟に見せた『やさしさ』なんぞは。
自分に起きたことを、『正しい』と信じたいのだろう。それゆえに、その再現を待望していたのに、相反する事実を目撃してしまった。
だから、狂った?
まあ、コイツの狂気の一因ではあるのだろうね。
「……間違った。そうだ、シャルロンも間違った……そして、間違いは進み、間違った血が生まれ、さらに間違った血を腹に宿しおった……」
狂った老人はぶつぶつと小声で語る。ふむ、察することは出来るな。間違った血……おそらくジャスカ姫。さらに間違った血……ジャスカ姫の腹にいる胎児。
ふむ。オレのクライアントの母子の悪口か。命知らずだな、オレの目の前でそんな言葉を口にするなんてね。
「修正しなければならない……血の穢れを……そうだ!!あの女を殺し、あの胎児を『聖なる蟲』に喰らわすのだよッッ!!」
『地獄蟲』……あれを『聖なる蟲』だって?
まさか、あのゲテモノ甲殻生物を聖なるものと信じるとはな。
ふむ……だから、アンタは抵抗がない。悪いとも思わない。ヒトをゲテモノどものエサにする行いも、ロジンをゲテモノにしてしまうことも……自分の血肉に……ゲテモノを植え込むことも。
「……スマンね、じいさま」
「……なんだ、竜騎士」
魔眼で観察していて気がついたことがある。このじいさまは、地母神の脂肪のついた腹に疲れた頭をもたれかけているだけではない。その緩いローブに覆われた背中から、とんでもないモノが生えていて、地面をそれは貫いている―――。
「さっきの『触手』は、アンタから生えていたんだな。腰の裏から生えてる……アンタの骨格は……どうなっているんだ?」
「聖なる骨格になろうとしている……」
恍惚とした表情だ。歓びを浮かべたその老いた唇。その奥に見える闇は、とても深くて昏く見えた。喉の奥の構造も、オレの知っている解剖学的知識から逸脱しようとしているのだろう。
彼は……もうドワーフではない。
彼のドワーフであった部分は、今では『繭』と呼ぶに相応しい存在になろうとしている。その内部では肉や骨が融けていき、新たなモノへと組み変わっている最中なのだろう。
『繭』というものが全てそうであるように、やがて、じいさんの皮は割れていき、中からグロい形に新生した生物が生まれてくるんだろうな。ほんと……不快な行為だね。
「……まあ、ロジンを『地獄蟲』に変えられるんだ。アンタ自身を『もっとヒドいゲテモノ』に変えられたとしても、不思議はないね」
「そうだ……浄化をするためにな」
「殺すつもりか、オレを前にして、よくそんな思考が出来るものだ」
呆れるよ?そんな行為をオレが許すとでも思っているのかい?強さの格も分からないのかね?
……『隠し砦』で戦っていた時、オレたちは能力の一割も発揮出来ていなかったのだぞ?お前はロジンじゃないからね、酷い痛みを与えながら、残酷に殺すつもりだ。
しかし、この年寄りはオレの想像を超えるタイプの狂人だった。
「……殺す?……いいや、そうだなあ……王家の血が、流れ過ぎてしまったなあ……」
「そうだ。このままではグラーセス・ドワーフは滅亡する。貴様もバケモノになってしまうのなら、どうせなら敵陣に突っ込み、敵兵を喰らってはどうだ?」
「いいや。国防は戦士の役目だ。我ら神官の出る幕ではない」
「変なところでしっかりとした職業意識があるんだな」
「そうさあ……思いついたぞ!!」
聞かなくてもいいはずだが。オレは好奇心が旺盛なのだろう。
ヤツの不気味な完成形を目に収めなくても、困らないはずだし。世捨て人のジジイの突飛な思いつきだって聞いてやらなくてもいいんだぜ?でも……なぜか、聞くために沈黙しちまう。こんなだからガンダラにバカにされるのかね。
「ワシが、成せばいい!!……シャナンの血も穢れてしまったのなら……シャルロンの娘しかいないではないか!!そうだ……心配する必要はなかった……『穢れた新たな王』を立てなくても……そうだ、ワシが、産ませればいい!!」
「……ツッコミどころ満載だな」
「うるさいぞ、小僧……ワシは壮大な新国家のための計画を練っているのだ!!」
「はいはい。わかりましたよ。よく言われるよ、うるさいって?……だが、一言だけ言わせろ。アンタ、去勢されてるだろ?」
無いのに子作りなんて出来ないだろう?
「そうだ。だが安心しろ竜騎士」
「オレはアンタの家族計画なんかを心配しちゃいないよ」
「生えてくるからな」
「……ん?」
「ワシが、生まれ変われば、生えてくる……」
「……それは、『地獄蟲』の『生殖針』のことを言っているのか?……そして、貴様は―――」
怒りか、嫌悪か、あきれ果てたからか。
オレの言葉は途切れてしまう。
理解していた。この老人の考えている邪悪な妄想を。そうだな、アンタはプランAからプランBに変えるつもりだ。ジャスカ姫を殺すのではない。いや、殺すよりも非道なことで彼女を消費するつもりかよ……。
嫌悪が強い。オレの口はそれを言いたくない。さっさと斬ってしまおう。聞きたいこともあったが、もう構わない―――オレは竜太刀に指をかける。だが、理想に昂ぶる邪悪なる隠者は、老いた顔を歪ませながら自慢げに語っていた。
「―――ああ。そうとも、王家の血を持つワシが……あの娘の腹を使って子を成せばいい!!そうすれば、人間と混ざり、薄まり汚れたシャルロンの血も、真なる王の血も、『純度』を取り戻すではないかあああああああああッッ!!』
嫌悪と怒りが斬撃となった。
竜太刀が一閃される。
嗤うヤツの首が飛ぶ、ついでに背後にあった罪も無い地母神の巨像までもが一刀両断にされていた。そうだ―――だが、もうジジイの肉体はヒトのそれではなかった。
『ひひ、ひひひひひひひいっっ!!』
ムカつく嘲笑の音を放ちながら、『繭』が裂けていく。首無しジジイの肉体は、風船みたいに膨らみまくって、中から、『ソレ』があふれてくる……ムカデとカニとクモの合成された不細工生物サマだよ、しかも、特大のな!!
「……ふん。『大地獄蟲』かい」
『いいや。我が名は『聖隷蟲』……大地母神マーヤさまの血を復古させるための、『大義』であるぞッッ!!』
「―――ついに神さまのお告げを聞いちまったかい。本気の狂人認定してやるぜ。誇大妄想野郎の、最終形態だ」
『そうさ!!我は最終形態!!この母なる国家を、大いなるグラーセスを!!我の種で、救うのだあああああああッッ!!』
ヒトのハナシをイマイチ聞かなくなるのも、狂人どもの最終形態だね。さあて、まあいい。今日も、バカをぶっ殺す時間がスタートだ。
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