第二話 『大地の底で、目覚めた暗黒』 その11
そのベッドはヒトの心を堕落させるために作られたかのようで、オレの背骨の形に合わせて沈む。いいマットレスだ。ドワーフめ、家具作りも上手いときやがる。
オレはその至福のベッドに背骨を預けていく。ちょっと左側が温かいな。そうか、カミラの体温か。カミラの命の温度……悪くない。
「……お疲れさまっすね?」
こちらをのぞき込むカミラがいた。さすがは、屈強な農夫に調教されてしまった哀れなセックス・マシーンのメルウ……こと、カミラだな。なんか、こんな状況なのに余裕があるなあ。セクハラ野郎としても名高い、このソルジェ・ストラウスさまと同じベッドに寝ているのだぞ?
まったく、スケベな女子だな……いや、ちがうな。君が悪いわけじゃない。悪いのは君のとこの村を支配し、悪逆の限りを尽くしていた『ゾルケン伯爵夫人』だよ。
「どうしたっすか?黙り込んで?」
「……ん?疲れてたんだよ」
「そ、そーっすよね?……遠くまで、自分のために、すまないっす、団長……」
「ちがうね」
「え?」
「ありがとう。その言葉の方を聞きたいな」
「あ……あ、ありがとうございます……ソルジェ団長」
アホが、感動してるのか?
「泣くなよ、アホ娘」
「うう。アホ扱いはヒドいっすよう。こ、これは、うれし涙なんすよう」
カミラはオレの上で泣いていた。不幸で孤独で悪女に調教されてしまった、かわいそうな少女。それがカミラ・ブリーズの一側面ではある。
そうだ。
不幸な事象はたくさんあるな。
『忘れられた砦』……そんなさみしげな砦の地下で、死んでも嬲られていた女のことが頭によぎった。オレは、彼女をカミラだと思い込んでいたな。そして、彼女を屍姦していたクズを殴り殺してやった―――。
彼女の冷たくなって久しい肉体。地下室で冷えてしまった体を抱きしめたときの絶望が、また蘇るんだ。
永遠の眠りにある彼女は、力なく、ただ冷たかった。そうさ、知っている。怒りは熱いけれど、絶望は、底なしに冷たい。
「なあ、カミラ」
「なにっすか?」
「抱いていいか?」
「……え!?ええ!?そ、その、あ、あの……でも、団長には、リエルちゃんがいるし、ロロカ姉さまとも、その!?」
「我が団の情報網は優秀だな」
「だ、だから……その、う、浮気は、ダメっすよ」
「スマンな。そういう意味の『抱く』じゃないんだ」
「え?」
「……オレは、『忘れられた砦』で、金髪の女の死体を見つけたんだ」
「……ミリー!……そ、そうっすね、ミリーは、戦死したんすね」
やさしい娘の瞳が、また涙にあふれる。女戦士なんて、数が少ないものさ。だから、そうだな。君たちはお互いを知っていて、絆を作っていた……。
「団長、ミリーは、どんな風に死んだんすか?」
不幸と陵辱をその身で知り尽くす女、カミラ・ブリーズはオレに訊いてくる。戦場で捕らえられた女戦士が、どんな目に遭うかなんてこと、カミラは誰よりも知っているのだろうな。
疑っているのさ。彼女が、『ガロリスの鷹』の女戦士ミリーは、敵に陵辱されたあげく、殺されたのではないかと。彼女の尊厳が、穢されたのではないかと―――。
オレは嘘をつく。
「背後から槍で貫かれていたんだ。そのまま、砦の高いところから落ちたのだろう。中庭に、『ガロリスの鷹』の戦士たちの死体と一緒に並んでいたさ」
……この泣いている瞳に真実を告げることは、とても出来なかった。陵辱されリンチを受けて、殺された……果ては、死体まで変態に犯されていたなんて、カミラには伝えられない。伝えなくてもいいだろう、そんなことは?
騎士道は嘘を許さないが。
ヒトの道は、この嘘を許してくれる。
許されないのなら、罪として背負ってもいい。
この嘘には、そうすべき価値があるとオレは理解している。
「そ、そうっすか……雄々しく戦って、戦死したんすねえ……っ。良かったです。ミリーは、とても気の強い女でしたから!!」
「その散り方は、彼女らしい」
「はい!!」
騙せたかは自信がない。このアホは、アホだけど生い立ちが悲惨すぎるからね。騙せていなくても、アホだから、オレのために嘘をつく。その笑顔は、誰のための笑顔かな?オレのための笑顔じゃないことを祈っているけど。
真実を知るのが怖いコトだってある。
オレは自分の命に関することには恐怖を抱かない。お袋のガッツあふれる教育のおかげでね?物心つく前から聞かされてきた『戦場で死んで、歌になりなさい』。あの哲学はオレの魂に根付いている。
ありがたいことだ。傭兵稼業をしながら、己の死について悩まなくていいということはね。きっと、揺りかごにいたオレを見て、お袋は、オレが血なまぐさい運命を歩くことを知っていたのさ。
だから、苦しみを少なくするために、『戦場で死んで、歌になりなさい』という言葉で魔法をかけてくれていたのかもしれない。最近は、そう思えるようになった。どうあれ、あの言葉はオレへの愛さ。
だから、お袋の愛のおかげで、オレは自分の死については怖くない。
でも。お袋は、オレ以外の者が死ぬときの苦しみについては、魔法をかけてくれなかった。
大切な者が死ぬと、悲しい。苦しい。心が砕けてしまいそうだよ。カミラが行方不明と聞いたとき、お袋とセシルのことを思い出したよ。斬られて、殴られ、焼き殺された二人のことを―――。
また、大切な女性が死ぬのかと思った。
苦しくて、悲しくて、怖かった。
そして……オレは、勇敢なミリーにあった。
心が絶望で歪むのを感じた。この指が、その絶望の冷たさを覚えている―――。
「……カミラ」
「なにっすか?」
「オレは、ミリーのことを、君だと思ったんだ……金髪だし、女だったから」
「……そ、そうっすね……ちょっと、似ていたかもしれません」
「似ていたさ。君が死んだのだと思って、彼女のことを、抱きしめた」
「……団長」
「彼女は、当たり前だけど、とても冷たくなっていたんだ……オレは、それが、とても辛かったんだぞ。お前が、カミラが、死んだと思った……そのときの、冷たさがさ……オレの指が……覚えてるのさ」
震える指だ。
情けない。あのときの絶望が、まだ離れない。
「だから。抱きしめて、いいか?お前が生きているってことを、指でも確かめたい。右の目だけじゃなく、左の魔眼だけじゃなく、耳で声を聞くだけじゃなく……この指で、お前の命を確かめたいんだ」
「……は、はい……っ。もちろんっすよ。うれしいっす。こんな、穢れた自分のことを、そんなに大切に想って下さって……うれしいっすよ、団長っ」
カミラがオレの広げた腕のあいだに飛び込んできた。オレは両腕で、彼女のことを抱きしめた。命は……温かく、オレの指は彼女の質量を識るのさ。
「―――二度と、行方不明とかになるなよ……ッ」
「はい……絶対に、そ、ソルジェ団長を、か、悲しませるようなヘマはしないっす」
「当然だ。お前は、オレの猟兵だ。オレのカミラ・ブリーズだ。戦場で、二度とドジるんじゃないぞ……次は、間に合うかどうか、オレにも自信はねえんだ」
「……もしものときは、それでも……来てくれるんすね」
「当たり前だ。そんなことも分からんのか、アホ娘が」
「……ううん。知ってます。ソルジェ・ストラウスは……きっと、そういうヒトです。自分の……『騎士サマ』ですから」
「……そうだったな……お前は、あのときも、泣いてた……」
―――ソルジェとガルフは、邪悪に挑んだのさ。
山村を襲っては、食い荒らしていった邪悪な『魔人』。
村人を奴隷にし、その『血』を吸っては殺していく、おぞましき悪女。
賞金目当てで、始めた戦いは……いつしか二人の魂を義憤に染めた。
―――残酷だったのさ、その悪女は。
ヒトを殺した、串刺しにして、引き裂いて、火あぶりにして。
歪んだ性癖の持ち主は、少女たちを襲った。
少女たちをその牙で汚染し、飽きたら殺していった。
―――村人たちは、みんな殺されて、少女たちも死人になった。
生きていたのは、死にかけの少女。
大量に血を吸われ、瀕死のカミラ。
ソルジェは騎士だから、彼女のために戦ったのさ。
―――『闇の公爵令嬢』……『邪悪なる呪われたメルビナ』と。
二百年生きた、魔性の悪女。
処女たちの血を浴びて研がれたその肌は、なめらかに若く。
年齢を感じさせることはなく、その魔力は『ゼルアガ』にさえ匹敵した。
―――傷つき、殺されかけたが、ソルジェは倒れることを知らない。
何度倒れても、立ち上がるんだ、いつものように。
竜太刀を魔術の茨に絡み取られた、その直後……。
彼女の喉を、『噛みきって』いたのさ。
―――偉大なる古き竜、アーレスの歌を聞いて育ったからね。
山ほどに大きな『ゼルアガ/侵略神』を、その牙で喉を食い千切り屠った。
竜の歌を継ぐ赤毛は、伝説を再現していた。
まさか、『吸血鬼の女帝』の……その喉を、食い千切って殺すなんてね?
―――驚愕し、君に怯えながら、処女たちから奪った赤を首から解き放ち。
メルビナは滅びを迎える、だが彼女は呪い歌を遺した。
彼女は『始祖』ではない、吸血鬼は受け継がれた『呪い』なのさ。
最も才ある眷属に、『呪い』は受け継がれた。
―――カミラ・ブリーズが、死の淵から蘇る。
彼女は理解する、己の体にまとわりつく絶望の『闇』を。
『闇』が体に、心の奥に、魂にまで。
絡みついていくのが分かった、運命に囚われるのが分かった。
―――呪われたカミラの牙が伸び、その背には吸血鬼の『翼』が生えた。
おぞましいその姿になってしまったゆえだろう、カミラは願うのさ。
……騎士さま、その剣で、私を殺して下さい。
……私を、救って―――。
―――ソルジェは言ったのさ、その哀れな娘を抱きしめながら。
一緒に行こうぜ、大丈夫さ。
オレたちは、仲間になれる。
吸血鬼を牙で、食い殺したんぞ、オレは……?
―――カミラは、その騎士を信じてみることにした。
ソルジェの指に手を引かれ、彼女は滅びた故郷を去って行く。
瞳の色は変わり、邪悪な『闇』は彼女に継がれた。
たしかにバケモノだったが、赤毛の男は、バケモノよりもバケモノさ。
―――魔王ソルジェと、その愉快で怖い仲間たち。
呪いを気にする者はいない、吸血鬼に怯える者はいない。
勇猛果敢、世界最強……騎士と同じ心に黒い翼を生やす者たち。
『パンジャール猟兵団』は、彼女の『仲間』になった。
―――それでも、彼女は遠慮する。
自分が最も後から入ったメンバーだから?それともメルビナに調教されたから?
自分のことに自信が持てなかったのさ、自分は穢れていると思っていた。
どうしようもない、コンプレックスがあった。
―――だから、伝えられない言葉もあった。
口にしては、ならないと考えている。
あいしています、そるじぇ・すとらうす。
あなたと、はじめてあった、あのひから。
―――あなたが、すくってくれた、あのひから。
あなたが、わたしのためにさけび、いかり、けんをふるってくれたあのひから。
ずっと、すきでした。
あいしています、そるじぇ・すとらうす―――。
―――だが、騎士を愛する者たちが、すでに騎士の周りにはいた。
彼に救われた弓姫と、ディアロスの才女。
うつくしい二人だった、強く、賢く、騎士を助けて力となった。
自分では、太刀打ち出来るわけがなかった。
―――なにより、ふたりは、けがれていないっすよ?
きゅうけつきに、よごされてないっすよ?
だから、あなたにふさわしいのは、ふたりっすよ。
じぶんじゃ、ないっすよ……。
―――ならば、せめて、力になろう。
この『呪い』をも、受け入れて。
私は私の『仲間』守ろう、彼の『家族』を守るのだ。
我が名は、カミラ・ブリーズ。
―――『聖なる呪われた娘』と、魔王に呼ばれた女。
魔王の敵は、私の敵だ、魔王の家族の敵は、私の敵だ。
殺してやるぞ、敵どもを。
それだけが、私に許された、穢れた女に許される愛情表現だ。
―――その覚悟は気高く純粋。でもね、カミラ。ソルジェは、小さなことを気にしない男だよ。
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