第二話 『大地の底で、目覚めた暗黒』 その10


 カミラはオレの指に舌を絡ませながら、オレの血を吸いつづけた。その幼さを残す顔に赤みが差してくる。生命力が戻って来ているのを感じた。


 どくん!


 魔眼が彼女の心臓が強く脈打つのを感じた。いい徴候だよ。


 今なら……彼女の耳にオレの声が届くような気がして、オレはカミラ・ブリーズのことを呼ぶのさ。彼女の名前を、言葉に変えて、オレは声を使った。


「……カミラ。起きてくれ、迎えに来てやったぞ?十分、眠っただろう?目を覚ませよ」


 やさしく呼ぶのさ、この『聖なる呪われた娘』のことをね。


「……ふぇ?」


「お。起きたか」


「……だん……ひょう……?」


 カミラのアメジスト色の瞳が開き、そのうるんだ瞳がオレの顔を探して、見つけていた。


「……はへ?ほーひへほほへ……?」


「……ああ。口のなかに指が入ってるから、しゃべりにくいよな」


 そう言いながら、オレは彼女の口の中から武骨な指を抜いた。カミラの唾液が伸びてしまうほどに、オレの指はベチョベチョだった。糸引くオレの指を見て、少女の顔がまたたく間に赤くなった。


「だ、団長!?わ、私に何をしてたっすか!?」


「君の口のなかに指を突っ込んでたのさ」


「な、なんでっ!?そ、そんなの、へ、変態さんですようッ!?」


「誤解するな。しなければならなかった行為だ」


「そ、そんな……と、とにかく!!指、ふ、拭くっすよ!?」


 カミラがベッドで体を起こす。上半身を起こすが、起立性の貧血でも起こしたのか、その体がふらついた。


「あう?」


「バカ!じっとしてろ」


 ふらつくカミラの体をオレの腕が伸びて、押さえるように支えてやる。疲弊している彼女の体は、頑強さを失い。そこらにいる女の子のように華奢な印象を持ってしまう。弱っているな、かなり……。


「す、すみませんっす。自分……朝、弱くて……」


「朝どころか、昼だがな」


「寝坊したっすか!?」


 オレはその言葉に爆笑しかける。だが、そうだな、ニヤリとするぐらいで、止まってくれたな。アホのカミラは恥ずかしそうにしている。そして、すまなさそうにもね。


「……す、すみませんっす。なにか、大切な作戦とかに、遅れちゃったっすか?」


「……いいや。君は素晴らしい仕事をしてくれたよ」


「そ、そうっすか?」


「ほら。横になれ。君は、疲れているんだ」


「……は、はい。団長、今日は、いつもの何倍か、やさしいっすね?」


 カミラをベッドに横たわらせた後で、オレは首をかしげてみる。


「オレは君にやさしくないか?」


「ううん!!すみませんっす。そうじゃないすよ?いつも、自分にやさしくしてくれているっすよ……今日は、その比じゃないぐらい、やさしいっす……」


「特別な日だからね」


「誕生日っすか、団長?……あれ、まだ、4月だから、ちがうっすね……誰の誕生日っすかね?」


「ハハハハハハハッ!!」


「な、何を笑うっすか!?」


「……君の特別な日だよ」


「自分のっすか?」


 カミラは腕を組み、アホだから真剣に考える。そして、答えを出すのさ。


「……わからないっす。自分、何をやらかしたっすか?」


「いいことさ」


「……そ、そっすか?だったら、嬉しいっす……でも、団長?」


「どうした?」


「……団長、なんだか疲れた顔をしているっすよ?」


「……ちょっと寝ていないだけだ」


「そんな顔じゃないっす。とても、疲れてそうな顔っすよ?……いつから、寝てないっすか?」


「んー。そうだな、一晩と半日だから、丸二日近くかね?」


「そ、そんなムチャしたらダメっすよ!!しっかり、睡眠は取るべきっす!!」


「四日眠っていた君に言われると、説得力があるんだかないんだか」


「……ふえ?四日……?」


「ああ。覚えていないのか?君は『ガロリスの鷹』と、ジャスカ姫と一緒に『忘れられた砦』を襲撃して……彼女たちを助けるために『力』を使った」


 カミラの瞳が思いっきり開く。ベッドから飛び上がり、オレにつかみかかる。ちょっとその勢いに圧倒されたな。


「そ、そーだああああッ!!だ、団長!!み、みんなは、みんなは、無事っすか!!」


「安心しろ。全滅はしてはいない……たくさん死んだが、お前のおかげで、十数人は助かった。ジャスカ姫も、その恋人もな」


「そ、そうっすか……皆、なんてムチャを……っ!?」


 ムリしたアホな娘が、また貧血を起こす。オレは彼女を支えてやりながら、再びベッドに彼女のことを戻してやった。


「お前がいなければ、死者は増えていた。お前は、やれることをやったのさ」


「……はい。そうっすよね?……ちょっとだけでも、助けられたなら、自分は、よく出来たっすかね?」


 涙をそのアメジスト色にあふれさせながら、仲間想いの彼女は言った。


「もちろんだ。だから、オレは君を褒めているだろう?」


 そう言いながら、彼女の金色の髪を撫でてやるのさ。


「団長……」


「あ。悪いな。ヨダレで汚しちまったか?」


「ううん。そんなの、気にならないぐらい、嬉しいっす」


「そうか」


「はい。ほめてもらえて……とても、うれしいっす。で、でも……変なんです。な、涙がちょっと、あふれて来るっす」


「泣いていい。戦友を失ったんだ」


「……う、うん。うん……みんな、みんな……ひっしに、ひっしに……いきていたかったはずなのに……わ、わたし、ば、『バケモノ』なのに……たすけて、あげられなくて……」


「君は『バケモノ』じゃないぞ。オレの大切な猟兵だ」


「……ソルジェ団長……っ」


「忘れるな。カミラ・ブリーズ。君はオレの仲間、オレの部下、オレの猟兵。そして、何よりも、オレの『家族』だよ。二年前にも、そう言っただろ?二年間、その事実をオレは示して来たはずだぞ、カミラ?」


「……は、はいっ。そうっす……団長は、『家族』っす。自分の、誰よりも大切な……そうっす、私は、猟兵のカミラ・ブリーズっす……」


「そうだ。決してその事実を忘れるな。オレ、さみしい気持ちになるだろ?」


 カミラの頬をなでて、そして、そのやわらかい部分を引っぱる。うお。思った以上にやわらかくて、伸びやがるぞ!?


「……団長」


「ああ。泣きたいよな。思い切り泣け。外に出ていた方がいいなら―――」


「―――ううん。団長に、いっしょにいて欲しいっす。そ、その。ご迷惑でないのなら」


「迷惑じゃないさ。泣けよ、カミラ。君は泣くべき時にいる」


「……はい」


 そして嗚咽が始まる。カミラは泣いた。ずっと。ながいあいだね。オレは何もしてやらなかった。ただ、そばにいた。オレの知らない彼女の物語。それは、きっと友情に満ちていたのだろう。


 偶然か、それとも運命と呼ぶべきか?


 カミラはこの地下迷宮で、ジャスカ姫たち『ガロリスの鷹』と出会った。そして、君らはお互いのあいだにシンパシーを持ったのだろう。


 君らは……いいや、オレたちの全員が、皆どこか似た風を宿すから。


 帝国と戦っているし、居場所が少なく、追い詰められてもいる。


 それでも、『未来』を求めて、オレたちは命をかけてでも戦っているのさ。


 だから、オレとジャスカ姫はすぐに打ち解けられたし、君もそうだったんだな、カミラ。いつか、君の物語を聞かせてくれ。君と『ガロリスの鷹』の歌を。


 ……長く泣いて、カミラはようやく泣き止んでいた。


 涙をその小さな手でぬぐいながら、カミラは笑う。


「……すみませんっすね、団長。お見苦しいところを、見せたっすよ」


「いいさ」


「……っ」


 カミラがアメジストの瞳を見開いている。顔を赤くしながら。


「どうした?」


「……団長。やさしく笑ったっす……」


「……オレはいつもやさしいんじゃなかったか?」


「ううん。いつもより、やさしくて……その……いいカンジっすよ?」


「褒められたね。うれしいよ」


「今のニヤリは、ちょっとダメっす!……さっきのが、また見たいっす」


「ムチャ言うな。オレは役者じゃない。表情のコントロールなんて自在には出来ん。本当にやさしい気持ちにならないと、そういう顔にはならんのさ」


「じゃあ、さっきはスゴく自分に対して、やさしい気持ちがあふれていたっすね!?」


「ああ。多分な」


 自分の表情は見れないから、よく分からんのだが。おおむね、彼女の言葉は外れてはいないだろうな―――。


「……うれしいっす。自分は、団長にやさしくされて、幸せ者っすよ」


「そうか……それじゃあ、ちょっと休め。メシでも、持ってきてやるよ」


 オレはそう言いながら、立ち上がろうとして、フラついてしまう。


「クソ!」


「だ、大丈夫っすか?……ほら、座るっす。何日も寝ないからっすよ?」


「……気が抜けただけだ。五日起きて戦ってたこともある」


「そんなこと言わずに、休むっすよ……ん?」


「どうした?」


「団長……ザクロアにいたんじゃ?」


「ああ。そうだが?」


「どうして、ここに?」


「君が定期連絡を四日もしてこないからだろ?」


「す、すみません!!そ、そっか。自分、四日も寝てて!?……え!?……と、ということは!?ま、まさか、団長、自分のためにザクロアから来てくれたっすか!?」


「ああ。そうだ。昨日の夜まではザクロアさ」


「そ、そんな……そんな遠い距離を、じ、自分なんかのためにっすか?!自分のために、来てくれたんすか!?」


「当然だろ?」


「と、当然って……そ、そんな……だから、だから寝てなくて、そんな疲れた顔で……それでも、こんな遠くまで……地の底まで、私を探しに来てくれたっすか!?」


「そんなところだ。気にするな、オレたちは『家族』だろ」


「だ、団長……ま、また、そのやさしい笑顔を、自分に、くれるっすね……」


 アホが感動して、涙をあふれさせる。


 アホだな。お前、オレがカミラ・ブリーズのために、それぐらいのことをするのが当然なのも分からないのか?ほんと、アホだな。


「……オレだけじゃない。ミアもガンダラも、地下には降りていないが、リエルもゼファーも来ている」


「み、みんな!!みんな、ありがとうっす……っ」


「だから、君は安心して休め……メシ、持ってきてやるよ」


「あ。大丈夫っす。今、四日寝ていた割りには、お腹いっぱいな感じっす」


「そりゃ良かった」


 オレの血も栄養価が豊富なのかね。そっか、カツサンド食べたばかりか。オレの血はきっと今、カツサンドの栄養を帯びているな。ガッツリ系の昼ご飯で良かったぜ。


「……むしろ。団長、横になるっすよ?」


「君のとなりにかい?」


 冗談のつもりの軽口だったのだが。


「そうっす。このベッド、大きいっすから大丈夫っす。二人前って感じっす?」


 そりゃ、恋人たちがアレするときのためのベッドだもん。まさに二人前なんだけど。


「いいのか?」


「ああ。そっすね。鎧は脱ぐっすよ。じゃないと、しっかり休めないっすもん」


「……ふむ」


 そういう意味で『いいのか?』と聞いたわけじゃ無かったのにな。


 カミラはゆっくりと起き上がる。貧血は起きなかったようだ。オレの奇跡のカツサンドが、生命力を与えたのだな。会心作だっただけに、エネルギーを食した者たちに与えるぜ、偉大なザクロア豚肉よ。


「じゃあ、鎧脱がすっす」


「ああ」


 カミラの指が、オレの鎧を解除していく。コイツ、いつの間にか『竜鱗の鎧』の外し方を知っていたのか。よく見ていたんだな、オレのこと。オレは鎧は外し、床の上に並べていく。


 身軽になったオレは、背伸びした。


 すると、どっと疲れが押し寄せてくる。


 何日間もかけたわけじゃないが、移動距離は多かったしね。


 モンスターとも戦ったし……ダンジョンも歩いて、カミラに血も与えた。何より、ずっと君のことを心配しつづけたんだぜ、カミラ……そりゃ、疲れても仕方ないよな。


「こっち来るっすよ」


「おお」


 カミラに招かれるまま。ベッドに腰を下ろす。


 恋人たちのベッドは、甘ったるいまでに柔らかい。


 カミラがオレに告げる。


「……団長、よ、横になるっすよ……」


 そのときのカミラは、とても蠱惑的な印象を受けたのさ。

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