第一話 『蛇のように、静かに。その牙に毒を宿し』 その8


 ―――黒猫の怒りは、闇のよう。


 全てを呑み込み、無音のままに葬り去る。


 幼い頃、奴隷であった彼女は知っている。


 男が、女にどこまで残酷になれるのか、母親がどんな風に殺されたのか。




 ―――彼女は人買いから逃げて、幸いにも『兄』で出会った。


 自分のことを、『セシル』と呼んだ、その赤毛の男。


 悲しい瞳、怒りの瞳、そして、とてもやさしい瞳。


 彼女は、自分の『主』を決めたのだ、彼女の主は自分自身、そして『兄』。




 ―――この首は、カミラに捧げよう。


 この首も、カミラに捧げるし、この首は窓から捨てた。


 赤い血潮に化粧され、無音の殺戮者は殺しに狂う。


 天井から死の影は降り、柱の裏から死の影は忍び寄る。




 ―――殺しては、殺す、また殺して、殺す。


 世界を浄化してやるのだ、『兄』の怒りのままに、私の怒りのままに。


 残酷をもって、残酷を制する。


 私は、蛇だ、ソルジェ・ストラウスの毒蛇だ。




 ―――音もないままに、全てを殺した。


 遺言も末期の祈りも許さない、ただ静かに眠ることだけを許してあげる。


 魔王の尋問劇の裏で、彼女は6階と5階の兵士たちを、全て殺してしまうのさ。


 48人……闇のなかで、この黒猫に狙われてしまったら?




 ―――誰も彼女を見ることもなく、あの世に葬り去られるだけ。


 うつくしい仕事だぞ、ミア。


 魔王の指が、仕事を済ませて戻って来た彼女の黒髪をなでてやる。


 報酬など、それで十分。




 ―――どういたしまして、道すがら、どんどん殺していくね?


 無垢な微笑みは、忠誠の証。


 彼女は未来で、魔王の子を産む女のひとり。


 死の女神、竜騎士姫の再来……彼女は人類史上最高の殺し屋さ。




 ……ミアの究極のサポートを受けたせいで、オレたちはもう警戒する必要さえなくなっていた。ミアはまだまだ殺している。上から順に、全員を殺している。


 人類の半分―――女性を代表して、彼女は男どもに死の罰を与えているのだ。闇のなかで最高の暗殺スキルを有した、妖精族に狙われるんだからね?……生存するのはムリだろう。


 おしゃべりなロンとの運命の出会いが、この仕事を解禁させている。


 もっと時間がかかるかと思っていた。大勢を尋問しながら、首を折って、そこらの窓からお外へポイ捨て。その作業を十数回はやるんだろうと思っていたが、このロンくんと最初に出逢えて良かった。


「だんだん、君のことが好きになってきたよ、ロン」


「そ、そうですか!あ、ありがとうございます!!」


 ロンは忠実だった。これが彼の処世術だな。心も魂も肉体も、大した『強さ』を持ってはいないのさ―――。


 しかし、許すつもりはない。


 オレの怒りは、静かに燃えている。ミアのお兄ちゃんだからね?あとで、必ず君のことは殺すよ、ロンくん。


 忠実なる下僕のロンは、オレとガンダラを下の階へと進ませる。


 死臭が強くなってくる。


 血の臭いが漂ってくる……オレは目を動かす。山をくりぬいたこの『砦』……強固な岩盤のあいだにある『外』への通路を見つけた。好奇心?そういう気楽なものじゃない。使命感かな。


 帝国と戦う者として、帝国と戦って死んだ者たちを目に焼き付けておきたいのさ。彼らの無念を魂に刻みつけ、彼らとオレは一つになる。そして、また戦うのさ。彼らの死を背負ったオレは、また少しだけ強さを増しているにちがいない。


「ロン。あっちは、何がある?」


「……そ、その」


「どうした?早く教えてくれないか、オレのロン?」


「……は、はい。あちらには、中庭がありまして……そ、そこで……」


「そこで、何だ?」


「……ここに攻め込んできた、分離派どもの死体を……集めて置いてます」


「……死体置き場か。案内しろ」


「え」


「どうした?二度、同じことを言う必要があるほど、君の耳は老いてはいないだろ?」


「は、はい!!こ、こちらです、サー・ストラウス……っ」


「最初から、そういう態度で頼むぜ、ロンくん」


 ロンに案内され、オレはその中庭へとたどり着いていた。


 そこは、たしかに死体置き場だった。


 ゼファーが嗅ぎ取ったのは、ここの臭いか……天井は、古い茨たちが多う鉄格子だ。中庭というには、センスはない。だが、確かにそこは土がある庭園の一種だったのだろう。


 今では……その土も無造作に掘り返されていて、掘られたその大穴のなかに、山積みされた死体が転がっていた。


「……ふむ。死者への礼儀がなっていないな」


「……す、すみません……で、でも……命令でして」


「命令?どんなものだ?」


「……ここで、死体の顔の似顔絵と、その死体の特徴を書類に書くんです。そして、書いたヤツは、その穴に捨てる……」


 ふむ。


「死体の処理など、ここから谷底にでも投げ捨てれば早いのにか?ずいぶんと苦労を強いてくる男だな、アインウルフは」


「ええ、ほんと、アインウルフさまは、人使いが荒くて……」


 ロンは本心からの悪口だった。アインウルフ、末端からは愛されていない典型的な貴族さまのようだ。会うのが楽しみだよ。


 しかし。アインウルフがどんな性格をしていようとも、無意味なことはしないのがヒトというものだ。死体の似顔絵を描くことに、意味があるのかだって?……もちろんさ、露骨なのが一つだけある。


「……ガンダラよ、アインウルフは、どこの『誰』を探していると思う?」


 ガンダラはオレの言葉に、思考の時間を十秒かけた後で返事した。


「―――分離派のリーダー格でしょうね。おそらく、ここの死体の性別を考えると男性でしょう」


「たしかに。この残酷な穴のなかには、男ばかりだ」


 おそらく、ロンには知らされていない。


 それはどういう意味か?……細かなヒト探しをさせているというのに、その作業をしている兵士たちに、『どこの誰を探しているか』を告げていない。どんなヤツかを告げた方が、ヒト探しははかどるだろうにね?合理的じゃないよね。


 でも。アインウルフはしていない。


 『その男』を探したいのか探したくないのか分からないよね。つまり、それが『答え』さ。アインウルフは、『ロンみたいな男には知られたくない人物』を探しているのか。


 さて、このロンとは何だ?


 ファリス帝国の犬―――アミリア自治州の若者だ。


 それ以外に特別な価値は何一つ、見つけられないな。では、アインウルフはアミリア人に知られたくない人物の死体を、密かに探しているのか?どうしても見つけたいと願いつつも、帝国やアミリアの関係を考えると、ここにいてはいけない男とか?


「……分離派のリーダー格……それに『なっていてはいけない男』。アインウルフは、それを探しているという認識だが、どうだい、ガンダラ?」


 オレの考えは、おかしいかな?


「私もそう考えています。となれば、候補が、かなり狭められますね」


「ああ。『アミリアの親帝国派のリーダー格』や、その『政党』……その『当事者』か、その『家族』あたりが怪しいな」


 アミリア貴族や政治家の息子とかが、とても怪しいよね。


「……あ、あんたら、なにを、言っているんだ……?」


 ロンが不安げな顔になる。彼は自分が聞かない方が良かった事実を聞かされたことに、気がついているようだった。


「ドワーフだって一枚岩じゃないし、君たちだってそうだってことさ。どうやら、ガッツのある男がいるようで、オレはアミリアにちょっと感心している」


「……う、裏切り者が、いるのか……」


「そうだ。君は、オレを裏切るなよ、ロン。さて、案内してくれ、オレのカミラのもとにね?」


「は、はい……イエス・サー……っ」


 ロンの精神は消耗が激しいな。3日ぐらい下痢が止まらなかった男の顔になっている。汗ばみ、痩せている。自分の人生が、音を立てて崩れていることに圧倒されて、その悲劇に呑まれてしまっているのさ……。


 自分の哲学や、信じていたことも、ロンのなかではブレ始めているのだろう。


 アインウルフを信用できなくなっているのだな。アインウルフは怒るかも知れないが、ロンはアインウルフに責任転嫁を始めている。アインウルフの言葉に騙されて、この地獄みたいな状況に導かれたとね。


 そうかもしれない。


 でも、オレは許すつもりはないよ


 さあ、歩け。


 カミラの死体を、オレに会わせてくれよ。


 ロンは苦悩しているようだが、その足は止まることはなかった。


 オレたち一行は、ロンの後をついていく。そして……地下へとたどり着く。うん、地下牢だな。生きている捕虜たちの姿が見える……後で出してやってもいいが、誰も彼もが重傷だ。助けてやれても、長く生きられないかも?


 とにかく……今は―――っ!?


「あ、あそこの奥の牢で……」


「わかった。ミア。出口を見張れ!」


「らじゃー!」


 姿を見せない影の妖精は、それだけ答えて気配を消した。そうだ。それでいい。13才の君には、まだ早いよ。


「ガンダラ、ロンを捕まえておけ。オレは……確認してくる」


「……イエス・サー・ストラウス」


 忠実なるオレの副官殿はロンの肩を剛力で握る。ロンがわずかに悲鳴を上げるが、オレは気にしない。それよりも、オレをイラつかせている男が、すぐ近くにいるようだ。


 オレは歩いて、その開け放れた牢の前にたどり着く。


 案の定だな。


 ハアハアと息を荒げて、ギシギシと腰を振っている男がいた。


 世の中には『変態』がいる。どうしようもないクズがな。


 そういう世の中のダークサイドの権化みたいなモノを、べつにオレは好んで見たいわけじゃない。だが、戦場なんていう狂った場所にいると、ちょくちょく見てしまう。歪んだ性癖を実践してるクズ野郎をな。


 その男は、死んだ女とセックスしていた。


 それをセックスと呼べるのかは、オレにはちょっと疑問だが、女の死体で性欲を満たしているのだから、そう呼べるのかね?


「……おい、クズ野郎」


 オレの言葉に、その男は必死になっていた行為を中断する。自分でも、その行いの邪悪さが理解出来ていたのかね?


 彼は死体から離れて、ズボンを上げてベルトを締める。


 そして、オレの方へと振り返り。その顔面の骨を破壊されていた。


 そうさ。拳でブン殴っていた。当たり前だろ?このクズ野郎は、オレの部下を……オレのカミラ・ブリーズを……勇敢に生きぬいた、オレのカミラの死体を、犯してやがったんだぞ!?


「や、やめ……」


 やめてだと?


 そんな言葉を口にすることさえ、オレが許すとでも思うな!!


 地面に転がった変態野郎の腹をオレは蹴る。変態が転がり、牢屋の壁に叩きつけられる。だが、それぐらいですますわけがないだろ?


 オレはその変態野郎の腹を、背中を、何度も何度も蹴りつけた。うめくそいつに腹が立つ。怒りが止まらない。止めるつもりもなかった。


 オレは左手で変態野郎の襟をつかんで、無理やりに立たせる。そして、顔面を殴った。血まみれの顔から、残っていた上の前歯の全てが一撃で全滅する。続けざまに腹を殴る。殴った、殴り、最後に喉を掴んで持ち上げて、怒りのままに壁へそいつの後頭部を打ち付けていた。


 骨が割れる。割れた頭蓋の破片がヤツの脳に破滅的で取り返しのつかないダメージを与えていた。白目を剥く、ガクガク震えて、そして死んだ。


「……オレが変態じゃなくて、良かったな」


 死体まで痛めつけたりするほど、オレはクズじゃない。そのクズの死骸から指を離す。そいつは壁にもたれて、砕けた頭で血と脳の混じった色を壁に塗りつけながら崩れ落ちていった。


 どうでも良かった。


 それよりも……カミラの方が大事だ。


 オレは、カミラのそばに近寄る。全裸にされて、その両手は死んだのに壁から生えた鎖でつながれていた。なんだか、とてもそのことに腹が立つ。だから?オレは帝国兵の安い鉄で作られた剣を振り、その鎖を一太刀のもとに切り裂いた。


 自由になったカミラが力なく、その腕を垂らした。


 オレは、怒りよりも悲しみが強くなる。


 彼女のもとに駆け寄り、彼女の冷たくなって久しい体を腕に抱き寄せた。血のにおいが強い。ああ、くそ……カミラよ……スマン。遅くなってしまった……初めて会ったあの夜に、あの『怪物』の城で、オレは、怯える君に約束したな。


 ―――居場所を与えてやる。


 ―――だから、オレと一緒に来い。


 ―――後悔はさせないさ。


「……スマン。すまない……オレは、約束を守ってやれなかった」


 カミラのうつくしい金色の髪に、オレは鼻を埋める。


 許して欲しい?そんな言葉はとても吐けなかった。どうしたら償えるのか、オレには分からない。


 ただ、すまないという言葉しか、口からは出て来ない。


 涙があふれた。悲しくて、辛くて……世界の色んなことに腹が立つ。そして、奥歯を噛むんだ。オレ自身にも、腹が立っていたから。


 あのときの、絶望に染まった顔をしたカミラを思い出す。


 自分が『呪われて』……もう人間とは呼びがたい存在に堕ちたことを、嘆く彼女。


 ―――剣士さま、その剣で、私を殺してくれませんか……。


 絶望ゆえに幼い口がこぼした言葉を、オレは、笑顔で拒んだろう?


 ―――大丈夫だ、オレは君に『未来』をやるぞ。


 『家族』を作ってやる。『仲間』を作ってやる。


 『居場所』を作ってやる。『未来』を作ってやる。


 そう約束したじゃないか?


 それなのに……ッ。


 ドワーフの作った『砦』の奥底で、オレはカミラのための絶望で、歌うんだ。


 地下の冷たい岩たちが、オレの叫びを反響させていく。


 鼓膜を震わす絶望の残響を浴びながら、オレは、カミラを見るのさ……。


「すまなかった。カミラ・ブリーズ。オレは……君に、もっと多くを与えてやるつもりで、あの城から引きずり出したのに……すまない。こんな惨めな死に方を……与えてしまって…………っ?」


 オレの右目が、気づいていた。


 今、オレが抱きしめている女の右腕に、見知らぬタトゥーがある。


 黒い鷹のタトゥーだ。オレは見たことがないぞ。そして、そのタトゥーを彫り込む要因となったのかもしれない『古傷』が、鷹の下には走っていた……。


 知っている。


 カミラの右腕には、そんなモノは無かったはずだ。


 オレは……しばらくの時間の後で、腕のなかにいる女性の真実を一つだけ理解する。


「―――……君は、カミラじゃないんだな」


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