第一話 『蛇のように、静かに。その牙に毒を宿し』 その3
―――そこはかつての聖なる祈りの場、今では猟兵たちの武器が並ぶ。
かつておごそかであり、今は静寂だけが棲む孤独な空間。
聖なる言葉はただよわず、猟兵たちの作業が鉄くさい音を立てた。
剣と槍と矢、それらを研ぐための砥石も置いた。
―――聖なる物語の書物はないのだ、あるのは作戦計画資料だけ。
広げられた地図と、カミラからの手紙の束、最新の偵察情報たち。
さあて、パンと干し肉をかじりながら、『作戦会議』の時間だぞ。
ソルジェは、肉を噛みちぎり、副官へと訊いたのさ。
カミラへの指示がどういうものだったのかは、理解したぞ?二つある、グラーセスの地下通路そのものの探索。および、帝国軍にその通路を戦略的に使う意志があるのかどうかを確認する。『探索』と『偵察』ってことだよ。
なかなか大変な仕事量になると思うが、カミラならば単独でこなせる。ガンダラの考えも理解出来るな。なぜか?……彼女が有能だからだ。
猟兵としての訓練を受けた期間は『パンジャール猟兵団』の誰よりも短いものの、才能というか体質というか……彼女の実力は、戦闘、探索のどちらにおいても一流だ。単純な戦闘能力であれば、リエルのそれをしのぐだろう。
とくに暗所での戦闘なら、リエルは絶対に勝てないだろうな。カミラは『闇』に愛されているのだから。とても、深くね?……それが、本人の願った能力ではないにせよ、彼女は人類屈指の実力者だ。
才能が経験を凌駕する強さを持っているのさ、ガチの天才サマってこと。
だからこそ、ガンダラが託したのだろうな、この厄介な任務を……。
オレは朝食の食パンを呑み込んでしまいながら、ガンダラへ訊いた。
「……で。最後に、カミラの連絡があったのは?いつ、そして、どこからだよ?」
ヒト探しの基本だな。足取りを追いかけることで、状況を想像するのさ。
「フクロウによる通信があったのは、4日前になります」
「そうか。それで、どちらの任務中でのことだ?」
「彼女は『器用』ですからね……大地の亀裂からも、自在に這い出ることが可能です」
「だろうな。彼女の……『前任者』は、亀裂どころか『すき間』からさえ這い出してくるような怪物だった」
「そうらしいですね。彼女は、今回のミッションには、私が考えるかぎり『最適な人材』です。彼女もその自覚があった。だから、驚くほどに、やる気になっていましたね」
「彼女は、頑張り屋サンだからな」
能力は高いが、新人扱いされることも多かった。そんなときに、重大な任務が、しかも自分だけに?……マジメで努力家の彼女は、ガンダラの命令を喜んだことだろう。
自分の力を証明したいと考えたはず。『パンジャール猟兵団』への貢献……彼女は、それを喜ぶだろう。故郷も無くしているし、今では『極めて特殊な存在』へと成り果てている。
彼女にとっての『居場所』は『パンジャール猟兵団』しかない。それゆえに、強い忠誠心と覚悟と……役に立ちたいという気持ちを持っていたのさ。健気なことだよ。
「彼女はこの土地に赴いてから、恐るべきスピードと精密さで私に情報を送り続けてくれました」
「……カミラちゃんらしいぜ」
「ええ。でも、それは異常な量です。彼女の能力の高さを差し引いたとしても」
「……どういうことだ?……まさか」
「オーバーワーク。私の指示を、あえて破り……能力の限りをつくして、『探索』と『偵察』……その二つの任務を同時にこなそうとした。私は、一日にどちらかだけをしろと言い聞かせたつもりでしたが、もっと強く命じておくべきでした」
「……カミラ。無茶なことをするぜ。体も命も、一つしかないんだぞ?」
「―――ソルジェ団長。責めてやるな、あいつは、お前の役に立ちたかったのだろう」
「リエル?……カミラちゃんが、オレの役に?」
どういう意味だ?
「……オレは彼女にムチャなんてして欲しいとは、思ってはいないぞ」
「……バカめ。そうだからに決まっている」
「……オレが、彼女を子供あつかいしていたせいか?」
「それは……あるかもしれんが、そうではない―――ああ、いい。気にするな!!お前はナーバスになり過ぎている」
「そう、だな……」
うむ。自分自身の感情がコントロール出来ていないかもしれない。『仲間』を失う。『家族』を失う―――そのことが、こんなに怖いとはな。オレは、こんなに臆病だったのだろうか?
……いや、感情的な思考にハマるのは、よくない。冷静な男に頼ろう。頼むぜ、副官一号。
「ガンダラ、続きを頼む」
「ええ。二つの仕事を同時にこなして、日々膨大な量の報告をしてくれていたカミラでしたが、4日前の最後の連絡では、『開戦』の時期についての情報を送ってきました」
「……当たっていたのか?」
「ええ。結果的にはドンピシャです。おそらく、敵の『本拠地』にさえも侵入していたのでしょうね―――情報源は、そこ以外には考えられない」
「さすがだな、カミラ」
「ですが、その報告書の文面は、几帳面な彼女にしては荒れていました。綴りを間違っていたりもしていた……普段とは違う心理状況です。おそらく、より大きな情報を掴もうとしていたのでしょう」
「しかし、開戦の準備をしていたということは、警備も厳しくなるはずだな」
「ええ。敵に悟らせたくはないでしょうからね。ドワーフたちの斥候を、見つけては殺していたでしょう」
「……『大きな情報』とやらに接触しにくくなる」
「はい。となると、報告書が荒れていた理由は一つ。焦っていたのです、彼女は」
……焦り。じつに悪い感情だな。
ムダに失敗する確率を増やしてしまうからね。
「……彼女は最も警備が厳しい、あちらさんの『本拠地』で……より重大な情報を掴もうとしていたのか……」
「ええ、きっと。敵の『本拠地』とは、帝国が占拠している国境沿いの古い『砦』……その地下にも、地下通路が走っていますからね」
「なるほど。地下通路の探索と、敵情視察が同時に行えるな。だが、警備は厳しくなるいっぽうだったはず……そして、彼女は欲張り過ぎたのか、何らかの失敗をした」
「……敵に捕らえられたという情報はありません。ですが、彼女はドワーフではありませんからね」
「ああ。真実はともかく、全裸にひん剥いても、人間族にしか見えはしないだろう」
「そうです。それゆえに、もしも帝国が彼女を捕らえていたら?……彼らは、カミラのことをルードのスパイだと考えるでしょうね」
「そうだろうな……帝国だってバカじゃない。自分たちが地下通路を探っている以上、ルードが何もしてこないはずがないと考えているだろうね」
カミラ・ブリーズは『ルード王国のスパイ』として捕らえられた……もし、そうだとすると、スパイを捕らえたことを帝国軍は、わざわざ口外しないだろうな。
「―――カミラを、『ルード王国のスパイ』を捕まえ……その事実を隠す」
「はい。そうなれば、我々が最も困ると敵も理解しているでしょう」
そうさ。殺されたなら『あきらめる』という手段も出てくる。
薄情だが、効率的な思考だ。
だが、殺されたのか、捕らえられたのか、突発的な事故にでも遭い遭難しているのか。
それらのどれか分からないという状況を作れば?……オレたちは、その三つの可能性を考慮して、会議や行動を取らなくてはならない。最高の嫌がらせだな。
「……ふむ。そして、今ここにオットーがいないということは?」
「彼には、地下通路の探索をしてもらっています。落盤などで遭難している可能性もありますからね。カミラの送ってくれた『地図』の続きを、彼は探り、マッピング作業中です」
「事故で死んだり遭難しているとすれば、オットーが見つけてくれそうだな」
「ええ。しらみつぶしに探索しているはず。不完全ながらカミラの送ってくれた『地図』があります……オットーならば、彼女が……『どんな状態』であれ地下にいるのなら?……必ず、見つけてくれるはずです」
「ここに合流するのは?」
「30時間後の予定です。地下通路がどんなに深くても、その時には戻ってくると、オットーは約束してくれました。地下の収穫は、それまではないでしょう」
なるほど。
さすがはガンダラ。すべきことはしているじゃないか?
オットー以上の適任は考えられないもんな。ドワーフの地下通路なんて厄介なトコロでも、彼の『眼力』と経験と技術があれば……問題はない。『下』のほうは、任せよう。
あとは、オレたちの仕事だな。
「……ガンダラ、オレたちは『最悪のケース』の方を担当する」
「ええ。もちろん。そのためにお呼びしたのですからな」
「ああ。それで、オレたちのカミラ・ブリーズが探っていた敵の『本拠地』……『砦』というのはどこにある?」
「この地図をご覧下さい」
ガンダラがその巨大な上着の内ポケットから、この全てが古くさい場所には不釣り合いなほどの新しさを持つ地図を取り出した。作ったばかりだな。おそらく、ルードの斥候部隊の作品だろう。彼の大きな手が、その地図をテーブルの上に広げていく。
オレとリエルとミアが、テーブルに身を乗り出すようにして地図をのぞき込む。
まず目についたのは赤いバツの字だ。
それが大きく平野の一部に描かれていた。そうだ、疑うことはない。それこそがオレたちがついさっき目撃した殺戮の現場だろう。
「これが合戦のあった場所で……これが敵の野営地……それから二十キロほど後方に位置するのが……」
「はい。名も忘れ去られた古い砦。グラーセス領の北西を守っている砦です。尾根とつながっていることで……自然の要塞と化しています」
「……なるほど。攻めにくい以上に、そもそも管理も難しそうだな。こんな場所を占拠していたのか?」
「古いですが、さすがはドワーフ族の創造した砦。とても頑丈で、数万人を収めることが可能なほどに巨大です」
「数万人?なるほど……地下……というか、『山の内部』をくりぬいて、要塞化したということか?」
「ええ。そのような理解でよろしいでしょうな」
オレとガンダラの会話に、リエルが驚嘆の声をあげた。
「嘘でしょ?山を、くりぬいて、何万人もの居住空間を作った?」
「驚くようなことか?……国土の大半に地下トンネルを掘りまくる連中だぞ」
そうだ。このグラーセスの国土を描いた地図のほとんどの範囲に、彼らの情熱と執念の結晶であろう地下通路は広がっているのだ。
果ては、ルード王国にまでな?……いや、下手をすれば、『他』の国の地下にさえも伸びている可能性があるぞ。
リエルが、改めてその広大さに気がついたのか、ゴクリと生唾を飲む。
あるよね、『自分の物差し』が世の中に存在する巨大な何かを測れてしまうときって。
たとえば?……世界を支配する帝国の権力の大きさとか、それをも上回り広がっている経済の壮大さとか。ああ、『海の広さ』とかでもいいよ。何千キロ先まで水しかない……その事実を理解すると、海に怯えを抱いたことがあるんじゃないかね。
とにかくさ、『あまりにも大きなもの』を本当の意味で認識してしまったとき、思わず圧倒されることもあるのさ。今のリエルちゃんみたいにね。おめでとう、世間知らずの森のエルフの美少女よ。君の世界観は、また広さを増したぞ。
驚きと……そして、それに比類する『呆れ』をもって、リエルはこのかつて聖なる場所であった空間で叫んでいた。彼女のうつくしく凜とした声が反響して、オレたちの耳を襲った。
「一体、何を考えているのだ、ドワーフ族はッ!?」
うん。そこはオレにも分からない。知識の多いガンダラにでも訊いてみたいが、たぶん彼も知らないさ。何せ山岳地帯のドワーフ王国グラーセスは、鎖国状態で、ほとんど外国のヒトが立ち寄ることが無かったのだからな。
一部の商売人と、隣接する国家からの逃亡者やら山賊が入るぐらいだろう。彼らの文化を理解している連中は、彼ら以外に存在しないのさ。
でも、穴掘りが嫌いな民族ではないはずさ、ここグラーセスのドワーフさんたちはよ。それぐらいしか分からん。気にしてても始まらないな。
「……とにかく、国全体に地下通路を張り巡らせる連中なんだぞ?……『山』の要塞化なんてことは、『それ』に比べてみれば容易いものさ」
「そういう言い方をされると、納得するしかないな……釈然とはしないけど」
オレだって理解が及んでいるわけじゃない。
これほどの穴を掘る『理由』ってものが、あるのかもしれない。もちろん、無いのかもしれない。『しなくてもいいことをする』。それがヒトってもんだからな。
「……グラーセスのドワーフの文化については、謎が多い。だが、それを研究している場合ではない……」
「うん!!そーだよ、勉強なんてどうでもいいから、カミラちゃんだよう!!」
さすがは我が妹。世界一正しい言葉を口にしてくれているな。
オレはギンドウ手製の懐中時計をにらみつける。
「……さて。ゼファーが睡眠に入って、40分か。オレたちも食事を取れて、凍りかけていた体の体温も回復したな」
「ええ!」
「それじゃあ、オレたち四人とゼファーで、『砦』に潜入するとしようじゃないか」
……そうだ。帝国軍はまだこの地図の赤い印のトコロからは一歩も引けないだろう。ドワーフの戦士に背後を見せる?そんな自殺行為は彼らに出来るハズがない。
ほぼ壊滅させたとはいえ、まだ一万三千の死にかけのドワーフたちがいる。帝国軍は動くに動けないさ……何が言いたいかって?
『砦』とやらは手薄で、オレたちにとって、とても都合がいい状況だということさ。
「隅々まで探すぞ、このドワーフ製の『砦』をな……」
そこにカミラがいて欲しいか?
……どうだろう。いたら、良くて拷問と陵辱を受けた後……悪くて死体だ。
……自分でも分からんよ。彼女は多くを奪われた女だ。故郷も失い、人生も修正がきかないほどに歪んでしまい、もうフツーの人生など送りようもない。彼女がこれ以上、不幸になる光景など、オレは見たくはない。
だが、それと同時に、早く現実を知りたくもある。君に会いたいぞ、カミラ。
オレが願望していたのは二つだけ。
カミラに会いたい、そして、死んでいて欲しくない。それだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます