『グラーセスの地下迷宮』
序章 『消えた猟兵』
「……はあ。いい湯だねえ―――」
『ほんとー、そうだよねえ―――』
オレとゼファーが何をしているか?……『天国』にいる。ああ、もちろん比喩だぜ。まだまだ死んじゃいないよ。オレたちは戦争の勝者なのだから!!
ここは例の温泉宿だ。我がストラウス家御用達のザクロアの温泉宿さ、ヴィクトー・ライチが経営している温泉宿。
さすが……ザクロアを救った英雄さまへの対応は違うよね。
オレどころか、ゼファーの入浴まで許可してくれるとはな……この前は、山奥の源泉が湧いている川を教えてもらって、ゼファーはそんな川原で眠っていたんだ。オレさまのゼファーを、そんな野生の猿が温泉につかっているようなトコロにな……。
まあ、竜だし?別にそれでも辛いことは無いだろうけどね……ヴィクトー曰く、ゼファーの祖父にあたるアーレスもその猿温泉につかったとか?『だから由緒ある温泉なんですよ』!!……ってスマイルで誤魔化したヴィクトーは、やはり商人だよな。
商売人のスマイルと言葉なんて、絶対に信じてはいかんのだ。嘘しか言わん。
その証拠に、コレを見ろ。どうだ?こうして、都市国家を侵略の危機から救ってみたら?どーぞ、どーぞ、ゼファーさまってカンジで、すぐに入浴を許可されているではないか。
……オレたちをもてなそうという哲学に、手抜きがあったのだな、前回は。スケルトンとかデカい蜘蛛から命を救ってやったというのにな……ヴィクトー・ライチ。その事実をオレは忘れん。一生、我が団の宿泊料を無料にすることで手を打とうじゃないか。
『ねえ。どーしたの、『どーじぇ』?おかお、こわい。ぬるいの?ひをふこうか?』
「いや。沸騰した温泉はオレの肌には辛い。これぐらいのお湯が、人類には適している」
『そーなの……ぬるかったら、いってね?……ごぼごぼにしてあげるね』
ゴボゴボになると、十秒ぐらいで致命的な火傷を全身に負ってしまい、なんか死んじゃうような気がするなあ―――絶対にするなよ、ゼファー?オレは混浴以外の風呂で死にたくなんてないのだ。
……でも、こうして露天風呂にさ、ゼファーと一緒につかっていると、戦争に勝って良かったなあって思う!!ああ、どうだ、ゼファー?猿くさい温泉なんかより、風情ってものが違うだろう!!
あー、疲れが取れる。ヒトを殺すのって、腕の筋肉に疲れを残すからな……綺麗なお姉さんにマッサージでもしてもらって、リフレッシュしたいぜ。
ほんとここから見る星は綺麗だ、最高の景色だよ。ただし―――相変わらず、この男湯と女湯をしきる『断崖絶壁』は一体どうなっているのだろう?
今見ても、ほとんど直角なんだけど……。
30メートルぐらいあって、うちの故郷のガルーナの城壁よりも登りにくそうなんだが……ザクロアの温泉文化に対しての疑問が湧くよね。ザクロア市民の男ってさ、女湯覗くために命賭けるようなヒトたちばかりなのだろうか?
まあ、世の中には、『角』にちょっと触っただけで殺し合いになる特殊な文化のディアロス族だっているのだから?別に、どんな文化があってもおかしくはない。
たとえば。
こんな推理はどうだろう。
ザクロアの『成人式』だ。通過儀礼だな、ガルーナだと足首にロープをくくりつけて、断崖絶壁から跳ぶんだよ?二百メートルぐらいの高さのとこからね。で?そのときに子供だった自分を『殺す』。
ああ、もちろん実際に死ぬわけじゃない……ただの儀式さ。
『子供だった自分を勇気をもって殺す』ことで、自分を大人に生まれ変わらせるというような発想だよ。ガルーナ人らしい野蛮な文化だと、かつて酔っ払いなんぞに罵られたこともあるが……ディアロス文化よりはマシだと思う。
そうだ、断崖絶壁にまつわる儀式は多いものだよ。もしかして、このザクロアの男たちも、この悪魔みたいな難易度を誇る岩壁を勇敢に登ることで、自分のことを大人と認められるようになるのではないだろうか?
―――前回、オレはコレを登り切ったのだが、その達成感はなかなかのものだった。制してやったぞ感がハンパない。その後、倒れたけどね?……そうだ、鍛え方次第では、登れないこともないのだ……。
前回は、オレの正妻候補のツンデレ・エルフのリエルちゃんが、魔術地雷なんて危険なモノをしかけているせいで?こっちも仕方なく、魔術を用いて対抗してしまったが……。
思い返せば、それは、卑劣な行為であったな。
もしもだ―――もちろん、そんなに高い可能性ではないと思うが、この壁を登るのが、この地元の男たちの『非公式な成人の儀式』だったとすれば。
地元の態度と頭がアレなワルどもの中で、勇気と力を証明する儀式として伝わっていたとすれば?……オレの行いが、そんなアレなワルどもに知られたら、バカにされるのではないだろうか?
魔術を使うって、ドーピングみたいなモノだからな。
オレは、肉体と知恵だけに頼ったのではない、魔力を用いた……うむ。なんだろう。オレ、今、この壁のことを、体力と技術だけで制覇したい気持ちになっているぜ。いや、制覇しなければ、地元民に後ろ指をさされるのではないか?
―――負けられない。アレなワルどもに笑われるなんて、オレの性格が許さない。殺してやりたい、そんなヤツらのこと、引きちぎってやりたくなるぜ……ッ。
我が名は、ソルジェ・ストラウス……大陸最強の猟兵集団、『パンジャール猟兵団』の経営者にして団長だ。ナンバー・ワンだぞ?『最強のなかの最強』として、ザクロアなんぞの片田舎のアレなワルどもにバカにされては、名折れなのだ。
「よし!!決めたぞ、ゼファー!!オレ、この壁、今から登るッ!!」
『……ん?どうして?』
「魂が、何かそうしろって……言っているからさ」
もしくは、風がそうしろって―――まあ、どうでもいいや。テキトーな言葉だもん。ゼファーもあまり興味がないのだろう。うん。とうなずき、鼻先を温泉につける。
おお、プクプクプクという音と一緒に、泡がたくさん出てるぞ……ッ。いい光景を見れた。心が癒やされたぜ。
竜マニアの竜騎士にとって、竜の愛くるしい姿を見るのは、美女の全裸を見るのと同じくらい素晴らしい光景なのだ……いや、美女にはあんな愛くるしさ発揮できんだろう?あんなにブクブク出来ねえし、美女の鼻が泡吹いたとしても可愛さゼロだと思うし。
そうだ。これは、竜にしか許されない癒やしの光景なのだよ……ッ。
「―――死ぬほど癒やされた。ありがとう、ゼファー!!」
『……うん?……よかったね、『どーじぇ』っ』
うん、良かった!!とても良かった!!
「さーて、あとは、魂の渇きを癒やすのみだッ!!プライドを修復するぜ!!オレは、『最強の中の最強』であることを!!貴様を制覇して、再び証明してやるのだッ!!首を洗って、待っていろ、この壁めッッ!!」
へへへ。壁の野郎、オレの言葉を反射して、沈黙してやがるぜ……ッ。
……ああ?そうだよ?オレ、とても酔っ払ってまーす。
だから、ニヤリと笑って、その壁に挑むのさ。
そう。前回登った時に、ある程度、攻略ルートを見つけている。基本に忠実になって、ゆっくりと登っていこうじゃないか?よく目をこらせ。岩肌の亀裂や隆起のコントラストを確認しろ。
岩が教えてくれるはずだ。どこに裂け目があるのか、どこにわずかな指や足の置き場があるのか……自然と一体化するんだよ?……登れるはずだ。オレは、最強の男だ。最強の男に、登れぬ壁があるものかよッ!!
『おー……『どーじぇ』、おさるさんみたい』
「だろう?……時には、野獣のようになるのが、真の男だ!!」
『やじゅー……ん。そーだねえ……』
ゼファー、きっと今のオレに興味薄いんだろうな……。
そうだよな、猿も『野獣』だけどさ?……言った後、ちょっと違うかもって気にさえなる。きっと、猿とは不完全な『野獣』なのだ。そう、完璧な『野獣』とは、きっとゼファーのような竜のことを言うのだ!!
だよな、ゼファー!!野獣の中の野獣よッ!!
『くー……すー……っ』
ゼファーが、オレのゼファーが寝息を立てている。ワイルドさはゼロだ。だが、とてもキュートだな。今度、裁縫とか得意なロロカに、お前のぬいぐるみを作ってもらいたい。オレが抱きしめて寝るためじゃないぞ。
世界に不足している竜成分を、オレが輸出し広めてやるためだ!!そして!!さまざまなグッズを展開し!!傭兵稼業以外にも、安定した収入源を手にしてやるのだ!!売れるぞ!!まちがいなく売れる!!
だって、世界に、竜は足りていないんだから!!
オレは世界にあふれるゼファー・グッズを妄想して、顔をほころばせるのさ。そりゃ笑うだろう?あっちを見てもゼファー、こっちを見てもゼファーとか?
眼福過ぎるだろ!!
売れる!!
売れるぞ!!
そして、そしたら!!
売れた金で、また多くのゼファー・グッズを製造し!!世界を、竜で満たしてやるのだ!!もう、世界を征服したようなもんだよな!?
「へへへ!!ああ、ほんと……オレ、酔ってるなあ!!」
壁を登る。どんどん登る。登ると同時にテンションが下がる。
上に行くほど、ほんと気温が冷えてくる。ザクロアの春は、まだ寒い。だって、北極圏近いし、今は時間が夜だしね?……濡れた肌が、すっかりと冷気を帯びた風に吹かれて、もう氷のように冷たくなっている。
そうだ。濡れた肌は外気に晒されると急速に体温を奪うのだ。オレ、今、指先が震えてきている。どうしよう……魔力に頼るか?……そんな甘えた気持ちが、オレの心を誘惑してくるぜ。だが、耐えるのだ。そんなことではいけない。
そのような気持ちで、この壁に挑む?
地元民に、笑われるではないか!!
今回は、あくまでも己の肉体のみに頼るのだ。そうでなければ、オレは、負け犬ではないか!!負けんぞ!!オレは、何よりも負けることが嫌いだ!!
たとえバカなことだとしても。
それに意味がないことだとしても。
オレが勝ちたい勝負ならば、負けてはならんのだ!!
「ククク!!ハートが、燃えてきたぜ!!」
情熱が産み出す熱量もあるのだ。これは、魔力じゃない。オレの魂の昂ぶりだ。たんなる集中力の一種だから、ドーピングにはならんだろう?
オレは、もう本職のアルピニストにでもなった気持ちだ。雑念はない、ただただルートを選択して、確実に少しずつ登るんだよ。もちろん、焦りは無いが、スピードは迅速だ。
余分な情報をカットして、洗練させるのさ。
恐怖や不安を外すのさ。いらないからね。必要なものは、疑問、解釈、判断だ。脳みその中から他のいらないものは全部捨てちまうのさ。そして、ただただ最適を選び、その肉体を作動させていく。
歯車のように緻密に、昆虫のように無機的に、オレは登るという概念のみに肉体を変異させるのさ。もはや、オレはこの岩壁に挑むためだけに生まれたような気持ちさえ起きている。そう、集中力を極めれば、自己暗示など容易いのだ。
ただひたすらに登るだけだった。動きに反映される感情の揺らぎなどない。この壁を制することがオレの生まれて来た意味なのだからな!!
……さて。難所だ。
もう足場はない。ルートが、この地点だけ途切れているのだ。無慈悲?いや、自然はオレに道を残している。死の臭いに満ちた、困難なルートだがな。一メートル五十センチだ。それだけ、横に飛べばいい。それで、オレのルートはつながりを取り戻す。さて、究極の集中と、重心の安定が必要だぞ?
……呼吸を制御して、集中をつくる。吸うときはこわばり、吐くときは緩む。吸うときは横隔膜の位置が下がるから、重心がわずかに下がるし、吐くときはその逆だ。呼吸は運動の制御にもってこいのツールさ。
ほら、重心が定まり、心も冷静だ。さて、ここからアンバランスになるぜ?
指一本に体重を預けながら、体の固定を外して、自由を得る。自由でなければ、飛べやしないからな。さて、それじゃあ、猿のように岩壁に蹴りを入れて―――跳んだ。疑問することなく、当たり前の行動としてね。
左手の小指と中指が岩のわずかなデッパリに引っかかる。全ては予測の通りだ。関節を想像通りの衝撃が走る。足の指で、岩壁をつかもうとする。左の足がスベる。大丈夫、許容範囲、右の親指は、かかった。
筋力にムリをさせて、左手の指二本と右の親指だけで、体を固定する。筋肉の過剰な緊張が生まれる。長くは保たない。オレは戦士、体重があるからな。
余裕はないが、可能だ。
左足の指たちで、岩壁をつかむ。これで、安心だ。さあて。体勢は確保したが、技巧を使うことで体力も消費してしまったな。オレに残された時間はわずかだけ。さあて、慌てずに急がなければな―――。
オレは冷えていく肉体を酷使しながら、肺に冷たい空気を取り込むで、内側からも冷えていきながら。どうにか、その岩壁を登り切っていた。
「よしッ!!」
オレは登り切った崖の上で、両手の拳を握りしめて、獣のように歌うのさ!!
「オレの、勝ちだあああああああああああああああああああああああああッッ!!」
白い息が、ザクロアの冷えた夜風に流れていく。達成感だろうな。ここから見る景色は本当に素晴らしい。古都ザクロアの古いレンガの街並みには、今、戦勝を喜ぶ連日の宴会の火が灯っている。
そして……オレは、後頭部を打撃される。気配には気づいていた。だが、抵抗はできない。すれば、もっとヒドいことをされると経験が知っているからだ。
ガツン!!
「痛っ!?……風呂桶の角のところで殴るのを止めろよ、リエルちゃん?」
振り返ると、バスタオルで身を隠す、銀髪でエメラルド色の瞳をした美少女エルフさんが、なんだか不機嫌そうに頬をふくらませている。
「おい……っ。お前、何を考えているんだ?」
「ただ、そこに崖があったから―――登ったのさ」
「そして、女湯へか?」
「……ああ。もちろん、結果的にこうなっただけだ」
「……む。たしかに、邪気を感じない」
「邪気?」
「いや、最近、お前のセクハラを受けそうになると、何か背筋にゾワゾワとしたものが感じる。ゆえに、アレは邪気なのだろう」
「変な能力を身につけているな。それは、ともかく―――リエル?」
「なんだ?」
「湯につかっていいかい?ほんと、凍えて死にそうでな」
「……温泉に来て凍死しそうになるヤツがいるか……ほんとうに、バカだな」
否定できない。でも、いいさ。オレ、今夜はザクロアで一番の勝者の気分だもん。オレ、こんな壁を乗り切ったんだからな!!
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