第六話 『ああ、私の愛しき邪悪たちよ』 その10


 それは切なくも、尊い決断だろう。『巨狼/フェンリル』へと化けたジャン・レッドウッドは、アリアンロッドをにらみつながら、戦意を表明するために牙を剥く。


 オレとリエルは、そうだよ、見ていることを決めた。この戦いに手を出せるほど、戦士として野暮ではない。猟兵らしいだろ?オレたちは戦いを神聖視しているんだ。たとえ、それが異常なことと思われたとしても。


 戦いでしか表現出来ない生き様があると信じている。そして、その命がけの表現でしか、伝えられない言葉があるともな。


「ジャン。戦え!!……恩返しをしてやれ、お前の命の全てをもってな!!」


 リエル・ハーヴェルがオレの言いたいことの大半を、ジャンへの応援の言葉として放っていた。だから?オレは腕を組んだまま、一言だけ言えばいい。


「行け!!」


『イエス・サー・ストラウスッッ!!』


 猟兵は唸り声をあげて、その爪の生えた脚で地を打って、醜い四つ腕四つ足のバケモノへと飛びかかった!!


『うふふ!!ジャン、これが、あなたの愛なのね?それなら、私も、応えてあげる!!』


 死霊の母は、自分を噛みつぶそうとしてきた巨大な牙の並ぶアゴを、四つの腕で受け止める。


『がう!?』


「まさか!あのサイズはこけおどしではないのだろうッ!?」


「……妹神より、かなり強いな」


『アグレイアスがあなたたちに討たれたとき、双子神である私に……力をくれたのよ』


「力を共有しているのか!?」


『ええ。だって、私たちは双子神なのだもの。ジャン、遊んであげるわね』


 あの巨大な口はまた笑う。笑顔は戦いのためのモノ。オレにはガンダラの勧めてくれた本に書いてあった言葉は、正しい見解だろうと信じられるね。


 笑いながら、アリアンロッドは、巨狼をそのまま持ち上げて、床目掛けてたたき落とす。ズシン!!と床が揺れた。


 それでも、ジャンは唸りつづけながら、目の前にいる愛しき邪悪な存在へと目掛けて、首を振りながら、噛みつこうともがく。


『まあ。単調すぎるわよ、ジャン?』


「……それが、そいつの生き様さ」


『あら?ソルジェ・ストラウス?どういうこと?』


「お前が与えてくれた力で、ただまっすぐに生きてきた。とてもヘタレで情けないと感じることも、正直、多いんだが……だが。オレは、その男が嘘をついた瞬間を知らない」


『うふふ。いい子に育ったのね、うれしいわ、ジャン!!』


 不思議な殺し合いの時間だった。ジャンをほめながらも、アリアンロッドはその醜い体を使って、巨狼の肉体を持ち上げては、何度も何度も床石へと叩きつけていく。その度にこの練武の場は揺れていく。敷き詰められた石は崩れ、ジャンはダメージを負う。


 リエルが、手を出そうか迷うほどの光景だな。


 だが、彼女の指は、己の二の腕を掴むことでガマンした。


 そうだよ……ガマンしてくれ。これはバカげているかもしれないが、ジャンとアリアンロッドにとっては、人生で最も大切な決闘に違いない。


 そうだよな?……気絶したフリをしながら見守ってくれている、『ミストラル』よ。お前もそう思っているだろ。


 だから、まあ、オレたち三人で見守ってやろうぜ。あの母親と息子の、最初にして最後のケンカをさ。


『がるるるるるるるるうううううううッ!!』


『肋骨が折れたのかしら?かわいそうに、血を吐きながらうなるなんて?そんなに、私が憎いのかしら?』


『……そ、そうじゃ、ありませんよ……ッ』


『まあ?そうなの?』


『……僕は、憎しみで、あ、貴方に牙を剥いてはいませんッ!!』


 そうさ。その言葉を信じてやれ、アリアンロッド。その狼男が流している涙は、真実の感情。お前のために、それは心からあふれている。


『……ええ。信じてあげるわ。あなたの言葉に、嘘は感じられないから』


『はいッ!!ありがとう、ございますッ!!』


 ジャンが技巧を使う。地を蹴り、回転したのさ。アリアンロッドの手が、ジャンからすべってしまう。


『あらあら。回って私の手から逃れるなんて、スゴいのね、ジャン!!』


 そう言いながら、アリアンロッドは四つある脚の二つを使ってバランスを崩したジャンを蹴り上げていた。あまりの力だったのだろう、ジャンの巨体が宙に浮かぶほどだ。だが、狼はあきらめることを知らない。


 打撃で飛ばされながらも、ジャンはその身を空中でさらに回転させて、器用に着地するのだ。そして、再びアリアンロッドに突撃していく。


『うれしい!!私のかわいい、ジャン!!私に、飛びついて来てくれて!!』


 ガシイイイイイイッ!!


 再び四つの腕で、邪悪でやさしい女神サマは、愛する子供の突撃を受け止めるのだ。さっきと同じ?いいや、そうじゃないさ。分かっているだろう、アリアンロッド。ジャンは右の前脚を外に開く。体勢をそうやって傾けて、お前の『抱擁』を外すぞ。


『あら?』


 腕のひとつが巨狼の頭の拘束から外されてしまう。


 単純だが、パワーにあふれる者がその技を用いれば?効果的だな。そして、ジャンはわずかに勝ち得たその自由をつかって、再び前へと進むのだ。


『ガルルルルルルルルルウウウウウウウウウウウウウウッッ!!』


 狼は歌を牙に乗せて、その白い牙の列がアリアンロッドの腕の一本に食らいつく!!


『まあ、すごいわね』


 愛しさを殺意に変えて―――ジャンのアゴは力強く噛みしめられる。まるで、その残虐に、自分自身が耐えるためかのように、歯を食いしばったかのようにも見えていた。


 バギリボキイと骨が砕ける生々しい音を響かせながら、ジャン・レッドウッドの牙が、アリアンロッドの腕の骨格を完全に破壊していた。


 女神は笑うのだ。己に食らいつく狼を、どこかやさしい瞳で見つめながら。


『私の血は、おいしいかしら?……私の骨は、あなたのアゴに気持ちいい?』


 巨狼は答えなかった。覚悟が揺らいでしまわないように?……そうかもな。ジャン・レッドウッドは未熟な戦士だ。だが、それでも認めているぞ。お前は、猟兵。この世界で最も残酷で、最も美しい獣の一人だよ。


『グウウウウウルルルルルルルウウウウッ!!』


 狼がうなりながら、大地を蹴って空に踊る。そうさ、牙で粉砕した腕を、その巨体と剛力を用いて―――引っ張って、引き千切っていた。


 血潮の赤が宙に舞い、狼の赤茶色の毛並みをさらに濃い赤で化粧させる。


『うふふ!すごいわ、ジャン!!』


 三つ腕にされてしまったアリアンロッドは、それでも残った腕でジャンを殴りにかかった。腕を食い千切られた怒りから?……いいや、そんな風には思えなかった。これは、そうだ。正確には戦いではない。儀式だろうな。


 通過儀礼だよ。


 子が、親を超える。そして……『未来』へと歩き始めるための。切ない試練なのさ。


 殴られながらも、その大きな鼻から鼻血を垂らしながらも、ジャンはまた突撃する。アリアンロッドの四つ脚が、地を這って逃げる蜘蛛のように素早く不気味なステップを踏んで、はるか後方へと逃れてしまう。


 だが、不器用なジャンに、これ以上の策はないのだ。突撃あるのみ。ジャンの大きな脚が、また地を蹴って母親目掛けて飛ぶ。邪悪な神のたくましい三つの腕が、愛しい者を受け止めようとジャンに伸びていく。


 しかし、そのときの跳躍は回転を帯びていた。アリアンロッドの目測は外れてしまい、ジャンの牙が再び彼女の腕の一本に食らいつく。


『……やるじゃない、ジャン。私は、ビックリしちゃったわよ!』


 追い詰められても、母は口調を変えない。そうだよ、コイツは筋金入りの『母親』なんだよ。一万と四十七人を愛した、呪われて狂ってる……けれど、どこまでも『母親』なんだよ、愛しい子供を、罵ることなんて彼女には出来やしないのだろう。


 骨が砕ける歌が響き―――ジャンはその身を狂暴に跳ね上げて、二本目の腕が『フェンリル』のアゴによって引きちぎられる。


 赤は、もう止まらない。


 二本もの腕を食い破られたのだ。主要な動脈のいくつかが破綻しちまった。乱暴な破壊だ、止血のしようもない。


 アリアンロッドの心臓が、脈打つ度に、その千切れた腕の断端からは、勢いよく血が間歇泉のように噴き上がる。


『すばらしいわ。あんなに弱かった子が……ここまでに』


 忘れられたら良かったのか。いいや、彼女はそれを望みやしないだろう。『ゼルアガ・アリアンロッド』。異界より来たる、この世界を浸食する邪悪な神の一柱。彼女はその絶大な能力を用いて……忘れることを選ばなかった。


 たとえ、どんなに苦しかろうともな。一万と四十七の不幸極まる物語を、その腕で抱きしめながら。狂ってしまうほどの涙の果てに、慈悲と母性は歪んでいったとしても……。


 それでも、彼女は母親だ。どれほど不幸な物語だったとしても、子供たちとの記憶を忘れることを選ばなかったのさ。


『たくさんの子が……悲しい思いをして来たわ……そして、きっと、これからも。この世界はね、とても残酷なのよ……ジャン?でもね―――だからこそ』


『はいッ!!わかっています、『おかあさん』ッッ!!』


 狼は、ただひたすらにまっすぐ走った。その巨大なアゴを大きく開いた。アリアンロッドも残った二つの腕を、広げる。もう拒むことはしなかった。命が尽き果てようとして、抵抗する意欲が消えたから。


 ―――ちがうね。オレが思うに、彼女はこの最期の時でさえ、きっと、その哀れな子供を抱きしめたかっただけだろう。


 泣きながら走る、ジャン・レッドウッドのことを、彼女は、きっと……抱きしめてやりたかったのさ。


 ザグシュウウウウウウウウウウウウウウウウウッッ!!


 慈悲を帯びた白い牙が、悪神の肉体へと深々と刺さっていく。肉が裂かれ骨が破裂し、切れてしまった血管からは赤が飛び散っていく。


 命が、壊れて行くその瞬間を、ジャンは感じながら、より深刻な破壊を与えるために牙に力を込める。


 アリアンロッドの腕が……狼の首へと回る。


 抗うためではなく、その定めを喜ぶために。自分の与えた力を使い、かつて死にかけていた子供は、今……お前よりも大きな力を持つ男へと成長した。その事実を褒めているのさ、そして、言葉だけでは伝えにくい心を表現するために、彼女の腕は狼を抱きしめる―――。


『……そうよ。それで、いいのよ、ジャン……ねえ、これからも、強く生きなさい……他の子供たちのぶんまで……あなたは、『未来』を見てきてね』


『……はいッ。でも……見るだけじゃないです……僕は、きっと……団長といっしょに、少しでもいい未来のために……戦って、そして、死ぬんです」


『うふふ。勇ましいのね……ジャン。私は、あなたみたいに勇敢な子は……知らないわ』


 そして……狼の時間は終わる。


 ヒトへと姿を変えていくのだ、ジャン・レッドウッドは。そして、ヒトの腕を用いて、猟兵は『おかあさん』のことを抱きしめてやるのさ。彼の腕のなかにいる醜きバケモノは―――ゆっくりと、赤い光に変わっていく。


『……ああ、私の愛しき邪悪たちよ……その狂暴な力で……この、狂った世界を……破壊してね……?』


「……うん。任せて、『おかあさん』。そう、ですよね?団長?」


「ああ、ドロシーと一緒に、もう一度だけ『未来』を信じろ。フェイのような子が、ひとりで死なないで済む世界を……オレたちが『力』で築いてみせる」


『……そうね……私は……ドロシーの、おかあさんだものね……ありがとう、ジャン。さあ。あの『魔王』と一緒に……いきなさい……――――』


 いきなさい。


 それが、『ゼルアガ・アリアンロッド』の最期の言葉となった。紅い光にその死は変貌しながら……見送るジャンの叫びのなかで、彼女は、星へと還った。




 ―――それは、狂った聖なる慈悲。


 それは、多くの腕で、多くを抱きしめる。


 それは、愛なのか、狂気なのか?


 他人には、きっと分からない、でも、彼女の子供たちは、笑顔だったのさ。




 ―――悪しき神は、そして、偉大なる聖母は、こうして滅びる。

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