第六話 『ああ、私の愛しき邪悪たちよ』 その9

『さあ。ソルジェ・ストラウス。契約しましょう?私は、誰とでも契約してあげるわけではないのよ?やさしさと、力をもったヒトとだけ。だから、ザハトくんとはしなかったわ』


「なるほど。ザハトは盗賊。しょせん、欲望のままに奪い、殺戮するだけの男か」


『ええ。殺すのであれば、慈悲がいるわ。そうでなくては、殺される子供たちが、かわいそうじゃない?』


「……そこらへんが、お前の狂っているところだよな」


『あら?どこがかしら?』


「……悲惨な定めの子供たちだったとしてもだ。そんな彼らを、死へと誘う―――そこまでやさしいアンタが、なぜ、そんなことをするんだ?」


 オレは知っているぞ。ジャン・レッドウッドの育った孤児院で、お前はジャンを『人狼』として覚醒させて、そこにいた孤児たちも、職員たちも、皆殺しにしたんだろ。


『だって。この世界には苦しみしかないでしょう?』


「なんだと?」


『強くない子は、ただ陵辱されるだけ。搾取され、苦しみに染まって、生まれてしまったことを後悔しながら、私の前で死んでいくだけじゃないの?』


『……だから、『おかあさん』は、僕に、力をくれたの?」


 ジャンが、ヒト型に戻りながら立ち上がる。『醜き、そして慈悲深き悪神/アリアンロッド』は、ジャンのために四つもある腕を大きく広げる。


『そうよ!ジャン!よくできました!!貴方は、子供たちを苦しみから救い!!そして、邪悪な大人たちを、見事に殺したのよ!!来なさい、抱きしめてあげる!!』


 だが。ジャンはアリアンロッドに向かって足を踏み出すことはない。彼が唯一、『おかあさん』と呼んだ存在へ、かつて孤児であった男は、その側へと歩み寄ることはなかった。


 四つの腕が、残念そうに折りたたまれていく。


『あら。もう甘えてくれないのね、残念だわ』


「……はい。あのときは、熱病で死んでしまうところを、助けていただき、ありがとうございました」


『どういたしまして。あなたは、『強い子』だから、皆のぶんまで生きられたわね』


「……はい。生きて来られました、どうにか、皆がいたから」


『そう。それなら、いいのよ、ジャン』


 ジャンは、アリアンロッドの言葉に、涙ぐんでしまう。リエルが、その態度にいらついて、殴りかかろうとしたから、オレは腕で制する。『大丈夫』。オレたちの仲間は、ジャン・レッドウッドはそう言ったんだよ。ここは、任せておこうぜ、リエルちゃん?


『泣くほど、うれしいの?よかったわ、あなたの人生が、価値のあるものであって。あなたが食べてしまった子たちも、いっしょに、人生を楽しめたのね!!』


「……ええ、僕は、貴方に助けられました。救ってもらいました。でも―――それでも、やっぱり、僕は、思うんだよ、『おかあさん』」


『あら、何をかしら?』


「あのとき、僕がしたことは……僕が貴方にさせられたことは、悪いコトだ!!」


『そう?どこが?』


「だって!!み、皆を、殺したじゃないか!!僕と、いっしょに育ってくれた、何の罪もない子供たちを!!」


『そうね。あの子たちには罪なんて、ない。でも。皆、痛くて、苦しくて、泣いていたわね?……でも、あなたのおかげて、苦しみはあのときで終わった……それから後は、あの子たちは、誰も涙を流すことはなかったわ』


「そ、そうかもしれない……僕たちは、あそこにいた僕たちは、幸せじゃなかったかもしれない……あのまま、生きていたって……ずっと、悲惨な人生を、歩んでいたかもしれない……ッ」


『そうね。そういう子ばかり、私は見てきたわ。殴られ、奪われ、犯され、殺されるだけ。痛みと悲しみと恥辱と絶望だけの人生。私は、不幸になる子供たちの『定め』を感じられるのよ。だから、その側に寄り添い、やがて不幸な目に遭って、彼らが死ねば、死霊にして、この森で遊ばせて来たのよ』


 それは―――悪意ある行いではないのだろう。リエルも、唇を噛んでいる。悩んでいる。


 そうだろうな、この女神は、オレたちには出来ないやり方で大きく深い愛情を孤児たちに与えて来たのさ。


 それだけは、間違いではない。幽霊の子たちが描いたママは、ピンク色で、黄色だった。


 そのたくさんの醜い腕に抱かれながらも、皆が、笑顔で笑っていたのさ。彼らの生前には、そんな安らぎの時間など、たしかに無かったのかもしれない。


 ―――でもな。


「……でもね、『おかあさん』」


『なあに、ジャン?』


「……僕は、幸せになれたんだよ」


『それは、あなたが強いからよ』


「そうじゃないです!!そういうことじゃ、ないんです!!」


『どういうことかしら?一万と四十七人を看取ってきた、私には分からないわ』


 それだけ、不幸な子供の死を見てきたのか?そして、それらの全てを、数えて、忘れちゃいないのか―――まあ、狂っちまってもしょうがねえ。


 たった一人の死や、絶望が、どれだけヒトの人生に大きな影響を与えることか……。


「僕みたいな、罪深い人間でも……出会いや、偶然や……あと、努力とか、ちょっとした幸運だけでも……幸せだと思える場所に、辿り着けたんだ!!」


『よかったじゃない、ジャン。私は、うれしいわ』


 四つの腕で、アリアンロッドは拍手する。ジャンの人生を、祝っているのさ。ジャンはおそらく嬉しいと感じてしまうだろう。


 だが、それでも、あいつは、涙をぬぐい、歯を食いしばるんだ。


 母の抱擁を受けとるわけにはいかない。あいつが人生で一度も手にしたことのない幸福な行いだとしても、拒絶していた。


「僕でも、幸せになれたんだよッ!!だから、だから!!あ、貴方が、こ、殺してしまった子供たちにだって……幸せになる『未来』があったかもしれないじゃないですかッ!!」


 ジャンの叫びを浴びて、アリアンロッドの拍手が止まる。


『なんで、そんなことを言うの?……ジャン。ありえないことよ?弱くみじめなあの子たちは、誰も幸せになんか、なれないわ。貴方だけ。貴方だけが、その大きな力で、不幸をはね除けられたじゃないの?』


「ちがう!!力だけじゃない!!そんなものだけで、ヒトは、幸せになれるわけじゃないんです!!」


『なら!!なんで、一万と四十七人は、誰も幸せになってくれなかったのよ!!』


 悲痛な叫びだ。『ゼルアガ・アリアンロッド』。その怒りは、その悲しみは、おそらく不幸な子供たちへ向ける、お前の真実の『愛』なのだろう。だが―――そうだとしても。


「あ、貴方は、とんでもなく賢くて!!とてつもなく大きな力を持っていて!!ほ、ほんとうに、ながいあいだを生きて……苦しみに歪んで、不幸になっていく子供たちを、見てきたのかもしれません」


『そうよ!!世界はね、狂っているわ!!壊れているの!!おかしいのよ、この世界はあああッッ!!どうして、こんなに不幸になる子供たちがいるの!!どうして、この世界の大人たちは、平気で子供たちを不幸にするのよッ!!』


「知っています!!この世界の残酷さは、僕だって!!それでも……聞いてよ、『おかあさん』……」


 その言葉は、慈悲深きアリアンロッドには、絶対に逆らえない言葉だろう。


 『おかあさん』と呼ばれて、返事もしない、四つ腕の醜いバケモノのことを……子供たちは、ピンク色や黄色のクレヨンなんかで、描いたりしないさ。あの絵のアンタは、その大きく不気味な口でさえ、笑っているんだ。


 アリアンロッドの醜い顔が、母性に笑う。


『なにかしら、ジャン……?』


「……世界は、とても残酷です。幸せになりたくても、幸せになれないヒトはたくさんいるんです。それでも、それでもね……『おかあさん』―――こ、子供たちから、子供たちから、『未来』を奪っちゃダメだよッ!!」


『……『未来』……』


「そ、そうだよ!!幸せになれるかもしれないだろ!!一万人はダメだったかもしれないけど、今度は!?その次の子供は!?……その子は、もしかしたら、幸せになれるかもしれないじゃないか!!」


『ジャン……その可能性は、とても……とても……低いのよ……?』


「それでも!!ドロシーは……団長と……僕にも、『未来を信じてる』って、言っていたんだよッ!!」


 ―――そうか。あのとき、ドロシーが見えて、いや、見えていなくても、その声が聞こえていたのはオレだけじゃなかった?


 ……むしろ。あの子が、その言葉を届けたかった者は、オレではなく……ジャンか。同じアリアンロッドの『子供』である、ジャンなのか、ドロシー。そうなんだな。だったら、見届けろ、ドロシー。オレたちのジャン・レッドウッドは、お前の言いたいことをママに伝えるぜ。


『ど、ドロシー……そ、そんな……そんな……ッ』


「もう、いいんだよ!!『おかあさん』!!もう、苦しまなくてもいいんだ!!もう、子供たちを殺さないでくれ!!……信じてやってよ、貴方の愛する子供たちの、『未来』のことをッ!!』


 そして、ジャンは『最終手段』を解禁する。


 巨大な、狼。


 そいつに化ける。オレとガルフと初めて会った日に見せた、その姿になる。


『―――『おかあさん』!!……貴方の長年にわたる、苦しみの『生』を、終わらせてあげます!!僕の名前は、ジャン!!ジャン・レッドウッド!!貴方にいただいたこの命で!!この力で!!……せめて、貴方に慈悲深い死を、あげますからッ!!』

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