第六話 『ああ、私の愛しき邪悪たちよ』 その1
―――ストラウスの剣鬼は、赤毛を揺らして商館を歩く。
その顔は、どこまでも冷静に、殺意をしっかり隠蔽する。
剣は持たないが、なんのことはない、空気を吸って吐くのと一緒。
剣鬼にとっては、『殺す』ことなど朝飯前さ。
早朝からの訪問を許してくれよ、ジュリアン・ライチ。オレたちには時間が無いのだ。もう賽は投げられた。後戻りする時間も、議論すべき時間もない。
この期に及んですべきことは、ただの一つだけ。『決断』さ。戦うか、逃げるか。『魂』を守り抜くために抗うのか、みじめな『命』にしがみつくため家畜となるのか。どちらの苦しみを、お前たちは選んだ?
「……どうぞ、お入り下さい」
ジュリアン・ライチはオレにそんな言葉を使って、自室へと招き入れていた。いい覚悟だな、さすがは自由都市ザクロアの指導者のひとりだよ。立場のせいで、ややこしくなっているが、別にアンタに対して憎しみや怒りはないんだ。
リスペクトしているよ。
民を守ろうとするアンタは腰抜けなんかじゃない。立派な男だ。
だから、この指でその首をへし折る価値がある。竜太刀は持って入れなかったが、オレの指だ。お前の命が壊れる感触を、より深く感じてやれることはできる―――。
……そんなことにならなければ、良いのだがな。男手は、ひとりでも欲しいところさ。有能な男というのなら、なおさらね。
「―――ああ。邪魔するぞ」
ドアを押して、オレは彼のいる部屋へと入った。部屋には、ジュリアン・ライチとオレをここに案内してくれた彼の秘書だけがいる。
ライチは、秘書に目配せをすると、秘書は静かにうなずいて、オレに、失礼いたします、と礼儀正しく断って、この場から消えていった。
「……さて。これで二人きりだな」
「ええ。腹を割ったハナシが出来るというものですな、サー・ストラウス」
「ああ。状況は……分かっているな?」
ライチは静かにうなずく。
「もちろん。ノーヴァ殿は、私に『全て』を話された」
「……アリアンロッドのこともか?」
「……そうだ。なんというか……実に衝撃的で、受け入れがたいことだったが……事実は受け止めなくてはなるまいな」
なるほど。さすがは、ヴァシリのじいさん。ライチには事情を明かしていたのか。じいさんがいなくなった後、事実上、ザクロアの指導者はライチだけだからな……。
じいさんもこの大商人を認めていたのか。たしかに、アンタたち二人の正義は相反した形をしていたかもしれないが、ザクロアの民の命を守りたいと願う気持ちは一緒だった。
「そう。ヴァシリ・ノーヴァとその精鋭たちは、『ゼルアガ・アリアンロッド』と契約してでも自由都市を守ろうとした。オレは、それをこの眼で見届けて来たぞ」
だからこそ、『答え』が知りたい。
あの偉大なる騎士が愛し、そして信じたこのザクロアは、どんな道を選んだのだ?
「……議会は、すでに答えを出しています」
「……そうか。約束していた期日よりは、早かったな」
「……ふむ。ノーヴァ氏に急かされましてな。予定を早めることになったのです。議員たちの投票と開票は、昨日の午後のうちに、すでに行われています」
「じいさんが、帝国軍に突撃かます直前か」
「ええ。ノーヴァ氏の票は、投票されていません。事前に投票することも、代理人に投票を任せることも出来たのに……つまり、それは彼の意志です」
「ずいぶんと不利になるな。帝国の家畜になるか、自由の民である誇りを守るか、この国では議論が割れていたはずだ」
「ノーヴァ氏らしい矜持の示し方だと思います。彼は、法に背いた。議会の承認を得ることなく、敵対国家の軍に攻撃を仕掛けたのです」
「たしかにな。暴走ではある」
「はい。だからこそ、ノーヴァ氏は、議員としての資格は自分に無いと、判断されていたのでしょう。ゆえに、投票することも無かったのです。実に、あの方らしい潔さだ」
「『法を守る』……それも、ザクロアの流儀か」
「ええ。私たちを支配しているのは、王でも貴族でもなく、民衆の総意で作りあげてきた法律なのですから」
大したモンだぜ、ザクロア市民よ。歴史上さまざまな敵対勢力に襲われながらも、この三百年、勝ち得た自由を守り続けていた。
だからこそ、かつてベリウス陛下もこの土地に肩入れしたのだろう。
ここには、ガルーナと似た風が吹いているように思えるのさ……。
でも、今、オレが求めているのは、その寛容な哲学について見識を深めることなんかじゃない。状況は、とても緊迫しているのだから。
「……痺れるような演説だね、ジュリアン・ライチよ。だが、今は、君たちの素晴らしい文化について学んでいる場合でもない。聞きたいのは、『答え』だ」
沈黙が訪れる。だが、ジュリアン・ライチは恐れていない。覚悟しているのか?それとも、オレの狂暴さを消せる答えを持っているからだろうか?
分からない。商人の心を読むコトなんて、オレみたいな単細胞には難しいだろう。
まあ、この男もまたザクロアの指導者だ。自分の最善と思える道を行く。もしも、そのせいで死ぬことになっても、後悔はしないだろう。彼もまた、バイオーラ・フェイザーの後輩ってことさ―――。
「……もったいつけずに、さっさと答えろよ?答えの次第では、オレは忙しい」
「ふむ。私を殺さないといけませんしね」
「そうだ。そして、それだけじゃない」
「……どういうことです?」
「結束を作らせてもらう。これは、クラリス陛下の判断ではない。あくまでもオレ自身の暴走になるんだが……アンタらの議会が『戦い』を選ばないのなら、オレがこの国を掌握しなくてはならない」
「……ふむ。それは強引な手段ですな」
「むろん本意ではない。したくてする行為ではないのだ。そんな暴力で作った結束など、最高の結束からしてみれば、なんとも脆い。それでも、無いよりはマシだ」
「確かに。そうなのでしょうね……」
「聖なるものだろが、邪悪なものだろうが……『結束』無くして第五師団には勝てない。君たちが戦わないというのなら、オレの騎馬隊と『鉄血同盟』を合流させて、『国盗り』をする必要があるんだ。そして、オレがヴァシリ・ノーヴァの意志を継いで、この国を守ってやるのさ」
「……なるほど。法よりも意志……たしかに、ノーヴァ氏の魂だ。罪を背負う覚悟をしておられるのも、同じように見えますな」
「だとしたら、とても光栄なことだね。オレはもう、どんな汚名も覚悟している。千年、このソルジェ・ストラウスの名を侮蔑と共に呼ぶがいい。オレは、ザクロアを初めて侵略した鬼畜野郎になるんだよ」
それが、オレなりの答えであり、意志だ。
こちらの意志を知らぬまま、殺されるわけにはいかないだろうしな。
だから、話したんだよ。オレなりのリスペクトだ。
「……アンタの番だぜ。話してくれよ、ジュリアン・ライチ」
「議会の結論ですが―――貴方は、『侵略者』などになる必要はありません」
「……そうかッ」
思わず、唇が歪んで、牙が空気に触れちまう。暖炉の熱で、少し乾いた空気が、オレの口へと入ってきた。その味は、なんとも美味い。
ザクロアの薪が放つ香りは、喉から鼻腔に爽やかさをもたらす。
だが、ジュリアン・ライチは深刻な顔をしたまま続けていた。
「サー・ストラウス。我々は、帝国の侵略と戦うことを選びました」
「……了解したぞ!!ジュリアン・ライチ!!ザクロアの意志を、我が耳は聴いた!!」
―――くくく。
じいさんよ、本当にアンタの言葉通りだったな。
「なあ、ライチよ。ザクロアの民は最後の最後には、必ず『自由』の道を選ぶ……じいさん、そう言っていたぜ」
ありがとうな、ザクロアの民よ。
オレに『侵略者』などという下らぬ存在になる道を、選ばせずにすませてくれて。もしも、そうなれば、オレの心の半分は死んだ。
永遠に許されない罪人として、オレは日々を笑いながら過ごすことは出来なかっただろう。
ジュリアン・ライチはため息を吐いていた。オレを見ながらな。ときどき、インテリ系のヒトからはそういう態度を取られることがあるから、大丈夫、慣れてる!
「……貴方は、とても良い笑顔をしておられるな?」
「……当たり前だ。こんなに嬉しいことは、なかなか無いぞ!!」
「しかし、喜ぶのは早計ですぞ?……この戦に、勝算は少ない。勝てたとしても、その被害は甚大なモノになる」
「……そうだな。それでも、オレはアンタと一緒に戦えて、とても嬉しいよ」
オレとは違う人種だからね。ライチ氏は、変な顔でオレのことを見ていた。たぶん、オレの感情が理解できないのだろう。そうだね、それも仕方がないよ。オレたちは、どこまでも似てはいないから。
いや、だからこそ―――共に在ることを選んだとき、オレたちの描く『絵』は、より多くの色彩にあふれて、大いなる意味を築く。
「……貴方は、恐ろしい戦士ですね。笑顔で、そのようなことを言える。つい数十秒前まで……私を殺すとおっしゃっていたのに?」
「色んなヤツがいていいのが、ザクロア流だろ」
「え?」
「オレみたいな武闘派だとか、アンタみたいな善良な平和主義者だとか、色々なヤツがいていいわけだ……でも、根っこの部分で、共通するトコが一つだけあるな」
「私と貴方にですか?」
「そうさ。『自由』、それを求めているという事実さ。それさえ、あれば、オレたちはザクロアの旗の下で、いつでも一つさ」
「……そうですね。貴方を理解することが来る日は、永遠に来ない気がしますが……」
「理解などしなくていい。そう簡単なことではないからな。ただ、『なんとなくその存在を許容してやる場所』……そいつを心の中に作ればいいんだよ」
「……なかなかの見識です」
インテリ系のヒトは、ふわっとした哲学めいたモンに弱いのかね。リエルちゃんなら『意味が分からない』と言ってきそうだ。
そんなリエルの言葉を浴びるのも、好きなんだがね。ドMってことじゃないよ。リエルとするときは、絶対にオレが主導権を手にしてやるぜ……。
「―――って、ハナシてる場合じゃない!!」
「そうですね。関係各所に連絡をしなくてはならない」
「ああ。あとで副官のロロカを呼ぶ。彼女は、ディアロスの大酋長ギリアムの娘。ディアロスの代表だ」
「なるほど、興味深い……」
「アンタの商人仲間たちのルートを使って、この事実を広めろ。第五師団のインテリ将軍である、ザック・クレインシーの耳に聞かせてやるのさ。北の勇者、ディアロス族と―――」
「―――我々、ザクロアが、軍事同盟を締結したとですね?」
ライチが悪い顔をしている。さすがインテリ商人。情報戦の手腕は、オレの比じゃ無さそうだな。
「このザクロアは、もう孤立してなどいない。南からはルード王国の援軍。北からは未知の強さを持ったディアロスの騎馬兵だ……」
「それを情報網に流せば、クレインシーならば警戒を強める」
「時間稼ぎしてくれるのなら、それでもいい。ヴァシリのじいさまたちとの戦いでの疲弊が残る中、焦って不慣れな攻め手となってくれるのも悪くないさ」
「……なるほど、勝算が見えてきた」
「あとは結束だ。アンタの手腕にかかっているところだ。ザクロアの兵士と民と、ディアロスとルードの軍勢。それらをまとめ上げて、結束を高めろ。それが、勝利の鍵だ」
「……分かりました」
「初めての戦か?」
「ええ。戦は、ノーヴァ将軍の領分でしたから」
強がらずあっさりと己の実力を認める。いいね、そういう自己分析をしながら状況に挑める人間は、いい仕事をやってのけてくれるはずだぞ―――。
「安心しろ。ロロカについて、戦を学べばいい。彼女の策に従えば、ザクロアの死者は最小限になっていくはずだ」
「……それでも、多くが命を落とす」
「……戦だ。そこは、どうにもならん」
「私の外交手腕が、足りなかったせいですな」
「そうかもしれん。だが、それならば、戦いの質で取り返せ。オレたちはな、ヴァシリ・ノーヴァから『未来』ってモノを引き継いだんだ」
「未来……なるほど、それは、とても大きな仕事をやって下さいましたな、ノーヴァ殿」
「だから。守るぞ、そして、この戦を勝つ!!」
「ええ!やりましょう、サー・ストラウス!!」
そして、オレたち気の合わない二人はニヤリと不敵に笑って、お互いの右手を交わすのさ。そうだ、握手。ヤツの手は、ゴツゴツしている。
働き者のザクロア商人の手だな。インテリなだけじゃない、苦労もしている。なればこそ、信用がおけるのさ。
「……あとは、最後の気がかりを排除しなくてはな―――」
そうだ。『ゼルアガ・アリアンロッド』……その悪しき女神を屠らねば、ヴァシリ・ノーヴァとその千人の騎士たちは、呪われたままではないか。
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