第五話 『我は、冥府の剣をたずさえて』 その8
……かぷ。
「……痛っ!?」
早朝のことだ、首筋に走った鋭い痛みで、オレは目を覚ます。一瞬、状況がよく分からなかったが、どうやらミア・マルー・ストラウスに『噛みつかれてしまった』らしい。
まったく。13才のくせに、男の首に噛みついてくるなんて、いけない美少女アイドルちゃんだぜ。オレがハードなロリコン野郎だったら、理性飛んでるぜ?
そうだな、絶対にデートとかさせられない。
このウルトラ可愛い妹に近づく虫けら野郎どもは、八つ裂きにして、その首を玄関先に飾ってやるぜ、ガハハハハ!!
ミアが、首筋から牙を抜いて、寝言をつぶやいた。
「……ムニャムニャ、『ねぐねぐ』に捨てるところは……にゃいねえ……っ。でへへ」
そっか。『ねぐねぐ』こと、『ネグラーチカ』がそんなに美味かったか。よし、決めた。オレ、この戦が片付いたら、北極圏の『ネグラーチカ』を掴まえてやるよ。
一緒にヤツの皮を剥いで、ぶった切って、バーベキュー・パーティーだぜ。
祝勝会のプランは決まったな……。
オレは、背後にいる眠っていない部下に訊く。
「……ジャン。今、何時だ」
「……は、はい。現在、朝の五時四十分です!!」
「大きな声を出すな、オレのリトル・スイート・プリンセスが……ミアが目を覚ましちまうだろ?」
「す、すみません……っ」
「いや、謝るほどのことじゃない。寝なかったのか?」
「……いいえ。なかなか寝付けなかったので、以前、リエルに処方された眠り薬を服用しました。そしたら、3時間ほど、気を失ったように眠れたんです」
アレか?
いつぞや、ルードの宿屋でリエルに口移しで飲まされた睡眠薬。まったく、あの劇薬を3時間で分解するのかね、君の肝臓は?……オレは、一晩ぐっすり『気絶』しちまっていたというのにな。
人狼の神秘だな。毒物にも強いらしい。ほんとうに、体力系の能力は底知れずに強いな。
「三時間眠れたのなら上等だ。あとは、一時間ほど体を休ませろ。お前の体力なら、それで十分なはずだ。そしたら、干し肉とパンを詰め込んで……朝陽を浴びながら南下を続けるぞ」
「……はい」
……そうだ。いい選択だ。お前も話したいことは多くあるのだろうが、それは竜の背中でも聞いてやることが出来る。今は、体力を少しでも回復しておくんだ。オレたちには大仕事が待ち受けているんだからな……。
そうさ。
分かっている。
1000人の『死霊騎士』でも……三万五千の大軍を呑み込むことは出来ないだろう。誰もが『ミストラル』になれるわけじゃない。
第五師団は、北方遠征専用の部隊だ。アンデッドの多い北方を旅するために、アンデッド・ハンターを雇っているだろう。
その死霊狩りの専門家たちがいれば?……被害は、想像以上に小さくなるかもな。
……そうだよ。
ヴァシリ・ノーヴァと1000人の死霊たちだけでは、この戦に終止符を打つことは出来やしないのさ。
それを分かっていたから、オレの副官であるロロカ先生はディアロスの戦士たちに言っていたのさ。『戦を控えているのだから、ムダなケガをするな』―――そう。オレたちは、ヴァシリのじいさんたちの後を継いで、戦わなければならないのだ。
休め。休むのだ。
気がはやり、眠れなくてもいいのさ。とにかく、動くな、目を閉じて、思考を停止しておけ。根性で、無理やり体を休ませろ……オレも旅の疲れを少しでも抜いておく必要があるのだ。
そうでなくては、ザック・クレインシー率いる第五師団との戦に勝てんぞ。
そうだ。
オレたちは、時は違えど、共に戦うんだ、ヴァシリ・ノーヴァ。
全ては、『ザクロアの自由のために』―――三百年前の、ウルトラ・イカした革命女、『バイオーラ・フェイザー』先輩から引き継ぐその誇り高き伝統を、実践するためにだ。
オレも、アンタの剣の一本になるぞ、フェイザー……さて、二度寝しよう。
……日が昇り始める頃に、オレは起床し、ミアを起こす。
ジャンは火を起こして朝食の準備だ。
オレたちは焚き火で暖を取りながら、火で炙った干し肉をかじり、これまた直火で炙ったトロけそうなチーズを載せたパンに食らいつく。
質素な朝食だが、それでいい。
体力の回復と、時間の節約を徹底する。不必要なほどは急がない。オレたちには戦が控えているからな。だが、それでも戦略が許容できるギリギリの範囲で、迅速に動くんだよ。
テントを畳み、ゼファーの体に巻き付けている黒色のパックに詰め込んだ。そう、手先の器用な片腕義手のハーフ・エルフ、ギンドウの作品だ。
コレは実用性が高くてオレたちも喜んでいるが、なによりもゼファーの受けがいい。黒い色に仕上げたところが、受けてるみたいだ。ゼファーも、鎧やら服やら、ヒトがつけている装備に興味があるらしいからね。喜んでくれているのなら、何よりだ。
「さて。行くぞ!!」
「うん。いくー……ぐう」
「はい!!」
『じゃあ、のって?』
ゼファーが首を下げて、オレたちは彼の背に飛び乗っていく。そして、ゼファーは遅い朝焼けに染まる山岳地帯の空へと飛び上がる。
朝の弱いミアが落っこちたりしないように、お兄ちゃんとしてしっかり腕とベルトを固定して、オレたちは冷たい風とひとつになる。
「ちょうどいい。冷たいのは難点だが、いい北風に恵まれているな。ゼファー、左に見える山に沿うようにして、飛ぶんだ。理由は分かるな?」
『うん!きたからのかぜが、やまにあたって、はしってる。それにのれば、みなみに、はやくとんでいけるから!!』
「そうだ。よく出来たぞ、さすがは、オレのゼファーだ」
そうだ。オレたちの旅は順調だった。
まるで、フェイザー女史が力を貸してくれているかのようだ。昨夜のようにブリザードもない。北風はゼファーの黒い翼に力を与えて、オレたちをあっという間にディアロス族の支配領域から抜けさせてくれる。
そうだ、あの針葉樹林は……ザクロアの産業のひとつ、杉材の伐採地だ。天然物じゃないだろ?杉しか生えていないのが、人工物の証と言える。ここは、北限とは言え、すでにザクロアの領内に入ったのさ。
死霊あふれる、ザクロアの地にね。オレたちは、また戻って来たのさ。
……いいペースだ。
きっと、間に合うことはないだろう。
オレなら……『自決』するなら、朝一かな。深夜まで酒を呑み、目を覚ましたなら顔を洗って身支度して、そのまま朝飯食うより前に自決する。
ザクロアの自由騎士たちの趣味は分からないが……彼らとオレの趣味や趣向は似ていたからな。オレは、きっと、この予測が外れていないように思うのだ。
だから?
ちょっとだけ、目を閉じる。
彼らのために、祈りを捧げる。
どうか、ムダな苦しみはないように……それぐらいしか、祈るべき言葉を見つけられなかった。そして?他に思いついたのは、これだけだ。
「ゼファー。オレたちがザクロアへの帰還を果たしたことを、世界に刻むぞ。歌え!!」
『GHHAAAAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHッッ!!』
ゼファーが喉を震わして、ザクロアの空へと歌を響かせていく。
ミアは、目を覚まし、まぶたをこする。
ジャンは、この歌の意味に気づいているのだろう、無言のまま、オレの体をつかむ指に、力を込めていた―――。
ゼファーの翼はザクロア領内を瞬く間に飛び抜けていく。季節が変わり、あまりに空が温かくなってきたので、オレたちは休憩がてら服を着替えた。
そして……ジャンは、この休憩地点で、その驚異的な嗅覚を発揮してしまうんだ。
彼はしばらくその場に立ち尽くしていた。汗をかいた体で、南南東の方角をじっと見つめている。オレは……おおよそ見当をつけた上で、部下に質問するのさ。
「ジャン。彼らの『血』を、嗅ぎつけることは出来たのか?」
ジャンは、うなずいた。
「はい……きっと、そうに違いありません。だって―――」
「だって?」
「だって、この『血』の臭いは……どこか、僕たちに……『パンジャール猟兵団』に似ているんですから」
ジャンは、オレを見つめながら、笑う。
悲しそうだが、それでも笑うのさ。
そうだよ、それが戦士たちへの礼儀であり、オレたちの流儀じゃないか?
「……なるほど。それならば、間違いないぜ。彼らは、オレたちにそっくりだからな」
「ええ」
「ジャンよ、誘導は任せたぞ。最短コースを指示してくれ」
「は、はい!!……行きましょう、あの騎士さまたちを……見送りに!!」
休憩を済ましたオレたちは、完全に武装する。
なぜか?
戦士に会いに行くのだ、『正装』でなければなるまい。
鎧を着た。手甲をはめる。ジャンはサーベルと、気合いを入れるためか、白いハチマキを頭に巻いた。
そうだよ、これがオレたちの『正装』。
だって、オレたちは『パンジャール猟兵団』。
この大陸で最強の傭兵団サマだからな。
―――狼男に導かれ、竜の翼は空を飛ぶ。
しばらく、飛べば、竜にも分かる。
だって、そのシャトーからは、ワインと血のにおいがあふれてた。
それは、たしかに竜の『家族』と似たにおい。
―――翼は目指す、仲間たちの『血』を目指し。
森を越えて、谷を越えて、川を越えた。
平野がつづき、その白いシャトーが見えてきた。
ワイン蔵でもあった、そのシャトー……そこが、英霊たちの旅立ちの場所。
―――そして、魔王は老騎士たちと再会するために。
シャトーの近くへ、竜を下ろした。
あとは歩いて行こう、血と酒のにおいを嗅ぎながら。
赤く染まったその土地を、鉄靴の底で削りつつ。
……そうさ。ソルジェたちは、この『聖なる邪悪な儀式』の地へと、たどり着いた。
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