第三話 『氷獄のバロー・ガーウィック』 その8
「……ああ。どうした?」
「……じつは、悪い夢を見たんです。ガキの頃の夢なんです」
―――ガキの頃の夢?君の悲惨な幼少時代のことか?少しは知っているが、どれだね?君のは悲惨なことが多すぎて、オレにはどれが悪夢に相応しいのか分からんよ。
「僕が……初めて狼になった時の、夢でした」
「……人狼の血が覚醒したときか」
それは不幸な思い出だろうな。人狼への覚醒は、周りの者へ牙を剥く形でのものが多いと聞く。君のも、そうだったな。君は孤児院で育っていたが……あるとき、人狼の血が覚醒してしまい、他の子供たちや孤児院のスタッフを……。
「みんなを、食べてしまったときのことを、思い出しました……」
「……そうか。それは、確かにお前の罪だが、気に病むな。血の衝動を、ガキには抑えることなんて出来やしなかったさ」
「……はい。反省しています。でも、それじゃ、ないんです」
「どういうことだ?」
「……今日、『アガーム』がいたじゃないですか?」
「……ああ。『ミストラル』だな。アレが、どうかしたか?」
「……ヤツから感じた『気配』……それと同じモノを、僕は、他に二度嗅いだことが、あるんです……そのうちの一度は、あの日でした」
マジか?人狼の嗅覚は、『ゼルアガ』の気配すらも嗅ぎ分けるのか?……いや、そんなことはあり得ない。『ゼルアガ』の気配を知覚出来るのは、その『ゼルアガ』と接触したことがある者だけのはず―――って、おい。まさか?
「お前の呪われた血を発動させたのは、『ゼルアガ』で……その『ゼルアガ』は、『ミストラル』が契約した『ゼルアガ』ってことか?」
「……おそらく」
「……ありえなくはないな。『ゼルアガ』は、この世界を弄ぶ。人狼も、『ミストラル』も、そいつからすれば……オモチャ代わりの道具に過ぎんのかもしれない」
「……はい」
「……悪い。配慮の欠けた言葉だったかもしれん。お前は、オレにとっては大切な仲間でしかないぞ」
「……あ、ありがとうございます……っ」
ジャンは、ちょっと泣いているようだった。そうだな、アイツも『ゼルアガ』に運命を狂わされたのかもしれない男のひとりだ。
そう、『ゼルアガ/侵略神』はロクなことをしない。世界や国家を滅ぼそうとすることもあれば……ジャンみたいな呪われた血筋の『力』を、悪戯に目覚めさせてしまうこともある。
人狼が一匹目覚めたところで、世界は滅ぼせやしない。だが、その覚醒が、制御出来ない幼い頃に無理やり生じさせられたなら?
ジャンのような悲劇が高確率で起こる。見境無く、周囲の者を襲い、喰らってしまう。そして、ジャンは孤独になった。村人たちから追われ、レッドウッドの森に隠れ住むしかなくなった。
それから何年も、オレとガルフがその森に行くまで、ヤツは孤独な生活をするほかなかったわけだ。
「……次に、『ミストラル』と遭遇したときは……ヤツの信仰対象がどこにいるのか、力ずくでも聞き出しておく。ジャン。お前の運命を弄んだ悪神は、必ず殺す」
「……ありがとう、ございます」
「礼はいい。悪神を討ってから聞かせろ」
「はい……そ、それで……団長」
「なんだ?」
「……二度嗅いだって、言いましたよね?」
「……そう言ったな?」
―――ん?待てよ、他にも?その『ゼルアガ』か、『その眷属』の臭いを嗅いだことがあるということか?
「ジャン。いつ、どこで感じた?そいつの気配を?」
「……今日の午前中。団長が砦に行っているときに、街で……ザクロアの街で、僕は、何か知っている邪悪な気配を……感じたような、気がします。どこかは、分からないんですが……『ゼルアガ』の臭いをさせるヤツが……きっと」
「じゃあ、ザクロアに、『そいつ』はいると?」
「……は、はい。確信は持てませんが……さっきの悪夢を見て、うなされているときに。そんなことを、考えてしまっていたんです……」
「お前の勘をオレは信じるぞ」
「団長?」
「お前は、オレの優秀な猟兵だ。お前の鼻は、外れたことがないからな」
「……ありがとう、ございます……っ」
「……もう、お前は寝ろ。オレはしばらく考え事をする。うなされたら、オレが起こしてやるから、安心して寝ちまえ」
「……は、はい……お休みなさい、団長」
「ああ。お休み、ジャン」
そして……ジャンは毛布に潜り込む。眠れるのか?……うん。おそらく、眠れるだろう。雪の積もった大地を、あいつは半日走り抜け、氷の狼どもとも戦った。疲れているはずだ。だから、とにかく、ゆっくりと眠るんだ。
……しかし。
だんだんと、きな臭くなって来やがったな。
ルード王国とザクロアとの同盟を築き、第五師団をどうにかしなくちゃいけねえって時だが……『ゼルアガ/侵略神』の野望まで蠢いているのか?……それとも、それから力を得た眷属の独断かもしれないが……。
ハッキリしているコトはある。
『ミストラル』に依頼した『犯人』は、『ゼルアガ』の力を継ぐ誰かだな。そうじゃねえと、『ミストラル』に依頼なんて出来るわけがねえし……そして、どうやら、そいつはオレと接触したことのある『人物』だ。
しかも……ジャンの勘を信じれば……ザクロアの住民の誰かなのだろう。
誰だ?
ザクロアについてから、オレは誰に会った?
……まずは、スケルトンの森で出会った商人たち……『ヴィクトー・ライチ』。ヤツともハグをしたな。
そして、その宿の連中ともオレは握手やら、古い従業員とはハグもしている。そんなことをしていたら、その夜は、『レイス・レギオン』に風呂場で襲われたぞ?
ヴィクトー……あのヒトの良いオッサンを、疑うのは辛い。だが、レイスの襲撃が、すでに『ゼルアガ』の目論見だったとすれば?……それに、ヴィクトーは、『アガーム』である『ロス・ヒガンテス』に人質にされたのに、死んでなかったな。
殺しても、オレたちは探しに行っていたはずだが。ヴィクトーは、『奇跡的に無傷』だったじゃないか?
……ああ。信じたくない。イヤだぜ、そんなことは!!あのオッサンは、いいヤツだ!!親父やお袋や……オレの家族のことを、覚えてくれていたじゃないか!!
……違うと、信じたい。
そして……翌朝、いきなりオレは彼に出会ったな。
『ジュリアン・ライチ』……彼は、いきなりの訪問に戸惑っているオレの手を取って、握手をしてきた。
『ゼルアガ』の眷属なら、あの瞬間にオレを呪うことだって出来るのではないか?彼は、オレを……クラリス陛下の暗殺者だと知っていた。オレを呪い、排除したいと願ったとしても不思議じゃない。
自分を殺そうとしているヤツを呪うなんてことは、不思議なことには思えない。動機から言えば、彼が一番に怪しいな……。
そして。考えたくはないことだが……。
オレは、砦でたくさんの騎士たちとハグをしたし、握手をしたぞ?
まずは、騎士たちの代表である、『ヴァシリ・ノーヴァ』のじいさま。それに、ロドニー、マリエリ、ウッドヘッド、ニューカム、ラッセルバック、ジュード、エリザベト、ラファー、シード……いくらでもいる。
ジャンは……言ったな?
オレが『砦に出かけているとき』に、『街』で臭いを嗅いだ。
それなら……砦にいる連中は、除外していいのか?それとも、砦と街の距離なんて、ジャンが気取る『ゼルアガ』の気配の前では、誤差の範囲内なのだろうか?
砦の『ゼルアガ』の気配を、街で嗅ぐのは難しくないのか?風は、あのとき東から吹いていたぞ。砦から、街にその臭いが流れていったとしても、不思議ではないじゃないか。
だが……ほんとうに、『街』だというのなら?毛皮を買いに行ったのは、商業区、西ゼルアガ市街……ジュリアン・ライチの『店』と『議会』もそこにあるんだ―――。
オレは、ダメだな。
思考に感情が入っている。ジュリアン・ライチならば、他の連中が犯人だったときよりも、いくらか気が楽だ……そんな感情の前で、考えが歪んでしまっている。
オレは……クソ、冷静じゃねえ。
そうだな……ロロカだ。彼女と相談しよう。それに、『ゼルアガ』を気取ることが出来るジャンがいるのなら……犯人を見つけ出すのは、難しくはない……。
よし。
決めたぞ。そうだ、決めたなら。もう寝ちまおう。ジャンも、すっかり、すやすやとした寝息を立てている。悪夢は見ていない。そうだ、悪夢は、苦悩は、言葉にして吐き出しちまうと楽になるってもんさ。
―――ジャンは、また悪夢を見ている。
だが、群れの長から勇気をもらった彼は、もう揺るがない。
見ている、狼となった自分が、友達を、むさぼっている姿を。
歯のあいだに、やわらかな子供の肉の繊維が引っかかる、鶏肉と似ていた。
―――ジャンは、まだ悪夢を見ている。
自分たちをこき使い、虐待した園長どもは、おいしかった。
あんなに怖かったのに、今は、おいしいとしか思わない。
とても、いい気持ちだった。
―――そうだ、殺さずに、食っていった。
圧倒的な力の前には、庶民の抵抗なんて無意味だから。
腹から、食い千切っていく、園長は、さけんだ、ざまあみろ。
ぼくたちを、いつもいじめて、レアちゃんを、お前は犯したろ?
―――『天罰を与えてやるのよ、大人たちに』。
やさしい女の声を聞く、母親を知らなかったジャンは、その声に、母を想った。
『脚を食い千切って、逃げられなくしてから、生きたまま喰らうのよ』。
はい、おかあさん、ぼくは、あなたのことばにしたがいます。
―――『救済を与えてやるのよ、子供たちに』。
やせ細り、殴られ、犯された、その瞳には、未来は映ってはいないでしょ?
世界の苦しみから、このどうしようもなく弱い子供たちを、助けてあげなさい。
強いあなたの血にして、肉にして、強者である楽しみを、教えてあげて?
―――ひとつになりなさい、希望無き者たちを、喰らうことで救いなさい。
救う価値のない大人たちを、その牙で罰しなさい、それが貴方の使命よ。
それが、あなたよ、ジャン。
あなたはね、とっても怖い、狼男よ。
―――ジャンは喜び使命を果たす、至福の時間だ。
全員を救ったし、全員を罰したぞ。
彼は威張って鼻を鳴らす。
どうだ、せかいをみんなあかくて、しずかになった。
―――なんて、ことを……き、きみが、やったのか……?
そして、『男』の声を聞く。
ジャンが、目を開く……『おかあさん』が、そいつを見つめてる……。
『おかあさん』は、そいつを、『気に入っている』ぞ……。
―――ジャンは目を覚ます、テントのなかで、目を細める。
……そうだ、あのとき、いたんだ、『ゼルアガ』は。
……僕を、『狼』として目覚めさせて、みんなを救わせた。
そして……あのとき、いた、『男』……あれに……きっと。
―――考える、でも、分からない。
声も顔も分からない、そもそも夢のなかのこと。
確証なんて、持ちようがない……だが、まちがいない。
そう『狼』の本能が告げている、あの『男』が、団長を呪っている……。
―――そして、期待している……?
どういうことだろう……。
ああ、すみません、団長……。
僕は、頭が悪いから、この感覚の理由も分からない。
―――怖いはずなのに、怒りがあふれてる。
貴方へ近づこうとする、邪悪へ対し、僕は、殺意を抱いています。
『ゼルアガ』?……異界から侵略してくる悪神だ。
でも、僕は、そいつを、その眷属どもと、戦って、殺したいんです。
―――貴方も、貴方のくれた『家族たち/猟兵団』も。
僕は、そいつに傷つけさせたくないのです……。
だから……ご先祖さま、僕たちの血に呪いを残したご先祖さま。
ほんとうの、おかあさん、僕に……もっと、呪われた力をください。
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