第二話 『ザクロアの闇の中で』 その4


『GHAAAAOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHッッ!!』


 ゼファーの歌が、愛の行為を中断させる。


 オレはリエルに回していた腕を動かすと、彼女の頭を抱えるように守った。


 高速で飛来してきたゼファーが、オレたちの頭上で炎を吐いていたんだよ。かなりの至近距離のせいで、熱いな。だから、リエルのことを守ったのさ。彼女のうつくしい顔や、この綺麗な髪が焦げてしまっては大変だからね。


「……ふぇ?……ゼファー?え?いったい……何と戦っているの?」


「『レイス/死の風』だよ」


 オレは上空を指差した。そうだ、空には下等モンスターである、レイスの群れが飛んでいた。かなりの数だな。30?……いや、40はいるかもしれないな。


 状況を把握したリエルはその瞳をつかい空で踊るゼファーを追いかけた。優れた弓姫の瞳の前では、闇に融ける悪霊どもも見抜かれてしまう。竜の炎で、ヤツらは焼き滅ぼされていくな。


「……嘘でしよ?なんて数なの?……それに、スケルトンの群れと戦ったばかりよ?」


「今日は、そういう日なんだろうね。アンデット系と遭遇しまくり」


 レイスも……そうだな、『ゼルアガ』の痕跡が産んだモンスターの一つさ。のたれ死にした死体に、世界を弄ぶように吹いている『呪いの風』が当たってしまうことで発生するバケモノだよ。


 ヤツらは白骨化した体と、その背から生えた黒い羽根が特徴。要するに不気味だね。その骨張った羽根をつかい、コウモリのように夜空を舞うのだ。


 基本は、ふわふわと夜空を飛び回り、やがてどこかへと流されていく……そんな比較的、無害な存在。まあ、ときおり旅人や夜中に屋外にいる者を襲うこともある。さっきのオレたちみたいに、外で性行為しようとしているヒトも、その範疇だったらしい。


 初めて知ったな。酒場でも聞いたことなかった、セックスしようとしてたらレイスに襲われたとか?まあ、フツーは話さないか、そんな体験。


 それに大きな話題にはならんね、大して強いバケモノじゃないから。


 魔術でも使えば、一掃できるような雑魚だ。


 だが……まあ、これだけの数は珍しい。


 ヤツらは、世界の上空を漂い、商船のように季節風に乗って飛び回る。一定の期間を経ては、また同じ場所へと戻ってくるのさ。


 だから、かつて戦場だった場所を生まれ故郷にするレイスどもは、何度もその土地に舞い戻ってくる。風は、世界を回るからね。循環しているってわけだ。もしかすると、このレイスどもも……あの森の犠牲となった欲深い冒険者どもだったのかもしれん。


 今夜は、そういう日だったのか?彼らが久しぶりに『死に場所』へと戻ってくる日だったって?……なんていうタイミングだろう?ぶっちゃけ、入れようとした矢先に、こんなゲテモノどもの群れが、オレたちの上空に雪崩込んでくるなんてさ。


 なんにせよ、雰囲気がぶっ壊れてる。


 ロマンチックさは霧散し、空には強制的に地獄へと送られる亡霊どもの悲鳴で満ちているな。焼き払われて爆ぜた死霊どもの死体が、そこら中に落ちてくる。ああ、せっかくリエルを大人の女にしてやろうとしていたのに、萎えちまう。


 夜空で繰り広げられる竜の戦いを見ながら、リエルの唇がつぶやいた。


「……ゼファーがいて助かったわね」


「ああ。『彼ら』がね。これで、ようやく『ゼルアガ』の呪詛から解放されて、死ねるんだからな……『レイス・レギオン/死の風の軍団』。死んでから、何十年も飛び続けなくてもいいだろうよ」


 ゼファーは邪悪な気配をもつその悪霊どもを、劫火を放って空中で焼き払っていく。圧倒的なスピードと火力の差がある。手伝うところ一つ、見当たらないね。レイスと竜では、あまりにも格が違いすぎる。雑魚と王者。どうにも、克服しきれない能力の差がある。


「……でも。団長、この土地はおかしい」


「ああ。そうだな、何かが、やはり狂っている」


 スケルトンの群れに、『アガーム』、そして『レイス・レギオン』?……一日に、これだけ多くのアンデットと遭遇するなんてこと、初めてだよ。


「北に近づくほど、アンデットは増えるというハナシもあるが、これだけオンパレードってのは、異常だね」


「……『ゼルアガ』がいるのかしら?」


 ―――そう。どうしたって、その考えが出てくる。『アガーム』がいたと聞いたときから、リエルの頭には、その考えが浮かんでいたんだろう。しかし、この『ゼルアガ』ってヤツらの厄介なところなんだが、予測は出来ない。


 ヤツらを知覚することは、ヒトには難しい。


 普段はこの世界に存在していないからだろうな。世界の境界を越えて、『こっち』に来ているときなら接触することも可能だが―――その瞬間に遭遇しない限りは、隠れている『ゼルアガ』に気づくことも出来ない。


「考えても仕方ない。ただの偶然っていう可能性もあるからな」


「ガンダラみたいな言葉だ」


「ああ。あいつなら、そう言うだろう?」


「うん。たしかに、考えても仕方がないわね。世界を浸食するつもりなら、レイスを風で呼ぶなんて地味なことをしないでしょうし」


「だろうな。こんな雑魚を呼んだところで?子供たちが怯えるぐらいだ」


 お手伝いをしない悪い子は、レイスに連れて行かれるぞ?……そう言って、子供をしつける親もいるそうだな。いや、脅しじゃなくて、レイスは本当に『子盗り』をすることがある。生命にあふれる子供たちが、恋しいのかね、死霊さんたちは。


 じゃあ、生命力にあふれていたであろう、オレとリエルのセックス(未遂)が、彼らを呼んだのか?……このセリフ、誰かに言ってみたいけど、今、腕のなかにいるリエルちゃんに言ったら、バカって言われそう。だって、バカなことだもん。


 だが……『ヒトでも呼べるんだよな』、レイスごときなら?


 まさか、ファリス帝国軍の作戦?……ハハ、それこそ無いか。魔道を嫌うのは、あいつらだって同じはずだ。


 それに、クレインシー将軍は無難な作戦を採る男だという。気の迷いってのもあるし、ベテランならではの意表を突いた策という場合も否定は出来ないが、死霊の類になれていそうな北の民には、こんなことで煽っても効果は薄いだろう。


 でも、偶然なのか?……これは、ただの猟兵としての勘だが、そうじゃないような気がしてならない。だから、リエルも『ゼルアガ』の関与という最悪のケースを口にしていたのだろう。


「……いや。考えても仕方が無い。思考を組み立てられるほどの情報は、オレたち持っていないもんな」


「だな。さて……私は上がるとしよう」


「ゼファーの戦いを見物しないのか?そろそろ、終わりそうだぞ?……終わったらさ、その、さっきの―――」


「―――空から飛ぶゾンビ野郎の爆破されて燃えた欠片が降る夜に、私の処女を奪うつもりなのか?」


 ……ワイルド過ぎて、ロマンスが駆逐されているよね?


 リエルのクールな翡翠色の瞳が、オレのことをじっと見ている。その表情までも、とってもクールだよ。今夜は、彼女の理想の夜じゃないらしい。まあね!だって、オレだって燃えて砕けるゾンビなんて見てたら、萎えるし。


「さすがに、それは無いわな」


「ああ。もっと、素敵な夜にしろ。それに、屋外より、ベッドの方がいいぞ」


「うん。君の好みはちゃんと覚えておくよ」


「じゃあ、そろそろどいてくれるか?守ってくれるのは嬉しいが、動けん」


「ああ……」


 名残惜しい。だから、せめて、湯につかる君のうつくしい裸を、最後に舐め回すように見ておきたい。やわらかくて、つるつるしてて、弾力があり、オレの指だけが知っている、綺麗な君の肌のことをね。


 おっぱいフェチってわけじゃないが、どうしても乳房を見る。リエルは腕で隠そうとしているが、その桜色の尖端が、わすかに見えそうだ。あれ?……オレ、空からバーベキューにされたゾンビが降る夜でも、セックス出来るような分別の無い男だったみたい。


「……なあ。モンスターが爆発四散する夜に、セックスするのも、猟兵っぽくて―――」


 ガン!


 そうさ。デレが終われば、ツンのフェーズに入る。それが、うちのツンデレ・エルフのリエルさんじゃないか?


 舐めたくなるぐらいに魅力的な少女の肘が、オレの炎みたいに赤い髪が生えた頭部に突き刺さっていた。死にはしないが、とても痛いぜ。


「……じゃあな。タイミングを逸したのだ、これ以上の無粋な要求は、もはやただのセクハラに過ぎないぞ」


 湯からあのうつくしいオレのリエルの体が上がってしまう!!……名残惜しいから、じっと見てる。


「み、見るな!!」


「これぐらいは、いいじゃん?……すげー、綺麗だぞ?」


「……だ、だから。見るなと言っておろうに」


 リエルは怒っているのか、恥ずかしがってくれているのか?


 そのどちらともなのか。


 顔を赤くしたまま、オレの視界が届く場所から、足早に立ち去っていく。勿体ないね。ほんと、レイスなんかに、リエルをオレのモノにするチャンス盗られちまった。


 オレは上空を見る。もうほとんどのレイスはゼファーに焼かれていた。レイスに八つ当たりしようにも、怯えたように逃げるレイスは、ただただ一方的にゼファーの力の前に粉砕されていくばかり。


 哀れなほどの戦力差である。


 ゼファーに、もっとやれ!!とか、応援する気持ちも起きない。


 オレは、もう温泉を味わうしかなかった。


 この30メートルの崖の上に築かれた女湯からの景色は、たしかに最高じゃある。古くて趣のある街並みと、その夜景。上空では、竜がレイスどもを殲滅していく劫火が踊る。ほんと、サイコーの景色じゃあると思うんだよね。


 湯の中に背中をつけていく。脚を伸ばして、星と悪霊とオレの竜が舞う空の戦場を見つめるのさ。北方の不思議な夜。不気味なような……オレたち『パンジャール猟兵団』には合っているような、おかしな夜の光景だ。


 オレは酒を取り、ぐいっと呑んだ。おちょこじゃなくて、酒瓶のほうをラッパ飲みにしてね?品がないが……でも、ストラウスさん家の男って、ガサツなんだから仕方がねえ。


 ああ、そうだ。リエルにつがせたら良かったな。戦場見物しながら、酒飲んでて、時間を稼ぎ、再びツン期からデレ期が来たら、しちまえばよかった。


「……まあ、いいか?今夜も楽しかったぜ。おい、ゼファー!!歌えッ!!」


『GHAAAAAAOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHッッ!!』


 全てのレイスを焼き滅ぼしたゼファーが、勝利の歌をザクロアの星空へと響かせていた。




 ―――竜が歌ったその夜を、町の人々は噂した。


 竜騎士が、戻ったぞ!!


 翼将さまの、四男坊だ、その名は、ソルジェ・ストラウス!!


 ルードで帝国を破った、おそるべき『魔王』!!




 ―――レイスを焼き滅ぼす姿を見上げていたのは、ふたりの男。


 街の東側にいた、ジュリアン・ライチという男。


 街を守るための防壁に鎮座していた、ヴァシリ・ノーヴァ。


 ふたりは、何を思うのか、竜の力と、『魔王』の来訪に……。




 ―――死霊に縁深い、ザクロアの夜が更けていく。


 竜騎士は、勝利した竜のために、酒瓶を掲げる。


 街の酒場でも、そうであった。


 ガルーナの竜騎士、それは、彼らにとっても、懐かしい歌であったから。


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