第二話 『ザクロアの闇の中で』 その1



 ―――乙女たちは、その宿を気に入ったようだ。


 食事は美味い、部屋は綺麗、温泉だってあるのだから。


 そのうえ、幸か不幸か、事実上の貸し切りだ。


 戦争勃発を懸念して、ザクロア温泉郷を訪れる者たちは少なかった。




 ―――最高だ、最高だ。


 そうだろう、ウチの一族も御用達にしていたぐらいだぞ?


 それじゃあ、風呂にでも行って来いよ?


 デカい大浴場があるんだからな!!




 ―――弓姫以外は疑わなかった。


 だが、その弓姫も、雰囲気には勝てないのだ。


 なにせ、流されやすいところがある……とりあえず、『のぞいたら、殺すぞ』。


 その言葉だけ、置いていけばいいんだ。




「……ぼ、ぼ、僕には、絶対にムリですうううううううううううううッ!!」


 ジャン・レッドウッド、やはり君はそう答えるか。想定していた答えだが、それでもオレは君のその態度をやはり残念に思うぞ?


 そこは男湯でのこと。そう。残念なことに、オレの記憶は、少し間違っていた。混浴?いや、そうじゃない。ただ、幼すぎたオレが、母と姉と一緒に女湯に入ってただけのことだったんだ。


 そして、その場にいた若い女たちが、オレのことを可愛い可愛いと言って、撫でたり洗ったりしてくれただけだ。そう。あれは、混浴などではない。無垢で幼い頃にのみ許される、女湯への同伴だっただけのことさ。


 だから?


 オレは、ガッカリしたんだよ。


 久しぶりに膝からその場に崩れ落ちた。およそ200秒前のことだ。おかしいな、このあいだ帝国軍兵士の群れに突っ込んで大ケガしまくったときでさえ、オレは膝を屈することは一度だって無かったんだが?第七師団の戦いより、心折れちまったぜ。


 何だろうな、この喪失感。


 期待、希望、夢。


 それらが、オレの心のなかで、粉々に砕けたとき。膝もついでに砕けていたんだな。


 ああ、混浴じゃないからって、そう落ち込むことはない。この温泉は最高だ。デカいし、広いし、他に利用客もいない!!しかも、ちょうど良いことに、空から雪が降っている。うつくしいね。


 だからこそ、200秒で再起動出来たんだよ。この宿が、凡庸な魅力しかない宿であれば、まだ、オレは石像のように沈黙を保ち、黒い夜空をじっと見つめていたことだろう。


 だが。


 オレの魂は、再び動き出した。


 考え方を変えたのさ。


 混浴でなければ?


 それで、あきらめるのか?


 バカ言え!!


 たしかに、オレだって26才の男。それなりに名誉もあるし、常識だってわきまえているぞ。もしも、この宿に、一般客のヨソサマがいるのなら?


 あきらめよう。


 一般市民に迷惑をかけるなんて?そんなことは、騎士道に反しているじゃないか。でも、今この宿には、オレたちしかいない。つまり、『パンジャール猟兵団』の専用浴場だと言ったとしても過言ではなかろう。


 ならば?市民に迷惑をかけることはない……となれば、挑む。それだけのこと。


 運命など、ねじ曲げてやればいいじゃないか。混浴がないだと?ならば、男らしく女湯を覗きに行けばいいじゃないかね。


 そして。オレの脳細胞は戦略を練り、その口は言葉となって、それを吐き出していた。


「のぞくぞ。ジャンよ、お前はどうする?」


 しかし、まあ予想通りと言えばそうかもしれないが、コイツの答えは『否』であった。残念だな。ガンダラならともかく、我が友シャーロンなら、行く行く!って一秒以内に返事していたところだろうに。


 君には、少し失望したよ―――ジャン・レッドウッド。




「い、いや。団長……ほんと、やめといたほうがいいですよ」


「来ないというのなら、それでもいい。だが、なんだ?そんなヘタレた言葉で、オレを止められるとでも思っているのか、ジャン・レッドウッド?」


「……だ、だって。今回はリエルさんだけじゃなく、ロロカ姐さんがいるんすよ?ディアロス、ヤバイっすよ?殺されるっすよ?」


 ふむ。ジャンも今日一日でディアロス文化の一端に触れてしまっているからな。


 ユニコーンはジャンの苦手なモノのひとつに新加入しただろう。


 まったく、ゼファーにはエサ扱い、白夜には怯えちまってる。ほんと、コイツ動物と相性が悪い。自分は狼に化けるくせにな……。


「……ほんと、ディアロスは笑えないっす」


 そういえば、ロロカ先生のことを『こわっ』って口走っていやがったな。なんか、ほんとディアロスの洗礼を受けちまってる。しかし、ビビりすぎだよ、ジャン。


「ああ。たしかに危険な相手だな、ロロカは。だが、考えてくれ?」


「……な、なにかあるんですか?」


「ロロカは、『巨乳』なんだぞ?」


「……え」


「リエルの美乳だけじゃない。ロロカの巨乳もあるんだ。行くべき理由が倍だろう?むしろセットになった時点で、三倍には匹敵しないか?」


「そ、そういう考え方をするもんなんですか……?」


「1+1が2だと?バカを言え。モノによってはセットでプレミアつくっての」


「プレミア……巨乳……巨乳―――」


 ジャンはしばらく口元に指を当てて考える。『巨乳』。そうだよな、リエルの美乳もサイコーだし、ヒトによってはミアの微乳もいいんだろうが?……『巨乳』。この一言が持つパンチ力は、桁が違うと言っていい。


 おっぱい界のチャンピオンだな。


 好きとか嫌いとかじゃなく、それに心が惹かれるのは、本能ってもんさ。


「どうだ。ジャン。こちらの戦力は著しく低い。そして、見ろ、この地理的不利を」


「……地理的、不利……た、たしかに。30メートル近くあるっす」


「うむ。この宿は男性客を何だと思っているんだろうな。きっと、地獄の餓鬼でも、こんな壁は這い上がらんぞ……」


 この男湯の『隣接』する形で女湯/ターゲットは存在しているが、両者のあいだにはこの高さ30メートルほどの絶壁がある。


 そうだ、オレたちが男湯から女湯へとたどり着くためには?この、ほぼほぼ九十度の角度でそそり立つ、岩壁を登り切らなければならない。


「……そ、その、団長!は、発言しても、よろしいでしょうか!」


 うちはそんな軍隊みたいなシステム採用してないけど、許可する。ほんと、誤解しないでくれよ、とてもフレンドリーな職場なんだぞ。


「ああ。なんだ、ジャン」


「……この壁を登るんじゃなくて、みんながフツーに浴場へ向かった廊下を進めばいいんじゃないでしょうか?その、フツーのルートで?」


 ほう。このむっつりスケベ野郎め。


 ロロカの豊満な巨乳に、食い付きやがったな?一丁前に知恵なぞ使って、地理情報を分析し、最低難易度のコースを分析しておるわ。


 このガリガリ貧弱ボーイめ。君は、ああいった母性的な女に弱いのか?はは、だろうな。そんな気がしていたぜ。


 ド酷い孤児院で虐待されながら幼少期を過ごしちまったお前には、あの母性は聖女のように映るんだろうさ。


「……二等兵。貴様の言い分は、よく分かる」


「で、では!」


「しかし、却下だ」


「な、なぜです?……ぼ、僕たちの潜入スキルなら、そのルートの攻略は、簡単です」


「簡単だと?……我が隊のエンジェルたちの裸を拝むのだ。我々は、リスクを背負うべきなんだよ?……でなければ、彼女たちの裸に対して、失礼なんだ」


「彼女たちの、裸に対して、失礼……?」


 ジャンがオレの口走った言葉を繰り返したのを聞いたとき、自分で少し引いてしまった。なんかハートが昂ぶり、勢い余って変なコト言ってしまった気がする。


 やべえ。どうしよう、言い終わってからジワジワと恥ずかしくなって来ているぞ。


 もしも、これがガンダラだったら?


 『……ハハ。そうですか、それはよかったですね』。


 そんな一言でオレのハートを粉砕しただろう。クールに突き放す言葉。そいつはね、情熱100%のロジックを、たやすく破壊するもんなのさ。


 だが。ジャン・レッドウッドは、知の巨人ガンダラではなかった。


「そ、そうですよね……ッ」


「え?」


 おい、賛同しているのか?


 良かった、コイツ。インテリ系じゃない。バカの派閥だ!


「そうだよ。だって、彼女たちの裸を見るんです。僕たちは、妥協すべきじゃないんだ」


「……ジャン」


 オレのなかにあるジャンとの思い出。そこそこあるけれど、こんなにハッキリと強い意志を込めて言葉を発したことは無かったんじゃないか?


 なんて男らしい瞳をしているんだ。


 いつもの卑屈な野良犬の瞳じゃないぞ。貴様のそれは、もう一人前の『軍用犬/ウォー・ドッグ』の眼差しをしているじゃないか。凜々しいな、戦士よ。


「……感動したぞ。そうだ!その通りだ!!リエル、ミア、ロロカ!みんな、美しい女性たちだ!!その肉体を、リスクなしで見るだと!!バカにしてんのかッ!!命を賭けてでも、拝むべき価値があるだろうッ!!」


「イエス・サー・ストラウスッ!!」


「いい声だ、二等兵!!力と意志が声をしっかりと張らしているな!!君のそんなパワフルな声を聞いたのは、初めてだ!!いいぞ、それでいい!!」


「はい!!」


「で!!……誰が好みだ!!」


「え……ッ」


「照れるな、言うがいい!!」


「……ろ、ロロカ姐さん……が……や、やさしくて、その……っ」


 ふふ、やはりな。


「よし!!よく言った!!ちなみにオレは、リエルが本命だよ。でも、ミアは妹だが、義妹だからセーフか?ああ、ロロカ先生も好みだな」


「え?ぜ、全員でありますかッ!?」


「そうだ!!可愛くて美人な女は、全員好きだッ!!」


「す、すごい……ぼ、僕なんかには、絶対に言えないセリフだ……ッ」


「フフ。君も、あと五年も戦場で時を過ごせば、これぐらいの哲学は陶冶される」


「と、とうや、でありますか!?」


 うむ。さすがに学校とか行かせてもらえていなかっただけあって、語彙が少ない。ガンダラやロロカ先生のサポートも、必要かもしれんな。


「そうだ。陶冶とは……仕上げられるとか、そんなイメージのワードだ!!」


「い、いつか、ぼ、僕も団長みたいに、なれるということでありますかッ!?」


「ああ、なれるぞ。君が、それを望むならな」


「……は、はい!!がんばりますッッ!!精進いたしますッッ!!」


 感涙か。


 うむ。ノリで軍人口調でからかっているつもりが、コイツ、ガッツリとハマっていやがるな。さすが、犬属性を身に宿す男だということか?ていうか、お前ちょっと雰囲気に流されすぎだろう?


 まさか涙を流してまで喜ぶとは……こういう主体性の無さは、マズいような気もするな。ちょっと洗脳されやす過ぎるんじゃないのか?暗黒神を崇める教団とかに勧誘されたら、マズくね?


 うん。それはまあ、憧れてはいるんだろうけどさ、このオレに?


 そう。それだけのはずで……。


 だいじょうぶ。コイツは、きっと、だいじょうぶ。


「団長ッ!!この僕を、この僕を、導いて下さいッッ!!」


「あ、ああ!!オレに、ついて来やがれッッ!!」


「はいッッ!!」


 あれれ?おかしいぞ。追い詰められている気がするのは、何故だね?この熱烈にオレを支持してくれる後輩が、なんかオレの負担になっているような?……賢きアーレスよ、我に知恵を授けてくれないか……?


 ジャンのヤツ、オレへの感情が重すぎる。ちょっと気持ち悪い感じだが……?これ、オレに対して尊敬よりもディープな感情を捧げてるとかじゃないよね?ぶっちゃけ、コイツ、ゲイとかじゃないよな?


 だとすると、全裸にタオル一枚同士で向き合っているこの瞬間が、とてもイヤだ。


 魔眼は……沈黙している。そうか、あまりにも下らないからか。だろうな、オレが逆の立場でも、きっと返事なんかしないぜ。


 ―――そう言えば、ジャンは、ちょっと恐ろしいことに、オレが風呂に行くぞと言うと、ハイ!と明るい顔で返事をしていたな。


 ヤツは、オレが脱衣場で服を脱いでいるときも、スゴい筋肉っすね!!と褒めまくってくれた。筋肉を褒められると、男って嬉しいもんだろ?


 ほら。酒場のお姉ちゃんにさ、筋肉マックス状態の腕を触ってもらいながら、かたーい!ふとーい!きゃはは!……って言われたら、鍛えてて良かったって思うじゃないか。


 だから、褒められるままに裸でポーズしてたりしたな……。


 あれ……なんか、変な寒気がする。


 あこがれ……だけだよな、ジャン・レッドウッド。オレに対しての気持ちは、あこがれだけだよな……?


「うう!!最高だあ、団長は、最高ですようッ!!」


 涙を流しながらオレの後ろをついて来ている……ッ。なんだ、これ。オレ、女湯を覗きに行こうとしているワクワク状況のはずなのに、ちょっと引いている?


 いかん!!


 雑念が混じってはダメだ!!


 この断崖絶壁を見ろよ?


 ガルーナ城の城壁よりも垂直だぜ?……どーなっていやがるんだ?宿の主は、女湯を防衛するためには、こんな壁を構築すべきだと主張したのか?……バカな。どれだけの費用がかかると思う?


 オレは指でその岩壁を叩いて、掴んで力を入れた。うむ。まったく揺らぐことはない。とても頑丈だな。脆さはない。そこは安心だ。もしも、体重かけてボロっと崩れたりするのでは、登るのは不可能だからな。


 そして、指の腹で撫でることで、材質を確かめる。ああ、そこそこスベりやすいね。ほんと、スゴい壁を作ったもんだぜ。ぶっちゃけ、軍事的な防衛能力まで感じさせるレベルじゃないか。


 かつて、いたというのか?こんな絶壁をクリアして、女湯を覗いた英傑が……?もしもそうならば、名前ぐらいは聞いておきたいところだぜ。


 シャーロンに教えてやったら、喜びそうだ。ヤツのアホみたいな小説のネタにされちまえばいいんだ。


「……団長。この壁、登れますか……ッ?」


「油断すれば、滑落し……そして、死ぬな」


「し、死ぬッ」


「お前は頑丈だから、大丈夫だろう。オレは、ビミョーだな」


「そ、そんな……ッ。やはり、危険すぎませんか!?」


「バカ者。危険が好きなんだよ、ストラウスさん家の人々は」


 そうだ。しかし、犬死にするつもりは毛頭ないぞ?オレにはシビアなミッションが明日も待ち構えているんだからな。


「よし……ジャン。コンセントレーションだ」


「は、はい!」


 集中せねばなるまい。


 深呼吸をして、心と肉体にリラックスを産み出す。そうだ。魔眼をこらして、よく見ろ?そうさ、観察することで情報を集めろ。そして、岩壁を削った『職人たち』の声を聞け。


 彼らだって、落ちたりしないように注意していたはず。そう。彼らはこの壁に張り付き、作業が行えたのだ。ということは、ほら……見えてきたぞ。


 やはり、足場がある。手や指をかけられそうな、わずかなデッパリたちがな。


 あそこに足場を組んでいたのかもしれないね。


 そうだ。ムリじゃない。不可能じゃない……うむ。夜の闇をキャンセルする竜の魔眼が、オレに攻略法を示してくれる。


「……見えたぞ、道が分かった!!ジャン!オレにつづけ!!」


「サー・イエス・サーッ!!」


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