第一話 『王無き土地にて』 その3



「さてと、ゼファー。ジャンも乗せてもいいな……って?」


『……』


 ゼファーが長い首を持ち上げて、何かを無言で、じーっと見つめている。その蛇や猫ちゃんにも似た金色の瞳は動いているな。


 縦に割れた瞳孔が、開いている?……ふむ。それなりの集中力を帯びているところから見るに、『ハンティング・モード』か。


「……ゼファー。ダメだぞ?」


『……え?あ、うん。わかってるよ、『どーじぇ』……』


 そうか?ゼファーよ、お前、完全にうちの狼男のコトを見ていたよな?


 こないだの戦場でも、ジャンのことを見てゼファーは口走っていた。『にく』。ジャン・レッドウッドにとっては、不利な事実がある。オレのゼファーは野生で長らく単独生活をしていたんだ。


 食事はどうしていたか?


 もちろん、自力でどうにかしていたのさ。竜の胃袋は、日々、大量のタンパク質を要求してくるからな?まして、成長期のゼファーの食欲は、森にいるあらゆる動物性タンパク質に向かっていた。


 そう。鹿とか?イノシシとか?クマとか?……あと、『狼』。


 ゼファーのノドが、ゴクリと鳴った。口の中にあふれた大量の唾液を、飲み干したようだな。『狼』ってのは、そんなに美味しかったのか……。


「……ぜ、ぜ、ゼファー……ど、どうかしたのかい?」


 青ざめた表情、そして震える声で、ジャンのヤツはゼファーに質問する。オレ、なんかこれと似たような状況の童話を、お袋に読み聞かせてもらった記憶があるな。


 ばあさんに化けた狼に、孫が聞くヤツ?ねえ、どうして、そんなにお口が大きいの?


 なんか、狼の立場は逆転してるけど、似た感じの状況かもしれん。


「ぼ、僕のこと、見つめているけど?」


『……ううん。なんでもないよ、『に……』―――『じゃん』?』


 しまった。また『肉』って言いかけてた。ジャン、気づくな?気にするな?ポジティブに受け止めろ?『兄ちゃん』って呼ばれかけていた可能性もあるんだぞ?


「うわあああああああああああああああああッ!!』


 ジャンが絶叫し、その場で大きな『狼』に化けると、脱兎のごとく逃げ出す。ゼファーの目が再び獣の衝動に支配されそうになるが、オレがその鼻先を押さえてやることで、衝動は抑制される。


「……ジャンは、食べちゃダメだ?家族だから。狼っぽくても、ダメ」


『……わかってる。だいじょうぶ、わかってる』


 本当だろうか?


 だいじょうぶ。オレ、その言葉を吐きながら、リエルにセクハラかまそうとしたことがあるんだけど……?


 ある日、いきなりジャンが消えて?ゼファーが気まずそうな態度でオレに接するなんて日が来ないといいが。


 屋敷の隅に赤茶色の毛皮の犬が……いや、狼……ていうか、ジャンが隠れて、頭だけ突き出してこちらを見ている。


 ガチガチガチ。デカい歯が音を立ててるね?ボイスパーカッションでも練習中かな?……ごめん。オレ、自分に嘘ついたわ。


 ちがうよね、魔眼を使わなくても分かる。そもそも犬って、なんかヒトに感情を伝えてくるの上手だもん?……ジャンの目が、言ってる。怖い、怖い、怖い。


 いやいや。我々は、家族だよ?結束こそが強さなんだ。団員同士の仲が悪いって?それはダメだろ?団長として、ここは彼らの仲を取り持ってやらなくちゃな?


「ジャン……その、ゼファーに乗るか?」


 荒療治だが、スキンシップは効果が高いだろう。怒れるリエルをどうするべきか?抱きついたりしたら、ちょっとは怒りが収まるもんだ。


『だ、だいじょうぶっす!!』


 お前も大丈夫とか言うのか?男のそれは、ときどき当てにならんのだぞ?


『ぼ、僕は、その……えーと、僕も、走りますッ!!』


「そうか。確かに、女性一人に荒野を走らせるのは紳士の道に反する。よし、ジャン。お前に、ロロカの護衛を任せた」


『は、はいッッ!!』


 狼の顔がパッと明るくなっていた。ああ、ゼファーに『肉』として認定されちまうとはなあ。今までも手がかかる部下だったのに、もっと面倒な人材になっちまったよ。


 オレはユニコーンにまたがるロロカ先生のそばに行く。ロロカ先生は大人女子。ジャンとゼファーのあいだにある関係性に気がついている。


「……あのバカ、落ち込んで君に愚痴を言ってくるかもしれないけどさ?」


「はい。お任せ下さい」


 癒やし属性の巨乳を胸に装備した大人女子は、短い一言でオレを安心させてくれる。ほんと、いい副官になってくれそうだよ。


「なら、任せた。よし、それじゃあ、行け!!」


「はい。さあ、白夜!!」


 ロロカ先生がユニコーンの手綱を引き、あの角の生えた白い馬はいななくこともなく高速で走り始めた。とんでもない速さだな。そして、その馬を追いかけて、赤茶色のジャンが走って行った。


 なんか、牧羊犬みたいだな。安心感があるね。狼じゃなくて、あの馬の乗り手の家来なんだろうって印象を受ける。


 ほんと、ナイフみたいに尖っていた、初対面のジャン・レッドウッドはどこに消えたんだろう。


 ああ。考えてもムダだ。とりあえず、ゼファーの背に乗りながら、資料を読むとするかね?ガキの頃に行ったきりで、現地事情にさといわけじゃないからな。


 オレは走り去ったジャンを、じーっと不穏な瞳で見つめる竜の背に飛び乗る。すでにミアもリエルも乗っていた。彼女たちは、オレの心痛など察することは出来ないんだろう。


「……狼って、そんなに美味しいのかしら?」


「今度、掴まえてよ、リエル!試してみようよ!!」


「……その計画、ジャンのいないところで実行するように」


 オレはブーツの内側をゼファーに当てて、飛べ、と合図をする。ゼファーは翼を巧みに操って、振動も少なく空へと舞い上がった。


「いい動きだ。翼に、もう痛みはないな?」


『うん。ぜんぜん、いたくないよ、『どーじぇ』!』


「私の霊薬が効いたのよ?」


「それを塗ったげたのは、私!」


「そーかい。二人に感謝だぞ、ゼファー?」


『うん!!ありがとう、『まーじぇ』、みあ!』


「ふふふ。よーし、ゼファー。今日の課題は、『可能な限り揺らさないで飛ぶ』だ」


『りょーかい!ほんを、よむんだね?』


「ああ。それに、効率的に飛ぶことで、お前は今まで以上に休むことなく、長い距離を飛べるようになる。滑空を、利用してみろ?力ずくじゃない。風に乗って飛ぶんだ」


『うん。やってみるよ!!』


 素直な竜はそう言って、ルード王国の城下町の上空を旋回していく。セレモニーだな。すっかりとこの町の守護神となったゼファーの飛翔する姿を見て、喜んでくれている人々も少なくない。


 ガキは大喜びさ。それに、商人たちまでもが、仕事の手を止めて、オレたちを見送ってくれている。いや、むしろ、大人たちの方が深刻さを帯びた祈りをもって、オレたちの仕事が上手くいくことを願っているだろうな……。


「いいか、ゼファー。彼らの姿を、よく心に刻んでおけ。彼らは、オレたちに期待してくれているんだ」


『うん』


「オレたちが偉大な仕事を成せたら?……あのオレたちにやさしくしてくれる、力なき人々は、傭兵や軍隊のことなんて考えることもなく、ただただ日常を追求できるんだ」


『にちじょう?』


「そうだ。平和な日々のことだ。朝早く起きて働き、ちょっとでも稼いで、少しでもウマいモンでも食ってやろう。そして、死や、近づいてくる軍隊の気配に怯えずに、眠れる。そういう素敵な日々のことだ」


『……うん。まもる』


「そうだ。それこそが、騎士道。オレたち、竜騎士と竜が作らなくてはならない世界だ」


『うん!わかったよ!』


「ならば、歌えッ!!オレたちの強さを、ルードの民に教えてやるんだッ!!」


『GHHHAAAAOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHッ!!』


 ゼファーの歌が、空へと響く。ルードの民たちは、そして、ルードに残るオレの仲間たち。そして、女王陛下にも、その歌声は届いただろう。


 そうだ。これは、誓いであり決意表明。この小さな国を、守る。命にかえてもな……それが、誇り無き暗殺者の道だとしても、恥と屈辱にまみれた道だとしても、成し遂げる。


 オレは……二度と、『あらゆる者たちが共存している国』を、ファリスの豚どもに食い荒らさせたりはしないぞ。


 狼男とさえ、共に戦うことを嫌わなかった国だ。失わせるわけにはいかねえよ。


 そのためならば、オレは歌われなくともいい。


 名誉さえ捨てて、力を集めよう。


 ファリスの豚どもよ、オレは、ベリウス陛下の意志を継ぐ男になる。


 我が名を聞いて、怯えろ、ファリスの豚どもよ!!


 我が名は、ソルジェ・ストラウス!!


 ガルーナの翼将ケイン・ストラウスが四男!!


 地に落ちた名誉を自ら踏み砕き、それでも貴様らの前に立ちはだかる竜騎士だ!!


 我が名を怯え震えた声で唱えるといい……オレは、『魔王』の再来となるぞ!!




 ―――歌われることをも拒み、救国の英雄は名誉を捨てる覚悟をした。


 彼は決して恥知らずな男ではなく、むしろ、騎士道の体現者。


 それでも、彼は『魔王』と呼ばれることを誇るだろう。


 ベリウス・フォン・ガルーナ……彼の主君が、かつてそうであったように。




 ―――竜の歌を聴きながら、知の巨人ガンダラは悟るのだ。


 我らが団長は、この国を守るのか。


 なるほど、それならば……私は出来ることの全てをやろう。


 彼は我らの王ではないが、それよりも、はるかに偉大な男だから。




 ―――竜の翼を見上げながら、詩人と女王は祈るのだ。


 賢きラミアは知っている、クラリスの背負った苦しみを。


 せめて、名誉のなかで死ねたなら?


 あの方は、笑いながら死ねたでしょうに。




 ―――北へと向かう竜の背を目で追いながら、ギンドウは口を尖らせる。


 風と自在に遊んでる……飛行機械というのは、ああなのか?


 ううむ、そうではないようにも思えるし、そうなのかもしれない。


 だが、分かるのは……空を飛ぶ者に、やはりオレは心を惹かれるな。




 ―――竜の影に怯えながら、それでも狼は空を見上げる。


 あこがれの眼差しだ、かつて自分を救ってくれた男を、見ている。


 だが、それじゃあ、ダメだと、狼は自分に言い聞かせた。


 僕も、なるんだ……団長みたいにッ!!若き心は、青かった。




 ―――竜の歌を角に響かせながら、学者はほほえむ。


 ソルジェ・ストラウス、やはり、あなたはとても興味深い。


 命よりも名誉を求めていたけれど、今度は、その名誉さえも捧げるのですね。


 それが貴方の騎士道というのなら、私は―――。




 ―――竜の背中の上で、黒猫は決意する。


 いつか、大きくなったとき、兄の子供を産みたいな。


 それは、恋よりも深く、獣じみた愛だった。


 願いは未来で叶うのだが、彼女はまだ子供である。




 ―――竜騎士だけを見つめたまま、エルフの弓姫は頬を赤らめる。


 そ、そうか。それが、お前の道ならば。


 私はお前の影を踏み、敵を射抜こう。


 決意は変わらない、いつか命が尽きたとしても、私はお前の背を守る。


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