第五話 『竜騎士たちの狩猟場』 その6
―――詩人は、黒の剣士に秘密の手紙を届けます。
英雄殿、閣下が、将軍殿が、お呼びでございます。
人払いをすませ、貴方とふたりだけでのお話がしたいとのこと。
それでは、すみやかに―――お越し下さい。戦の未来を、左右しますぞ?
「……ルノー将軍!ガーゼット・クラウリー、ここに参上いたしました!!」
『アサシン/暗殺騎士団』として、その存在を秘匿されてきたおかげで、オレの殺意から逃れつづけた男が……ついに、オレのもとにやって来る。セシルを……オレの妹を、殴って、焼き殺した外道だ。
ああ。狂ってしまいそうだあ。
オレの顔は、喜びで歪んでいるよ。
どれだけ、この瞬間を待ち望んでいたか、分かるか?……どれだけ、お前と会いたかったのか、分かるか?
……なあ、ガーゼット・クラウリーよ……オレは、この9年間で、これだけ楽しい気持ちで歩いたことはないぞ。
将軍のテントから、オレは出る。
足音を感じて、ガーゼット・クラウリーはオレをファリス豚と勘違いしていたのだろう。その場に片膝突いて、頭を垂れていた。だが、殺気を感じたからだな、ヤツは突然に跳び退いて離れて、刀を抜いた。
「……誰だッ!?貴様はッ!?」
いい動きだ。いい構えだ。そうだ、見たぞ。二度だ。一度目はカイエンとかいうヤツだ。三剣士の一人、アーレスが歌になった戦場で、オレの左目を切り裂いたあいつ。同じ構え、似た足運び。そっくりな刀だ。
そして、アーレスの魔眼が見せてくれたな。お前、その動作から放った斬撃で、お袋を斬り殺しやがったな。
……いや、違うか。瀕死にしたままで、止めを刺してやらなかった。苦しみながら、セシルは助けてくれと叫ぶ、オレの……お袋を、セシルと、里の連中と竜教会へと押し込んで、テメーは火をつけてくれやがったんだよなあ……ッ!?
ああ、なんだこれ。血が沸騰しそうだぜ。
すまねえ、アーレス。
すまねえ、親父。
すまねえ、ガルフ。
アンタたち偉大な先人から習った心構えが、今は機能してくれねえわ。戦いは常に氷のように冷静な心でか……バカなことを言うな。そんなものは、今夜だけはムリだぜ!!
「……貴様、なぜ、笑う……ッ!?」
「喜びに、あふれているからだろうな」
「……貴様は……誰だ?」
「ソルジェ・ストラウス」
「……バカな!?たしかに赤毛だが……ヤツは、片目のはずでは!?我が同胞、カイエンの刃で、片目を失ったはずではないのかッ!?」
「ああ。でも、『生えて来た』のさ、竜の絶望の叫びを受けて、特別なのが、生えて来てくれたんだよ」
ガーゼット・クラウリーが、後ずさる。おいおい、何でだ?テメーほど残酷な男が、何をしているんだ?
「なあ、クラウリー。嬉しいことだな。ストラウスの竜騎士を、殺せるかもしれないんだぞ。あのカイエンより、お前が上だと、証を立てる好機じゃないか」
「よ、よるな!!」
「……なあ。ふざけるなよ。逃げることはないだろう?なあ、考えてくれ……お前の歌を彩るに、相応しいだろ。ストラウスの首から流れる、血の赤は」
きっと、今のオレの血は、炎のようにうつくしいさ。だって、こんなに熱く沸き立っているのだから。
「しょ、将軍を、どうした!?」
「無粋なことを言うな。あんな豚なんて、今はどうでもいいじゃないかよ」
「か、彼を殺したのか!?」
「……おい、今は、オレのことだけ考えてくれないか?……さっさと、かかって来いよ。逃がすわけがないのは理解しているはずだぞ」
「……ッ!?だ、誰か来い!賊だ、賊だぞおおお―――ぅぇッッ!!」
怒りのままに刀を走らせ、ヤツの前歯と下あごを斬撃で切り裂いていた。むろん、あのやかましくさえずる舌もズタズタに千切れただろう。
お前が悪い。
オレの仇のくせに……臆病を見せるなよ!?
言葉を放つための器官を破壊されてしまったガーゼット・クラウリーは、あまりの痛みのせいか、それとも喪失感のせいなのか……刀を握っていない手で、ぶっ壊された自分のアゴに触れようとする。だが、どんなに指で押したって、壊れたモノは戻らんぜ?
「おいおい。ガーゼット・クラウリー。アンタほどの達人サマが、オレの太刀筋を読めなかったわけがないだろう?」
「……ひゃぁぇ……っ!?」
「……もう、しゃべれんさ。舌も、アゴも、歯も、ぶっ壊されちまったんだからなあ!?残念だが、仲間は呼べないぞ。お前に出来ることは、剣士としての有能さを発揮することだけだぜ……五体満足。まだ戦える。さあ、来いよ?」
「……ぁ……っ!?」
「『三剣士』だろ?『暗殺騎士』だろ?皇帝ユアンダートの愛しい毒蛇どもだ。勇敢さを見せてくれよ……なあ、オレと戦え。怯えるなよ、そんなことしても、何の意味もない」
それでも、こんなに説得してお願いしてやっているのに、ガーゼット・クラウリーは後ずさりをつづける。
その怯え切った表情で、震えていやがる。戦いを拒絶するのか?ヤツは、首を横に振っているぞ?……なあ。そんなことが、許されるとでも思っているのか!?
「戦え。お前の強さは知っている。強い剣士だ。あのカイエンと同じなんだ。怯える必要はどこにもない。戦えよ?……ん?怖いのか?じゃあ、これならどうだ?」
「……ッ!?」
オレはガーゼット・クラウリーの前で刀を捨てていた。素手になる。鎧も着ていない。どうだ?これなら戦ってくれるだろ……?
「どうした?お前が好きな、武器持たぬ手をした者だぞ?さあ、斬って来いよ?伝説を作った三剣士の一人として、オレに挑めよ……それは、『義務』だぞ、我が一族を虐殺した責任を、果たしてくれないか」
「……ッ」
勝算を嗅ぎつけたのだろうな。クラウリーが、ようやく剣士の貌に戻る。彼はオレにゆっくりと近づいて来た。
オレが、ヤツの間合いに入る。ここは、クラウリーの間合いの内側だ。素手のオレの間合いじゃない。オレは『待っている』んだ。さあ。早くしろよ、クラウリー?
「最強の技で来い。オレの強さは理解しているはずだ」
「……っ」
さて。お前のアゴの深手は、もう出血が止まるようなものじゃないんだ。だから、死ぬ前に、見せてくれよ……あのときカイエンが放った、東方の『黒い風』を、もう一度だけ拝ませてくれ。
―――そして。
そして、『それ』を破らせてくれないか?
お前たちの作った『伝説』を、ぶっ壊してやりたいんだ。
歌に残るお前たちの剣舞を、台無しにしてやりたい。
殺すだけじゃダメだろ?……そんなことじゃ、お前には足りないよ。ただの敗北だと?……そんなことだけで、お前が死ねると思うなよ。
……剣士としての、全てを、壊させてくれ。
誇りも、伝説も、命も。
全部、オレに捧げろ。それこそが、オレの家族を焼いた貴様に相応しい罰じゃないか。
「ほら、お前の間合いのなかに、素手の竜騎士がいるぞ?どうした?……さっさと、全力で来い。手足も頭も無事。いつものように戦える」
「……ッ……ッ!!」
「どうした、迷うなよ、クラウリー。オレは武装していない敵だ。美味しいぞ。手柄にもなる。『最後の竜騎士』だ。魔王軍の最後の生き残りだぜ?……お前だって、バルモア連邦対ガルーナ王国の戦を、完全な勝利で終わらせたいはずだ」
それなのに?
それなのに、なぜ、今さら後ずさりしているんだ?
「……おい。ふざけるなよ、クラウリー。まさか、オレと戦わないつもりじゃねえだろうな?」
「…………ッ!!」
ようやくクラウリーが刀を振り上げる。
いいぜ。そうだ、そのままだ、かかって来い―――!?
ヤツは、それまで、ずっと怯えた目をしていたが、そのとき、変わった。
覚悟を決めた男の目である。だが、それは闘志由来のものではない。振り上げていた刀を、回転させて、クラウリーはそれを逆手に握り直した。
オレをじっとにらむようにしていたヤツの瞳が、笑った気がする。顔の半分が壊れていたせいで、よくは分からなかったんだが。
そして……刀が走った。
ズブシュウウウウウウウウウウウウウウウウウッッ!!
鮮血が視界のなかに広がっていく。オレは、その現実に驚愕していた。
「―――な、にッ!?」
ガーゼット・クラウリーは、『己の腹に刃を突き刺していた』。ヤツはふらつきながらも、刀をより深くにグイグイと押し込んでいく。ヤツの口が、大量に吐血する。ヤツのよどんだ目が、こちらを見ていた。嗤っている!
「……貴様……ッ」
ようやくオレは理解していた。この男は、死を恐れていたのではない。『敗北』を恐れたのだ。敗北し、己の歌が穢されることを嫌ったのだ。
なぜなら、それは、命よりも重たいことだから。
剣士として、剣聖の称号さえ授かったこの天才は、オレに自分が築き上げた『伝説』を崩されることを、何よりも……死よりも恐れていたのだ―――。
だから、ヤツは、自分で死のうとしている!!腹に刀を突き刺して、みずから深くえぐることでな!!
くそッ!!
「貴様あああああああッ!!この、卑怯者があああああッ!!」
「ソルジェ・ストラウス!!」
夜空から声が響いた。そうさ、リエルの声だ。ゼファーの背に乗るリエルが、オレの名前を叫びながら、鞘に入ったミドルソードをこっちに投げて寄越した。オレの指がそれを掴んだ。
「おい、そいつを自害などさせるな!!ストラウスの仇は、お前の手で討たねばならんッ!!」
「そうだよ!!『お兄ちゃん』ッ!!」
―――その言葉が、オレを動かしていた。
あにさまー。
記憶のなかで、セシルの声が、オレを呼ぶ。呼んでくれた。炎に呑まれながらの叫びなのではなく、オレに飛び付いてくる時の……いつもの声で。
「―――そうだ、我が名は、ソルジェ・ストラウス!!ケイン・ストラウスが四男!!『最後の竜騎士』!!そして……そして、オレは、オレは、セシルの、あにさまだああああああああッッ!!」
ミドルソードを抜き放ち、構える。
オレは悟っている。ガーゼット・クラウリー!!貴様の伝説を壊す術を、オレは理解しているぞ!!伝説と共に死にたいのかもしれないが、そうはさせんッ!!
刃を構える、脚を広げて肩を下ろす―――。
「……ぅぇぁッ!?」
ガーゼット・クラウリーが目を見開く。それは、恐怖。殺されるからではない。そうではない。自分の、自分たち『三剣士』の伝説が、穢されることへの恐怖だ!!お前が、最も恐れることをしてやろう!!
何万回。
悪夢の中で、これを見たか。
お前たちの太刀筋を、思い出したか!
オレの片目を奪ったカイエンの技、お袋を斬って遊んだ貴様の剣……知っているさ、おそらく貴様よりも、深く、オレはこの剣舞を理解しているぞ!!
「ぁあぁあぁあああああああぁあああぅぅうううううッッ!!」
恐怖に狂った、ガーゼット・クラウリーが、己の腹から刀を抜いて、オレを邪魔するために斬りかかってくる!!
だが、遅いぜ!!この技は……『魔剣』の一種なのさ。わずかな魔力すぎて、その発動時間が刹那すぎて、誰も気づけなかったのだろうが……。
オレは、知っているぞ……これが、風の魔術を使った、神速の剣舞だということを!!
「―――じゃあな、三剣士の伝説よ」
疾風をまとったオレが、踊る!!
貴様ら『出来損ない』の技では、黒い疾風であったのだろう。だが、『完成形』のこの技は、赤く揺らいでいるだろう!?
クラウリーの刀が『オレの疾風』を受けて断ち切られていた!!
クラウリーが、叫ぼうとした。だが、口が壊れていて叫べない。そうだな、それゆえに貴様は否定も出来ないのだ。それが、自分たちの『奥義』ではないと、否定も出来ん!!
刃が踊り、『オレの赤い疾風』はクラウリーの首に叩き込まれて、それを一瞬のうちに刎ね飛ばしていた!!
クラウリーの頭部が夜空に舞い、ヤツの体から噴き上がった鮮血が、オレの放った疾風に乗って、暗闇へ散り、血で描かれた赤い吹雪となっていく―――。
「―――いいか、ガーゼット・クラウリー……これは、『君たちの奥義』なんかじゃない。『オレの奥義』なんだよ。この『赤い疾風』の名は、『太刀風』。『ストラウスの剣の一つに過ぎない、オレの奥義だ』ッ!!」
口惜しかろう、ガーゼット・クラウリー。だが、言葉など、いらないぞ?
だって、そこに転がる貴様の頭を見下ろせば、気持ちは十分に伝わるからだよ。
絶望しきった顔だ。剣士ならば、当然だろう。人生をかけて、いや、自分以外の同胞たちの鍛錬も重ねて、多くの血と戦いで築いた伝説を、このオレに喰われたのだからな。
そうだ、『太刀風』は『オレの技』としてだけ、伝わる。
貴様らの歌から奪い取られる。なぜならば、オレの『太刀風』の方が、はるかに技の本質を極めている、完成された技だからだ。
「……へへへ。どうだい、セシル……お前の、あにさまは……ようやく、ようやく!お前を……お、お前を、お、お、オレから奪った……こ、この鬼畜をッ!!殺して、絶望の底へと、叩き込んでやったぞおおおおおおおおおおおおッッ!!」
吼える!!
ああ、親父よ、兄貴たちよ、そしてアーレスよ?あの世にその鬼畜が転がり込んできたら、剣で切り刻み、槍で串刺しにして、ゆっくりと炎で炙って地獄でも殺せ!!
……セシル。お袋……すまねえなあ。
9年も、かかっちまってよ……?
でも、安心しろ。
オレが……終わらせたから。
あとは、安心して……星になって、休んでくれ……っ。
―――それは、復讐鬼の物語。
長い時をもがきながら歩き、多くの夢を見た男。
その夢は、いつも死の光景。
愛する妹と、愛する母親が、斬られて焼かれる夢……。
―――心は何度も壊れていって、死さえも願う日もあった。
それでも、男はあきらめなかった。
壊れても、狂っても、忘れないために夢を見た。
そうだ、だって、オレしかいないだろう?
―――酒を呑むと、鬼は詩人によく語る。
好きな女の話はしなかった、いつも悲しい死者との思い出。
あにさまー。
耳で聴いた最後の言葉、魔眼で知った最期の言葉。
―――呪縛は終わる、歌われるに足る奥義の完成と共に。
呪われた日々は、終わりを告げる。
星の綺麗な夜に、彼を呼ぶ声は、これからずっと穏やかだろう。
夢であにさまと呼ばれたとき、心に得るのは安らかな寂しさだけなのだ。
―――ああ、我が友よ、太刀に風を宿す、ソルジェ・ストラウスよ。
僕らが固く絆で結ばれているように、僕らの妹たちも夜空で共に在るだろう。
僕は歌で、君を星に届けよう、君は剣で、歌を描くんだ……。
さあ、笑おう、祝おう……今このときだけは、君は泣いていいんだぞ。
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