第三話 『密輸業者パンジャール』 その5


 いいディナーだった。そして、月のない夜がやって来る。仕事の時間だ。今夜のオレたちは暗殺もしないが、それでも隠密が必要とされる。そして、精密さと慎重さもな。


 小麦の入った袋たちをロープでがんじがらめに縛ったそれを、静かにゼファーは足爪で掴んだ。左の脚でそれをしたまま、右脚の筋力だけで跳び上がると翼を羽ばたかせて滑空する。これを実現するための坂道でもある。


 滑空しながらバランスを取り戻し、ゼファーは夜の空へと昇っていくのだ。竜は空の王に戻る。姫君でも肉塊でもなく、小麦の粉を道連れにして。


 ゼファーの背には三人が乗っている。


 もちろん、オレ。そしてリエル。オレの脚のあいだにはミアがいた。ミアははしゃいでいる。すっかりとゼファーと友達になった。精神年齢が近いからか?


「あはは!上手だねえ、ゼファー!」


『……うん。れんしゅうのときは、しっぱいばかりしてたけど、こんどはうまくいった』


 そうだ。アジトで夜な夜な、この夜間飛行の練習をオレとゼファーはしていた。夜間飛行の離着陸の難易度は、とてつもなく高い。見えにくいしな。


 しかも、今回は一度に数百キロ近い小麦の袋の束を掴んだままだ。並みの竜と竜騎士では、上手に行かないだろう。親父はともかく、兄貴たちでも無理だったろうな。


 オレは……竜がいなくとも、竜騎士の訓練は欠かさずしていた。古代の竜騎士の訓練場を回り、古文書なんかも集めて、イメージでも訓練しつづけた。


 その成果が、形となって現れている。


 少女たちには分からんだろう。竜騎士じゃないから、今、ゼファーとオレがどれだけ高度な仕事をこなしているかなんてな。


「でも。竜の力はとんでもないわね……あんな重たい荷を軽々と。五頭の馬で引いて来た重量よ?」


『こんなの、かるいよ、『まーじぇ』』


「うん。貴方は強い子ね、ゼファー」


「いい子だから、キスしてあげるねー♪」


 ミアがゼファーの角のひとつにキスしてやる。オレは彼女が竜から落ちやしないと心配で、ずっと腰に手を当てていた。リエルにからかわれる。


「なかなかの過保護っぷりね」


「……まあね。二度も……妹を失いたくないからな」


「……そうね、絶対にミアを落としちゃダメよ?ソルジェ団長」


「ああ。もちろん、君のこともね」


「……真っ暗な夜空で口説かないでもらえるかしら」


「エルフの慣用句か?……なにか意味があるのか?愛にまつわるものかい?」



「もう、シャーロンみたいなことを訊かないの。お前、ヤツに感化されすぎだ」


「ハハハ。たしかに、あいつのバカは伝染するよな」


『ねえ。『どーじぇ』、こっちだよね?』


「おう。魔眼で示している通りだぜ」


『りょーかーい』


 ミアがオレの脚のあいだで後ろを向き直る。


「おい。ミア、ひょいひょい動くな。マジで危ないんだぞ?」


「だいじょぶ。こうやって脚を『団長お兄ちゃん』に絡めてるから」


 ミアの細い脚がオレの腰に絡んでくる。腕を首に回される……なんていうか、誤解を与えてしまいそうな姿勢だな。


 なあ。ミアよ、お兄ちゃん以外の男に、こんな抱きつき方しちゃダメだぞ?ガキだけど、お前、美少女なんだからな。


 まあ、ミアに近づく男なんて、みんなお兄ちゃんが威嚇するか、それ以上のことをして追い散らすけどね。


 さて。ミアはじーっとオレを見つめてくる。至近距離で。


「どうかしたか?」


「ううん。お兄ちゃん、重心動かしてるね……それが、騎乗のコツ?」


「さすが、オレの妹分。やるねえ」


「うん。ミア、やれば出来る子だもん!……でも、嫉妬」


「嫉妬?」


「うん。だって、ソルジェお兄ちゃんの動きの方が、ゼファーは飛びやすそう」


「……それが分かるんだ、お前も大した竜乗りになれる」


 女の竜騎士は……そうだな、『聖女アリシア・ライオット』まで遡るのか。


 でも、いないことはないのだ……そうか、ミアが女竜騎士か?悪くないな、新生・ストラウス家の一翼としては―――。


「ねえ。お兄ちゃん、聞いてる?」


「ん。おお、すまん、妄想してた。お前が竜騎士になるのをな」


「なれそう?」


「ああ。お前だけの竜を見つけられたなら」


「ゼファー、お友達は、どこの山にいるの?」


『……わからない。ぼくは、ずっとひとりだったから』


「そっか。ひとりぼっちか。さみしいよね……でも、これからは皆が一緒だよ!」


『うん!みんなが、いてくれる。ここは、ぼくの『かぞく』だ』


 いい子たちだぜ。オレは思わず笑顔になる。そして、ミアに竜騎士のコツの一つを教えてやることにした。


「いいか、ミア。竜に乗るコツを教えてやる」


「ホント?やったああ!!」


「まず……基本は馬と同じだが、空を飛んでいるだけに、より繊細な重心のコントロールが必要となるぞ。風使いのお前なら、分かるだろう?オレが、風に合わせて重心を動かしてやっているのを」


「うん。腰が前後に動いているもんね」


 ミアがオレに抱きついたまま腰に触れる。なんか、ガキのくせにエロいな。常識人気取りのお姉さんが注意する。


「……ミア、ちょっとはしたないから?あまり男にくっついてはダメよ?」


「えー。勉強中だもん。はしたなくなんてないもーん」


 ―――そうかな?……まあ、兄と妹だし、問題ない。


「オレの動きは、ゼファーの重心移動に先んじて動いている。ゼファーはオレに合わせれば、ひとりで飛ぶとき以上に、楽に飛べるはずだ」


『うん。『どーじぇ』がのると、つばさがうごかしやすい!』


「骨格や筋肉とも連動させている。もちろん、呼吸も合わせているぜ……そうすることで、オレを負担ではなく、バランサーとしてゼファーに融合できるのさ」


「ばらんさー?」


 黒い猫耳が、ひゅんと畳まれる。うん。難しい言葉だったな、ゴメンな。


「重心を取りやすくさせてるってこと。空でも、安定して飛べるようになるんだよ」


「スゴーい!!そして、なんか、ズルい!お兄ちゃんだけ!!」


「ああ。今度たっぷり教えてやる。お前にも竜を見つけて、お前も竜騎士にしてやるよ」


「ほんと?」


「まあ、すぐには見つからないだろうけどなぁ……」


 オレでも9年かかったんだから……でも、9年なんて、あっという間かもな?ミアもその頃には一人前の女か……誰かと結婚してんのかね。まさか、オレの子産んでたりして?……ハハハ。オレ、ロリコンじゃねえから、無いか。


「でも、見つけたら、お兄ちゃんが教えてくれるの?」


「ああ。しっかりと全部仕込んでやるよ。竜騎士の名家、ストラウス家の復活さ!」


「うん!がんばるぞー!ゼファー、空を飛ぶときは、お友達を探すように!!」


『うん。さがしてみる』


「フフフ。みんな、楽しそうね」


 エルフの弓姫は子供たちの会話を見ていると心が癒やされるのかもな。女は子供が好きなもんだ。たまには嫌いなヤツもいるんだろうけど、リエルは母性が強い女らしい。


 いいぜ、リエル。そういう女にオレの子供を産ませたいって常々、思ってる。アットホームな家庭を築きたいんだ。


「でも。竜騎士が二人になったら……この団は強くなるわね」


「おい、何を他人事みたいに言ってるんだ?お前も竜騎士の才があるんだぞ?」


「え?私?」


「そうだ。『竜を恐れない』。それが竜騎士にとって、最も大事な才能だ。お前とミアにはそれがある。あの昼行灯のシャーロンや、冷静沈着なガンダラでさえ、本能的にはゼファーに萎縮しているのになぁ……」


「あの二人が?そうは、見えないけれど?」


「彼らもまた猟兵だ。恐怖心を表には出さないさ。でも、オレの魔眼の前では、その秘密だって暴かれてしまう」


「……まったく。悪い団長ね、部下の心をのぞき見るなんて」


「そんな器用なモンじゃないけどね。戦い関連の気配しか分からないし」


「そうなのね。良かったわ、私のプライバシーが守られて」


「ツンデレ姫の心を覗けたら?なかなか面白かったかもしれないんだがね」


「……そんなことを本当にしたら、殺すわよ?」


「フフ。残念ながら、ダメだな。アーレスは『アリシア大大大大大ばあさま』に仕えた紳士……女性のプライベートを覗くような魔力は、オレに寄越さんよ」


「いい竜だったのね、さすがはゼファーのお祖父さま。ゼファーにもそうなって欲しい」


「ゼファー、『マージェ』が紳士たれだとよ?メスには優しくって意味だ」


『りょーかい』


「まちがいじゃないけど、しっくりと来ない言葉だったわよ、ソルジェ団長?」


「細かいコトをストラウスの男に求めないで欲しいね」


 そもそも、こんな軽口を叩きながらだって、とてつもない重荷を掴んで飛んでいるゼファーに、『指導』をしている最中なんだからな。


 魔眼で、オレが感じた風の情報をゼファーの心に送りつづけている。ゼファーは才能がありすぎるから、我流で全てを、ほぼ一流のレベルにまで磨くことは出来る。


 だが、『それ以上』を目指す場合は、ストラウスの組み立ててきた技術を学ぶべきだ。


 我ら一族、五百年の伝統。それは徹底された知識の研鑽でしかない。個性を問わず、全ての竜に有効なのだ。


 飛竜の肉体構造と、運動機能の秘密を研究しつづけて作りあげた飛翔の奥義―――その歴史を継承することで、才能に老獪さの磨きが加わるのさ。


「いいか、ゼファー。風を『見る』だけじゃない。耳でも聴いて、肌で感じろ……今まで感性だけで行って来たことを、知識で行うんだ。そうすれば?」


『さいのうを、とっておける』


「そうだ。それなら、動きを崩されても、即座に対応出来るからな。ホントに危ないときだけ才能に頼れ」


 動作の全てには意味があるのだが、感覚で制御していては緊急事態に対応出来ない。身軽さに優れる子供が、トロくて鈍重な大人よりも、よく転ける理由は?


 バカだからとか、体に比べて頭部が大きいから重心が不安定だとか、いろいろあるが、大人に比べて『考えて動いていない』からが最大の理由だな。


 大人は『経験』で備えているから、転ばないのさ。


 転びやすそうな場所や状況を知っていて、備えている。たとえば、雨に濡れた岩を踏むときはどうか?……転ぶ可能性を考慮しながら足を下ろすだろ。だから、転びにくくもなるし、もし、いきなり足がすべっても、反射的に対応することが出来るわけだ。


 経験は、自分の履歴以外からでも採取できる。


 その経験をゼファー/竜に教えてやるのが、ストラウスの竜騎士ってことだ。


 オレは説教臭いジジイみたいだなと自己分析しながらも、愛すべき翼に教訓を与えていく。


 うーむ、年寄り臭い理由には思い当たるフシがあるね。遠いガキのころ、老竜アーレスがオレに言葉で教えてくれたことを、オレも再現しているのさ。


 伝統は繰り返す。


 オレという人間を伝って、老竜から幼竜に空の歌は伝えられてる。


「―――もちろん、雲の動きも大事だからな?あれで、遠くの風を予想するんだよ。それに、鼻で湿度を嗅ぎ取るのも大切だ。湿った風は、重くて飛びにくい。普段よりも翼に多く風を当てるようにするのが、減速しないコツだぞ。そして地形も見ろ。山や谷みたいなところでは、風が暴れている。お前を大地に引き落とそうともするだろう。しかし、降りるときは、それを用いれば素早く降りられるし、崖に当たって舞いあがる気流は、お前の離陸を助けてもくれるんだ」


 ああ。長くてややこしい話をしてしまっている。オレの脚のあいだにいるミアは、ぽかんと大きな口を開けているな。まあ、ヒトの子の理解力なんて、こんなものだ。だが、竜は……オレたちヒトよりも、はるかに知能が高い。


『うん。わかった。いろんなちしきをあつめて……いみのあるとびかたをするね』


「おう。いい子だぜ、オレのゼファー」


 本当にゼファーは好奇心が旺盛だし、賢い子だ。さすがは『耐久卵』の仔だ。その血と肉に、強さへの執着がすり込まれているのだろう。


 ゼファーは貪欲に求めている。高い知能ですでに理解しているのだ、オレの言葉に従えば、自分がより強くなれることを―――あとは、ずっと孤独だったからかもしれない。


 自分と対等以上の存在は、森にはいなかったからな。いや、会話という最低限の知能を持った存在とすら触れられなかったんだ。


 でも、ここにはオレがいるんだ。お前の知識欲も、そして孤独も満たせてやれる……あと『マージェ』もいるし、妹分もいるぞ。


 ……それは、うん。全て、オレ自身にも跳ね返ってくる言葉だな。


 オレは『パンジャール猟兵団』に『家族』を見ているのだろう―――ここは居心地の良い場所だ。血なまぐささもあるし、ヒトらしい温もりと、鋼の結束がある。まるで、家を思い出すな。ストラウスの家だよ。


 いいか、ゼファー。


 ここにいれば、『孤独』なんて感じることはないぞ……。




『……『どーじぇ』。ちずでみたのと、おなじかたちの『おか』だよ』


「……ん。ああ。目的地だな。ミア、リエル、しっかりとオレに掴まっていろ?」


「ええ!ミア、落ちないようにね?重量を伴っての着地よ、衝撃はいつもの何倍にもなるわ。軽い貴方は振り落とされちゃうかもしれないから、注意して!」


「うん。リエルの手、握っていてあげる。リエルも、おっぱい以外はスレンダーだもん」


「あ、ありがとう」


 美少女たちが仲睦まじくて微笑ましいね。オレも両者に前後から抱きつかれて嬉しいよ。さーて、ゼファー。それじゃあ、見せ場だぞ!お前の成長を見せてみろ!


「着陸に入るぞ。ゼファー、ちょうどいい南南東の風が吹いているのが分かるな」


『うん。しめっている、くうき!』


「ああ。そいつに乗りながら、左の翼を下に少しだけ傾けろ。そして、アゴを引いて、右の角で風を切るようにしろ。それが、最善の角度だ」


『うん!やってみるね、『どーじぇ』!!』


 竜の高い理解力は、オレの理想に対して80%ぐらいの完成度を実現させる。残りの20%を得るには、やはり経験がいるな。しかし、今夜はオレたち三人の重心移動が、お前の未熟を補ってやろう。


 いいか?オレを信じろ、ゼファー。オレがいれば、お前を全力で補完する。未熟さを消して、お前に老練な竜にも負けない技巧を発揮させるのさ。


「さあて!もうすぐ大地だ!猟兵ども、オレにしがみつけ!ゼファー!レディーたちにも荷物にも傷をつけるな!これが今夜の最初にして、最も難しい仕事だ!だが、お前は天才、一発で、最高の仕事をしてみせるんだ!!」


『ぐるるるるるうううううううううッ!!』


 気合いを帯びた唸りと共に、ゼファーは湿った南南東の風を翼に引っかけながら、見事な降下を実践していく。そうだ、教えた通りに、尻尾の先を『錨』にするのさ。


 大地にまず尾を下ろしてから、その筋力を杖のようにして―――荷物を下ろし……重心を前傾させながら、前にズレたら、羽ばたきながら尻尾を上げろ!


 ほぼ理想通りだった。


 荷物は完璧に無事で、その直後の着陸もドガンという不細工な音とかなりの衝撃を伴ってはいたものの、体重の軽い女たちを飛ばすこともなかった。


 85点……いや、87点は与えていい。十分な合格点だ、ゼファー!!


「よし!よくやったぞ、ゼファー!!」


『えへへ。うん、しずかにちゃくちできたよ!』


「極めれば、これを全くの無音で行える。つまり、敵に気付かれることもないまま、お前の仲間たちを敵の背後に送り込めるってことだ!」


「すごーい!!そしたら、私が暗殺者として敵将の首を取ってくるのも楽になるね!」


 オレの妹分が勇ましい言葉を夜の闇に叫んだ。そうだよ、この飛翔は暗殺用の潜入訓練でもある。『暗殺が上手』なミアは、近いうちにこの戦術を利用することになるだろう。


「……飛竜ゼファー。私たちの戦術に、革命を起こしそうね」


「感心してくれたかな?……ストラウスの竜騎士とその翼は、大したもんだろ!」


「ええ。褒めてあげるわ」


「さてと。二人とも、積荷の番は頼むぞ。なんとも地味な仕事になるが、獣やモンスターに食べられないようにしてくれ」


「任せろ、ソルジェ団長」


「おっけーだよ、団長お兄ちゃん!!」


『それじゃあ、またこれをやるんだね?』


「ああ。時計で記録をしている。同じことを毎回するが、その度に時間を短く、そして精度を上げていくぞ!!」


『がるるるうるるううううううううううううううううううッッ!!』


 ゼファーがやる気を出していた。オレも、そんな健気な歌声を聞かせられたら喜んじまうぜ。いいぞ、ゼファー!!教えてやる!!お前に、空を支配する技術を伝授するぜ!!


 ―――オレたちの夜間飛行は七往復して、ようやく終わった。


 すっかりと深夜になっている。ゼファーばかりが疲れてしまっていたな。オレも含めて猟兵たちは、彼のことを気の毒に思う。


 でも、明日からはオレたちが仕事する番だな。ゼファーよ、『パンジャール猟兵団』の仕事を見せてやる……。


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