第一話 『竜の舞う谷を目指して』 その5
オレは走った。山道を風のように走った。心が軽い。まるで子供の頃に戻ったみたいに体が軽やかだ。坂道を駆け抜けていく。転げそうになるが、それすらも楽しめている。すべりかけた体を、脚の力でコントロールするんだ。
ズザザザザという音を立てながら、落ち葉の積もった坂道で、オレの体は踊るのさ。そして、すぐさまダッシュだ!!止まることはない。息が荒くなるが、それは疲労から来る者じゃない。興奮している!!こんな奇跡に、遭遇できるなんて!!
ああ。
オレは、これを共有したいぞ!!
「リエルぅうううううううううううううううううううううううううッッ!!」
歓喜のままにオレは叫んだ。この感動を共有すべき仲間の名前を!!魔力で分かる、お前はこの茂みのすぐ向こう側にいるんだ!!
「く、くるなああああああああ!!この馬鹿者がああああああああッッ!!」
リエルが叫び、川の底にあった石をオレの顔面目掛けて投げてくる。速いぜ!!これヒトが死ねる速さなんだけど!?
でも、甘いぞ。矢をも掴む戦士にとっては、それはいくらなんでも遅すぎる。オレはその石を手で払い落とすと、リエルのそばにたどり着く。
「ちょ、ちょっと、お前、な、なにを……まさか、まさか、れ、れいぷ……」
「うおおおおおおおおおッ!!」
「きゃあああああああああああああああああ!?」
雄叫びをあげるオレは、リエルのことを持ち上げていた。川から夜空に持ち上げられたリエルは顔を真っ赤にしている。そうか、分かるか、オレの興奮が!!
「オレは、興奮しているぞ!!」
「ええええ!?ちょ、そ、その、だ、だめよ……婚前交渉は、部族の掟に反するの……っ!?」
「聞いてくれ、リエル!!お前に伝えたいことがある!!」
「ええええ!?こ、このタイミングで、あ、あ、あ、愛を、ここ、こくは……」
「竜が、竜がいたんだ!!」
「……え?」
「いたんだ、お前が狩った鹿をさ!!ガシって、デカい爪を突き刺して、持っていっちまったんだよ!!」
「そ、そんなことが……」
「ああ!ありがとう、リエル!!お前のおかげだ!!お前があの鹿を狩ってくれたおかげで、オレは、アーレスの血脈に出逢えたんだ!!ありがとう、リエル!!」
「う、うん。わかった。わかったから……そ、その……下ろしてくれないかしら?」
「え?ああ、うん……あ」
ようやくオレは状況を理解した。オレは大セクハラをかましている最中だ。全裸の美少女エルフさんの脇に手を差し込んで、空に向けて掲げているんですけど?
「……状況を、理解してくれたみたいね?」
冷たい言葉が頭上から降り注ぐ。
ああ、うん。100%オレが悪いタイプの事故だな。怒られる。怒られるに違いないけど、オレは彼女の顔から視線をずらし、その裸体を眺めていた。
「え!?ちょ、ちょっと、ソルジェ、ダメだよ!?」
細身の肉体はうつくしい。白い肌はつやつやしていて、冷たい水をはじいている。乳房は大きいし、形もいいわ。全体的に細いくせに、なんでかそこだけには脂肪がたくさんついていた。へそは縦にくぼんでいるな、体の細い女の特徴だ。骨盤は小さめで……本当にオレ好みだった―――。
「綺麗だぞ、リエル」
「み、見るな!?こ、こら、ガン見するなあ!?」
少女が暴れる。あんまり暴れるんで、オレは罪悪感がスゴくなり、ゆっくりと彼女を水に戻していた。川のなかに、彼女はかがみ込んで、両腕で体を隠そうとする。うん。スゲーわ、罪悪感が半端ない。初めて男に裸を見られてしまった少女は、泣いていた。
いたたまれない。オレは彼女に背中を向ける。
「……ええと、すまない。竜を見て、興奮して、こんなことを……」
「……わ、わかってるから……だから、あっち行け」
「……ほんと、すまない……」
オレはトボトボと川のなかを歩いて行く。いつの間にか、オレはリエルのことを、かなり本気で好きになっているのかもしれない。大して好きじゃなければ、このまま強姦することだって出来たもん。
でも。ダメだ。泣いてるぐらいで、罪悪感に負けちまう。性欲以上のものを、異種族の姫さまに求めているのか、オレは?……クソ、情けねえ。ストラウスの男が、エルフの女に背を向けちまうのかよ?
「……待って」
リエルの言葉だ。オレは、訓練された猟犬みたいに、その言葉に従った。
「……その。ちょっと、待って。そのまま、動かないで」
「あ、ああ」
「あと。目を閉じてて……開けちゃ、ダメだから」
「お、おう」
そしてオレは目を閉じる。なんだろう?なにが、始まろうとしているのだろう?耳をすませてしまう。しゅるりという布が擦れ合う音が聞こえる。うん。あいつ、服を着ているのか。そりゃ、そうだな。
なんか、想像しちまうんだけど?……あのうつくしい肉体が、服を着ていく光景を。なんだ、これ、オレ、まったく反省できないんですけど!?
「……こっちを向いて、ソルジェ団長」
「え!?いいのか!?」
「ええ。もちろん。目を開けていいわよ」
「お、おう!」
男ってバカだよな、ワクワクしながら目を開けちまうんだもん。
そして、雪解けの水よりも冷たくなったリエルの表情を見る。
鬼みたいな迫力で、弓に矢をつがえているな。
ああ、残念。すっかりと服を着ちまってるぜ。あわてて着たせいで、濡れた服が肌にピッタリとくっついていてボディラインが見えるが……うん。いいね。
「……下等生物がッ」
エルフの姫さまが、凍りつくような迫力を帯びた声でそう言った。オレは、思わず失言してしまう。
「怖っ!?」
「はい?……なにそれ、私に言ったのかしら、この赤毛の野蛮人は?ねえ。怖いのは、性衝動のままに行動する、下等生物の方ではないかしら?ねえ?」
「え?うん。ほんと、マジ、そーです」
怒るのも仕方ない。『怖い』とか言われて喜ぶ女子なんて、いるワケないもん。オレ、何をやっているんだろう?
「……お前は、ちゃんと反省しているのか、ソルジェ・ストラウス?」
「あ、ああ。悪かった。すまない。竜を見て、興奮していて」
「私の裸よりもかしら?」
「え?」
おい。どういう答えがいいんだ?……正解なんて、あるのか、この質問に?
「答えなさい、ソルジェ・ストラウス」
「……お、おお。その……すまない。竜だ」
「……そう」
「いや!?あいつ!オレの知っている竜の、子孫なんだよ……魔力も飛び方も似ている。荒削りだけど、あいつ、最高の飛竜になる才能を秘めている。だって、アーレスの子孫だから」
「……深い因縁で結ばれている相手なのね」
「おう。そんな感じだ!……あいつに会えたのは、お前が鹿を仕留めてくれたおかげだ。だから、礼を言いたかった。それと」
「それと?」
「お前と共有したかったんだ、この喜びを。オレが、どれだけ嬉しいか、幸せな気持ちになれたか、伝えたかった」
「……なぜ、私に?」
「え……?」
そう言えば、なんでだろう?
なんで、リエルに伝えたいと思ったんだ?
コイツ、竜とか好きじゃないよな?
ただのモンスターぐらいにしか思っていないだろうし?……竜のことを報告しても、喜んではくれないかもしれないじゃないか。どうしてだろうか……。
「……時間切れよ」
「え?」
解答時間とかあったのか、コレ?
リエルが呪文をつぶやき始める。
「―――『始原の雲に生まれた雷よ。我が矢の招聘に応え、敵を射抜け』」
「……あの。それ、ガチの戦闘用魔術に使う呪文に聞こえるんだけど?」
「ええ。そうよ。残念。あともうちょっとで許せるような気持ちになれたかもだけど。足りなかったわ」
「オレの、誠意が?」
「さあ?……色々と、腹が立つの。貴方が、私の裸よりも竜との出会いを喜んでいることと……私と、その歓喜を共有したい理由を説明できないこととかに」
ゴロゴロゴロゴロ!天空では雷鳴が響いている。リエルの怒りに呼応するようにして、空は攻撃性に満ちていく。雷雲が、狂暴そうに雷光の牙を地上に見せつける……。
なんて不吉なんだろうか。名のある騎士でも落雷で死ぬことだってあるんだが。今日は、誰かが死ぬ夜なのだろうか。考えたくもなかったよ。
「魔術にしたのはね、矢を撃てば、殺してしまいそうだからよ。だって、川にいる貴方ならば、躱せないものね?」
「け、計算高い!?」
「……今の言葉も、マイナスね。私を、不快にさせたわ?」
「……そ、そうか。そうだな。お前を、喜ばせる言葉を言えばいいのか?これ、そういうルールなのかな?……あ、あのさ!」
「なにかしら?」
「最高に、いい体してたぞ!!」
「……『ライトニング・ボルト』」
彼女はそうつぶやいて、空に矢を放つ。魔術が発動して天空に雷光があふれた。そして雷がリエルの矢に導かれ、オレのいる川に目掛けて落ちてくる。
「ぐえええええええええええええええええええええええッ!?」
電流がオレに襲いかかる。痛い。死ぬほどじゃないけど、とても痛い。雷はオレと川の生き物に強い苦痛を与えたあとで、終了する。リエルは、オレを見つめながら口を開く。
「……以後、気をつけるように」
「……おう。気をつけるわ」
口のなかが、なんだか焼き魚みたいな風味がしてる。ガルーナ人の肉は焼くと魚のにおいなのかな……。
「さあ。ゴハンにしましょう」
不意にかけられるやさしい言葉に、なぜかビクリと体が反応する。震えてしまった。
「あら。どうしたの?」
「ううん。なんでもないぜ」
「そう。早く川から出なさい。風邪を引いても、看病とかしないんだからね」
「……ああ。そうだろうな。オレ、そんなことされる資格もない、スケベ野郎ですし」
「……バカな男」
オレたちは、言葉少なげにディナーを開始する。
シチューはオレの得意料理のはずで、リエルも美味しいと言ってくれたことがあるメニューだ。ワインをちょっと入れるのがポイントさ。
でも。今日はお姫さまは無言のまま。パクパク食べてくれるから、味は悪くないのだろう。オレは、舌に電流が帯電しているせいで、ちょっと味が分からないが。
うう。晩ご飯は、楽しく会話しながら食べたいモンだぜ。集団生活に慣れてきたオレとしては、この無言が、ちょっと辛い。オレ、丸くなってるなあ。
オレは少し変わってしまったのか。竜から降りて長いからかな?それとも、色んなヤツと交流して、価値観を変えられたのか?……いや。でも、オレの本質は変わっていないはずだな。
竜が好き。
……いや。どうあれ。今は、反省しなくちゃいけない時間だ。
貞操観念にまつわる厳しい戒律を持つエルフの少女の裸を見てしまったんだからな。あまりに美しいもんで、本能が止まらなかった。怖がらせるほど、ガン見しちゃっていたんだ。
もしも、ここがエルフ村なら、オレなんて皮とか剥がれたあげくに吊されたのかもしれない、あの鹿さんみたいに。
反省すべきだ。沈黙の誓いを守り、沈んだ心を表そう。反省を示し、許しを乞うのだ。オレの性欲の被害者でしかない、あのお姫さまにな。
反省をしている。本気だ。リエルの涙には心をえぐられたんだ。彼女は部下だし、たぶん、それ以上の感情も持っているんだろう。
オレは沈黙すべきだな。
……でも。
……でもよ。
どうしても無理だった。心が弾む。心が喜びに暴れるんだ。
ワクワクしちゃっているぜ。
竜だ。竜に会えたんだぜ、しかも、アーレスの子孫だ!!あの勇敢な古竜、アーレスの子孫だぜ!!
「……はしゃいでいるわね、団長」
「お。おう。すみません。反省もしていますが、それでも―――竜だもん!!」
オレは笑う。笑っちまうだろ、アーレスの子孫だもん。
焚き火の向こう側にいるリエルの表情が変わる。あの大きてうつくしいエメラルドの瞳を見開くようにしている。驚いているのか?それとも、少女の繊細な心に、怒りを呼んでしまったのか?
「……子供っぽく、笑うんだな」
「あ、ああ。すまん。気を悪くさせたか?」
少女は首を横に振る。まだ乾ききっておらず、ポニーテールにまとめた髪が風に乗るように待った。銀色の髪は、焔の赤い光を浴びて金色に見える……。
「……アーレスの瞳を思い出す」
「え?」
「オレの……というか、ストラウスと共に在った古い竜さ。今、リエルの綺麗な髪を見ていると、あいつの瞳を思い出した」
「……そうなの」
「悪いな。女の子の髪を見て、竜の目を連想するとか、ほんと、オレ、ダメだ。もっと、素敵な言葉を選ぶべきなのにね……」
「ううん。悪くない言葉だぞ」
少女の心は難しい。でも、そう言ってくれるなら、うれしい。
「なあ。アーレスのこと、たくさん話していいか?」
「私に教えてくれるのか?」
「ああ。いかに勇敢な竜だったか、オレたちストラウスの一族にとって、どれだけ大切な存在だったのかを、リエル・ハーヴェルに伝えたいんだ」
「……どうして?」
エルフの翡翠色の瞳がオレを見つめてくる。何かを期待している瞳?オレは、彼女の望む答えが何なのか見当もつかない。だから、ちょっと訊くのさ。
「どんな答えなら、君は喜ぶ?」
「……し、質問に質問で答えるな……分からない。私にだって、分からないんだ」
「そっか。そうだな、オレも分からない。けど、伝えたいんだ。オレの一族の物語のことを、リエルに伝えたい」
「誰でもいいのか?」
「え?」
「ここに、私しかいないからか?……他に、話せる者がいないからなのか?」
「いや。そんなことはない。リエルだけに聞いて欲しい」
「……そっか。ならば。話せ」
そう言って、少女は立ち上がり、オレのそばにやって来て、となりに座った。
「……あっちだと。焚き火の音で、聞こえにくいんだ。エルフは耳がいいから、薪を焼く音が邪魔で、ソルジェの言葉が聞き取りにくい」
「そうか。それなら仕方ないな」
「うん。仕方ないぞ。さあ、聞かせろ、ソルジェの一族の物語を、この私だけに」
「ああ。オレたちとアーレスが出会ったのは―――」
―――オレは、子供みたいに笑いながら、たくさんの物語をリエル・ハーヴェルに教えていく。夜が更けてしまうまで、ずっと、オレの言葉はつづいたのさ……。
―――竜の伝説はながく、多い。
アーレス、偉大なる古竜。
剣鬼たちと共に在った、ガルーナの守護者。
三百年、彼は戦場で遊んだのだ。
―――すべては、交わした約束のため。
かつて古竜は、神殺しの呪いを受けた姫に告げられる。
私の子孫は、呪われてもいいわ。
でも、その代わりに、あなたがずっと見守って。
―――金色の瞳は世界を見てきた。
姫と共に邪神を倒した後でも、終わることなく。
約束は色あせていく?
ちがうな、新たな赤い色が混じったのだ。
―――赤い瞳の呪われ姫は世界を去って。
彼女の子孫は、彼女の愛した男の血筋が濃くなった。
赤い髪に青い瞳、猛る勇者の血に染まる。
それでも、古竜はそばにいる。
―――愛しい姫が守ったガルーナ、それを守る蛮勇ども。
剣士は死さえも恐れずに、いつも命をかけたのだ。
ああ、そうか、かつての我を思い出す。
姫と共に、絶望に歪む空を駆ったあのときを。
―――それはもう血であり肉であった。
命そのものが、ストラウスと古竜は混じっていた。
終わることなき、戦いの日々。
さあ、殺そう、いつか歌になるために。
―――歌になり、歌われなかった姫の代わりになるのだ。
世界から消えた姫のため、我と我の同胞は歌になる。
竜とストラウスよ、血を伝えよ、赤を絶やすな。
やがて戻る、邪神に備えて、牙と剣を研げ。
「―――お前たちの竜は、『ゼルアガ』の一柱を屠ったのか」
眠そうな瞳になりながらも、リエルはオレの顔を覗き込むように首を垂らして訊いてくる。
『ゼルアガ』。言葉で聞くのは久しぶりだ、オレたちはその言葉を嫌悪しすぎて、直接、口にすることも少ないから。
「……ああ。世界の境界を越えてきた邪神たちの一匹を、仕留めたんだ」
「そうか……世界の浸食を防いだのか。スゴいな、お前の竜は」
「だろう?……伝説の存在さ。でも……それだけじゃない」
「なんだ?」
「オレたちの家族なのさ」
―――古竜はその赤毛に興味を持つ。
一族の誰よりも赤い髪をした、四男坊。
ふむふむ、なぜだ?
弱く儚く、兄たちにからかわれているマヌケなガキなのに。
―――理由など、知らぬ。
それでも、ただただ、愛おしい。
弱いくせに、いつでも剣を振り回す、なるほど、力を求めている。
あきらめることはない、そうか、まるで……姫と同じ。
―――輪廻はめぐり、姫の魂は帰還した。
これも、歌になれない哀れな定めの魂なのか?
いや、こたびはそうではなかろうて。
我が、これを幼き頃から指導するからだ。
―――めぐる、めぐる定めはめぐる。
姫が男へ生まれ変わったのならば。
我もまた違う形に生まれ変わろう。
さあて、ふたたび空で相まみえようではないか。
―――我らは、竜騎士。
翼と剣の混ざった無敵の戦士。
取り戻すのだ、姫の守った大地を。
姫に捧げられた、数多の歌が響く空を!!
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