第9話 楠木風音

 新入生たちが教室前の廊下に整列すると、一組から順番に講堂を目指す。講堂では入学式の開始を待ち遠しにする保護者や教師、それから式の準備に当たった在校生たちがいる。新入生たちは講堂に入ったのと同時に拍手喝采で迎えられた。拍手は新入生全員が着席するまで続き、そこから一転して静寂とした空気が講堂を支配した。咳ひとつすることも憚る静けさ。それを打ち破ったのは入学式の進行役を任される生徒会長だった。


「それではこれより入学式を開始します」


 生徒会長による開始宣言がされた。それからの進行はどこにでもある入学式のプログラムだ。校長や来賓客からの祝言など大人の長い話が続いていく。こうなると当初の緊張感は完全に消え失せてしまって集中力が散漫になってしまう。会話でもして気を紛らわそうにも初対面である同級生に声を掛けることも難しく、次第には睡魔が襲ってくる始末。欠伸を堪えようとして表情を大きく歪める生徒もちらほらと確認できた。


「やべー、落ちそうになる……」


 隠す素振りもない大きな欠伸を見せる初春が限界を伝えてくる。俺は無言で初春の頬を強く引っ張った。


「目が覚めたか?」

「怒りも目覚めたぜ」


 初春は青筋を浮かべながら怒りで声を震わせた。


「居眠りして教師に目をつけられるよりはいいだろ?」


 入学式で居眠りする新入生など第一印象としては最悪だろう。要注意生徒として何をするにしても教師の目が光っていては息苦しさを覚えてしまう。何より初春の友人としての括りで俺にまで要らぬ疑いがかかるのは避けたい。


「俺ひとりここで居眠りしたところで、あの強者のおかげで目つけられないと思うぜ」

「あれは規格外だから比較の対象にはならないだろ」


 初春が言う強者が誰のことを指しているのかわかった俺はその人物は対象外とした。その強者は胸の前で腕を組みながら鼻提灯を膨らませて居眠りしている。漫画やアニメでしか見たことのない光景に目が離せない。それが女子生徒なのだから尚更レアである。


 鼻提灯を打ち破ったのは進行役の生徒会長だった。


「続きまして新入生代表の楠木風音さんによる挨拶です」


 凛とした声が講堂内に響いた。声の正体は先程まで鼻提灯を作って熟睡していた女子生徒である。


「おいおい、まじかよ……。新入生代表ってことは入試を一位で抜けたってことだよな?」

「まあ、それだけじゃないけどな。中学生時代の成績や部活の功績などを含めて選ばれるそうだ」


 熟睡している姿を見てしまっただけに信じられない気持ちが強い。人を外見だけで判断してはいけないとはまさにこのことである。


 風音は寝起きとは思えない機敏な動きで壇上するとマイクの高さを調整して場を整える。手慣れた動作から大勢の人の前で挨拶することに慣れているようだ。一礼をしてから一歩前に出て挨拶を開始すると、来賓客や校長の祝言に引けを取らない綺麗な挨拶が紡がれていった。


 風音の挨拶を最後に入学式は閉幕した。入場時と同様に一組から順に退場していく。退場後は再び教室に戻って軽めのHRを済ませて初登校日は午前中に終わった。午後からは自由行動が許されており、校舎を見て回るのも良し、部活見学するのも良し、と一定の自由が許された。


 俺と初春は早速、スカイロード部を目指す。部活棟への道順を思いだしながら部室のある四階に到着すると予想外の人物と遭遇した。新入生代表である楠木風音だ。彼女はスカイロード部の部室前に立って丁度、扉に手をかけようとしていたところだった。


 風音と眼が合う。


「君たちもスカイロード部に?」


 壇上で見せた凛とした姿でも、鼻提灯を膨らませていた姿でもない、小動物のように小さく首を傾げて風音は質問してきた。

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