吸血鬼の誘い

それは20年ぐらい前の出来事。


お父様はもう眠っている夜中、私は一人、自宅の廊下を歩く。


そんな私の目前に一人の吸血鬼きゅうけつきの男が現れた。


その彼から問われた『今に満足しているか?』って。


……。


軍は鬼に対処する部門がある。


その中には鬼の調査を行う調査班と吸血鬼を飼う鬼飼おにかいが存在する。


調査班が鬼を見つけた場合、必要であれば、鬼飼と共同で対象を確保する。


原則、吸血鬼は常人に暴行を働く事が禁止されている。


それは過剰な行為に該当するからだ。


加えて、鬼飼には、許可証なく従える吸血鬼に暴行を命じてはいけないって決まりがある。


許可証は調査班が作った書類に軍の上層部が印を押す事で機能する。


許可証が発行される機会は少ないから、鬼飼に属する人に仕えている吸血鬼は、基本的に暇だし、突然、目の前に吸血鬼が現れたら、困る。


……。


彼は言った『人間に支配されている事に不満はないか?』って。


無いとは言い切れない。


でも、仕方がない事だって思う。


だって、そうしないと、この社会で吸血鬼は生きていけないから。


彼は答えを急かさず『我らの里は、吸血鬼が人間を支配している』と言った。


『吸血鬼が、人間を?』その疑問に吸血鬼は答えた。


『そうだ。人間を超越した我ら、吸血鬼が、劣等な人間を支配しているのだ』って。


劣等、その言い方は気に入らないけど、私には否定できない。


だって、吸血鬼の方が勝っている、そう思った事はあるから。


でも、だからって、見下して良い事には成らない。


黙っていたら『そう思わないか?』って同意を求められた。


答えが見つからない。


そしたら『悩んでいるのか、人里の道理を冒す事に』って言われた。


悩みを当てられた。


人間社会の倫理、道徳。


それは私の当たり前だ。


それを冒す事は、私はこの社会を否定する事になる。


そんな事をしたら、私はこの社会に居られない、暮らせない。


それは嫌だ。


でも、彼は言う『人里の道理など冒して良いではないか! ここに居られなく成ろうと、我らが里に来ればよい』と。


彼の言い分は正しいのかもしれない。


吸血鬼を国民と見なさない社会なんて、離れた方が良いのかもしれない。


自由を求めるなら、それが良いのかもしれない。


吸血鬼が人間の社会で生きるなんて、不相応なのかもしれない。


でも、私はお父様と暮らしたかった。


だから、私は『お断りします』って答えた。


残念そうな表情を作った彼から『人里に呆れ果てたら、我らが里へ来ると良い。もし、共に暮らしたい者が居るなら、その者も連れてくると良い。我らも人間と共存している故、身の安全は保障する』なんて言われたけど、私の答えは変わらなかった。


彼は最後に『その日が来る事を楽しみに待っている』って言い残し、立ち去った。


……。


私が暮らす国は吸血鬼を国民って見なさない。


そして国籍や苗字を奪われる。


だから、家族は居なくなる。


私のお父様はもう、お父様じゃない。


それは嫌だ。


嫌だけど、小林こばやし花子はなこが、花子はなこになっても、お父様との関係は大きく変わらない。


血契約を結んだから、お父様の事を、小林こばやし様や秀樹ひでき様って呼ぶべきなんだけど、『他人に聞かれ難い家の中では、お父様と呼んでくれ』って、言ってくれたから、私は、お父様を、お父様って呼べる。


それに、血契約を結んでいる間、お父様の近くに居られた。


血契約を結ぶあるじが太郎に変わって直ぐは、田舎の実家から遠い学校に通うためにお父様の家に住み込んでいる太郎たろうのおかげで、お父様と暮らせている。


私を気遣っているのか、学校を卒業した後も、お父様の家を離れない太郎、否、太郎様には感謝している。


私は、この町に、人間社会に、離れがたい知り合いがいる。


だから、彼が望む未来は来ないと思う。


私が人々から追い出されない限りは。


【終わり】

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鬼は側に ネミ @nemirura

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