不幸があって幸せがある

私は死んだ直後、蘇った。


吸血鬼きゅうけつきとして。


お母様は私を死なせたくなかったんだと思う。


だから、私を蘇らせた。


なんで、悪鬼あっき餓鬼がきじゃないのか。


それは、多分、私を苦しませたくなかったから、じゃないのかなって思う。


悪鬼は愛する人から『嫌われたい』『憎まれたい』『恨まれたい』って思うらしいけど、死なせたい、苦しめたいって事じゃないと思う。


悪鬼の言動は人を苦しめる内容が殆どだ。


でも、それは、人から嫌われる為だから、だと私は思う。


『私が苦しんでいるのは、あいつのせいだ』って思わせれば、憎まれたり、嫌われたり、されるから。


苦しめる事が悪鬼にとって良い手法なんだと思う。


でも、皆が恨んでくれるわけじゃない。


自分の苦しみが悪鬼のせいだと知っていても『愛ゆえに苦しめている』って事を知っていたら、恨み難いと思う。


『悪鬼だから、仕方がない』って私は思ってしまう。


そう思うべきじゃないって分かっていても、知っているから、思ってしまう。


それを知らなければって、考えた事は何度もあるけど、それを教えた悪鬼も恨めない。


だって、その悪鬼も愛ゆえに、愛する人から嫌われる為に、私を苦しめたんだから。


知らなければ、幸せに過ごせる。


幸せに生きられる。


私は知ってしまった。


気付いてしまった。


だから、苦しんでいる。


……。


幸せに生きるって何だろう。


私を分かっていない人は、私が生きている事を不幸って呼ぶ。


でも私はその限りじゃないって思う。


人の一生を、幸せとか、不幸とかで、一括りに出来ないって思う。


私は不幸を否定できない。


そう思った事は何度もある。


でも、幸せを感じた事だって、何度もある。


可鈴が友達で居続けてくれる幸せを、お母様を悪意から解放できた幸せを、私は感じたんだから。


『お母様が悪鬼にならなければ』って考える事も出来るけど、そんな考え方をしたら、終わりがない。


お母様が悪鬼になったり理由。


私はそれを欲した時期がある。


この不幸は、現実は、誰の、何の、せいなのかって。


でも、私が納得できる答えは出なかった。


お母様が悪鬼になったから?


お父様を愛する女性が悪鬼になったから?


原因の原因を追究し始めたら、始まりを知らないと終われない。


でも、私に、始まりを知る手立てはない。


『悪鬼は悪鬼が作る』それが現代の常識。


でも、悪鬼は何が創ったのか。


それは分からない。


それに、現代の常識だって、『絶対あってる』なんて言い切れない。


鬼を研究する学者は知っている事や推測を体系化しているだけ。


知らない事とか考えた事が無いって事は体系化できない。


今の私には分からない。


『お母様が何で悪鬼にならなければいけなかったのか』なんて。


それを、私は、考えるべきじゃない。


だって、考えても分からない事だから。


それでも、考えてしまう。


毎日じゃない、何時もじゃない。


それは幸せな事だと思う。


だって、その不幸を、何時も毎日、考えて、悩み、苦しんでる人だって、居るんだから。


今の私は、そうじゃないから。


【終わり?】

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