第43話 練習試合
夏休みも残り一週間となった。
今日は、女子バスケ部の練習試合の日。由加里先生も顧問として引率することになっている。
「それじゃあ先生、気をつけて」
「ああ。留守は頼んだぞ」
由加里先生を見送り、僕は洗濯以外の家事に取りかかった。さすがに洗濯は、ね。
部屋の掃除を済ませ、次に洗い物をしようとキッチンの前に立ったときだった。
僕は今朝作った弁当が置いてあることに気付いた。由加里先生の昼食である。
「あっ! 渡すの忘れてた」
しまった。
追い掛けるにも、もうとっくに車でマンションを出てしまっただろう。
まあ、先生なら無いと分かれば自分でなんとかすると思うけど、今日は部活の練習試合だから、できるだけ負担は減らしてあげたい。
「届けるか」
なんだかんだ、部活の指導を頑張る由加里先生の姿も見てみたい。いい機会だ。
昨日聞いた話では、会場も近いみたいだし。
僕は弁当をミッ○ーのランチバックに入れて、家を出た。
練習試合の行われている総合体育館に辿り着き、僕は試合会場の扉の前で辺りを見回す。
都内の高校が数校集まるそれなりの練習試合のようで、館内にはユニフォームを着た選手や備品を運ぶ部員が忙しなく行き来していた。今手渡しに行くのは難しいだろう。
どうしようかと思案していると、
「あれ? 優徒じゃん」
後ろから、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。そうだ。バスケ部なんだから、彼女がいるのは不思議ではない。
僕が振り返ると、果たして思った通りの人物が手を振って近づいてきた。
「安原さん」
「よ! 何してんの? こんなとこで。そんな可愛らしいバッグ持ってさ」
由加里先生に弁当を届けに来ました、なんて言えるはずもない。なんであんたが、ってことになるだけだ。
「じ、実は僕の家、この近くなんだ。それで、うちの高校の練習試合があるっていうから、ちょっと見てみようかな、と思って」
安原さんは、いつものポニーテールと、今日はユニフォームを着ていた。
アップ中か、あるいは既に試合があったのか、安原さんは全身に汗を滴らせ、白い肌が輝いていた。首筋から流れる汗が、彼女の大きな谷間に流れ込むのが見え、僕は思わず息を呑んだ。
「あ、そうなん! ちょうど良かった。あたし、これから試合なんだ! 応援よろしくね~」
「うん。頑張ってね、安原さん」
「おー!」
力強く拳を振り上げて、安原さんは会場に入っていく。いつも元気だなぁ。
さて。
安原さんが試合ということは、もしかしたら由加里先生も出てくるかもしれない。そう思って、僕は観客席に向かった。
ベンチに集まる安原さんたち選手と、彼女たちに指導する由加里先生。なにか作戦を指示しているのだろうか。
先生の姿は変わらない。スーツを纏い、いつものように凜とした佇まいで指示を出していた。
それは試合が始まってからも変わらず、常に立ち上がってコート上の選手達に声を上げている。
すごいなぁ。
学校でも、家でもあれだけ仕事をして。
夏休みも変わらず部活動の指導。
本当に、由加里先生は心から尊敬する先生だ。
そして、試合が終了する。安原さん達が勝ったようだった。
選手達が退場していくのを見て、渡すなら今しかないと思い、僕は観客席から立ち上がった。
安原さん達選手が試合会場から出てきた後、少し遅れて由加里先生が現れた。
「立花先生ッ」
僕の声に、由加里先生がハッと反応する。
「友瀬? お前、どうしてここに」
「お弁当を届けに来ました。すいません。朝、渡すの忘れちゃって」
「そのために、暑い中わざわざここまで?」
「あとは、まあ……部活の指導をしてるときの先生って、どんな感じかなぁ、って」
「どんな感じもなにも、いつもと変わらんだろう」
不思議そうな顔で首を傾げる由加里先生。
まあ、先生からしたらそうかもしれないけど。
「いえ! なんか、かっこよかったですよ!」
「そ、そう、か……?」
先生は、ちょっぴり照れくさそうに、頬を指で掻く。
「それじゃあ、先生。午後も頑張ってください」
「ああ。弁当、わざわざすまなかったな。ありがたくいただくよ」
それから僕は、もう何試合か見学してから帰宅した。
今日の夕飯は、なにかスタミナのつくようなものにしようかな。
それと、お酒も用意しておくか。
×
午前中最後の試合を終え、安原美咲は試合会場を後にする。
「お疲れ、美咲。どしたん? なんか一試合目より調子良かったじゃん」
先輩に背を叩かれ、彼女は一瞬誰かを思い浮かべた後、にぃッと笑った。
「そうですか? けど、午後もガンガン決めてきますよ」
自分でもテンションが上がっていることは気付いていた。なぜかは知らないけど。
「おーい、みんなー! 由加里ちゃんがドリンク用意してくれたから誰か取りに来いってー」
喜ぶ声が沸き上がる。由加里ちゃんサイコー!
「あ、じゃああたしいってきまーす」
美咲が取りに行くと、由加里先生は弁当を食べていた。
「せんせー! 飲み物取りにきましたー」
「ああ。そこにあるから持っていってくれ。気をつけろよ」
「わー! ポカリじゃん! さっすがぁ! ありがとー由加里ちゃんッ」
椅子に座る由加里先生の隣に近づいたところで、
「あれ……それ、って」
「ん? どうした、安原? ぼうっとして」
「あ、ううん。じゃあこれ、ありがとねー!由加里ちゃん」
「ああ。あと、先生をつけろ」
……。
まあ、あれは誰でも知ってる有名なキャラクターだし。
同じランチバッグを持っていても、べつに不思議ではない。
だからたぶん、偶然だ。
シャンプーの香りだって、そう。
きっとそうに違いない。
×
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