第42話 花火大会 ~プラネタリウム~
会場である土手までの道は、人混みに溢れていた。
いくつもの出店が並び、垂らされた提灯が辺りを淡く照らす。
僕は隣を歩く由加里先生をちらりと横目に見遣る。
からんからんと下駄を鳴らし、初めて着た浴衣にも拘わらず、姿勢正しく凜としている。そこに祭りの熱気と淡い灯りが重なって、握り締めたくなるような儚さを際立たせている。
凜と咲く美しい花。
正に、それそのものだった。
隣を歩いているだけで幸せで。
けどいつかは、それだけでは我慢できなくなるのは分かっている。
それが今日かもしれないと思ってしまったのは、夏の暑さの所為だけではないだろう。
「出店もいろんなのがありますね」
「そうだな。なにか買っていくか」
「そうですね」
暑いからかき氷、と言いたいところだが、先生ならたぶん……
「焼きそばとか、どうですか」
「いいじゃないか。よし、買っていこう」
やっぱり。ちょっと嬉しそうな姿もまた可愛い。
手近な店に立ち寄る。
「いらっしゃい……お! お姉さん、美人だねぇ」
由加里先生を見るなり、出店の若い兄ちゃんがそう口にした。
商売柄とかではなく、つい口を衝いて出てしまった、というような感じだった。由加里先生の方は社交辞令だと思っている様子だが。
僕はムッとして店の兄ちゃんを睨む。
「今日は姉弟で見に来たのかい? 仲がいいねぇ」
胸の奥がチクッとした。
そうか。他人から見ると、僕達はそう見えるのか。
焼きそばを受け取り、店を後にする。
「どうした? 何をふてくされたような顔をしているんだ? 友瀬」
「いえ……なんでもないです」
分かってはいたけど、実際に耳にすると、弱気になる。
それに、不安も。
「ああ、そうだ。かき氷も買っていこうか」
「え?」
「友瀬。お前さっきから顔赤いし、暑いんだろう?」
覗き込んでくる顔に、僕の頭はさらに茹で上がる。
ああ、やっぱり。夏は危険だ。
来場者は多かったが、広い土手なので、二人くらいのスペースならすぐに確保できた。
僕は持ってきたレジャーシートを敷き、二人で座る。
「お! 上がったぞ」
開幕を告げる一筋の閃光が立ち上り、大きな音を立てて咲き誇る。
そして二発、三発と続く。
「綺麗だな」
「はい」
僕はポケットからスマホを取り出す。
「写真撮っておこう」
色とりどりの花火を写真に収めていく。
それから僕は、ダメだと分かっていながら、スマホを隣に向けた。
画面越しに、夜空を楽しそうな表情で見上げる由加里先生が写る。
花火の光でライトアップされた瞬間、僕はそっとシャッターを切った。
「友瀬」
「はっ、はいっ! なんですか」
びっくりして二回押しちゃった。
「今日は誘ってくれてありがとう。花火なんて本当に久し振りだった」
次々と上がる花火を見上げながら、先生は懐かしそうな顔で言った。
「よく行くテーマパークでもな、最後に花火が上がるんだが、いつも次の日仕事があるからと早めに帰ってしまってたんだ」
「喜んでくれたなら、僕も嬉しいです。誘ってよかった」
「こんな綺麗な着物も、もちろん、この髪飾りも」
僕に髪飾りを見せるようにして言った。
「本当に、いい思い出になったよ」
思い出……
「先生っ! あのっ……」
「ん?」
拳を強く握り締める。胸が震えるのは、花火の轟音によるものだけじゃない。
「あの……よかったら、来年も一緒に来ませんかっ」
言った! 言っちゃったぞ!
完全に、夏の暑さと雰囲気にやられてだけど!
由加里先生は一瞬驚いた顔をしてから、すっと微笑んだ。
「それは楽しみだな」
これは、期待しても、いいのでしょうか。
最後の一発を見届けた後、会場に花火大会終了のアナウンスが流れてくる。
祭りを後にする客達の歩みはどこか忙しない。
その理由は明白で、花火の途中から、火薬の匂いに混じって、雨の匂いが紛れ込んでいた。
曇りマークだったけど、いよいよ雲行きも妖しくなってきた。
僕達も真っ直ぐ僕の家に向かったが、なにぶん先生は下駄なので走れない。
なんとか間に合ってくれと願っていた中…………ぽつり。
鼻先に、水玉が落ちて来た。
それがシャツにいくつも斑点を作っていき、やがて土砂降りとなった。
「先生っ! 一先ずあの駄菓子屋の下に」
「ああ」
近くの駄菓子屋で雨宿りをする。通り雨だろうから、しばらくすれば止むだろう。それまでの辛抱だ。
それよりも、困ったことが一つ。
「た、立花先生、あの……」
「どうした?」
店の隣にある街灯の明かりが、由加里先生を照らし出す。
浴衣の生地は薄い。たっぷり水分を吸い込んだことで肌にぴたりと貼り付き、中の下着がくっきりと浮かんでいた。
「先生、それ……」
「ん?……あっ」
僕は目を逸らしながら指で指して伝える。自分の状態に気付くと、先生は慌てて両手で胸と腰を覆うように隠した。
「すっ、すまない! 雨で……」
「いえ、僕の方こそ……」
暗くて良かったぁ。たぶん、僕いま顔真っ赤だ。
あれ? そういえば。
由加里先生、合宿では露出の多い部屋着や、下着姿で僕の前に立っても普通にしていたのに。
どうして今更恥ずかしがったりしたんだろう。
まぁきっと、突然のアクシデントで驚いただけだろうな。
「雨、止みませんね」
「そうだな。……おい、友瀬。肩」
「ん? あ」
駄菓子屋の店の前は狭く、屋根は小さい。僕が由加里先生から離れた所為で、肩の部分が雨で濡れてしまっていた。
「もっとこっちに来い。濡れてしまうぞ」
「いや、けど、そしたら……」
近づけば、それだけはっきりと目にしてしまう。
「あ、そうだ! 後ろ向いてます。そうすれば大丈夫ですよね」
そう言って僕は由加里先生に背を向け、後ろ歩きで近づいていく。そんなことをすれば当然……
「あっ!」
ひたり、と背中に濡れた浴衣と柔らかい肌の感触が伝わってきた。
「あっ、す、すいませ―――」
慌てて躰を引き離そうとしたときだった。
「おい! そっち行ったらまた濡れるぞ」
先生が僕の手を掴んで引き止めてきた。
「は、はい……」
強く、握られた手。
「それじゃあ、隣にいますね」
「ああ。そうしたまえ」
離されない。
「雨、止みませんね」
「ああ、けど……」
離れない。
「たまには、悪くないな」
そして、重なった。
雨の匂いと、夏の夜の涼しさを覚えている。
心臓の音だけが、いつまでも鳴り響いていた。
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