第41話 花火大会

由加里先生の合宿が始まる三日前。


照りつける太陽に肌を焼かれるような暑さの中、僕は所用で、偶々自宅の近くを通りかかった。


駄菓子屋の窓に貼られたポスターを見て、思い出す。


「そういえば、明日、地元の花火大会か」


もう何年も行ってなかったから、すっかり忘れていた。

というか、どうせ一緒に行く相手なんていないからと、卑屈になって頭の隅に追いやっていただけだった。


そこでふと、ある考え……もとい願望が頭に浮かんだ。


「これ、由加里先生と一緒に行きたいなぁ」


僕は帰ったら先生を誘ってみようと思った。

それからもうひとつ、思いついたことがあり、僕は量販店へ向かった。




「花火大会か。そういえば久しく行ってなかったな」


夕食の折、僕は昼間浮かんだ思いつきを先生に持ち出してみた。


「明日と、急な話なんですけど」

「そうだな。合宿が始まればしばらくはゆっくりできないし。よし、行くか!」


よっし! 心の中でガッツポーズ。


「なんだ? そんなガッツポーズするほど行きたかったのか」


先生のおかしそうな声。

あれ? 僕実際にやっちゃってた!?


「まあでも、私も楽しみだよ。花火」


いや、僕は先生と一緒に行けることが嬉しかったんですけど。

もちろん、そんなことは口にできず。


「あ、先生。行く前に、一度寄ってほしいところがあるんです」

「寄ってほしいところ?」

「はい。僕の家に、なんですけど」




そして翌日。

天気予報では曇りマークが出ていたから心配だったけど、なんとか雨も降ることなく夕方を迎えた。


祭りが始まるまで、あと一時間ほど。

じめっとした暑さの中、僕は由加里先生を連れて、自分の家に戻ってきた。

表の道には、浴衣を着たカップルや家族連れの客がちらほらと。いよいよ祭りじみてきた。


「昨日言っていた通り、君の家に来たが。どうした? なにか忘れ物か」

「あ、いえ。先生に渡したいものがあって」

「私に?」

「はい。これです」


僕は、昨日立ち寄った際に押し入れから引っ張り出して準備しておいた木箱を取り出して、床に置く。

由加里先生も箱の前に屈む。


僕は中身をお披露目するように、由加里先生に向けて箱の蓋を開けた。

中を見て、由加里先生の目が見開かれると同時に輝いた。


「これは……浴衣、か。綺麗な色合いだな」

「はい。母が昔着ていたものでして」


深紫の生地に、白の蝶と牡丹柄の浴衣が綺麗に畳まれていた。一緒に薄紫の帯も収納されている。


この浴衣の存在を思い出したとき、僕は由加里先生にとてもよく似合うんじゃないかと思った。

根拠は、まあ、その……あれです。前に由加里先生の薄紫色の下着を見てしまったときに、恥ずかしさの中に似合うなぁ、なんて感想を持った僕がいたからなんです。はい。


「よかったら、これを着て行きませんか」

「え? いや、しかしそれは君の母親のものだろう。私が勝手に着るわけにもいくまい」

「ああ、それは大丈夫ですよ。母さん、今は仕事とか忙しくて着る機会が少なくなっちゃったけど、この浴衣すごく気に入ってまして。しまい込むなら誰かに着てほしいってよく言ってましたから」


それなら是非、由加里先生に着てほしかった。

先生はしばし僕と浴衣を交互に見つめ、


「本当にいいのか」

「はい。先生さえよければ、ぜひ」

「では、ありがたくお借りしよう。実を言うとな、最初に目にしたとき、とても素敵な浴衣だと思ってな。こんな浴衣を一度は着てみたいと思っていたんだよ」


由加里先生を姿見のある部屋へ案内し、クーラーを点ける。

それから昼間もう一つ用意していたものを取りに、自分の部屋へ向かった。



「先生ー! 入って大丈夫ですか」

「ああ。大丈夫だ」


頃合いを見計らって、声を掛ける。

了承を聞いて、扉を開ける。


瞬間―――蝶が、舞った。


線が輝いて見え、夏の匂いが増した。


背まであった髪は頭頂で綺麗にまとめられ、色っぽい後れ毛と、露わになった白いうなじに目を惹かれる。

程良く膨らんだ殿部と長い脚が魅せる美しいライン。凜とした雰囲気を残しつつ、生地の色が淑やかな佇まいを醸し出している。


大人の色気が凝縮された夏の結晶が、目の前にあった。


「どう、だろうか? なんとか様にはなっているか」


僕は言葉も忘れて、ただただ、目の前の華に魅入っていた。


「友瀬?」

「あ、いえ、すいません!……あまりにも綺麗すぎて、つい見惚れちゃってました」

「ふふ。口の上手い奴だな。まあでも、お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいよ」


お世辞じゃなくて、本当にメチャクチャ綺麗だ。このままずっと見ていたいほどに。


「では、そろそろ行くとするか」

「あ、ちょっと待ってください」


由加里先生に見惚れてて、忘れていた。

僕は部屋から持ってきた物を袋から取り出して、先生に差し出した。


「これ、僕からです」

「これは、髪飾りか」


そう。昨日買っておいた淡い色の花であしらわれた髪飾り。


「お前が、用意してくれたのか」

「はい。この前の、レストランのお礼も兼ねてです」

「しかし……」

「先生。受け取ってください」


僕は由加里先生に歩み寄り、掌の髪飾りを差し出して言った。

由加里先生は髪飾りを見つめ、そして手に取った。


「ありがとう、友瀬」


どんな気持ちで、先生は受け取ってくれただろうか。


生徒からの贈り物としてか。

一人の男からの贈り物としてか。



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