第27話 急転

三日目。最終日。


間もなく数学の試験が始まる。

不思議と、ワクワクしている自分がいる。

まさか、学校の試験を受けることに、ここまで胸を踊らせることがあるなんて思わなかった。


けど、その所為で僕は浮かれてもいたのかもしれない。

だから、僕の座る机が、すでに悪意に染められていることに気づけなかったのだ。



数学の試験監督は、社会の根本幸司先生だった。

根本先生は、開始五分前になると、席につけー、と少し大きめの声で着席を促し、問題用紙の配布を始める。


「始めッ」


チャイムと同時に発せられたその合図で、生徒達は一斉に裏にしていた問題用紙を表にする。

出席番号と名前を記入し、いざ問題へ。


問題は、驚くほど順調に解けていった。

今日まで反復して問題を解いてきたから、見慣れた計算式もあった。


けど、さすがは由加里先生。そう易々とは進ませてくれない。

複雑に展開する問題が、僕の手を止めた。

焦るな。落ち着け。

複雑な問題は、得てして複雑そうに見せているだけだ。冷静に、当て嵌めるべき公式を引っ張り出すんだ。


一度、深呼吸をする。

頭を空にし、再度問題と向き合った。


よし。なんとか突破できたぞ。

確かな手応えを感じ、心中でガッツポーズ。


そして、次の問題に移ろうとした―――そのときだった。


「先生ー」


解答用紙を叩く筆記用具の音だけが響いていた教室に、一人の生徒の声が上がった。他のクラスメイトが皆、一瞬手を止め、その声に耳を傾けた。


声を上げたのは、僕の隣に座っていた、柴山恭平の取り巻きの一人だった。


「ん? どうした」


根本先生が、彼に近づいていく。


「いやぁ、ちょっと気になることがありましてねぇ」


何かを含むような、薄気味悪い笑みを浮かべていた。


「なんだ?」

「それがですねぇ、なんか隣の友瀬くんが、なにやら机の中を気にしているように見えたんですけど」


は?

突然、自分の名前が飛び出してきて、思わず声を上げそうになるほど驚いた。

なんで僕? ていうか、机の中を気にしていたってなんだ?


わけも分からず戸惑う僕を、根本先生はじろりと睨みつけてくる。


「本当か? 友瀬」


威圧するような声。


「え? あ、いや、僕はべつに……なにも」

「なら、机の中を見せろ」


そう言って、根本先生は僕の返事も待たずに、僕の座る席の机の中に手を入れる。手探りで中を確認する。そこでふと、根本先生の顔色が変わった。


「おい……なんだこれは」


なぜか机の中には一枚の用紙が入っていて、根本先生がそれを取り出す。中を確認した先生の顔が、剣呑な表情に変わった。


「友瀬。これはどういうことだ」


そう言って先生が僕に見せてきたものは、数学の公式が書かれた用紙だった。

パソコンで打ったものを印刷したもので、誰が書いたのかは分からない。


だが、誰のものであるのか。

その一番の容疑者は、当然この席に座っていた僕だ。


もちろん、僕はそんな用紙なんて知らないし、机に忍ばせてもいない。


「し、知りません! 僕のものじゃないです」


当然否定する。

他のクラスメイト達は手を止めて、成り行きを見守る。試験中にも関わらず何人かはチラチラとこちらを見ていた。


「では、なぜこんなものが机の中に入っている? それも、ちょうど数学の試験中に」

「わ、わかりま、せん……」


本当に、僕にはわからない。だからこれ以上は何も言えない。

僕が押し黙ると、根本先生は呆れたように一つ溜め息をついて、


「今は試験中だ。取りあえず、話は別室で聞く」


一方的に、そう告げてきた。


「先生ー。それ、誰かがしまい忘れたんじゃないのー? 友瀬のものじゃないんじゃない?」


そう声を上げてくれたのは、安原さんだった。


「だが、机の中を気にしていたという話もある。それと、今は試験中だ。他の者は静かに問題を解いていなさい」


教師にそう言われてしまえば、誰であろうと黙るしかない。下手すればカンニング扱いをされてしまいかねないし、言い争う内に試験の時間がなくなってしまうかもしれないからだ。


けど、僕は今、身に憶えの無い一枚の紙に、追い詰められていた。


いったい、誰がこんなことを?


そんなもの、決まっている。

根本先生に僕のことを告げた生徒は、僕達の後ろでほくそ笑んでいる。


そして、もう一人―――

その奥で、おそらくこの件の中心人物であろう男が、口許を三日月に歪ませていた。


その笑みが、これまで何度も見て、恐怖してきたその笑みが、僕に全てが無駄であると悟らせた。



僕の中で、何かが音を立てて折れるのを感じた。


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