第18話 秘密
家に帰ると、由加里先生はいつもまず頭の後ろにまとめていた髪を解く。
はらりと薄茶色の髪が肩にかかる。
これを見ると、帰ってきたなぁと感じるのだ。
一週間一緒に過ごしていれば、先生のルーティーンもなんとなく分かってくる。先生は家でも行動にあまり無駄がない。
そんな中で、今更ながら気付いたこともある。
先生の部屋は一見するとシンプルな装いのインテリアが多いと思っていたが、よく見ると意外にも可愛らしいものが多いのだ。
たとえば、テーブルクロス。
食事や勉強のときに使っているダークブラウンのダイニングテーブルには、よく合うワインカラーのテーブルクロスが敷かれている。だがよく見てみると、四隅の一角に某有名テーマパークのキャラクターがワンポイントで刺繍されているやつだった。カワイイ系の。
それからスリッパもだ。
客用にシンプルなものも数足用意してあるのだが、この前靴をしまうために下駄箱を開いてみたところ、客用のスリッパに混じって、これまた某有名テーマパークのキャラクターのスリッパが隠されていた。ちなみに、海をテーマにした方にいるキャラのものだった。
先生、もしかしてこのパーク好きなのかな。
けど、生徒達から畏怖されているあの由加里先生が、可愛いぬいぐるみとかを抱きしめたりして愛でているところなんて……うん、想像できないな。
まあ、実際ぬいぐるみなんてものはこの家に来てからひとつも見かけていないわけだし、テーブルクロスやスリッパはきっと誰かからのお土産かなにかなのだろう。
「それじゃあ、僕は夕飯の用意しますね。先生はお風呂ですよね」
「ああ、そうさせてもらう。それと、先にしっかりと手洗いうがいもしておけよ」
「あ、そうですね。なんか先生って、家でも先生みたいですね」
「? 当たり前だろう。おかしなことを言うんだな、君は」
当たり前、か。
たしかにそうだよな。由加里先生は自分の仕事に情熱と信念を持って臨んでいる。彼女にしてみれば、今この時も仕事の一環であることに変わりないのだろう。
「それも、そうですね」
当然と言えば当然なんだけど、なんとなく寂しいな、なんてことをほんの少し思ったりもした。
「そういえば昨日、夏用のスーツがクリーニングから戻ってきましたけど、これまで着ていたものはどうします?」
「ああ、そうだったな。君も今日から衣替えだったか」
「はい。ブレザーとかは、家にある冬服と一緒に今度クリーニングに出そうと思います」
「なら、それまではクローゼットを使って構わないから、そこに掛けておきたまえ」
「ありがとうございます。それじゃあ、先生のスーツも一緒に掛けておきますね」
「ああ、よろしく頼む」
そのまま、先生はお風呂へ。
僕は二人分の冬服を持って、クローゼットのある寝室へと向かう。
そういえば、先生がクローゼットを使っているところは見たことがない。
先生は土・日曜日も部活動の指導のために出勤しているので、私服姿はまだ部屋着しか見たことがなかった。
というか、女性のクローゼットの中を見てもいいのだろうか。いや、許可はちゃんともらっているので問題ないはず。
「ん? なんだろう、これ」
見ると、クローゼットの扉から、何かはみ出しているのがわかる。白い布のようなものだった。
シワになったら大変だし、どのみちこの中に用があるので、と僕はクローゼットの扉に手を伸ばし。
そして、取っ手を掴んだところで―――
ドタドタという足音が聞こえてきて。
寝室の扉が勢いよく開けられた。
「待て友瀬ッ! クローゼットは駄目だッ! 手を出すなッ」
「え? って、ちょっ、先生ッ!? なんで下着姿なんですか―――」
飛び込んできた白い柔肌と薄紫の下着。
とても魅力的なご馳走なのだろうが、直視するには僕はまだ青すぎて、視線を遮ろうと勢いよく身体を反らす。
だが勢い余って後頭部をクローゼットに強打し、その反動で扉が開くと……
どしゃり。
中に収納されていたものが雪崩のように押し寄せてきて、僕を呑み込んだ。
「す、すまない! 大丈夫か、友瀬」
覆い被さってるものを払い除けて、身体を起こす。ちょうど手に持っていたものから、ふさふさとした感触が伝わってきた。
見ればそれは、玄関にあったスリッパと同じキャラクターのぬいぐるみだった。
しかも、それだけではない。
周りに散らばったものを見回してみれば、そこには大量のぬいぐるみが。もちろん某テーマパークのキャラクターの。
おなじみ黒いネズミから、黄色いクマ。アヒルに双子のリス。それらのぬいぐるみやグッズが床一面に転がっている光景に、僕は夢を見ているのではないかと思った。夢の国だけに、ね。
けど、そんな夢うつつな僕を現実に引き戻したのは、目の前で下着姿のまま顔を真っ赤に染めている由加里先生だった。
「せ、先生! 服を来てください服を」
「見ら、れた……」
「す、すいませんっ! けど、まじまじとはまだ見てないです――」
「せっかく隠してた、この子たちを見られてしまった……」
あ、そっちの事ですか。
へにゃりとその場に崩れ落ちる由加里先生。僕は、なにか言ってうまくフォローする必要があることを察する。
「えと……先生、このキャラクター達好きなんですね」
好きを推す。その作戦でいこうと思った。
だが、先生は両手で顔を覆うと、
「くっ……教師としての威厳を保つためにも、この趣味にだけは絶対に気付かれないようにと思っていたのに」
茹で上がった顔を隠す。
やっぱり趣味だったのか。ていうか、恥ずかしがるべきは寧ろあなたの今の格好では。
「フッ……笑ってくれ、友瀬。普段、学校であんな偉そうなことを言っている私が、裏では毎日のようにこの子達を愛でては顔をニヤつかせているのだ。実に滑稽な笑い話だろう」
いや、そこまでしてることは知らなかったですけど。べつに、そこまで気にするほどのことではないような。
それどころか、
「いいじゃないですか」
うん、いい。ていうか、ぬいぐるみを愛でて顔をニヤつかせている由加里先生、正直見てみたい。
「どんな趣味だって、それが誰かを傷つけるものじゃないならべつにいいじゃないですか」
僕もラノベやゲームの趣味を馬鹿にされたりしたこともあったけど、だからといってやめようとは思わなかった。
「というか、もしかして、僕のせいで先生に我慢させちゃってましたか」
「ん? ああ、いや、そんなことは決してないぞ。私が隠そうとしただけであって」
「それじゃあ、今日からは目一杯この子達を可愛がってあげてください」
そして、その姿を見てみたい。僕はちょっと悪戯っ子ぽい笑顔で言った。すると、先生の顔が再びみるみるうちに赤く染まっていき、さっと僕から視線を逸らして言った。
「そんな、め、愛でるなど……私はべつに、大丈夫だぞ。我慢できる」
「先生。我慢を強いることはよくないって、前に言ってましたよね。僕は先生に我慢してほしくないです」
「う……」
呻る先生。自分で発した言葉とあれば、ばつが悪い。退路はこれで断たれた。
「なので遠慮しないでください。それよりも、このクローゼットに押し込めておく方がかわいそうですよ」
あ、そうだった。ついでにちょっと思ったことを、動揺している隙をついて今のうちに訊いてみよう。
「先生ってもしかして、家事とか苦手ですか」
ぎくりと肩を跳ねさせる先生。ついでに嘘もつけない人だ、絶対。
「それと、料理の方は?」
さらに追撃。再び大きく肩を跳ねさせる。
そして、とうとう観念したように、先生は両手を床についた。
「どうやらこれ以上、隠し通すことは無理なようだな」
ひとつ溜め息を吐く。
「そうだ。全部、君の想像通りだ。私はこれまで仕事ばかりで、家事に一切手を出してこなかった。学生時代も勉強や部活ばかりだったからな」
それはなにも恥ずかしがることではないと思うけど。今の先生の働く姿を見れば、むしろ誇るべきことだ。
「だから、君が来るまでまともに料理なんて作ったこともなかったし、部屋は目も当てられないほど散らかっていた。慌ててクローゼットに押し込んだはいいが、やはり物が多かったようだ」
ああ、初日に慌てていたのはそれが理由だったのか。
「ただ、そんな日々の中でこの子達が唯一の癒やしでな。パークに行く度についつい連れて帰ってきてしまうのだ。気付けばこんなにも増えてしまっていたんだ」
癒やし、なんて先生には珍しい言葉が出てきて、僕は驚いた。
けど、同時に納得もする。誰だって、楽しみがあるから日々を頑張れる。厳格な先生にだって、趣味のひとつくらいあって当然だ。
「僕は嬉しいですよ」
「なに?」
「だって、ようやく先生の力になれるかもしれないことが見つかったんですから」
僕は由加里先生に数え切れないほどのものをもらって、今も尚もらい続けている。
少しでも支えられるなら、僕はどんなことでも力になりたい。
「だから――」
だから今、僕が伝えるべきことはただ一つ。
「とりあえず、服着てください」
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