第10話 不安

 不安だ。不安だ。不安だ。


 外に出るのが不安だ。


 不安だ。不安だ。不安だ。


 人と合うのが不安だ。


 不安だ。不安だ。不安だ。


 考えるのが不安だ。


 理人は思考停止して“悪”なる日葵の奴隷になりたがった。不安で不安で仕方ない。外に出るのは億劫だし、人と合うのは滅入る。自室にこもり、本だけの世界を堪能し、成功者の思考を真似することだけが至福だった。


 善なるものは怖い。思考はどんどん沼に落ちていき、過呼吸のように不安が駆り立てられる。心臓が痛い。頭痛する。心が萎む。自分一人ではどうしようもできない事に震えがする。


 深海理人は主人公の器ではなかったのだ。高校で野球部に入ったのが間違いだった。陰キャは陰キャらしく、地味にアニメを楽しんでいればよかった。野球で陽キャに揉まれるのは疲れた。


 自分が悪い。彼はにっちもさっちもいかなくなった。


 だから、頼った。誰に? それは、悪魔にだ。


「ゲーテの作品。メフィスト。万能なる悪魔よ、俺を主人公にしてくれるか?」


「そうだね、理人。君は弱い。私の力を借りなければ立っていられなくなるくらい、弱い」


「ああ、俺は弱い。すごく脆い。ただの陰キャの引きこもりだよ。自分一人では何にもできやしない。だから……」


 一人の無力な少年は悪魔に誓った。公園のブランコから立ち上がり、彼女を求めた。


「悪魔よ、俺を万能なる存在してくれ。ありとあらゆる欲望を満たしてくれ」


「君は何を求めるの? 成功? 地位や名声?」


「ありとあらゆる全てだ」


 引きこもって本を読んでいただけでは得られないもの。行動力。いくら自己肯定感を強めてポジティブになっても欲しているものはあっちからやってこなかった。けれども、この悪魔ならば何でもできる、可能にする。今、晒されている恐怖や不安を、悪魔は打ち消してくれる。


 これは魂の契約だ。善とは何か? 悪とは何か? 悪魔に魂を捧げて思考停止で人生を逆転する。いやいや、よくよく考えれば本末転倒かもしれない。悪魔は言った、地球を滅亡させる、と。悪魔に魂を売った主人公は言った、分かった。君についていく、と。地球を、歴史を、文化を、人類を作り変える。創造主の域に達した悪魔は、すべての人間に鉄槌を下す。


 理人は自分が自分じゃなくなっていく感覚に陥る。まったく困った。軽い宗教だ。洗脳や催眠、自己暗示の一種だろう。日葵なる悪魔と一緒にいると、理人は理人でなくなっていく。


 だって人間は弱いのだから。神に頼む人もいれば、悪魔に頼る人がいてもいいだろう。理人は地球を防衛することを諦めて、思考停止し、悪魔を味方につけた。彼女に何もかもを投げ打って、すべてを捧げよう。


 もう、辛いのだ。


 好きな野球ができなくなることや陰キャは野球部に馴染めないこと、監督との不和そして勉強に置いていかれた引きこもり高校生。全部が辛い。


 理人は、悪魔に頼んだ。


「俺にありとあらゆる成功を手に入れさせてください」


 たとえ地球がおかしくなろうとも、悪魔は彼を受け入れる。


「任せてください、理人さま」


 二人は親友のように握手を交わす。

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