第1話 どうやら、一人暮らしを始めるようです。

 とある、夏の到来を感じさせるような日。


 「奏太。この前話してた、一人暮らしの件なんだが、決まりそうだわ」


 「は……!?」


 朝食の最中、父親がそんなことを言ってきたため、掴んでいたサラダのミニトマトが綺麗に滑り落ちた。

 俺は冷や汗を感じながら、


 「あの話、冗談じゃなかったの?」


 「本気の本気。交通の便や自立のことも考えると、せざるを得ないというかだな」


 「待って、待ってくれ。いきなりそんなことを言われても……。そうだ。母さんは?母さんの意見も聞こう」


 俺は台所で洗い物をしている母親を見据えた。母はこちらを振り向き、満面の笑みでグッドポーズをした。

 あっ…全面的に賛成なのね。


 「いいの!?俺を追い出して!寂しくないはないの?」


 「「まったく」」


 「ハモるなよ!それでも親か!ほんとっ相変わらず仲がいいな‼︎」


 「「でへへ、それほどでも……!」」


 「褒めてない、褒めてない!」


 俺は全力で首を横に振った。

 まずい。このままでは本当に一人暮らしをさせられてしまう。一人暮らしといったら、炊事洗濯なんでもやらなくてはならない。それでは自堕落に過ごせないではないか。

 おっ、そうだ炊事洗濯。


 「一人暮らしなんて、俺料理も洗濯もできないんだぞ。死んじゃってもいいの?」


 「大丈夫。料理なんて父さんもできない。今時、コンビニとかで買えるから心配するな」


 父がそんなことを。

 そして、洗い物を終えた母は父さんのそばへ寄った。


 「そうよ。洗濯も難しいことは考えなくていいわ。色物を分けて後はぶち込めばいいだけよ」


 俺は二人の言葉を聞いて唖然とした。


 「自立はどこいった……」

  

 自我喪失しそうな頭をどうにか振り、


 「そこまで俺を追い出したいのか」


 「だって……な?」


 「だって……ね?」


 父と母は見つめ合い、寄り添いあいながら、


 「「久しぶりに夜の営みも……」」


 「あー!聞きたくない聞きたくない……!そこ、手をにぎにぎしない!」


 なぜ朝から親の裏事情を聞かないといけない。

 気持ち悪いわ!

 俺が耳を塞ぎながら喚いていると、父さんは苦笑しながら、


 「冗談だ。どの道、穂波ほなみと俺は仕事で家を空けることが多くなるから、奏太には家に一人で取り残すことになってしまうんだ」


 俺は押し黙った。

 結局、どう足掻こうが結果は同じだったわけか。

 仕方ない。これ以上騒いでも疲れるだけだ。諦めよう。

 父さんはニカっと男らしく笑うと、


 「奏太ならどうにか出来るさ」


 そんな根拠もないことを言ってきた。

 俺は全身の力が抜け、なるようになれか、とそう思うしかなかった―――







 「―――ということが、あってだな」


 朝のホームルーム前。

 俺は親友とも悪友とも呼べる、本堂ほんどう獅郎しろうにこれまで起きたことを話した。

 なぜ話したかというと、暇だったからだ。

 獅郎はおにぎりを食べながら一言。


 「お前ら家族は賑やかだな。あと、名前呼びってラブラブだな」


 「そこ?ツッコミポイントは?」


 「今時、そんなに仲の良い夫妻なんてそうそういないだろ」


 「いやそうじゃなくて、俺が一人暮らしをしたらどうなると思う?」


 俺の真剣な眼差しに、獅郎は海苔をポリポリさせながら一言。


 「死ぬなお前。間違いない」


 「やっぱりか〜」


 「昔からの仲だからな。お前って、勉強と運動とゲーム以外大して出来ないよな」


 獅郎とは小学からの仲だから、こうも言えることだが、改めて言われると傷つくものがある。


 「家庭科なんて、裁縫の作品は一番作るの遅いし、何作ってんのかわかんない時があるし。その上、料理なんて……」


 獅郎が一度失笑する。


 「家庭科室のキッチンの上を火の海にしたお前が……片腹痛いわ」


 「改めて言われるとマジむかつくな」


 確かに裁縫はクラスで一番遅かった。猫を作ったつもりが、猿でも作ってんのか?と言われたこともあった。

 火の海事件は……あれは、ガスコンロに火をつけたつもりが、ガスを漏れっぱなしにしていただけだ。


 「今、あの程度だから大丈夫…なんて思ってないだろうな。マジでお前一人暮らしやめたほうがいいって。お前の住むところで部屋ごと爆発したら洒落になんねぇ」


 まるで俺の心が見透かされたようで、しかもこいつに言われるのが腹立たしい。

 俺は少しムキになりながら、


 「流石にそこまでのことは起こすかよ。…もう住むところは決まってんだ」


 「へぇ、どこに住むの?」


 「お前には教えん」


 「何だ不貞腐れんなよ。親友だろ?」


 頬をツンツンしてくんな!


 「安心しろ。部屋が爆発しても、お前の死体はちゃんと埋葬してやるから」


 「てめぇ!」


 俺と獅郎が胸ぐらを掴む、取っ組み合いを始めていると、廊下の方がドッと盛り上がった。

 いつもの光景ではあるが、俺と獅郎は視線をそちらに向ける。


 「花蓮さんだ、今日も美しい……」


 とある男子生徒が。


 「聖女様よ、今日も可憐だわ……」


 とある女子生徒が。

 みんな口々にそんなことを言っている。

 話題の中心人物―聖女こと三本音花蓮は周囲の視線に害した様子も見せず、自分のクラスに入室してきた。

 花蓮が席に座ると同時に、たくさんの生徒が集まっている。


 「いやー俺、三本音さんと同じクラスで良かった。同じ空気を吸えるなんて」


 同じクラスの山本やまもとがそんな事を言っている。


 「な、何だよ。お前ら」


 俺と獅郎は山本を見据えながら、


 「「さすがに、ないわ……」」


 ごみを見るような視線を向けると、山本は涙目になり、花蓮の元まで走っていった。


 「うわーん。聖女様助けて。チンピラがいじめるよ~」


 「あ、山本!」


 山本のせいでみんなの視線が俺たちに集まった。

 もちろん花蓮のも。

 なぜ彼女が、聖女だなんて呼ばれたいるのか。容姿もそうだが――


 「ダメですよ、いじめちゃ。仲良くしないと」


 聖女の微笑というべきか、優しく微笑みながら言ってくる。

 ―――花蓮は優しすぎるのだ。

 俺は前に出て、説明した。


 「いじめてないぞ。山本が、『三本音さんと同じ空気を吸えてうれしい。ひゃっほー』って言ったから、哀れみの目を向けただけだ」


 「そこまで言ってねー!」


 俺の言葉に山本は激昂するが、当の花蓮は山本に慈悲深い視線を送った。


 「やめて…哀れみの視線よりきついよ。三本音さん!」


 「あ、すみません。そんなつもりは」


 「三本音さんは、謝らなくてもいいし、もっと気にするべきだよ。そして、山本は気持ち悪い」


 「今日の奏太ひどくないか!?」


 獅郎も一歩前に出た。


 「今日も山本はキモいぞ」


 「今日も!?」


 俺の口撃と獅郎の追撃に、ついには山本が泣き崩れた。


 「死にたい……」


 「まあまあ、お二人ともそこまでで……」


 花蓮は場を取り持とうと慌てながら俺たちを宥め、泣き崩れる山本には数人の男子が、『わかるぞ、山本!』と慰めに行っていた。

 そんなカオスな中、前の扉が開いた。


 「なんだお前ら、朝から騒がしい。お前らは騒がないと死ぬ病気でも持ってるのか?」


 俺たちを罵倒するような、凛とした声が響き渡った。

 性格を表したようなやや吊り目の瞳に茶髪のポニーテール。タイトなスーツ姿と。体育教師を務める我らが担任―金沢かなざわりん。通称りんちゃん先生が入室して、怪訝そうな表情をした。


 「席に座れ。朝のホームルームを始めるぞ」


 こうして、俺たちの一日は始まった。


 

 

 


 


 


 


 




 

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