エリック・サティ「gymnopedie(ジムノペティ)」を聞きながら

ひょもと

第1話

 セミの音が聞こえる。

 通路から右を向けば、青々とした森林が広がっていた。懐かしい光景だと思っていると、ふらふらと飛んできたセミが足元に落ちた。仰向けに倒れながら、腹を上下に振って鳴き続けるセミを見ていると、母が私を呼んだ。

「どうかした?」

「ううん。何でもない」

 セミを跨いで通り過ぎる。通路の左手に並ぶ戸の一つが、実家の入り口だった。長い間戻っていなかったが、エレベーターから三つ目の緑色に塗られた戸が我が家だとすぐに分かった。ここは何も変わらない。夏になればセミが鳴き、眼下の駐車場では虫取りに夢中の子供たちが走り回っていた。

 母が家のカギを開けた。私は、母に続いて家に入った。

「ただいま」

「おかえり」

 少し先に家に入った母が言った。それが少しおかしい。

 私が笑うと、母はゆっくりと頷いた。

 数年前、最早戻ることはないだろうと思った実家の一室に案内された。そこは在りし日に、私が弟と共に使っていた部屋だった。弟の姿はない。代わりに、太陽の臭いのする布団が敷かれ、机といすが一脚ずつあった。クローゼットを開くと、アイロンの掛けられた数枚のシャツがかかっていた。私の部屋から持ってきたのだろう。処分し忘れたと、頭を掻く。

 ここが、今日からずっと私の居場所。


 死ぬと言われた。

 医者はためらいなく私に事実を告げた。

 何を言われているやら分からず呆けていると、傍らの父と母が泣き崩れた。父の泣く姿は初めて見た。

 死ぬと言われた。

 その言葉の意味を咀嚼するうちに、鳥肌がたった。現実感が喪失し、まるで夢の中を漂っているような浮遊感に襲われた。気づけば椅子から落ちていた。気持ちが悪かった。吐き気がした。

 私は、医者にすがった。

「どうにも、ならないんですか」

「残念ですが」

 死ぬと言われた。

 それから、しばらく時間が過ぎた。

 あがいた末、すべて無意味と悟るのに時間はかからなかった。あの正直な医者は正しいと日々痛感し、私は彼を恨むことを止めた。一つを許すと、気が楽になった。肩の荷がおりて、その拍子に戦うことを諦めた。

 そうして、病院をあとにした。

 窓を開けると、風が抜けた。実家は、マンションの一室だった。マンションの裏手には、深い森林が広がる。沢が流れ、一年を通して生き物が育まれる。耳を澄まさなくとも、この季節は生き物の声が聞こえる。

 セミの大音声だ。

 椅子に座り、目を閉じた。

 これから、何をしようか。

 時間だけはあった。

 それがおかしくて、私は少し笑った。

「ふふ」


 ここに居ると、子供の頃を思い出す。

 実家は、家族との思い出で溢れている。目を閉じれば、今もやかましい声が聞こえる。

 兄、姉、弟の声だ。

 兄と姉が喧嘩している。口汚くののしり合っている。子供の頃は、生来の敵という風に、互いに嫌い合っていた。目を合わせることも少なく、二人のコミュニケーションはもっぱら互いの部屋の壁を叩くことだった。曰く「うるさい、静かにしろ」というメッセージだった。

 弟の声がする。ひょうきんな末っ子気質の弟は、自分が愛されているのを知っていた。故に、笑みを浮かべて悪ふざけをする。私と弟は、じゃれ合っているうちに、いつの間にか互いに本気になり、最後には喧嘩をしているのが常だった。

 しかし、今は違う。

 ここに居るのは、私一人きり。

「よくこの家で、六人も暮らしてたなあ」

 両親と夕食を囲むときに、昔の話をした。父が腕を組んで懐かしそうに何度も頷いた。

 あなたが買った家でしょう、と私は言いかけた。もっと広い家を買ってほしいものだと、子供の頃は何度もそう思った。しかし、今は、恨みの言葉も出てこない。

 この家で良かったのだと思うのは、単なる結果論だ。当時の自分に言ったところで、イヤな顔をされるのがおちだろう。

 私はずっとこの家が嫌いだった。狭くて、息苦しい家から早く出て行きたかった。

 狭いここから、どこかを目指したのだろうか。

 どこかとは、どこだ。

 掌を見る。

 結局、自分はここに居る。

 社会人になって家を出た。仕事をして生計を立てた。働くことは楽しいばかりではなかったが、それなりにうまく社会に溶け込んだ。

 しかし、私の居場所はここらしい。


「冷房、つけたら」

 風呂上り。部屋で机に突っ伏していると、戸口に立った母が言った。

 冷房嫌いの私は、昔から真夏日であっても扇風機で過ごした。

「扇風機、つけっぱなしで寝たら体に障るし、今日は暑いわよ」

「うん。そうだね」

 私はそう言って、冷房を入れた。

 子供の頃、私には死の実感が欠如していた。

 雷を怖がる友人がいた。雷鳴がとどろくたびに、悲鳴を上げた。私は、雷が少しも怖くなかった。高いところから下を覗いても少しも怖くなかった。

 いつからか、雷が鳴っていると足早に帰路につくようになった。高いところがもっぱら苦手になった。

 自分も死ぬのだと思い始めたからだ。

 何事も起こり得ると知った。

 それでも、こんなに早く自分の番が回ってくるとは、思いもしなかったが。

 死ぬことは怖い。

 何が怖いのかと考える。

 答えは出ない。

 何も残せぬまま死ぬのが怖いと思つく。

 それは自分の生きた意味を問うことに等しい。

 子を成し、育むと言う人の道を顧みる。生まれた子は、自らの生きた意味に等しい。そんな理由で子を成すのは、ひどく自分勝手だと、昔の私は言うだろう。

 だから私には、夢があった。

 夢を成すことで、自らの意味を示そうとした。

 何も成せぬままに死ぬことを厭うた。生の意味を探した。なぜ生きるのか、煩悶した。しかし、死を宣告されてから、私はペンを持つことが出来なくなった。

 差し迫った死ときらびやかな夢が左右に写る。

 子を残せぬ今、私が成せるのは夢のみ。

 しかし、机についてなお、私は空の紙面を広げたまま頬杖をつく。

 きらびやかな夢のために、再びペンを持つことが、出来なかった。

 それは、嫌いだった冷房をつけたことと同じだ。

 扇風機が体に障ろうが、冷房が体に障ろうが、同じ末路を辿る。

 私は死ぬのだ。


 私には時間があった。

 とても空虚で、とても静かな時間だ。

 イヤホンを取る。

 ミュージックをかけた。

 ゆったりとしたピアノの旋律が聞こえる。穏やかで物悲しい、終わりを連想させる曲だった。昔から大好きなエリック・サティの「ジムノペティ」。

 頬を涙が伝った。

 まだこんなものが体のうちに残っていたのかと思う。

 机の上に置いたナイフを手に取った。首筋に充てる。空の手で動脈の位置を探った。

 脈を感じる。

 見つけた。

 ナイフの位置を脈に合わせる。金属の刃が、体温を奪った。

 冷たい。震える。手で。

 ああ。

 やはり、死ぬのは怖いものだ。

 私は、どこかでセミが一匹、くたばるのを感じた。

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エリック・サティ「gymnopedie(ジムノペティ)」を聞きながら ひょもと @hyomoto

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