第34話 賄賂
次の日から、私は、私に近付いてくる者をよく見極めるように努力した。表面上は愛想良く振る舞いながら、である。
王妃と関係が深かった四人の十官は、私によく話しかけてきたが、贈り物などはなかった。財産はないも同然だから当然だろう。彼らだけでなく、ほとんどの十官が私に気を使っていた。身分上は、単なるクリシュナの従僕の一人でしかない私なのに。
税務官の一人、スッラは、いきなり私の家に大量の画材を届けさせてきた。届けた商人はスッラからだと告げるとすぐに帰ってしまった。スッラ本人は何も言ってこないので、私はそれを別の商人に頼んでスッラのところまで送り返した。すると、スッラがその日の宴席で私にこう囁いた。
「画材は気に入りませんか」
「狭い家なので、入りきらないのです。それに、画材は陛下が用意して下さる物を使わないと、陛下がどう思われるか」
「なるほど」
翌日、スッラ自身が水瓶を持って私の家を訪ねてきた。水瓶の中には、銀貨がぎっしりと詰まっていた。今までに見たことがない量の銀貨である。本当の意味で、光に目が眩んだ。別にほしいとは思っていない。しかし、このような贈り物に惑ってしまう人の気持ちはよく分かった。
「これを、私にどうせよと言うのですか」
「実は頼みたいことがある」
スッラは重そうな水瓶を置くと、懐から出した三枚の羊皮紙を私に手渡した。「この羊皮紙に書いてある政策を陛下に進言したいのだが、それをとりなしてもらえないものか」
「直接、陛下に進言すればいいでしょう」
「いや、私は、陛下との面識がないのだ。幼い頃にお会いしたこともない。娘もおらんので、陛下と会う機会も話す機会もほとんどないのだ。頼む、なんとかとりなしてくれんか」
私は羊皮紙をそのままスッラに返した。
「そのように簡単なことなら、今すぐにでも」
スッラが満面の笑みを浮かべた。水瓶は置いたままである。受け取れ、ということなのだろう。後でクリシュナに頼んで国庫に入れてもらうとしよう。
スッラの分類は決まった、と私は思っていた。しかし、クリシュナは私の予想を見事に外してくれたのだった。いや、スッラが私の予想以上の人物だったのだ。
スッラをともなってクリシュナに面会を求めると、すぐにクリシュナの私室へ通された。私はすばやくクリシュナに近付いて、水瓶の銀貨について耳打ちした。クリシュナがうなずく。そして、目が合った。タルカが分かってくれていてありがたいよ、という言葉が聞こえたような気がした。気のせいではなく、クリシュナがそう思ってくれていると感じた。
私が脇に控えると、スッラがクリシュナの近くに呼ばれた。
「タルカに頼まれたのだが、何か、私に献策したいことがあるのか?」
「はっ。ここに」
スッラは三枚の羊皮紙をクリシュナに差し出した。
クリシュナは少しだけもったいぶって羊皮紙を受け取り、紐を解いて丸くなっている羊皮紙を伸ばした。一枚目を読んで、ちらり、と私を見た。私もクリシュナを見た。
すると、クリシュナの目から何故か戸惑いを感じた。
クリシュナは二枚目を読んだ時、もう一度私を見て、それからスッラをちらちらと観察し始めた。そして三枚目を読み終えると、今度はまっすぐにスッラを見つめた。
「街道の整備をすれば、商人がますます増えるというのか」
「そうです」
「しかし、街道を利用するのは商人だけではない。敵から攻められやすくなるではないか」
「今のアイステリア軍を知って、攻めようという国は、この近くにはありません」
クリシュナは少しだけ眉を動かした。
「子どものいる家に、粟を配ることも必要なのか」
「必要です」
「子どもがいない者は不満をもつのではないか」
「今の状況では、それは仕方のないことです。人は国を支えます。この策を続ければ、いずれ人の数が増えるでしょう。つまり、十数年後には国がしっかり支えられるだけの人がいるということです」
「では、免税についてはどうか。税を集めずに、国を守り、国を動かすことはできないはずだ」
「免税は今年限りです、陛下。この一年なら、国庫には十分な余裕があると思います」
クリシュナはばん、と机を叩いて立ち上がった。
「宴を止めよ、と言うのか!」
スッラは動じない。
「そういう訳ではございません」
「税を集めねば、宴は開けないだろう」
「いいえ。私は税務官です。国庫をずっと管理しています。今日も含めてこの三日間の宴で、陛下が銅貨一枚たりとも国庫から支払っていないことくらい気付いています。陛下が私財を投じて行なう宴に、どうして反対するはずがありますか」
スッラの返答に対してクリシュナは微笑みながら、大声で衛兵を呼んだ。不思議な光景だった。クリシュナに命じられた衛兵はスッラを捕らえ、すぐ連れ去ったのである。スッラは微笑みを浮かべ、無抵抗のまま衛兵に従った。
私の予想は外れて、スッラは必要な人材だとクリシュナから認められたのである。
「不思議そうな顔をしているな」
「はい。先に報告しましたが、スッラは、私に水瓶を埋め尽くすほどの銀貨を届けましたから」
「それが悪事だと分かっていても、必要だと思えば実行する。そういう政治家なのかもしれんな。いや、それに関する私の考えさえも読み切っていたのかもしれない。
宴のことも、タルカのことも、ワグツとケーナスのことも、スッラは分かっていたのかもしれない。
それに、提案してきた政策は、私が考えていたものとそれほど変わらない。民を守りながら、国を生かす道を探そうとしている。
これだけ宴を続けているのにその中で時間を見つけて税務官としての仕事もしっかりやっている。あれだけ冷遇されていても、だ。これは逸材かもしれない」
クリシュナの目は笑っていた。「どうなるかと思っていたけど、こんな国でもそれなりに人材はいるものだ」
本当に嬉しそうだ、と私は思った。国を動かす立場になって、自分の思いを実現させるために必要な人材をクリシュナは心から求めていたのだということが分かった。
「ところで、タルカ」
「はい」
「いつ、私の狙いに気付いた」
「いつ、というのは難しいのですが…」
私は最初の宴で、クリシュナがほとんど酒を飲まなかったことと、ガゼルとロナーを呼ばなかったこと、私の絵を見て宴を止めたことなどから、なんとなくそうではないかと感じたことを説明した。
クリシュナは思案顔になった。珍しく、真剣に考え込む様子を私に見せている。いつもは、こういう顔を意識して見せないようにしていた。
「そういえば、タルカは文字の読み書きができたな」
「少しですが」
「農村に生まれた者でも、みなそうなのか?」
「私は、ある絵師から偶然学んだだけです。私の村でも、私以外は、大人も子供も文字の読み書きなどできませんでした。もちろん、私の母もできません」
「…母上や妹にはタルカから教えるといい。文字の読み書きを学ぶことには、どうやら大きな力が秘められているらしい」
クリシュナはそうつぶやいて、私に退席を促した。クリシュナの返答が少し遅れたことが気になったが、それを質問する時間はもうなかった。この後すぐに、また宴が始まるのだ。
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