第33話 宴
クリシュナは、ブラルドの固辞を受けて代役を命じなかったので、十官の一つに空席が出ることとなった。ただし、ブラルドはクリシュナから字を学ぶように命じられたらしい。
王宮からの帰りに、ブラルドは私の家を訪れて、そのようなクリシュナとのやりとりを一部始終説明して、その上でまた私に感謝の言葉を述べて、さらに、私に文字を教えてほしいと依頼して、ようやく帰って行った。
彼が善人であるということに異論はないが、このままでは彼がその血筋をいかして力を発揮することはないだろう。いや、発揮するべき力が果たしてあるのだろうか。ただ、力ではなく、人として、彼の純粋さは心地よいものだと思った。
その後すぐ、私はまた王宮へ向かった。今度は、宴席に出るためだ。
酒など飲む気もない。というよりも、飲めない。食べ物はなんでも食べるが、どんなに高級で珍しい食べ物だったとしても、家で母の料理を食べる方がよい。しかし、クリシュナから宴席へ出るように厳命されていたので、家でのんびりとしている訳にはいかない。
クリシュナの目的は、私に近付こうとする十官が誰なのかを見極めることなのだろうと私は予想していた。
私と私の家族という存在に対して、ただ単純に接する時のクリシュナは、本当に心から優しかった。身分の違いに関係なく、私のことを大切な友人として扱ってくれていた。しかし、そうしたことによって、私がクリシュナの寵を得ていると周囲の者が考えてしまうこの状況については、クリシュナはそれをとことん利用するつもりだったのである。
宴で私は末席に座っていたが、次々に十官たちが話しかけてきた。私の存在を意識していない十官はいなかった。クリシュナを除けば、私の周りにもっとも人が集まっていた。あまり気乗りはしなかったが、これも仕事のうちなのだろう。
私個人としては、ガゼルやロナーとゆっくり話をしたかった。
ガゼルもロナーも、この宴には参加していなかった。王都の守備隊の総指揮が二人の役割で、それを今夜も忠実に果たしているらしい。もしあの二人がこの場にいたら、やはり私のように囲まれていたことだろう。
豪華な料理、珍しい酒や果物、あちこちから聞こえる笑い声、楽師の奏でる見事な音楽、美しい踊り子。みな、エスタール商人が用意したものである。最高の贅沢なのだろう。しかし、私には全て無駄なもののように思えていた。
かなり時間が経ってから、クリシュナが余興だと言って私に絵を描くよう命じた。すぐに木板と木炭が届く。即興でこの楽しい宴を描け、とクリシュナは笑って言った。
クリシュナは酔っていない。クリシュナが酒をほとんど飲んでいないことは、じっと見ていた私には分かっている。わざわざ余興を命じるということは、何か別の狙いがあるのだ。
十官の中にはかなり酔いのまわった者もいたが、クリシュナの言葉で、この場にいる全員が私に注目していた。
私は思った通りの絵を描いた。それは、痩せ細った人たちとの謁見をでっぷりと太ったクリシュナが玉座に座って行なっている絵だった。おそらく、これがクリシュナの望んでいる絵のはずだ。
クリシュナに命じられ、その絵を全員に見えるよう、私は両手で持ち上げて、クリシュナの方に向けた。
即座に全体の雰囲気が変化した。十官たちも、一気に酔いが醒めてしまったらしい。沈黙がこの場を満たしていた。しばらく私の絵に釘付けになっていた視線は、恐る恐るその先端をクリシュナの方へ移した。
クリシュナが怒り、私が捕らえられ、監禁されるのではないか。みながそう思ったようだ。
クリシュナはその予想を完全に裏切った。
「タルカが宴を終わらせたいらしいな。よし、今夜はこれで終りだ。みな、帰るがよい。明日は、即位の祝いだ」
私の無礼な絵に驚きもせず、怒りもせず、あっさり宴の終りを宣言したのである。
ああ、どうやらクリシュナの狙い通りのことができたらしい、と私は安心した。この一件で、クリシュナの私に対する態度が特別なものであることを十官に印象付けることができた。明日から、私を通じてクリシュナに取り入ろうとする十官が増えることは間違いなかった。
故意に私を特別扱いした上で、ガゼルやロナーをごく普通に扱い、どちらに近付こうとするのかを見極めるつもりなのだ。実質的な権力に関わる立場にない私へ近付くものは信頼できない者であり、そういった不要な動きをしないものや、仕事に励み、ガゼルやロナーと共に国策を考えようとする者は信頼できる者だと考えられる。
クリシュナは新しい国造りを進めるために必要な、信頼できる人物を選んでいるはずだ。すでに捕らわれた、と思われているワグツやケーナスは、おそらくどこかで丁重な扱いを受けているのだろう。あの二人は軍務官という職分もあってか、ガゼルやロナーと関わる機会が他の十官たちよりもずっと多かった。それに、王妃から疎まれていたのだ。
十官たちはクリシュナのことをほとんど何も知らないし、理解しようとも思っていない。保身が最優先であり、次に私腹を肥やすことが大切なのである。
私が知っているクリシュナは、諫言を嫌って、配下を投獄するような愚かな王ではない。もしそうなら、騎士のブランジールやホラズムなどはあの戦いの間に殺されていなくなっている。
クリシュナの狙いが分かったからには全力でその実現に協力しよう。たとえそれが、私にとってどんなに気に食わない役割であろうとも。しょせん絵師でしかない私に果たせる役割は今のところこの程度のことなのだろう。
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