第24話 王の間道



 夜明け前に、クリシュナは双子と私、それにガゼル率いる一隊から三隊とともに、フーラ川へ移動した。一隊から三隊はクリシュナの挙兵当時からの兵が最も多い十人隊だ。


 本陣の指揮はロナーに一任されていた。弓射隊も本陣に残っている。だから、万が一王都から守備隊が攻めてきたとしても本陣を破られる心配はなかった。


 しかし、フーラ川は本陣から王都への反対方向にあった。ここに部隊を動かすクリシュナの意図がよく分からなかった。


 フーラ川は建国王アイステリアによる護岸工事で有名な川だ。大雨の度に何度も繰り返される洪水を防ぐために堤防を造ったという。


 行軍の途中で、太陽が少しずつその姿を見せ始めていた。


 建国王が築いたという堤防に、クリシュナは部隊を集結させた。


「川にもぐる。泳ぐ必要はないが、みな注意して私に続け」


 クリシュナはそう言うと、一番に川へ入った。


 双子が迷わずに続いた。ガゼルに押され、私もそれに続いた。私の後から、兵たちも続く。水は冷たかったが、我慢するしかなかった。


 双子を見ると川の底へ向かっている。いったいどうやって、と思ったら、堤防の壁面にはしごのような取手がついている。どうやらそれを掴んでいったらしい。


 私は大きく息を吸い込むと、川の中に入り、双子の後を追った。冷たく、暗い川の底に、横穴があいている。大人が二人は余裕で通れるくらい大きな横穴である。双子が中に入ったので、まさかと思いながらもそれに続いた。息が続くだろうかとおそろしくなったが、横穴は短く、すぐに斜め上への出口があった。


 這い上がると薄暗い洞窟の中だった。濡れた体が寒い。それに、空気が冷たい上によどんでいる気がした。ところどころに尖った岩のようなものがある。少し歩くと足が滑った。水滴が落ちるような水音が奥のほうからも、また近いところからも響いていた。


「タルカ、奥へ。他の者も入るから」


 姿は見えないが、クリシュナの声がした。私はその言葉に従った。


「なんですか、ここは」


「アイステリアでは『王の間道』という。鍾乳洞と呼ばれる特殊な洞窟だ。王都で危難があった場合の王の脱出路でもある」


「脱出路、ですか」


「つまり、ここを進めば王都の中に入れるということだ」


 これがクリシュナの、王都攻略の秘策だったのだ。


 次々と部隊が洞窟の中に入ってきた。最後にガゼルが入り、全員が揃った。


「アーク、ルイ。光を」


 クリシュナにうながされて、双子は剣の柄のような棒を手にした。しゅっ、という音がして、その棒から小さな緑の光が現れた。薄暗かった洞窟がよく見えるようになった。


 あの光は、いったい何だろうか。


 一般には知られていない、特殊な道具のようだ。この双子には本当に謎が多い。


「服をしぼって、水分を落とせ」


 クリシュナは言いながら、自分からそうしていた。全員がいそいそとよろいを外して、服を脱ぎ始めた。濡れた服のままでは、凍えてしまいそうな寒さがあった。


「いよいよ、最後の戦いになる。ここまで来ることができたのは、みなの力があったからだ。私が王になったとして、みなが豊かになるとは限らない。だが、必ず、みなの子や孫が、飢えたり、戦で死んだりしない国にはしてみせる。そのことで、我が王家の数々の罪を許してほしいと願う」


 そう言ったクリシュナは先頭に立って洞窟を進んだ。いくつか分岐路があったが、クリシュナは戸惑うことなく進んだ。まるでそこが自宅の庭であるかのように。


 歩調に合わせて足音代わりの小さな水音が洞窟内に反響している。


 クリシュナがこれほどまでによく知っている道ということは、王妃や他の者も知っているのではないか。そうすると、ここから攻めることも相手は考えているのではないだろうか。単純な考えでしかないが、それが外れているとは限らない。


「クリシュナさま」


 私は思い切って意見することにした。


「タルカ?」


 クリシュナが止まった。同時に全軍が止まった。


「この洞窟、王都の者たちも知っているのではありませんか」


「それはない」


「しかし、出口で待ち伏せされたら…」


「私を信じろ、タルカ」


 クリシュナのその言葉は、私だけでなく、この場にいる全ての者に向けられている気がした。不安なのは私だけではないようだ。薄暗くてよく分からなかったが、私にはクリシュナが微笑んでいるように見えた。「この洞窟のことを王妃たちは知らない」


「はい…」


 うなずいてから私は黙った。


 クリシュナが確信をもっている。これまでもそうだったように、それは、クリシュナ軍の勝利の裏付けだった。今回も負けるはずはない、ということになる。それに、別に悪い予感は何もない。私がそう考えているからといって何の意味もないが、私には玉座に座ったクリシュナが見えていた。


 クリシュナは再び洞窟の中を進んでいく。その背中には余裕が感じられた。


 私は今までの戦いを思い返した。そう。そうだ。クリシュナはいつも、作戦がどのように変化しても対応できるだけの策を用意していた。洞窟のことを王都の守備隊が気付いていたとしても、それに応じ、勝利する手立てをクリシュナはすでに準備しているはずである。


 そうすると、無駄に仲間を不安にさせたのは私だ。この作戦に失敗したとすればそれは私が原因かもしれない。


 私はクリシュナの背中を見つめた。そうするだけで、少し心が落ち着いた。


 そうか。私も、みなと同じように、もうこの人を崇拝しているのか。ならば、その道をまっすぐ信じて歩くだけだ。クリシュナには必ず、勝利への道筋が見えているはずなのだ。


 私はバクラルで考えたことをもう一度思い出していた。


 クリシュナは、エキドナルと講和し、アイステリア領を広げるつもりで初めから予定通りに動いていたはずだ。ラテとの講和もそれと同じことでしかない。それならば、王都を攻める時にはこの洞窟を利用して、篭城している敵の裏をかくということも以前から計画していたに違いない。


 今ごろ、ロナーの指揮下で、王都の包囲が進められているはずだ。そして、城内の守備兵を外壁に集め、臨戦体制にさせている。当然、王都中央の王宮は隙だらけだ。狙いは政務を代行している王妃と、その息子である幼い王子の二人。この二人が、クリシュナの考えやクリシュナの策を読み、先手を打ってそれに備える力があるとは思えない。もしそのような力をもっていたら、この国は今のような状態になっていないはずだ。


 この戦いが終われば、クリシュナが王となり、この国は変わる。争いのない、平和な国へ。


 私はこの人を信じ、どこまでもついて行く。それだけだ。簡単なことじゃないか。


 私の潤んだ瞳は、玉座の前に笑顔で立ち、臣下に号令するクリシュナの姿を見ていた。光の中に立つクリシュナの姿。近い将来、必ずそうなる。そして、私はその片隅で、近従としてクリシュナに絵を捧げる。何枚も、何枚も。その足跡を無数の絵として。


 私は伝えよう。この人の聡明さを。私の腕を通して。


 私は描こう。この人の優しさを。私の筆を通して。


 私は遺そう。この人の偉業を。私の絵を通して。


 私はその生涯を賢王の絵師として生きる。


 心は決まった。


 それまでの全ての迷いは、どこかに消え去っていた。


 いつの間にか、階段の前にいた。すでにクリシュナや双子は上にいる。人工物があるということは、王宮の下に来たのだ。


 私もその階段をのぼった。


 クリシュナが天井の岩を動かし、その隙間に双子が滑り込んだ。


 少ししてから、少年の手が岩の隙間から私たちを招く。


 クリシュナは岩を完全に押しのけて、双子のいる階上に消えた。私も含め、ガゼル指揮下の部隊は少し待っていた。


「静かに上へ」


 クリシュナの抑えた声に、全員が緊張した。


 待ち伏せはない。王宮への進入に成功したのだ。私たちの勝利は近い。


 最小限の衣擦れの音と、溢れ、ほとばしる兵たちの熱気が、さほど広くないこの部屋を包んでいた。上等そうな机と椅子が中央にあり、前と左に扉があり、その二つともが開け放たれていた。私たちが出てきた穴は、丁度机の真下にあった。


















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