第20話 弓の名手


 私には王都カイラルトに異様な陰りが見えていた。不吉なほどに暗い陰りだ。ひょっとすると、王都の中はひどく混乱しているのかもしれない。


 この予感は的中した。


 翌日、なんと王都からラテ軍が出撃してきたのである。総勢二百を超すであろうラテ軍は一斉にクリシュナ軍の陣がある高台を目指して攻め上ってきた。


「愚かなことを。しかし、好機には違いないな」


 そう言ってクリシュナは見張りの高櫓の上から守戦を指揮した。


 陣に迫る敵を引き寄せて、クリシュナは合図を出した。その合図を見たホラズム隊が矢を一斉に放った。敵の矢は陣を守る木の大盾や木柵に遮られていたが、味方の矢は敵を次々に倒した。バンの弓ではなく、普通の弓である。


 後ろに控えていたガゼル隊がすばやく進み出て、ホラズム隊と入れ替わり、また一斉に矢を放った。突撃してくるラテ兵は矢の雨に阻まれて、まだこちらの陣まで達した者がいない。さらに、ブランジール隊がガゼル隊と入れ替わって矢を放つ。


 三つの部隊が交代で合計にして百本以上の矢を放ち、二十ほどの敵兵を倒したが、これくらいの被害は当然だとばかりに、ラテ軍は突撃を続け、さらに陣へと接近した。


 次は弓を捨てたホラズム隊による投石が始まった。陣の木柵に届いた敵兵にはガゼル隊が中から槍を突き立てている。ブランジール隊もホラズム隊の投石に加わった。陣を挟んで、中からは喚声が上がり、外からは悲鳴が響いた。徐々にラテ兵の死体が増えていく。


「石はなくなってしまっても構わん! ガゼル、左翼に兵を移せ! ホラズム隊は槍の準備!」


 クリシュナの叫びに各隊がすばやく反応する。


 それに対して、ラテ軍は狂ったように力押しだけを続けていた。指揮官らしい指揮官は見当たらず、兵の動きの統制もとれていない。


 ほぼ毎日のように訓練を重ねているクリシュナ軍との差は天と地ほどに離れていた。


 クリシュナはラテ軍の最後方を、目を細めながら見ていた。突撃部隊からかなり離れたところに、動かない一部隊がいた。


「ああ、あれか。引き際が分からんはずだ。指揮官が最後方に隠れている。そもそも討って出ること自体が疑問だが、あれでは前面の兵の惨状が見えんな。タルカ、ロナーに弓をもってここにのぼれと伝えてくれ」


 私は高櫓をおりて、ロナーを探した。弓射隊の近くですぐにロナーは見つかった。弓射隊がロナー隊なのだ。他の部隊と比べて二隊の二十人という少ない部隊だったが、この部隊がクリシュナ軍の主力でもあった。


 私はロナーにクリシュナの言葉を伝えた。


「陛下が? これはきっと難題がくるな」


「難題?」


「急ぐぞ、タルカ」


 ロナーはにやりと笑った。騎士たちは「殿下」というが、ロナーはすでに「陛下」とクリシュナのことを呼んでいた。その手にはすっかり馴染んだバンの弓が握られている。


 ブランジール隊が投げるための投石用に準備していた石はもうあまり残っていないようだ。ガゼル隊とホラズム隊が木柵の隙間から槍を敵に突き出している。


 見張り台の上に戻ると、クリシュナは敵軍の一番後ろを指差した。


「あの指揮官を狙えるか」


「やってみないと分かりませんが、これはまた、ずいぶんと遠い獲物ですな」


「やってみてくれ」


「はい」


 ロナーは矢をつがえ、バンの弓をぐっと引き絞った。


 狙いへ向けて突き出した左腕を少し左右に動かしている。息を吐き出しながら、目を細める。ロナーの息が止まった。その瞬間、矢が放たれた。


 敵軍の一番後ろで、護衛らしい部隊に守られながら立っていた指揮官らしい太った男の胸に、一本の矢が刺さり、太った男がよろめいて倒れた。護衛らしい兵たちが太った男を振り返り、慌てて助け起こしている。


 命中させた。


 この距離を。


 信じられない出来事が目の前で起こっていた。矢が届くはずもなく、だから当然矢が当たるはずもないこの距離で、そのような常識を全てロナーは覆していた。


「見事!」


「当たるには当たりましたが、どうやら生きてますな。さすがのこの弓も、これだけの距離ではよろいを貫けないようです」


 ロナーは残念そうに言った。


「弓射隊、前へ!」


 クリシュナの声にガゼル隊とホラズム隊が左右に避けた。間髪入れずにロナー隊である弓射隊が前に出て、矢を放った。


 前面の敵兵の一団が消えた。いや、消えたという表現がもっとも相応しい敵の倒れ方だ。弓射隊の弓は、他の隊の弓とは異なる、バンの弓である。


「第二射!」


 すばやく矢をつがえ、第二射も飛んだ。その破壊力はやはり戦場を震撼させた。狂ったように突撃していたラテ兵の動きが止まっていく。


 その戦機をクリシュナが逃すはずはなかった。


「開門! ホラズム隊、ガゼル隊は突撃! 槍の使用後は抜刀し、敵を押し返せ!」


 後方の太った司令官の一団はすでに王都へ向かって逃走していた。司令官の胸にはロナーの矢が刺さったままである。抜こうとしても抜けなかったのかもしれない。そして、それに気付いた敵兵の多くも武器を捨てて逃げ始めていた。


 ホラズム隊、ガゼル隊は、両方ともあっという間に前面の残敵を掃討し、逃げる敵軍の追撃を行なった。そこに少し遅れてブランジール隊が加わる。


「無理に殺さず、捕虜として捕らえよ!」


 クリシュナも陣を出て指揮を続けた。


 またしてもクリシュナ軍の圧勝だった。三十人近い敵兵を捕らえ、百を超す敵兵の死体がラティキア平原に横たわっていた。カイラルトの城内に戻ることができたラテ兵は、出撃してきた三分の一程度だった。


















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る