第21話 一杯のスープ
クリシュナは捕虜の武装を全て奪い、足を縛ってつなげるように命じていた。手が自由になるので、縄を解かぬように一部隊が見張っていた。両足を縛られている上に、全員がつながれているので、まともには動けないから逃げようがなかった。
「なぜ手ではなく足を?」
「手で歩く者はいないからな。それに、手が不自由だと食事ができない」
「食事ですか?」
私の声はいつもより少し高くなった。
「おかしな声を出すな。捕虜に食べさせるのがそんなにおかしいか?」
クリシュナが私を不思議そうに見た。
「いえ、私は、捕虜の扱い方についてよく知らないものですから」
「扱いは捕らえた指揮官が決めるものだ」
なるほど、と思った。つまり、クリシュナがしたいようにすればよいということだ。
食事の時間になるとクリシュナ軍は部隊ごとに半数ずつ交代で食事をとった。クリシュナはその時に捕虜にも食べ物を用意させた。
しかし、捕虜たちは何も食べようとしなかった。
見張りの一人によってそのことがクリシュナに知らされると、クリシュナは私を呼んだ。私は昼間の戦闘でのロナーの様子を描き終えたところだった。
「タルカ、なんとかして、捕虜に食事をとらせてくれ」
「私が? 食事をとらせる?」
「そう」
クリシュナは何故か楽しそうだった。
私は何一つおもしろくなかった。
「どうやるのですか」
「なんとかするのだ」
それ以上、クリシュナは私の言葉を取り合ってくれなかった。ガゼルとロナーが少し離れたところで吹き出しているのが見えた。
「二人とも、笑ってないで、何とか言ってください!」
しかし、二人とも笑いながら首を横に振った。そして、早く行け、とばかりに私を追いやったのである。仕方なく、私は捕虜のいるところへ向かった。そこへ双子が、にやにやしながら私の後ろについてきた。
「タルカ、試されているね」
「うん、クリシュナに試されている」
私は双子を振り返った。すると、双子はまじまじと私の目を見つめてきた。
「陛下が、私を試す?」
「そう」
「そう」
「私の何を?」
「そのうち分かるよ」
「そのうち分かるよ」
そう言って、双子もどこかに行ってしまった。
クリシュナが、私を試しているという。いったい、何のために試すのだろう。それに、私の何を試すというのだろう。
よく分からないが、とにかく、さっきのあれは命令として考えなければならないようだった。命じられたからには、やらなければならない。クリシュナの近侍とはいえ、私もこの軍の一員としてここにいるのだから。
捕虜のいるところまで来て、私は見張りに事情を話した。見張りは私を捕虜の前に通してくれた。ずっとクリシュナのそばにいるせいか、私の顔を知らない者はクリシュナ軍には誰一人いない。
「別に、食わんというものを無理に食わせることもないと思うが」
「そうですよね」
「しかし、陛下の命令なら、なんとかしないと、な」
「そうですよね」
同じ言葉を繰り返して、私は少し力が抜けた。見張りの兵の言う通りだった。さっき考えたことを再認識させられたのだ。
こちらから与えているのに、勝手に食べないだけであって、食べさせていないのではない。クリシュナが食べさせようとする意味も分からないが、捕虜たちが食べない理由も分からない。しかし命令なので食べさせなければならないというのが現実だ。
まず、食べない理由を聞いてみようと考えた。しかし、それは徒労に終わった。捕虜は、私に対して誰一人として口を開かなかった。当然、私の質問に答えてくれるわけがなかった。
こういう場合は、どうするのだろうか。脅すのだろうか。それとも、武器を使って拷問するのか。でもそれは、クリシュナの意図とは異なる気がした。クリシュナの性格からも、そういうことは考えられなかった。そう、クリシュナは食べさせろと言ったのだから。
その時、捕虜の中の一人と目が合った。
毒…。
つぶやきが聞こえたような気がした。
ああ、そうか、と私は思いついた。毒を入れられたかもしれないと不安に思っているのだ。それなら確かに食べたくないだろう。
「このスープに毒は入っていません。安全です」
そう言って私は、捕虜の前にある皿をとって、一気に飲んだ。「ほら」
毒が入っていないことは証明したつもりだったが、それでも捕虜たちは動かなかった。
「毒はありません。なぜ、戦場で殺さずにいて、わざわざ食事で殺すのですか。この食事に毒を入れる理由がありません」
私は静かにそう言った。
端から二番目の捕虜が、ぎろり、と私を睨んだ。
みなが食わんものを一人で食えるか。
その目から、そう言っているように聞こえた。不思議な感覚だった。目から聞こえたのである。
そうか、それなら、なるほどと思える。食べたくても、無言の意思統一が捕虜の中にあるのだろう。自分だけが食べるというのは恥なのだ。
私はクリシュナのところに戻って、五人の兵を借りた。そして、見張りに頼んで捕虜が言葉を交わさないように監視させ、つながれている捕虜を一人ずつ交代で連れ出して、食事を目の前に突き出したのだ。温めさせたスープの湯気と香が、捕虜の顔色を変えた。
朝の出撃から何も食べていないはずだから、かなりの空腹が予想できた。アイステリアと違って、ラテは食糧が豊富にある国なのだから、食べないことに慣れていないはずである。
しかし、スープに手をつける者はいない。次々と捕虜を交代させるが、表情に迷いが出るものの、誰も食べようとはしなかった。もうだめかと思った時、最後から二番目の、さっき私を睨んだ男がスープを飲んだ。
よし、やったぞ、と心で笑った。だが、この一人を除いて、他の者は誰も飲まなかった。
捕虜は何故か分からないが、我々クリシュナ軍を信頼していない。いや、あれだけの激しい戦闘があったのだ。信頼されていなくて当たり前かもしれない。
私は再び全員がつながれている前に立って、温かいスープの入った皿を並べた。さあ、これでどうだ、と捕虜たちを見回し、そして、こう言った。
「みなさんの中で、たった一人だけ、スープを飲まなかった人がいます。他の人たちはみな飲んだのに、馬鹿げていると思いませんか?」
捕虜たちは互いに首を動かし、見つめ合った。途端に不満そうな表情があちこちで見られた。言葉を交わすことは見張りが徹底して禁じている。互いに疑いの視線が交わされた。
「さあ、温かいうちに飲んで下さい」
私はできるだけにっこりと笑ってみた。私が少年ということで、少しでも気が緩んでもらえるとよい結果につながりそうだったからだ。
ほんのわずかな間があって、さっきスープを飲んだ男がまた飲んだ。それを見て、二人目、三人目と皿を手に取ったのである。
結局、最後の一人もあきらめて、全員がスープを飲んだ。見張りの一人が、私の肩を、誉めるように軽く叩いてくれた。なんとかクリシュナの命令をやり遂げたのだ。
私は嬉々としてクリシュナのところに戻り、食べましたと報告した。
「ほう。それで、どうやったのだ?」
それまでの経過を手短に説明すると、横で聞いていたガゼルが高らかに笑った。
「陛下、この絵師は貴重な絵師ですよ」
「しかし、この様子では、絵師なのか策士なのか、分からなくなるかもしれないな」
クリシュナはそうガゼルに答え、それから私に向き直った。「なぜ、一人だけ飲まなかったと言えば、全員が飲むと思った?」
「それは、みなが飲まないと飲みにくいけれど、みなが飲んでいるのなら飲んでもよいという気になるかもしれないと思い、そうすると一度飲んだ者は気楽に二杯目を飲むと思ったからです」
「もし、一人もスープを飲んだ者がいなかったら、どうするつもりだった?」
「それは…」
私はクリシュナから目を反らした。
「考えてなかったな」
「はい」
そういう可能性はもちろんあったが、そうなった場合にどうするかは、クリシュナに見抜かれた通り、まったく考えていなかった。しかし、一人が飲んだからこそ、成功した策だと思う。他に策があるとは思えない。
しかしクリシュナは、容易く他の策を考え出していた。
「誰も飲まなかったら、一人だけ飲んだ者がいると言ってもう一度一人ずつ連れ出せばよい。そうやって相手を惑わせれば同じ結果につながっただろう」
そうかその方法があったか、と私はうなずいた。それでも失敗したら次は、二人飲んだ、三人飲んだと繰り返せばいいのではないか。いずれ、空腹に負けて全員がスープを飲むだろう。
「ご苦労だったな。これでラテ王との交渉が楽になる」
クリシュナはそう言って、私に食事をすすめた。「タルカが最後だ。食べてくれ」
ガゼルが私にさりげなく合図を送ってきた。私は急いで食事をたいらげた。私が最後ではない。いつもクリシュナが最後に食事をしている。
クリシュナはいつも必ず、全軍の食事が終わってから、最後に一人で食べていた。それが指揮官としてのクリシュナの方針だった。兵士が食べられないのに指揮官が食べるような軍は勝てない、とクリシュナは口癖のように言っていた。それだけ、クリシュナは全軍の食糧の確保を重要視していたのだ。ガゼルの合図は、そのことを私に思い出させてくれた。
もしかすると、クリシュナは、捕虜の食事さえも、待つつもりだったのかもしれない。
そう考えると、さっきの私の任務は、きわめて重大な任務だったような気がしてきた。少し誇らしい気持ちになって、私は微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます