第19話 アメとムチ


 ラテ侵攻は困難らしい困難に遭うことなく順調に行なわれていた。何度か、小規模な部隊と戦ったがクリシュナはそれに難なく勝ち、ことごとく敗走させて、ラテ国内のうちアイステリアと接するガラキアと呼ばれる地方を制圧した。守備隊らしい守備隊はいなかった。


 この地方の中心的な存在だったナーラとアルマの町は、無抵抗のまま門を開き、クリシュナ軍に降った。あまりの簡単さにクリシュナ自身が驚いたほどだった。そして、それ以上に騎士団が驚いていた。


 ナーラとアルマの町は、クリシュナに蓄えていた食糧の四分の一を差し出すように命じられ、それにあっさりと応じた。クリシュナ軍は略奪などの乱暴を全て禁じ、厳罰をもって処すことを徹底していたので、これらの町はその食糧以外の損害を受けなかった。


 一つだけ事件があった。一人のアイステリア兵が、アルマの町の娘に酔って襲いかかったのである。見回りの他の兵がすぐさま取り押さえ、事件は未遂で終わったが、クリシュナはその兵を処刑し、五体を裂いて町の外にさらし、アルマの町に謝罪した。


 その結果として、アイステリア軍への信頼は高まり、また同時に、アイステリア兵の態度も一変したのである。


 二つの町から集められた四分の一ずつの食糧が山のように積み上げられていくのを見て、私はラテの豊かさに驚いた。


 アイステリアにある町一つの蓄えが正確にどれだけあるとは断定できないが、間違いなく、この目の前にある食糧はアイステリアにある全ての町の食糧を集めたものと変わらない分量だろう。


「平和というのは、つまりこういうことだ」


 クリシュナは、私や、私と同じように驚いている兵たちにそう言った。


 平和とは、これほどにも豊かなものなのか。私は思わず母と妹を、そしてあの頃の貧しい暮らしを思い浮かべていた。他の兵たちも似たようなことを感じていたのかもしれない。


 あの長い戦乱は、隣り合う二つの国に、これほどの大きな違いを生んでいたのだ。


 クリシュナはさらに軍を進め、パールキアと呼ばれる地方にも侵攻した。


 パールキアにあるウィテカという町は先の二つの町と同じように降伏し、同じように扱われた。しかし、ヤンラとビルバの町は門を閉ざして抵抗した。この二つの町から近いパール平原に、総勢八十というラテの王都から出陣してきた守備隊が駐屯していたからである。


 クリシュナはこの二つの町を無視し、パール平原に駐屯している守備隊との戦闘を優先した。ラテ侵攻当初より敵部隊の規模が大きくなってきたとはいえ、クリシュナ軍はその倍の数だった。そして戦闘経験も、兵の士気も、指揮官の技量も、クリシュナ軍が大きく上回っていた。


 たった一度の会戦で、ラテの兵たちは散り散りに逃げていった。クリシュナが言った通り、ラテ侵攻は難しいものではなかった。


 守備隊の壊走を知ったヤンラとビルバは、一転して降伏を申し出てきた。これに対して、意外なことにクリシュナは厳しい処置をした。


 略奪こそなかったが、蓄えていた全ての食糧を取り上げて、さらに町に住むすべての女と子どもを捕虜として連行したのである。二人の騎士に指揮された六隊と七隊が、荷車と捕虜を引き連れてアイステリアへ戻っていった。


 町の男たちは自分の母や妻、娘や息子が連れ去られていくのを黙って見守っていた。その瞳は怒りに燃えていたが、精鋭であるクリシュナ軍の監視下ではいかなる行動を起こすこともできなかった。


「ささやかな抵抗を試みた結果がこれだ。命があるだけましだと思え。ナーラ、アルマ、ウィテカの町と、ヤンラ、ビルバの町の違いが、自分たちの選択によるものだということを肝に命じておくがいい」


 クリシュナは町の男たちに大声でそう告げると、兵たちを振り返って、町へ火を放つように命じた。町を包んだ炎は一夜を明るく照らした後、翌朝にはわずかな煙を残して消えた。ヤンラとビルバは炎の中に朽ちたのである。


 二つの町の男たちは四つに分けられ、縛られた。そして、クリシュナ軍に連行されて、まだ侵攻を受けていない町の前で解放され、クリシュナの思惑も知らずに、その町へと逃げ込んだのだった。


 この二つの町での対処は、クリシュナが今まで見せたことのない、苛烈なものだった。しかし、私は知らなかったが、戦闘によって町が落とされ、略奪され、荒らされた時と比べれば、この程度の処分は軽いものだとガゼルが言った。


「これで、軽い?」


「そうだ。そう言えばタルカはノルスクを見てなかったな」


「話には聞いていました。そんなにひどいものなのですか」


「男は殺され、女は犯され、食糧や宝物は奪われ、町は焼かれ、滅びる。それが戦争だ。だが今回は、いろいろな思惑があるとはいえ、一人も殺さずに終わっただろう」


 そう言われてみればそうだった。クリシュナは兵を殺しても、民を殺していない。食糧を取り上げても、命を奪いはしない。そこにクリシュナらしさを感じた。




 パール平原に再集結したクリシュナ軍は二日間の休息をとってから、ラテの王都カイラルトへ向けて侵攻を再開した。


 途中、キール、ザルバ、ジーラ、バハラルトという四つの町が戦わずして降伏した。ヤンラとビルバの男たちを解放した町である。クリシュナは今までと同じように、蓄えていた食糧を四分の一だけ出させた。これらの町はこれまでのクリシュナ軍のやり方を知らされており、平和に慣れていた町の人たちはあえて戦おうとはしなかったのである。


 そして、クリシュナ軍はラティキア平原へと侵入し、高台に陣を築いた。


 クリシュナ軍のほとんどの者が、初めてラテの王都カイラルトを目にしたはずである。アイステリアの歴史上、ラテ国の王都まで軍を進めた王はクリシュナが初めてだった。


 ラテ国としても、攻められたことが初めてのことだった。アイステリア以外の他の国にも、王都まで攻め込まれたことはなかったのである。












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