#14 Sometimes it snows in April 〜4月の雪なんて絶対に前兆なのが見え見えだった

 すみかは自分たちを守って消滅した。残酷な結果でありながらも満ち足りた最期の様子を聞かされ、貴明は慟哭する。



「すみかちゃん‼︎守れなかった…」


「違うの。お姉ちゃんは、お兄ちゃんがそう思うことを心配してたよ」


「どういうことだよ…」


 澄香は貴明の手を取り自らの胸に当てた。すみかの声が貴明の頭に流れ込む。



(貴明さん。私は元どおりになれたの。だから悲しまないで)



 愛しい声を聞き、よろよろとすがるように澄香の胸にしがみつく。澄香が貴明の頬を撫でる。その感覚は確かにすみかの、あのか細く頼りない指と同じだった。



「今わかった。勝ったつもりでいたけどさ、きっと全部神の思い通りなんだ」


「澄香とお姉ちゃんは、どうやっても一緒にはいられないんだね。なぜ、異常な存在の澄香が残ったの」


「それがすみかちゃんの意志だよ。神への反逆かもな。本体のすみかちゃんが残る方が自然なのに、いつも自分を殺してばかりで」


「お姉ちゃん…教えてよう」



 突如、澄香の目つきが変わった。少しキリッとした、いつも貴明の心を射抜く…すみかの視線であった。

 

「貴明さん、私は自分を殺してなんてないですよ。澄香も!わかってないんだから…私たちは、こうやって3人でいるじゃないですか」


「すみかちゃんなのか…」



 その声は、すみかの声と全く同じ響きだった。


「はい。私はここにいます。でもいずれ、意識は澄香の心の深い部分に沈むでしょう」


「そんな…俺はどうすれば…」


「心配しないで。私たちは同一人物です。澄香の天真爛漫さは私にもあったはずなのに、私は殻に閉じこもって、人を恐れて、生に向き合わなかった。きっと澄香は、私が本来ありたいと願った姿だと思うの。だから今は、なりたかった自分に戻ったんです」


「わかる気がする。でも…」


「4年前に澄香が生まれなければ、間違いなく私はもっとダメになっていました。私は澄香に救われて、今日からは澄香と一緒に、目を背けていた風景を見られるんです」


「そのために消えないといけないなんて」


「だから消えてないの!戻っただけ。澄香は今後少しずつ変わっていくけど、今までどおりに愛してあげてね。それが、私を想ってくれることにもなるんだから」



 頭では理解できる気がする。だがすみかの憂いを帯びた表情や上品な物腰、柔らかな肌や唇、キツめの冗談…貴明にとっての宝。それに会えない悲痛な寂寥感が襲う。



「考えたら、会ってからたった1ヶ月なんだね」


「私には初めての、宝石のような時間でした。あなたといると、過ぎゆく1秒さえ愛おしかった」


「俺もこんな気持ちは初めてだよ。だから融合したとはいっても、澄香を好きになれる自信がないんだ」


「あら、それは一番簡単だと思いますよ、今までどおりでいいんだから。あ、そっか。でももう妹ではないから逆に難しいですかねえ…くすっ」


「すみかちゃん…ひょっとして面白がってる?」


「くすくすっ、どうかしら。そうだ貴明さん、一つお願いがあるの」



 澄香の姿を借りたすみかは貴明の肩に手を置き、優しい笑顔で正面から貴明を見つめる。融合の影響か、以前に比べすみかの面影が強い。よく見ると瞳は澄香の黒でなく、すみかの碧に変わっている。感じていた違和感はこれか。



「もう一度キス…」



 言い終わるのを待たず2人は唇を重ねる。甘い匂いと柔らかさは、確かにすみかのそれと寸分の違いもない。貴明は同じ時を過ごした1ヶ月の幸福感や昂りを思い出していた。



「私の貴明さん…」


 すみかはうっとりしていたが、不意に体の力が抜ける。唇を重ねたまま、今度は逆にビクッ!と体がこわばった。



「ん…わわっ!おおお兄ちゃん⁉︎一体ななな何を?」


「何言って…ん?す、澄香か?ふうおおっ⁉︎」


 瞬間、いやああああ!という叫びとともに、澄香のキラーカンばりのモンゴリアンチョップが10連発で貴明に炸裂した。



「へへ変態っ!」


「だまされた…思いっきり妹と、いや妹的な者とキスしてしまった…」



(えへへ、あなたたちキスはまだなんでしょ?くすくすっ)



 すみかの楽しげな笑い声が聞こえた。彼女の可愛い悪戯心は好きだが、これは…


「は、話を聞け!すみかちゃんがしたいって言うから…」


「嘘だ!澄香には聞こえなかったもん」


「いや落ち着け、前提がおかしいぞ。お前は実は妹ではなくて、かつ俺を…俺を好きでいてくれるんだろ?」


「そだね…」


「ならば何か問題でも?」


 少し余裕ができると、貴明は途端に意地悪心が湧いてくる。



「…でも心の準備というか…もー!ちゃんとしてほしいの!こういうのは」


「そうか。だが俺は悟りました」


「え…」


「呼び方が悪い。俺は兄ではないのだから、呼び方を変えるべきなのだと」


「そんな…」


 澄香は悩む。



「貴明さんだとお姉ちゃんとカブるし、いきなり貴明は…」


「すみかちゃんとカブるのは確かに危険だ。ハメられる」


「タ、タカくんならどうかな…」


「よし、それで行ってみよう」


「タ…タ…」


「どうした澄香!たった4文字だぞ!」



 2人とも顔が真っ赤だ。兄妹ではなくなったのに以前にも増して馬鹿兄妹である。


「タ、タカく……いやーこれ無理!これダメー!」


 高速モンゴリアンチョップがさらに14回炸裂する。もう貴明の首はプラプラだ。



「…すみかちゃんが一緒でもバイオレンスじゃねえか」


「変だね?よし!お兄ちゃんだ!澄香はお兄ちゃんがいい」


「だから、それだと世間的にどうよって話なんだが」


「大丈夫!幼なじみはみんなお兄ちゃんって呼んでるよ。普通だよニッチだけど」


「んな奴いるか!てかサラッとニッチとか言ってるし」



 無駄に騒いでいるうち、ようやくスノーモービルの救助隊が駆けつけた。



「無事ですか⁉︎怪我は…あっ、首がプラプラじゃないですか!これはむごい、一体どんな衝撃を受ければ…そういえば凄い落雷がありましたよね」


「いやこれは今妹に…いや別に…」


「うなされている。危険だ、急ぐぞ!」



 救出されて治療を終え、警察の求めで形式的な書類を書いて2人は解放される。本来なら進入禁止区域にいたことをコッテリ絞られ、捜索費用の請求もあり得る事案。だが対応した警官や救助隊が全員響子の知り合いらしく、連絡を受けた響子がゴニョゴニョしてくれたようだ。ビバ田舎。




 旅館に戻り、2人はようやく暖かい部屋で手足を伸ばすことができた。浴衣姿の貴明が布団に大の字に寝転ぶと、同じく浴衣の澄香がちょこんとくっつき、一回り小さな大の字になって指と脚を絡める。



「な、俺たちは今、3人でいるんだよな」


「そだよ。ほら」


 と言って、澄香は貴明の手を自らの胸に置く。



「すみかちゃん…」


 それはそれとしてだ。この、ふにゅんと心地よい感触はいったい?



「これは…。な、すみかちゃんは隠れ巨乳だったのを知ってるか?」


「うわっ、普段どこを見てたの⁉︎でも、そうなのかなとは思う」


 澄香は自らの胸をさすり、いぶしがる。


「ウォッシュボードがいきなりフィドルみたいな曲線に…」


「お兄ちゃんのへへへ変態っ!」


 澄香がササっと距離を置き、胸を押さえる。



「…これ、得したっていえるのかなあ…あっお兄ちゃん⁉︎あるまじき助平顔!」


「違う!本当にすみかちゃんなんだなって思ってさ」


 貴明は再度胸に手を伸ばすが、澄香は触らせず、ペチンとその手をはたく。2人で笑い合うが、すぐに澄香は悲痛な表情になる。



「澄香が残るなんてやっぱり苦しいよ…本当はすみかちゃんが、こうやってお兄ちゃんと過ごしたかったのに」


「何言ってる、また怒られるぞ。それに澄香は、俺と大事な約束をしただろ」


「なん…だっけ?」


「うっわ覚えてないのかよ!ひでえな、ほらあれだよ」


 澄香はなんのことかわからず狼狽する。



「ううう…ご、ごめ…」


「ははは!またオイスター炒めを作ってくれるって約束したろ。俺はお前がいてくれないと美味いメシが食べられないんだ。大損害だぞ」



 せっかく落ち着いたのに、澄香はまた涙があふれる。たまらず貴明の胸に飛び込む。


「あーあ、融合しても澄香はバイオレンスで泣き虫のまんまだな。何も変わらない」


「違うもん!お兄ちゃんがそんなこと言うんだもん…」


「でも約束は絶対だろ」


「わかったよ!帰ったら812人分作るから全部食べてよね」


「いいよ。澄香のメシなら死ぬ間際まで食べ尽くしてやる」



 貴明は、果てるまで泣きそうな勢いの澄香の小さな頭をふわりと抱く。


「澄香はここにいていいよね…」


「ったりめえだろ。2人分大事にする。俺はダメ人間だけど、これだけは絶対に破らない約束であるということを約束するよ」


「言い方面倒くさい…でもお兄ちゃんは、澄香との約束は破ったことないもんね」



 この結果が正しかったのかそうでないのか、誰にもわからない。ともあれ途方もない力に命がけで対峙した一夜は終わった。張り詰めた気持ちが消えると一気に疲れが出て、抱き合ったまま2人は深い眠りについた。




 10日後、学校。貴明は東京に戻ってからも体がガタガタで、すみかを失った虚無感もあり動く気力がなかった。だが卒業やライブを控えているのでやむなく久々に登校する。


「タカアキ!久しぶりだな。卒業ライブ忘れてないよな」


「おー透矢、今はもうやる気しかねえよ」


「またあんたは、妹に夢中で学校に来ないとか、どうなってんのよ本当に」


 紗英の悪態も懐かしい感じがするが、あれ?なんだこの違和感。



「妹?」


「は?澄香ちゃんが旅先で倒れて、しばらく面倒みるから休んでたんでしょ?大丈夫なの澄香ちゃん。どうせあんたのせいだと思うけど」


「そうだぞ、妹馬鹿は程々にな貴明」


 良識派の達哉にまで言われると信じるしかない。澄香はまだ妹なのか?


「お、シスコンガイ!澄香ちゃん大丈夫?」



 理恵も同じだ。こりゃ間違いない。失敗している。澄香は妹ではなくなったのに、仲間うちでは妹で通っている。貴明はクラクラしつつもどうにか1日をやり過ごして帰宅する。案の定というべきか、部屋には不服そうな表情の澄香が待ち構えていた。




「よう澄香…俺は間違えたらしいわ」


その言葉に澄香が呆れ顔で応える。



「お兄ちゃん…最後のドアを作るとき、本当は澄香は妹がいいとか思わなかった?今日アリサに、『お兄さんが一緒でよかったね』って言われたんだよ」


「うわー大失敗」


「お兄ちゃん!」


 と怒り顔で言った後、すぐに笑顔に変わって澄香が抱きつく。



「いいの。澄香も、今までがいいっていう気持ちもあるんだ」


「でもどうすんだよ、実は兄妹のフリしてずっと付き合ってましたとか言うか?そりゃ相当こじれた変態だっての」


 2人は瞬時に真っ赤になる。



「ああ、それに関してはですね、澄香的には、しかるべき時期に『私たち実は兄妹じゃないのです』宣言の採択を善処していただきたいと…」


「追い詰められた政治家か!なんというハードモード…」


「む。嫌なの?」


「嫌ではないけどさ…澄香…」


「…え?」


 

 サード・ワールドの局所的な失敗はともかく、兄妹ではないとわかった時から2人の気持ちは変わりつつあった。日々、声に出せない想いが募ってきている。



(参ったな、妹でないというだけでこれほど違うとは。まるですみかちゃんに初めて会った時みたいだ。澄香が可愛くて仕方がない。だいたいこいつこんなに女だったか?そうか胸のせいかっ!しかしこれはヤバい。いやヤバくはない…でもなあ)



(参ったな、顔を見るだけで緊張する。そりゃ私も元々お兄ちゃんを好きだけど、これは…。そうか、こんなにドキドキするのはお姉ちゃんの心が入ったせいかっ!しかしお姉ちゃん…あんさんこれやりすぎでっせ…)



「なんだよ赤い顔して」


「お兄ちゃんも真っ赤じゃない!またエロいこと考えてたしょ」


「違う!俺はお前のことを…うっ」


「えっ?はは、私も別にお兄ちゃんが好きで困ったとか…ううっ」


 2人の関係性には確実に変化が訪れていた。



 少し経った2月の日曜日。コーヒーとお菓子を囲む平凡な日常。たったそれだけのことだが、これを取り戻すために3人は阿寒湖で命を賭けたのだ。



「澄香、自分が変わった感じする?」


「お姉ちゃんみたいに大人っぽくなるかと思ったら全然だね、残念ー」


「すみかちゃんが大人っぽく見えたのは、気張りすぎてたからだよ。だんだんキャラが変わって、阿寒の時にはむしろ澄香に寄ってたじゃん。ちょっと面白かった」


「可愛い人だよね。きっとお兄ちゃんといる時は気を張る必要がなかったんだよ。でも澄香、見た目はけっこう変わったよね」


「瞳が碧になったもんな。これで髪を切ってメガネをかけたら完全にすみかちゃん化する。嬉しいけど複雑だな」


「えへへ、似てるでしょ?ほれほれ、これならどうだー」



 と言いながら澄香は、すみかが愛用していた赤いメガネをかけてみせる。遺品…とは言いたくないが、すみかの持ち物は実家にほとんど残っている。


「そのメガネは卑怯だ!いや似合う。本当に同じ顔なんだな。瞳の色とか雰囲気が違うから、考えもしなかった。性格や服装にもだまされたけどさ」


 ここに来て2人とも、すみかのことを笑って話せるようになりつつあった。



「でもね。一番変わったのが…」


 澄香は気になる様子で胸を押さえ、貴明はその一点に集中する。



「…また成長したな…」


「やめてよ恥ずかしいから!もう、ブラ小さすぎて全部捨てる羽目になったんだからね。なのにウエストは謎に細くなってスカートガバガバだし、どんだけスタイルいいのよお姉ちゃんは。むー」


「俺はその…どっちでもいいけど大きいのも悪くない…かな」


「バカ兄貴!助平!あははー」



 気を抜いたら普通の恋人同士になりそうで、それで問題ないのだが、そのフェイズに進むには焦りやとまどいを感じていた。お互い無理に自制する、不思議なメンタリティで毎日を過ごしていた。ともあれ今日は会話が楽しい。貴明はコーヒーが、澄香はポッキーが進む。



「すみかちゃんのお母さん、というか澄香の本当のお母さんとは上手くやれてる?」


「大丈夫、お姉ちゃんの記憶が統合されたから。お母さんは優しいよ。あと戸籍は『高嶺澄香』で、実は漢字も同じ名前なんだよね」


「ぷぷっ、それで偽名のつもりだったのかな。こういうとこ抜けてて可愛いんだよな」


「でもすみかちゃんって、イメージ的にはひらがなだよね」


「言われりゃそうだな」


「お姉ちゃん友達いなかったみたい。本当に人を避けてたんだね。あと中学の時の記憶…」



「それを心配してたんだ。大丈夫か?」


「考えると吐き気がする。お姉ちゃんはこんな想いを抱えて生きてきたんだね。でもそのぶん、お兄ちゃんに初めて出会った時の気持ちの変化が、もうすごいのなんのって」


「どうすごいのか⁉︎」


「…恥ずかしくて言えません。お姉ちゃんはね、信じられないくらいお兄ちゃんが好き過ぎなんだよ。私ぜんぜん負けてる。けどなあ、そこまでいい男かー…?」


「失敬だな!まあ俺が言うのもアレだけど、澄香はもっと頑張りましょう」


 笑い合う2人。春のたおやかな時間が流れる。




「そうだ、こないだ楽しかったね。お母さんとお父さん」


 先週末に新潟の貴明の両親が所用で上京し、2人は正月以来両親に会った。貴明は真剣に付き合っている彼女として、ガチガチに緊張しながら澄香を紹介したのだ。



「お母さんさ、澄香がうっかり『お母さん』って呼んだ時、喜んでくれたね」


「親父も澄香が他人と思えないとか言ってたじゃん。サード・ワールドで環境が変わっても、娘だった記憶が残っているのかな」


「澄香やっぱり2人の娘になりたい。またお母さんって呼びたくなっちゃった」


「おま、それはつまりけっ、けっ、けっこ…」


 炭が燃えるように熱くなる2人。



「あはは、まだ早いかな」


「そ、そうだな。いずれするんだろうとは思うけど…」


「お兄ちゃん⁉︎だろうとか思うってなんですか!澄香は必ずお兄ちゃんとけっこ…うっ」


 顔の赤さはもはや石炭ストーブの中のようだ。デレッキでかき回せば灰がはぜるだろう。




 3月中旬、貴明は卒業を迎えた。Back Door Menはレコード会社と契約にこぎ着け、春からは駆け出しのプロ生活が始まる。澄香は4月になれば女子大生だが、高校からエスカレーターで受験はない。本来なら開放感あふれる時期のはずだが、澄香はここ数日重い課題に取り組んでいた。



「♪わた、しだけが…と、止まったような…」


「ちがーう!そこはしゃくらなくていいんだ。なんならソルフェージュ並で十分」


「ふえーん、無理だよう。なんで最後のライブで澄香がヴォーカルなの?」


「全員のリクエストなんだよ。1曲だけだから。さあ最初から」


「ひいい、お姉ちゃん助けてー」



 仲間が集まって開く、3月末のラストライブ。メンバーたっての希望で、混成スペシャルバンドのゲストボーカルに澄香が立つことになった。曲はすみかも好きだった、貴明の「Ancient Water」だ。



「大丈夫、すみかちゃんがついてる。融合して声が一層綺麗に通るようになったし、キーは1音も上がった。できる!」


「でもでも、緊張するんだよう。人前で歌うなんて初めてで…」


「ははは。すみかちゃんはたった1回聴いただけで覚えたんだぞ。お前も知ってたのはそのせいだよな」


 貴明は、澄香が不意にこの曲を口ずさんだときの驚きを思い出していた。


「うん。なんだか意識に流れてきたの。私も大好きだよ」


「だったらすみかちゃんと一緒に歌ってくれよ。な?」



 すみかと一緒。その言葉でスイッチが入った澄香は、みるみるうちに歌をモノにした。



 ライブ前日、澄香は髪をバッサリと切った。ふんわりと清潔感あふれるショートカット。すみかのルックスにますます近づき、もはや違いはメガネの有無だけだ。



「えへー、どうお兄ちゃん、似合う?可愛い?この顔に見覚えない?」


「反則…ついにやったかそれを」


「お姉ちゃんと一緒に歌うならこれかなって。それにね、こうすると鏡の中でお姉ちゃんと会える気がするんだ。えへへー、どうだー」



 と言いながら澄香は、おどけてすみかのメガネをかけてみせる。貴明が照れるのを期待したようだったが、貴明は、


「……」


しばし言葉を失う。すみかと寸分違わぬ姿に見惚れ、「すみかちゃん…」とつぶやいてそっと澄香の手を握った。


「わっ、ちょっとやりすぎました、はは…お兄ちゃん?」


 貴明はうつむいたままだ。


「…泣いてるの?」


「んなわけあるか。お前な、悪ノリもいい加減にしねえと…」



 そう言って澄香を抱きしめる。一筋の涙を隠すために。自分の中にすみかを感じている澄香とは違い、貴明はまだ喪失感からまったく立ち直れていないのだ。



「ごめんね。やっぱやめよっかこの髪型」


「いや、最高だ!澄香もショート似合うんだな、同じ顔だから当たり前か。これなら明日は、本当に2人一緒に歌えそうだな」


「うん、頑張るね」


「ただな、この髪型は確実にすみかちゃんを呼び覚ますぞ。つまり明日のライブはすみかちゃんにも聴かれる。あ、プレッシャーかけちゃうけど、すみかちゃんは紗英並に歌が上手いぞ。ふふふ」


「ひいい…もしかして澄香、自爆した…?」




 3月31日、卒業記念ライブ。Back Door MenとUnhappy Girlsの混成メンバーによる特別ステージは大反響を呼んだ。集まった業界関係者は、いきなり登場した女の子に「あの娘は誰だ⁉︎」と色めき立つ。視線の先にいたのはもちろん澄香だ。



 ♪悠久の 湖水(みず)の音

 触れるたびに 心解ける

 神々に いだかれて

 届かぬ想い 空を翔る



 清楚で華のあるルックス。持ち前の元気さにすみかの透明感がミックスされた完璧な歌唱。澄香はたった1曲で会場を魅了し、紗英が所属する事務所のマネジャーは、慌てて本社に連絡するほどだった。




 ライブが終わり、2人は成功を喜びながら帰途につく。


「あー緊張した!でも楽しかった。どうでしたか澄香の歌は?」


「すごいよ。透矢や理恵が、最初の1フレーズを聴いたら顔色変わって、本気で合わせてきたもんな。あえて澄香をリハに出さず本番まで温存した俺の勝ちだぜ」


「相変わらず性格悪ー。でも私もお姉ちゃんの歌を聴いてみたかったな」


「何を言う、さっきのはすみかちゃんの歌と同じだよ。録音したから後で聴こう」


「そうなの?えへ、嬉しいなー」



 澄香は満面の笑みで貴明の腕にしがみついた。2人は、怒濤のように押し寄せた数々の試練や驚きが、このライブでひとまず決着したような充実感を味わっていた。



「聴いてたかい?すみかちゃん…」


 2人で見上げた月。それはまるですみかの穏やかな笑顔のように、雲間に揺れていた。





 数日後。4月の埼玉県南には珍しくぼたん雪がちらつく。鼠色の曇天の下、よく通うラーメン屋を左に曲がって駅に伸びるいつもの通学路。新生活を控えてのんびり過ごす貴明と澄香は、外で昼を食べようと駅前に向かっていた。



「そういや梨杏に初めて会ったのもここで、こんな雪の日だったよ。今頃は囚人生活を満喫してるのかな」


「会いたいね。梨杏さんがいなかったらみんな死んでたもん」


「最初は偉そうで気に食わなかったけどな。でもな、こんな話をしてる時に限って平気な顔で現れるのがあいつのやり方だ。油断大敵だぞ、ははは」


「あは、まさかそんな…」



 その時突如、目の前が白く発光する。現れたのはもちろん偉そうな少女だった。


 

「あ“あ”ーん?誰が気に食わないって?」


「りりりり梨杏⁉︎マジか?」



 目が点になる2人。梨杏はちっちっちっと人差し指を左右に振った。やはり古臭い。


「お前たち全員生き残っちゃったろ。合格しちゃったというかさ」


「いやすみかちゃんは…」


「何言ってんの、そこに澄香と一緒にいるでしょ。聞かなくてもわかるわよ。なーに、体なんてただの器、飾りだから」


「いや待て待て、それよりも500年の刑はどうした?」


「実はあんたらが合格したおかげで、世話役の私の評価が逆に上がっちゃってさあ」



 貴明と澄香は、口があんぐりと開いたまま閉まらない。


「謹慎も造反も不問で、むしろリスペクトされまくりよ。我が世の春だねー」


「だ、だったらなんで…」


 貴明と澄香が、同時に下向きでワナワナと震え出す。



「どどうした2人とも?」


「だったらなんで、もっと早く会いに来ねえんだよ!こんのヨゴレ使い魔!」


「梨杏さーん!澄香…もう会えないって思って…」


 澄香は堪えきれず、大泣きで梨杏に抱きつく。



「ごめんよ…あっちにも色々あんのよ。私だって澄香とすみかは可愛いし、一刻も早く会いたかったのよ。貴明は別にいいけど」


「お前な…ま、それくらいでちょうどいいや。お帰り!」


「梨杏さーん…」


 梨杏は澄香の頭を撫でながら言う。



「他の連中の面倒見るのも大変なのよ。あ、何かあったら貴明、あんた出勤だから」


「出勤てなんだよ」


「エクストリームの力を授かったんだから、たまに役に立つ気はないのかって言ってんのよ」


「…なぜ素直に、俺のパワーを借りる時が来るとか言えんのだ?」


「あはは、いいなあこの感じ。やっぱあんたら面白いわ」


「面白くねえって話をしてんだよ!澄香離れろ、ヨゴレが伝染るぞ」


「梨杏さん大好き…」




 大騒ぎのランチを終え、梨杏はケチャップまみれの口でどこかに去った。


「相変わらず気まぐれな奴だ。でも4月に雪が降るなんて、おかしいとは思ってたんだ」


「澄香、雪は好きだよ」


「なんと!吹雪で死にかけたのにどの口が言うのか」


「いや、あんなのはもう沢山だけど…でも今日もいいことあった」



「な、あいつ本当にミューズ神だと思うか?」


「神の使いって言ってたもんね。ミューズって神様の中ではパシリなのかなあ」


「よせ!また罰が当たるぞ。俺は知ーらないっと」


「あっ…ということを昨日お兄ちゃんが言ってましたよ梨杏さん!天罰を!」


「やめろ、またどこかで見てるぞ!」



 落ち着かないことが増えそうではあるが、欠けたままで収まりが悪かったピースが揃ったことに、2人は改めて安堵していた。



 貴明と澄香、梨杏、そしてすみか。この4ヶ月で一生離れない絆が生まれた4人。特に貴明とすみかは、諸々足りない自分が命がけで守るべき存在がいるということに、深い喜びを感じていた。


 絆の中心にいるのは紛れもなく澄香だ。彼女の笑顔は、いつも周りを巻き込んで幸せにする。響子が言っていた、人と人とを結びつける力というやつかもしれない。



「澄香ってさ、そういうエクストリーム能力があるんじゃないか?」


「何?」


「はは、なんでもないよ。さ、帰って曲を仕上げるかな」


「えー、一緒にいるときくらい音楽忘れようよー、もう」


「バカ言え、俺から音楽を取ったら何が残ると…」


「自覚してるんだね」



「…違う。澄香が残る。どうしよう、音楽より大事なものができてしまった」


「ばっばっバカ兄貴!もう!」



 2人は気づく由もなかったが、そんないつものやり取りを、梨杏が時空を超えて楽しそうに見つめていた。

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