どこぞのドアと澄香とすみか 〜妹と同じくらい好きな彼女が出来たら神と喧嘩する羽目になったのは一体どういう了見だ〜
#13 Angry young man 〜今まで生きてきて最大に怒るべき場面ったらここしかなかった
#13 Angry young man 〜今まで生きてきて最大に怒るべき場面ったらここしかなかった
梨杏は神の領域に連れ戻される。姿が消える刹那、3人に向けた彼女の笑顔には、わずかな時間でも心を通い合わせた者たちの未来を信じる輝きと慈愛があった。梨杏を飲み込んだ光の粒子が湖上に1粒こぼれ、吹雪の風音と暗闇が戻る。残された3人は、何も好転していない苦境に自らの力のみで立ち向かわなければいけなかった。
とはいえひとまず落ち着いたことで、すみかは地元警察に救助を要請することができた。この悪天では救助隊が来るまで1時間以上はかかるだろうが、それより先に澄香の体が消えては何の意味もない。事態は切迫したままだ。
「貴明さん、澄香!よかった!もうダメかと…」
「梨杏がいなきゃ完全にアウトだった。すみかちゃんも大丈夫かい」
「痛いけど、何もできない自分が情けないです。こんなの澄香に比べれば…」
すみかの白い肌は切れていくつも出血し、火傷のような症状も酷い。青白い顔であばらを押さえ、折れているかもしれない。その様子を見た澄香は申し訳なさそうに、
「すみかちゃん…私のせいで…」
「いいの。あなたは生きることだけを考えるの」
貴明は、今日のすみかに新たな魅力を感じていた。儚げで生命力の弱い印象だったが、今日は誰よりも強く頼もしい。心の闇を制した者が持つ、屈強な精神力を感じていた。
澄香は少し回復したものの、ダメージの蓄積が大きすぎる。足も消えたままで、ボブスレーの上で身動きができないままだ。
「私ダメだね。2人を信じてないわけじゃないのに」
「そうですよ。あなたはいわば私の妹なんだから、しっかりしてよね」
貴明は少し余裕が出る。
「ん?経緯を考えると妹よりも娘なのでは…」
「お兄ちゃん!」「貴明さん!」
弱々しいながらも、3人は顔を見合わせて笑う。少しの和みでもないと過酷な状況に押し潰されそうだ。
「そっか、すみかちゃんは私のお姉ちゃんなんだね」
「手のかかる妹だわ。でも可愛いの」
「お姉ちゃん…」
「本当はね、こんな目に遭わせてしまった澄香には死ぬまで謝りたい。でも今は未来を考えよう。3人で戻りましょう。その後なら、土下座でも裸踊りでもしてやるわ」
「は、裸踊り…」
すみかの盛ったモノ言いに即座に反応し、この状況で2人をドン引きさせる貴明。どこに出しても恥ずかしくない変態である。
「さあて、やってやるか」
貴明が立ち上がる。こちらは梨杏の手当てですっかりダメージが癒えたようだ。
「すみかちゃん、さっき梨杏が気になることを言っていたんだ」
「なんですか?」
「俺もエクストリームなんだってさ。で、何だか知らんが『Try jah love』って言ってた」
「本当?私も貴明さんの力はすごいと思います。でも次のは?」
「スティーヴィー・ワンダーの曲だよ。『神の愛を試せ』って意味だけど、何だかよくわからん」
「神の愛…いやそっちより、試すという方がキーなのかな」
「何言ってんだかな。どこに神の愛なんてあったよ?」
確かに時間はなかったが、梨杏の話はそもそも回りくどいから、わからないのだと貴明は舌打ちする。
「試すというなら、まずはこれかな」
貴明が、事もなげに澄香のドアの隣にドアを出現させる。
「す、すごい。私、ドアを作るのは今もたいへんだし、必ず好きなところに行けるわけでもないのに」
「うーん、できちゃうんだな。で、俺の場ドアにはオーディナリー・ワールドもアザーサイドもないって言ってたが、それがイマイチわからない」
「?」「?」
他の2人は頭上に大きな?が浮かぶ。
「お兄ちゃん?ちょっと何言ってるかわかりません」
「これがどんな意味なのか…」
貴明はしばし腕組みして考える。
「俺の作るドアは、実はアザーサイドのゲートではないらしい。すみかちゃん、ドアを閉じてもらえるかな」
「はい」
すみかはスッとドアを消す。
「間近で見るとすごいね2人とも。イリュージョンだね」
「こんな能力いらねえけどな。でも、このおかげで2人に会えた」
「えへへー」
澄香にかすかな笑顔が戻る。カムイの温泉のおかげで低体温症の恐れはひとまず回避でき、梨杏の手当てで凍傷も治っていた。澄香の横でひょいっと貴明がドアをもう1つ出現させると、中にはすみかがいた。
「こ、こんなのありですか?もうデタラメすぎて…」
「おいで、すみかちゃん」
貴明がドアの外、つまり氷の上から手を差し出す。
「…怖いよ…また体が…」
「大丈夫だ。さっき君がいた世界と、そのドアの世界は違うはずだから」
「貴明さんが言うなら信じて…」
すみかは恐る恐る貴明の手を握る。澄香は固唾を呑んで見守る。光の結界を超える瞬間、やはり電撃が走るが、最初のにくらべれば静電気並の弱さだ。
「痛っ…でもさっきより全然軽いです。これなら…」
そのまま貴明はすみかを引っ張る。ついに阿寒湖の氷上、同じ時空で3人が邂逅した。
「澄香…あなたが…」
「すみかちゃん…私のお姉ちゃん」
生まれて初めて、直に顔を合わせた2人。澄香は思わず声が出る。
「写真より全然綺麗…」
「写真ってまさかあのプリクラ?恥ずかしいよあれは!」
澄香に駆け寄ろうとするすみか。だが貴明は、
「まだ澄香に近づかない方がいい。2人が同じ時空にいてはいけないというルールは、たぶん変わってない」
「じゃあ私は、なぜドアからここに出られたの?」
「どっちも俺のオーディナリー・ワールドだから、だと思うんだ。ややこしいけど、すみかちゃんのオーディナリー・ワールドから見ればここはアザーサイドだ。アザーサイドへの出入りは、エクスペリエンストといえどもそう簡単じゃない。さらに澄香がいて神の禁忌に触れるから、すみかちゃんは存在が揺らいでしまう」
「それはわかります。でも…」
「俺のドアはたぶん、全部が俺のオーディナリー・ワールドなんだ。つまり君が今通ってきたドアも俺のホームだし、この湖もホームだ。アザーサイドを越える大きなハードルが一つなくなるから、すみかちゃんと澄香のような禁忌の関係でも、一緒にいられるようになるんじゃないかと思う」
「わかるような、わかんないような…」
「つまりこうだ!俺様の能力は…」
澄香とすみかは2人は息を呑む。
「ドアが全部オーディナリー・ワールドなのでエクストリームは全員通り放題だし神のルールも一部無効にできるめっちゃ便利ブロー!」
「め…」
「め…」
澄香とすみかが、呆れた表情で同時に叫ぶ。
「面倒くさい能力ーーー‼︎」
のうりょくー、うりょくー、くー…と、2人の声が阿寒湖の森にこだました。
「ブローって何よお兄ちゃん」
「それはあれだ、男気だ」
「か、かっこいいですね、見開きで宇宙まで飛びそう」
「お姉ちゃん、無理に合わせなくていいんだよ。メンタルやられるよ」
貴明はこの力に気づいてから、「あっちの紗英も本物だよ」という梨杏の言葉を実感していた。アザーサイドは基本的には異世界だ。例えばすみかには、禁忌そのもので会うことさえ許されない分身の澄香がいる。恵美子は自殺の原因になった人間が存在しない。
だがどうやら貴明には、そうした時空ごとの違いはないようなのだ。全部同じ世界なのだから、最初にゲートを超えた時の紗英と、初詣の紗英がともに貴明を好きなことに矛盾はない。恵美子のアザーサイドの両親が、恵美子の自殺に直面しなかったのとは全く違うのだ。
「…途方もないです貴明さんは。私はドアの中の別世界では、澄香にだけは会わないよう警戒してたけど、そういうのないんですね。どこも自分の世界なんて」
すみかは馬鹿馬鹿しいくらいの能力に驚きながらも、真剣な表情に変わる。
「そういうことなら、今こそ澄香のそばに行ってあげられると思う。理屈がわかれば後は精神力次第ですよね。梨杏さんが言ってた。エクストリームの力は心の力…」
すみかはそう言って、動けない澄香の方に向かう。怯えはあったが、何がなんでも澄香に近づきたかった。
「2人が接触するのは神の意志に背く行為だ。ド阿呆レベルの逆療法だよ。この場にいる俺も含めて何が起こるかわからないぞ」
「いいよ。澄香はもう逃げない」
「言ったわね澄香。じゃあやりましょうか、泥沼の三角関係!」
すみかは澄香に近づき、手を握った。が…
「きゃあ!」
「痛っ!」
その瞬間ほとばしる電撃のような光に、すみかはのけぞる。かなりの衝撃があるようだ。
「大丈夫か!」
「不思議、澄香は大丈夫。逆になんだか力が戻ってきたよ」
「すみかちゃんは⁉︎」
「大丈夫よ…また少し火傷したけど」
「だめだ、やはりすみかちゃんの負担が大きい」
「貴明さん…私はこの程度じゃ負けない。今触ってわかった。これは澄香のため!」
すみかは何かを確信した表情で、澄香に覆いかぶさるように抱きしめた。瞬間、閃光が立ち昇る。痛みはない。澄香は初めてなのに懐かしい温もりに感激しつつ、異変に気づく。
「ああっ!だめだよお姉ちゃん!なんだかおかしいよ!」
「離れろすみかちゃん、何か変だ!」
「澄香、ずっとあなたを抱きしめたかった。ごめんね。私のせいでこんな…」
「お、姉、ちゃん…」
「あなただって貴明さんが大好きなのに、こんな形で存在させてしまって」
「それは違うよ、妹としていつもそばにいられて、澄香は嬉し…」
「嘘よ。だってあなたたち、それじゃ永久に結ばれないのよ」
「それは…」
貴明が叫ぶ。
「だめだ、やめろすみかちゃん!足が!君の足が!」
すみかの右足が先程の澄香のように、くるぶしまで消えてきていた。
「大丈夫…よ、貴明さん。私は澄香を見殺しになんてしない…」
「いやだ!約束が違うよ、犠牲はダメって!」
「やっぱり共存はできないのかっ!」
貴明は2人に駆け寄り、すみかを引き離そうとするが…
「うわあっ!」
触れると光が放出され、貴明はもんどり打って倒れる。強大なエクストリームのパワーを放出しているせいなのか。それが澄香には良い影響を及ぼしているが…
「お兄ちゃん!お姉ちゃんを離して!自分が消えて私を生かそうとしてくれてるのよ!」
すみかは意識が遠のいてきているようだ。逆に澄香の生命力はだいぶ回復している。
「やめろ、すみかちゃん!」
瞬間、凄まじい落雷が少し離れた場所を襲う。轟音に驚き3人は光が落ちた方向を見る。
ドグシャーン!…
「雷?」
さらにもう一発。今度はより近い距離に落ち、光がすぐ近くの湖面に跳ね返る。それがまるで貴明の体に当たるように見えた。貴明は痛みはなかったが、それ以上の異変を感じる。
「手が…左手がない!」
「いやあああ!お兄ちゃん!」
貴明は落雷の衝撃で飛ばされ、氷上を滑っていく。同時に手がなくなったショックで倒れ込んでしまう。
「人が神に喧嘩売ろうなんて…無駄か…」
またも天が光る。三発目の落雷が来そうだ。大きい。これが落ちたら湖面の氷は…
ドシャーーン!バリバリバリ!
懸念通り氷は割れた。というより、落雷部が直径30mほどに丸くくり抜かれた。そこから放射線状に割れ目が広がり、澄香とすみかが乗るボブスレーにまで迫っている。貴明は先の雷撃で距離を開けられ、すぐには手が出せない。
バリバリバリ…と地に響く轟音とともに、湖面に張った氷は隆起しながら割れていく。
「御神渡り…神罰だってのか。逃げろすみかちゃーん!」
すみかは澄香に力を分け与えたせいか動けない。澄香は…回復してはいる。だがついさっきまで瀕死だった彼女に何ができる?
貴明は唇を噛む。左手の消滅はどんどん上に上がってきている。これ心臓まで来たらどうなるんだろうな。意識も怪しくなってきたがそんなことはいい。
「逃げてくれ澄香ー!もうお前しかいない!今度水に落ちれば即死だぞ!」
「お兄ちゃん!」
想いも虚しく、御神渡りは凄まじい音を立てながら、ボブスレーを湖水に引きずり込む。それが止み、吹雪の世界に戻る。だが氷上に2人はいない。残された貴明の命も風前の灯だろう。うつろな目で梨杏に語りかける。
「梨杏…2人とも助けられなかったよ…俺はやっぱりダメだ…」
返ってくるのは吹雪の音。また空が光ったようにも見える。神への謀反の結果は、一番描きたくなかった残酷な結末…
(確かにダメだな。上に気づかないとは、まだまだ)
どこからか聞こえた気がした梨杏の声につられ、空を見上げる。上空に小さな白い光がある。いや光だけじゃない。それに照らされているのは、2人の愛しい人の姿…
「澄香!すみかちゃん!」
澄香が力強い表情を取り戻し、信じられないことにすみかを抱えて上空に浮かんでいた。背からは2筋の光が伸びており、角度によりそれはまるで翼のように見える。梨杏はどこからかはわからないが、意識下で貴明に語りかけた。
(すみかはやはり桁外れのエクストリームだ。接触しただけで妹の力まで覚醒させたようだね。でももはやゲートに関係ない力だ。この子はきっと、神が与える以前から特別な力の持ち主だったんだね)
「お兄ちゃん!澄香はお姉ちゃんを…大事な人を守ったよ!」
「澄香…お前…お前は本当に…」
澄香の力強さに、貴明は感極まる。だが安心はできない。急ごしらえの能力だ。そう安定しているとは思えず、水に落ちれば終わりなのは変わらない。梨杏はもういないのだ。
「ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。俺は一体何やってんだ。大切な人が命がけで互いを守ってるのに、下で這いつくばって見ているだけか?左手がなんだ、手なんか1本あればピアノは弾けるし作曲には何の問題もないぜ」
貴明の体から青白い光が立ち昇る。
「頭に来た。頭に来た。完全に頭に来たぞ…神は当然許さんが、何よりも情けない自分に腹が立つ。ふざけんなよ!怒れ!怒れ!もっと怒れ俺‼︎」
ビリー・ジョエル「Prelude〜Angry youg man」の名高いピアノのイントロが頭を駆け巡る。こんな極限状況でも脳内BGMが止むことがないのが貴明という名の変態。だが激しい16分音符の超人的な同音連打は、力を奮い立たせるのに十分だった。
やはり澄香はホバリングが精一杯で、自由に飛行できるほどの能力はなさそうだ。心配通りだんだん高度が落ち、極低温の湖に近づきつつある。真下の氷は落雷で吹き飛ばされているから、すなわち着地=落水だ。
「落雷には勝てない。澄香も限界だ。考えろ考えろ考えろ考えろ。梨杏は何て言った?Try jah love…神の愛を試す?んなもんどこに?そうだ、あの曲はスティーヴィーの…いや確かにそうだが、元々はレゲエバンドに書き下ろした曲だ。アスワド?インナー・サークル?違う、あれは…」
サード・ワールド
「…なるほどな。俺のドアにアザーサイドはなく、すべてがオーディナリー・ワールドだ。そこまではいいが少し違っていた。俺の本当の能力は…」
貴明は澄香たちの下に走りながら、解にたどり着く。
「3番目の世界!オーディナリー・ワールドでもアザーサイドでもない、独自の世界を作れるのが俺のエクストリームなんじゃないか?そうなんだな梨杏!」
(疲れる奴だね、やっと理解したか。ま、神も驚く阿呆にしかできない力だよ)
「けっ!いいからてめーはごゆるりと謹慎しとけ。帰りを待っててやるからよ!」
超常的な能力は、自身の認識次第で表れ方が違う。今までは貴明自身が限界を設定していた。だが今は、ドアは自分が作る3番目の世界のゲートであると理解している。ならば自分のドアには、エクストリームでなくとも澄香も入れるはずだ。貴明が澄香を排除することなど絶対にないのだから。
しかし、ついに上空の澄香に異変が起きる。
「おに、いちゃん…もうダメかも…落ちそう…助けて…」
「澄香!がんばれ!なんとかする!」
「澄香もう…」
その時、もう1筋の弱い光が放たれたようにも見えたが、それ以上に貴明は嫌な予感がして空を見上げる。空が鋭く光った。落雷の前兆。今度はどこに落とす気だ…
だがそれは意に反して「落雷」ではなかった。鮮烈なその雷光は、斜めに流れて上空の澄香とすみかのほうに向かっていた。
「うわーっ!逃げろ澄香!逃げてくれ…」
ガシャーーーーン!!
…貴明の願いも虚しく、雷光は2人を直撃した。
「そんな…そんな…」
貴明は呆然と空を見上げる。雷光が落ち着けば吹雪の空には誰もいない…はずだった。はずだったが、澄香の光はまだ失われていない。それどころかむしろ光は強くなっていた。
「すみかちゃんか…」
否、強さを増したのは澄香でも雷光でもなく、すみかの光だった。澄香の翼のような光に加え、すみかの背中から伸びる光は球のようになり、きらびやかに2人を包んでいた。すみかは落雷を察知し、この光で雷光を防いだのか。
「すみかちゃん、君はいつも優しくて、強くて…」
「澄香…私が少し力を分けただけで、まさか空を飛べるなんて。見て貴明さん!私たちは絶対諦めないよ。ちゃんと受け止めてね」
澄香の揚力は限界ギリギリだ。猛吹雪の風に吹かれて舞っているだけにも見える。このままでは落水は明白。
「2人がこんなに頑張ってんだ。何やってんだ俺、怒れ怒れもっと怒れ、俺のバカヤロー!」
貴明は穴に向かって走る。空はトドメの雷撃の準備のように妖しく光り出した。極限状況。だがここに至って貴明の心は、晴れた日の湖面のように静かだった。
ドアで雷を防ぐ。
貴明は巨大な氷の穴の周囲に、12個のドアを時計の文字盤のように上向きに配置した。それが瞬時に行われたのは、能力が強大に成長している証明だ。
懸念どおり、またも雷光が上空の2人を狙う。澄香の翼は叙々に弱くなってきたが、すみかの光は運命に逆らうようにむしろ強くなっていた。
雷光が直撃する。だがすみかの光は、バチーン!と力強く雷光をはじき返す。雷光は正確に計算されたように12本の光束に分散され、すべてが貴明のドアに吸い込まれた。おかげで氷はこれ以上割れない。その様子を上空から見ていた澄香とすみかは興奮状態だ。
「き、綺麗…花火みたい!すごいよ2人とも!なんでそんなに息が合うの⁉︎」
「当たり前よ、貴明さんの考えは全部わかるもの。あら、あなたは違うのかしら?」
と言って、すみかはさらに悪い笑顔を見せながら、
「あーはっは!神が何よ!私たちを本気で怒らせたことをいいだけ後悔するがいいわ!」
「おお姉ちゃん?キャラが…」
「あら失礼。いっぺんやってみたかったのよ、荒ぶるやつ」
すみかは、ペロッと舌を出して笑った。
12本の光の筋がドアに落ちていく。それはまるで花火のようにも、荒れる湖に架かる橋のようにも見えた。法則を超えた荘厳な光景。貴明は上空のすみかに応えるように叫ぶ。
「ざまあみろ!冬華火にはちょっと早いがな。エクストリームなめんな!ヴァーカ!」
貴明は穴の縁にたどり着く。2人が落ちきるまで20秒ほどか。その前に2人を救うサード・ワールドのドアを作る。貴明はそれに向けて意識を集中させる。
ほどなくして、湖面に凄まじい光量のピンク色が広がった。それは直径30mにも及ぶ落雷の穴をカバーする、巨大な丸いドア。2人はついに浮遊が止まり、湖への自然落下が始まる。その真下には貴明のドアが入口を開けて待っていた。貴明は既にドアの中に移動している。落ちてくる2人を受け止めるために。ドアの中も、同じく結氷した阿寒湖上だ。
「澄香!お前は俺の最高だ!すみかちゃん!止まらないくらい愛してる!3番目の世界でみんな一緒だ!」
ドアの影響か2人の落下スピードは弱まり、貴明の腕にゆっくりと落ちてくる。慈しみに満ちたすみかの光に包まれた2人をがっしりと抱き止めた。失われた左手は、すみかの光を浴びた影響か元に戻ってきている。すみかの足の消滅は止まった様子だが、まだ先は消えたまま。一方、澄香の足は完全に回復していた。
3人はよたよたと座り込む。吹雪は止み、澄みきった夜空には満天の星が広がっていた。澄香が潤んだ瞳で貴明を見つめる。愛くるしい笑顔に自信が加わり、まぶしいほどに美しい。
「お兄ちゃん…助けてくれるって信じてたよ」
「お前がすみかちゃんを守ってくれたんだろ。そうだすみかちゃん!大丈夫か!」
すみかは相当に弱っている。
「これくらい大丈夫よ。だって、これからもっともっと愛して愛して、愛し続けてやるんだから。覚悟してよね…私の貴明さん…」
やっと訪れた安堵。それでも神の怒りはまだ彼らを許さない。彼らを狙い、真上から最後にして最大の落雷が襲ってきた。本気の雷撃はもはや自然界にはありえない音と光量だ。
安堵は油断を呼んだ。貴明は慌ててドアを閉め、どうにか直撃は回避する。しかし半分ほどの雷撃がドアの中の世界を激しく叩く。直撃しないまでも至近距離で食らった衝撃は凄まじく、ズドーン!という轟音とともに、辺りは白い閃光に包まれた。
衝撃で3人はすごい勢いで吹っ飛ぶ。数分間の記憶が飛んだらしく、気がついたら氷上ではなく湖畔の森にいた。大木の根元に、貴明が澄香を抱きとめるように倒れていた。
とりあえず体は無事らしい。遠くには自分たちを探しているのであろう、救助隊のサーチライトが見える。
「す、澄香?大丈夫か!」
「大丈夫、みたい…」
今の衝撃でポニーテールは解け、澄香はバサバサの髪で答えた。
「よかっ…はっ!すみかちゃんはどこだ!」
澄香が右手で胸を押さえて泣いている。
「まさかだめ…だったのか?」
貴明は落胆し、澄香の肩を正面から掴んで顔を覗き込んだ。この時、貴明は見慣れた妹の顔に言い知れぬ違和感を感じたが、今は後回しだ。
「違う、違うの」
「どういうことだ?」
「お姉ちゃんはね、ここにいるの」
澄香はぎゅっと、自分の腕で胸を抱いた。
「私たちを守って…お姉ちゃん!ああああ!」
澄香が胸を抱きながら号泣する。貴明の憔悴は増し、最悪の予感が胸に去来する。選択されたのは、すみかが消し飛ぶシナリオだったというのか。
「雷で消えたのか?」
「違うよ、お姉ちゃんは消えてない。ここにいるの。私と一緒に」
「ゆ、融合…だと…」
3人もろとも吹っ飛ばされていた間に、重大なことが起こっていたらしい。
「お兄ちゃんのサード・ワールドはすごい。私たちはやっと3人でいられると思った」
「俺はそれを願ってドアを作った。何か間違っていたのか?」
「ううん。でも、最後の落雷が」
「あれは危なかったけど防いだだろ」
「うん、直撃すれば全員が一瞬で消し飛んでたと思う。それでも私たち、余波で100mは飛ばされたんだよ。硬い氷の上を転がされて、無事なはずがないと思わない?」
やはり岸まで転がされたのは確からしく、それなら死んでもおかしくない。
「ならなぜ無事で…うっ…」
貴明は、考えたくない事実にブチ当たった。
「すみかちゃんが守ってくれたのか…」
「お姉ちゃんは、ボロボロの体で私たちを…」
澄香は涙が止まらない。最後まで笑顔で、自分と貴明を守護してくれたすみかを想う。
「落雷の瞬間、光で私たちを一層強く包んだの。何度も氷に打ちつけられても光が守ってくれた。けどお姉ちゃんは、そのせいで消耗して体がどんどん消えて…」
「…そんなことって!」
「最後にね、本当に消える前に、最後に…」
雷撃に立ち向かっていたすみかは、最後の瞬間、澄香に静かに語りかけた。たぶんほんの数十秒だが、2人は生き急いだ一生分の時間をかけて話り合った。
「ねえ澄香。私ね、貴明さんといると生きる力が湧いてくるの。一緒にいられるあなたが羨ましいな」
「うん。お兄ちゃんはいつも澄香を一番に想ってくれるよ」
「あら、一番は私でしょ」
「あは、そうだね。お姉ちゃんにはかなわないや。だってお姉ちゃんの話をする時のお兄ちゃんは、何よりも嬉しそうな顔するんだもん。ちょっと悔しいんだ」
「うふふっ。私はあなたがいてくれたおかげで、ようやく私が望んだ人生を生きられる気がしてるの。だから何が起きても悲しまないで」
「お姉ちゃん…行っちゃうの?やだよう…やっと会えたのに」
「どこにも行かないよ。逆。私たちはまた一つになるの。澄香、今までいっぱいごめんね。いっぱいありがとう。ずっとずっと大好きだよ。これからはいつも一緒だからね」
澄香が抱きしめながら感じていたすみかの温もりや重みは、存在が消えるに従い、悲しいほどに小さくなっていく。やがてすみかは天使のような笑顔のまま澄香の胸に突っ伏し、それきり顔を上げることはなかった。光は全衝撃を吸収し、巨木の根元で彼らは止まった。
「お姉ちゃあああああん‼︎いやだよーーー‼︎」
その絶叫に守護の光は一層の輝きを増す。直後、光は傷ついたすみかの体と一緒に、森の闇に溶けるように消滅した。赤いメガネがぽとりと澄香の胸に落ちる。満月の光を柔らかに反射して、なお澄香に微笑みかけているように見える。それはさっきまで確かにここにいた、儚い生を駆け抜けた少女のメッセージが宿るかの如き佇まいであった。
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