#15 Free as a bird 〜The End
もうこの世で会うことはないとさえ思っていた、梨杏に会えた。積み残した宿題を終えたような気分で、2人は部屋に戻る。
「びっくりしたね。でも嬉しいね。梨杏さん出世したんだね」
「それが俺らのおかげって、いろいろ引っかかるけどな。あとやっぱり、あいつの現れ方には常に悪意を感じる。それに出勤とか、現れたら現れたで何かと面倒くさそうだけどな」
ほんのここ4ヶ月の出来事。だがドアの出現で、確かに貴明は変わりつつあった。
「今さらだけどあのドア。俺が試されてたんだってのが本当にわかったよ」
「ううん、澄香もだよ。たぶん4年前からずっと。私は何のために生まれてきたのか、試されてたんだと思う。でもね、澄香はお姉ちゃんと一緒に生きていくよ。私はきっとそのために生まれたんだ。もう決めたからね!」
「いいな!それすごくいいよ。澄香がそう思ってくれる限り、俺はすみかちゃんとも一緒にいられる気がするよ」
「気がするだけじゃなく、いつも本当に3人一緒にいるんだよ、もう!あはは」
ドアによって出会った人たち…梨杏、すみか、恵美子、そして澄香。さらに当たり前に近くにいたせいで、その価値に気づけなかった…透矢や紗英、バンド仲間たち。すみかに対して感じたように、その全てが自分にとっての宝なのだと、貴明は実感していた。
(気づけるか、気づけないかは大事だよ)
梨杏の言葉が頭を廻る。もちろん、この面倒くさい男が素直な思いを表に出すことは、通常ないわけだが。
「いかに俺が天才でも、誰かがいないとダメってことなんだな。理解してやるよ」
「わー、あくまで上からなんですねー、あははっ。でも安心したよ。お兄ちゃんはやっぱダメ人間でないとね。あんまりかっこいいと調子が狂っちゃう」
「お前な、俺だってたまには怒るんだぞ?ははは」
いつものコーヒーとポッキーを囲んで話す、大切な時間。もう日常を当たり前と思うのはやめよう。でもこんな時間が続けば、いずれまたそれが普通になるんだろうな。
だがそれでもいい。ふとした時に、愛する相手や仲間と一緒にいられることの「普通じゃなさ」を感じるだけでいい。きっとそれで十分なんだろうなと、貴明はぼーっと考えていた。
「それはそれとしてだ。出勤ってなんなんだよ。本当に梨杏はいつも説明不足だよな」
「エクストリームの義務なのかな。じゃあお姉ちゃんも?」
「そりゃあ、なんたって最強の存在だからな。でも今は澄香と一緒なわけで…」
「ふふふふ。お兄ちゃん。どうやら澄香を見くびっているようですね」
「ん?」
澄香の背後に、淡いブルーのドアがぼうっと浮かんで来た。
「それは…」
「これくらい当然でしょ!だって私は、最強のエクストリームと一緒にいるんだから!」
澄香はふんわりと、でもしっかりと貴明の手を取る。そのままドアにダイブ。だがそこは上空だった。透き通るような青の見慣れたドア…これは間違いなくすみかのドアだ。改めて澄香の中にすみかが宿ることを実感した貴明は、嬉しさと寂寥感が入り混じった複雑な感情を抱く。
とはいえドアに不慣れであろう澄香は、後先考えずに空に向かって突撃してしまったようだ。こりゃあアレだ、感慨にふけってる場合じゃないか。普通にヤバい。
「うっわ、澄香!ドアを作るなら出る場所を考えてから…しょうがねえな、ったく…」
落ちながら貴明は自分のドアを作って部屋に戻ろうとするが、ふと見た澄香の姿に驚く。その背には、あの厳冬の阿寒湖の時よりも数段美しくクッキリと映える光の翼があった。澄香は貴明の手を取ったまま、余裕の表情で空に浮かぶ。
「これって…」
「へへー、すごいでしょ。これはもう『どこ○でもドア』といっても過言ではないよね」
「澄香。あのな、○の使い方な…あと、明らかに過言だし」
「あ、そっか。どこでもド○、これならいい?」
「それもダメだな。どっちにしろ手遅れだからもういいよ。てかドアもすごいけど、その光の翼…」
「えへ、かっこいい?澄香クール?」
「ああ、超絶クールだよ。ははは!」
余裕ができて周りを見ると、見慣れた2つの山と透明な水、深い森。
「阿寒湖なのか⁉︎」
「そう。私たちの大切な場所だよ」
4月の阿寒湖は結氷が解けてくるとはいえ、周辺はまだ深い雪に埋れているはずだ。しかし今見える湖は悠々とした水を湛え、森は新緑の生命力にあふれている。どうやら季節は2ヶ月ほど先らしく、だとすると、澄香は時間の壁をも易々と突破したことになる。
雲間からは陽光が幾筋かの太い光束となって差し込み、湖水をキラキラと輝かせていた。
「これね、天使のはしごって言うんだよ。空から見ると一段と綺麗だね」
「へえ…ってか天使よりも澄香がすげえよ。好きな場所に行けて、空を飛べて、タイムトリップ。何この比類なきFree as a bird感…俺の能力がゴミカスに思えてきたよ」
「あはは、澄香じゃないよ。お姉ちゃんがすごいんだよ」
貴明が心配するまでもなく、澄香は貴明を従えながらもすいすいと空中遊泳している。能力は相当に強いようだ。首元には、ネックレスに仕立て直したあのシンセのチャーム。真っ白な肌に楽しそうに揺れている。
「ね!お兄ちゃんとお姉ちゃんが澄香を助けてくれたのは、このへんだよね」
2人は湖の中央部上空を飛ぶ。
「お前が死にかけた姿を思い出すと今でも悲しいよ。でもさ、氷がないと、ここは天国のように綺麗だな」
「ごめんね。でもみんなに命をもらったあの時、私は確かにここで新しく生まれたと感じたの。それにね、お姉ちゃんと一緒になってから、澄香はもっともっとお兄ちゃんのことを…」
切なそうな表情の澄香。だがすぐに一変、悪い顔でニカっとしながら、ついっと貴明の手を離した。
「阿呆なのかー!落ち…お前なっ!帰ったら折檻だハード折檻だ!」
澄香は慌てず、すいっと下方移動して貴明の体を支える。だが貴明が仰向けの状態で上から抱き抱えたものだから、顔がやたらと至近距離にあった。それに気づき赤くなる2人。
「す、澄香?顔、近…」
「お兄ちゃん…私…」
2人はどちらからともなく、自然に唇を合わせた。
温もりと柔らかさを確かめるように抱き合い、優雅に旋回しながら初夏の湖上空を遊泳する。2人とも夢見心地のまま。兄妹と思っていた相手と、こんな形で生を実感する日が来るなんて。その不思議さも相まって、2人は唇を重ねたままふわふわと気持ち良さそうに飛び続けた。
…が、澄香は心地よさに油断したのか、翼が消えて自然落下が始まった。貴明は慌てることなく、今度は自分でドアを作りその中に入る。部屋に戻った2人は、手を取り合う姿勢で赤面しながら向き合った。
「えへー、澄香はついにキスされてしまいました。さてどうでしょう」
「いや今のは澄香から…というか事故だ」
「むー!何か気に入らないことでも⁉︎」
「い、いえ…一切ございません」
「よろしい。だったら今度は改めてお兄ちゃんから、きちんとしてくださいね」
と言って澄香は後ろ手に組み、唇を少し差し出して目をつぶる。これはいかん。仕草も表情も全部可愛すぎる。貴明はハートに火がつきそうに昂る。
「わ、わかったよ!問題なし!どうにでもなれ。澄香、好きだ!」
真紅に染まる貴明は澄香の両肩をがしっと抱き、ぐぐっと近づく。吐息の熱を感じる距離。残り1cmで唇が重なる寸前…
ピポーン!ピポピポピポーン!グワシャピポーン!
ドアチャイムがけたたましく鳴り響いた。グワシャってなんだろうな。いいだけ鳴らしまくっておきながら、結局ドアを開けずにスッと入ってきたのは、やはり梨杏だった。
「いるんだろー!久しぶりに澄香のご飯が食べたくてさ。ごは…お?おおおお⁉︎」
2人はキス寸前の形で抱き合ったまま、真っ赤な顔で梨杏を見ている。
「ちが、違うぞ、それは違うに違いないと俺は思うのさ。まあ落ち着けよ梨杏」
「りり梨杏さん、誤解も曲解もよくないことと知るがいいですよ。ご飯ね、今日は何作ろうかな、じゃが肉、いや肉じゃが?あ、じゃがいも買ってないや、はははは」
まったく取り繕えていない言い訳も虚しく、一瞬の沈黙が支配する。その後、梨杏は久しぶりに充足した様子の下衆な悪い笑顔で、ただ無言で出て行こうとした。
「待てー!ここで無言はよせ!違うだろ、ここはいつもどおり大騒ぎすべきとこだろ!むしろ騒いでくれ!」
「も、もうやだ…澄香恥ずかし…これダメなやつだ…」
「いえいえ、私とてそれほど野暮天では…うひひ、ごゆっくり、うひ…」
2人は梨杏を追ってダッシュ。間延びした追いかけっこのような、締まらない絵面だ。
「梨杏さん待って!私の話を聞いて!」
「そうだ待て…っておい澄香?嫌な予感がするが、何を話す気だ?」
「お兄ちゃんが、嫌がる私にどうしてもキスしたいって無理やり迫るから、澄香はやむを得ず…」
「だーっ!甚だしい事実誤認!梨杏、そんな話は聞かなくていい!だがとにかく待てー!」
「あーっはっは!やっぱあんたらいいわー!これからも濃密エロシーンをよろしくね、エクストリーム変態偽兄妹!」
「濃密って何ー!」「濃密って何ー!」
相変わらずバタバタとやかましい3人。追いかけっこの最中、澄香はふと、すみかを深く想う。
(私楽しいよ、お姉ちゃん。でもさ、お姉ちゃんならこんな時どうするの?あははっ)
その刹那、澄香と貴明の胸にあの悪戯っぽく可愛らしい笑い声が聞こえた。気がした。
「くすくすくすっ、まだまだ物足りないなー。もっと頑張ってよね、澄香!」
【The End】
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