#10 Irrésistiblement 〜古い言い回しだけど私は既にあなたのとりこになっていた

 1月10日。Back Door Menはクリスマス以来のライブに臨んでいた。対バンの1組は紗英と理恵のUnhappy Girls。2人とはあの2年参り以来10日ぶりの再会だが、なんとなく何年ぶりに会うような、また、痛痒に似た感覚もあった。


「や、やあサザエリエ、ひさ、しぶりですしね」


「なんで噛みまくりなのよ。てか誰が海産物一家よ、新年も冴えないわね貴明は」


 紗英は強がっているのか吹っ切れたのか、以前の強気な様子のままだ。こういうところが彼女の強さであり、魅力である。



 貴明にとって今日のライブは特別。開演前からすみかが来ているのを確認したからだ。同じく10日ぶりの再会だが、紗英とは違う意味でやり切れない別れをしただけに、こちらも気がかりでならなかった。


 リハの時からすみかに気づいていたが、気持ちが昂って開演前にドアから放り出されては意味がないので、会いたい気持ちを抑えつつ見ぬ振りをしていた。むろんそれは、紗英の手前ということもあったが。



 そして今日はもう1人、特別な人がいる。あの阿寒の幼なじみの響子が、久しぶりに貴明に連絡してきたのだ。連絡は数時間前。東京に遊びに来ているから会いたいとのこと。


「響子か!会いたいけど今日は俺ライブでさあ…」


「あ、それいい!なら観に行く。私、一度ライブハウスって行ってみたかったんだ」


 電撃的に再会が決まったが、阿寒の別れ以来10年近くも会っていない。貴明は、観客の中にいるであろう彼女を見つける自信はなかった。



 先にUnhappy Girlsのステージ。紗英のヴォーカルはヤケッパチのごとくワイルドさを増しており、デビー・ハリーというよりはジョーン・ジェットのようだ。 


「おらー!座ってる場合かー!総員起立して私を崇めろー!次の曲いくよ、『She never we no need』!」



 芸風が変わったような荒っぽいステージングに会場は大熱狂。クライマックスには理恵が長く美しい脚で、顔の高さにあるシンバルを真下からダイナミックに蹴り上げる。ズァーン!というド派手な一発と大歓声をもって彼女たちの出番は終わった。



 「良かったよ理恵ちゃん!今までで一番良かった!」


 透矢、達哉、純一が、理恵や他の女の子の元に駆け寄る。バンドの女の子は相変わらず透矢にベッタリだが、紗英は以前のように透矢に無駄に接近することはなくなっていた。その理由がなくなってしまっていた。そんな紗英に理恵が声をかける。


「紗英、やっぱあんたは凄いね」


「当たり前でしょ!私を誰だと…嘘。あの時、理恵がいなかったら私…」


 最後の方は照れなのか、ほとんど聞き取れない。


「え?何て?」


「なんでもない!ほら次始まるよ」



 続いてBack Door Menのステージ。正月休みに特訓したのか透矢のギターは乾いたカッティングが冴えており、他のメンバーはそのグルーヴに引っ張られる。貴明も、今日はすみかに加えて響子や紗英もいるとあって、複雑な思いが交錯しながらも絶好調だ。



 中盤。貴明のピアノがスティーヴィー・ワンダー「Ribbon in the sky」のリリカルなイントロを奏でる。かすかに「ひやあー、うひゃああー」と、ノリがいいのかどうなのか判断つかない声が聞こえたが、まず間違いなくその主はすみかだろう。これは2人の特別な曲だが、もちろん他の誰も知らないことだ。



 アンコールに至ってようやく貴明は、最前列で最初から大ノリでモッシュしていた女の子が響子であることに気づいた。相変わらず鈍感な男であった。




 終演後。貴明は響子も気になるが、まずはすみかの元に駆け寄る。ドアに消えないうちに少しでも一緒にいたかった。だが狭いハコに埋まった観客が興奮しており、かきわけて近づくのも一苦労だ。


「すみかちゃーん!うわちょっとどいてくれ、どけっての!おーい!」


「貴明さーん!こっちー!お正月があんな別れ方で…今日は絶対に会いたかったの。あとあの曲!感激しました」


「へへ、君がいたのがわかって、予定になかったけどいきなり演ったんだ。後でメンバーからどつかれたよ。ははは」


「はは!私を救ってくれた曲だもんね。嬉しいですー」



 透き通る碧のつぶらな瞳が、射抜くように真っ直ぐに貴明を見つめる。やはりこの娘は特別だ。仕草や言葉の一つ一つが、貴明の琴線に触れる。


 気持ちが通い合うほどに、ドアに消えてしまう運命なのはわかっている。だが2人はそれでも距離を縮めずにいられなかった。人混みと熱気に紛れ、ほんの刹那抱き合い、軽いキスを交わして微笑み合う。たった7秒ほどの切ない逢瀬。少し経つと分厚い防音ドアがブルーに染まり、すみかはその白い光の中に消えていった。


 

「へー、あれが彼女?ちっちゃくてめんこいね。変装は怪しいけど」


 聞き覚えのある声と懐かしい北海道なまりに振り向くと、響子がいた。


「響子!嬉しいな。変わってないねー」



 綺麗になった、とは照れ臭くて言えなかった。昔の響子は三つ編みで朴訥な娘だったが、今はボーイッシュなベリーショートの知的な女性に変貌していたからだ。


「ゆっくりできるの?食事でもどう?」


「いいよ、今日は友達の家に戻って寝るだけだから。電話してくるね」


 緑のカード電話に向かう響子の背を見ていると、そのさらに背後から声がした。


 

「へー、あれが彼女?垢抜けないけど地はまあまあね。ま、どうせ秒で振られるんだけどね!」


 紗英だ。いつもの悪態に貴明は安心する。



「違う、幼なじみだよ。10年ぶりに会ったんだ」


「だから幼なじみが彼女なんでしょ。いちいち面倒くさいわね」


「だから違うっての。あ、俺は食事して帰るからさ、打ち上げ楽しんでくれ」


「おう、紗英を振るような酷い男はいないほうが楽しいから、心配すんな」


「幼なじみの彼女とゆっくりな」


「だから違ーう!風評被害だ!」



 透矢と淳一が追い討ちをかける。これ以上ややこしくなってはかなわんと、貴明は響子を追って外に出た。



「あ、貴明ちゃん。私終電で帰ればいいから、2時間くらいは時間あるよ」


「よかった。でも本気で飲むには中途半端だな。ここらのファミレスでいい?」 


「どこでもいいよ。というかそんなの初めて。むしろ行きたい」


「はは、阿寒にはまだないのか」


 などと話しながら、一番先に目に入ったジョナサンに入店。ウェイトレスが爽やかな営業スマイルで迎える。



「いらっしゃいませ、ジョナサンへようこそ!」


「あどもどもー、おばんですー、今日はお世話さまですう…」


「よすんだ響子。なんかうまく言えないけどよすんだ」


 響子は広い店内や、大きくてカラフルなメニュー表、ウェイトレスの可愛いユニフォームに関心たっぷり。なにせ人生初のファミレスだ。



「チャンバラ屋?…ムース…フォーム?化粧品じゃないよね、これ食べ物なの?」


「ははは、朝はお粥もあるよ」


「す、すごいね、ファミリーは胃に優しいね。阿寒にもできないかなファミリー」


「いや略すならファミレス…」



 取り止めのない話をしつつ、貴明は生ビール、響子は赤ワインを片手に再会を楽しむ。


「貴明ちゃんが引っ越してから、景護がずいぶん寂しそうだったんだよ。あなたたち、微妙に気まずいまま別れたでしょ。心残りだったみたい」


「それは俺も同じだよ。おかげで今でも、あいつには簡単に会おうとも言いにくくてさ。それにこっちにいると、やっぱ阿寒はなまら遠くてな」


「男の意地?面倒くさいよね。私なんか今回初めて東京来たけど、真先に貴明ちゃんに会いたいと思ったんだから」


「女の行動力はすごいわ。俺は…俺はさ」


「ん?」



 再会と酔いの勢いで、普段は言わない言葉が口をつく。殻に閉じこもった幼少時の記憶とともに。


「俺はさ、子どもの頃からみんなの輪に入れなくて、無駄に強がってたけど本当は寂しかったんだ。自然に受け入れてくれたのは景護と響子だけだったんだよね。感謝してる」


「やー、なんか恥ずかしいしょやー!でも不思議だよね、私と景護は元々そんなに仲良くなかったのに、貴明ちゃんが来てから、なぜか3人でいるのが楽しかったんだー」


「へえ、それは初めて聞いたな。2人は今も阿寒にいるんだろ?」


「そだね。景護は観光協会。私はウチの旅館で修行中だから、ほとんど毎日会ってるわ」


「そっかー。2人が付き合ったりすると、俺的には面白いんだけどな。へへ」



「うーん、実は付き合ってた時期もあるんだけど…」


「まじ?」


「結局ついたり離れたりでイマイチ。貴明ちゃんがいた時はもっと素直になれたのにな。貴明ちゃんって本人は気難しいのに、実は人を結びつける力があるよね」


「そんな素敵な力、俺にあるわけないよ。そうだな、それがあるとしたら妹の方かな」



 響子は、キョトンと不思議そうな表情で貴明に尋ねる。


「いもう…と?」


「うん、澄香だよ。2個下の」




「貴明ちゃん…妹なんて、いたっけ?」




 …噛み合わない?漠然とした不安が湧いてくる。


「何言ってんのさ、ウチに遊びに来た時会ってるしょ。澄香は小さかったから、顔は覚えてないかもだけど」


「ごめん、わからない。ていうか私も2個下に妹がいるけど」


「ああ、明日菜ちゃんだっけ。澄香とは同級生になるのかな」


「…貴明ちゃんの妹のことなんて、明日菜から一度も聞いたことないよ?」



 あれ?なんでだろう。いや響子の勘違いだ。たまたま会ったことがないだけだ。なのに、なぜか頭の中心がグラグラ揺れる感覚はなんなんだ。


「そ、そうか…じゃあいつか紹介するよ。澄香ってんだ、はは」


「そだね。よろしく伝えておいて」



 せっかくの再会なのに妙な空気が流れる。さすがの貴明もちょっとまずいと思い、唯一わかる音楽の話で取り繕う。幸いにも響子のフェイバリットがシンディ・ローパーやTOTOなど守備範囲のミュージシャンだったので、それをキッカケに話がはずんだ。


「シンディ好きならフーターズは聴かなきゃだめっしょ!『タイム・アフター・タイム』もフーターズだよ」


「そうなの?でも私、『トゥルー・カラーズ』の方が好きなんだよね」


「いいね!だったらナイル・ロジャースやマーヴィン・ゲイも…」 


 貴明の面倒くさいトークが炸裂し、あっという間に終電間際になった。



 響子を見送り、釈然としない思いで帰途につく。小学校の生徒が100人までいない田舎で妹を知らない?ありえないだろう。




 部屋に帰ると、澄香がとびきりの笑顔で待っていた。この無邪気さにどれだけ癒されてきただろうか。


「お帰りお兄ちゃん!飲んできたと思うけどお茶漬け食べない?澄香、ちゃんと出汁取ったんだよ。美味しい梅干しも持ってきたよ」


「あ、ああ、美味そうだな。風呂入ってから食べるよ」


「はーい!」



 生まれてこの方、この妹がそばにいない時期なんてほとんどない。なのに、一番仲の良い幼なじみが妹を知らないのはどうかしてる。澄香本人に確かめる?いや、何をだ。



 風呂から上がった貴明は、澄香が用意してくれた梅茶漬けの前に座る。


「はいお兄ちゃん、もっかいかんぱーい!」


 澄香は烏龍茶、貴明は缶ビールでささやかなライブの打ち上げ。手作りのお茶漬けを食べ終えて、貴明は切り出した。



「なあ澄香」


「んん?」


 うつぶせで寝そべってファッション雑誌を読み、短パンからすらりと伸びた脚をパタパタさせる、可愛い癖。



「澄香はさ、俺の妹だよな?」


 澄香は一瞬ずっこけたようで、不自然な方向に脚が曲がる。


「あ痛たた、何言ってんのお兄ちゃん!呆れて脚がグネって。ほらグネって」


「当たり前だよな。だけどさ」


「?」


「今日、10年ぶりに阿寒の幼なじみに会ってさ」


 澄香の表情が、心なしか一瞬曇る。



「お前のこと知らないって言うんだぜ。ありえないだろ、あんな田舎でさ」


「そ、そりゃおかしいねー」


「だろ、お前ともよく一緒に阿寒湖で遊んだもんな。何でか忘れたけど、冬の湖でお前がわんわん泣いたこともあったよな。その時に響子がいたかは覚えてないけどさ」


「いないと思うよ、私も響子ちゃん?って人とは遊んだ覚えがないもの」


「そっか、たまたま会わなかっただけだよな、うん」



 安心しようとする貴明。だが、澄香が不安げな表情を浮かべていたことには、悲しいかな気づいていた。いつもの澄香らしからぬ様子は、貴明を困惑させるに十分だ。



「お兄ちゃん。す、澄香は眠くなりました…」


 決まり文句もどことなく弱々しい。


「ごめんな、変な話しちゃって」


「うん、お休みお兄ちゃん」




 寝室のドアを閉めてから、澄香は改めて、聞こえない程度に貴明に呼びかける。


「お休みなさい…私の大切な…もう、だめなのかな…」



 とりあえずよかった。結局は勘違いの笑い話だ。なのに一抹の不安が拭えないのは何故だ。所在なさに耐えきれず、近くの自販機で缶コーヒーを買おうと外に出た時、ドアがピンク色になり白く光った。貴明は何の抵抗もせず吸い込まれていく。



 貴明はゲートに消える。後には無音と無言、闇が部屋を支配する。そこには澄香が茫然と立ち尽くしていた。頬には一筋の涙が流れている。

「お兄ちゃん…必ず戻ってくるよね。澄香、待っててもいいよね」



 貴明が飛ばされた先には、思った通りすみかがいた。


「すみかちゃん…」


 疑念が深まる状況であっても、やはり彼女の顔を見ると嬉しさが先立つ。



「今日はきっと、もう一度会えると思ってました」


 何かを知っているような、悟っているような表情。白い肌に碧の瞳も手伝い、日頃からすみかにはミステリアスな雰囲気がある。


「何か知っているんじゃないかと思って来た。教えてほしい。澄香は俺の…」


「妹ですよ。それは間違いない」


「そ、そうだよね。安心した…」


 言い終わらないうちに、すみかは言葉を重ねる。



「貴明さんの妹だけど、実は、本当は…」


 キッとしたすみかの表情に、貴明は凍りつくような感覚を覚える。


 


「…澄香は、私なんです」




 何を言っているのか皆目見当がつかない。彼女を信頼し、盲目的に愛し始めている貴明だが、これにはつい言葉を荒げる。


「な、なに言ってんだよ!ぜんぜんわからないよ、それはどういう…」


 しばしの沈黙が流れる。だが貴明は、うやむやにするわけにはいかなかった。


「わかった。君は嘘を言わない人だ。俺は何を聞いても驚かないよ。そもそも最近不思議なことが続いてるし、こうなりゃどんなことでも受け入れるさ」


 改めてすみかの目をまっすぐ見つめる貴明。



「だから、全部話してほしい」


 悲しげな表情。すみかは気持ちを伝えようと精一杯努力する。



「4年前あなたに出会えて、私は変われると思いました。この人と一緒にいられたらすべてをリセットできる。そう感じたの」


「うん。嬉しいよ」


「でもアザーサイドが大きな壁になりました。私どう頑張っても、貴明さんのいる世界には長時間いられないことがわかったんです。文字通り、住む世界が違ったんです」


「ドアに強制排除されるっていう以外に、何かあったの?」


「はい。私がそっちの世界に長い時間いると気持ちが悪くなって、まるで自分が消えてしまう感覚に襲われるの。今でもそう」


「すみかちゃん…」



「それでも私はあなたと一緒にいたかった。それができるなら、何がどうなってもいいと思ったんです」


「ごめん、俺は何も知らなくて。どうして君だけが辛い目に…」


「いいんです。でも簡単に会えるわけじゃないし、長く一緒にもいられない。切なくて辛くて、でも大好きな気持ちは毎日毎日毎日強くなって…」



 まるで話が見えない。澄香とどんな関係が…ここで貴明がハッと気づく。待てよ、もしもその願いが「すでに叶っている」としたら?


「そうして思い詰めるうち、私はそっちの世界にもう1人の私を生み出していたんです。それはたぶん、あなたと過ごすためだけに存在する私。オーディナリー・ワールドにいる私にはできない、あなたのための私」



「それが澄香…」


「はい。澄香は私の想いが生み出したもう1人の私です。私がそっちに長くいられなくなった理由は、私たちは同じ世界に共存できないからなのだと思います」


 なんてこった…澄香。澄香。澄香。澄香。さっきの悲しげな表情の謎が氷解した。



「妹はそれを知っていたの?」

  

「私にもおぼろげにしか意識できなかったのだから、澄香はハッキリとはわかってなかったはずです。そもそもあの娘が貴明さんの妹になったのは、ほんの4年前で…」


 貴明の呼吸が荒くなる。違和感に気づいて狼狽する。



「ちょ、ちょっと待って。それはいくらなんでもおかしいだろ、澄香は18歳だよ…じゃあ子供の頃の記憶は?いや俺だけじゃない、親だって」


「澄香の記憶は、私の記憶がベースになってます。でもある程度まで関係のある人たちと澄香自身には、記憶の操作がなされたようなんです。剣崎家の娘としての記憶が、創作されて付加されたんです。もちろん私には無理だし、誰がやったかわかりません。でもそれは不完全だったようで、だから貴明さんの幼なじみは澄香を知らなかったんだと思います」



「となると、梨杏の言う神の仕業か。どこまでふざけてやがんだ」



 すみかは沈痛な面持ちで、でもしっかりとした口調で話を続ける。


「私の分身なのに、どうしてあなたの妹になったのかはわかりません。でもきっと、妹なら確実にそばにいられるからかもしれない」


 貴明は、もはや衝撃で意識が消えそうである。



「それが、すみかちゃんのエクストリームの力…」


「はい、梨杏さんからそう聞きました。私には特別な力があると」


「梨杏?梨杏を知ってるの?」


「ええ。あの方は世界を行き来して、私たちを見守ってくれているようです」


「あいつ!だったらなぜ黙ってた!」


「それは澄香のことを思って、じゃないでしょうか」



「‼︎」



 すべてが腑に落ちた。自分が澄香に妹の存在を疑う言葉を投げかけた時の、初めて見せた悲痛な表情。



「澄香は私が無理に生み出したから、たぶん存在がとても希薄なんです。常に自身に疑念を感じていて、その不安が現実とわかれば、不安定になってこの世から消える可能性がある。梨杏さんはそれをわかっていたから、私と澄香の関係性を伏せていたんだと思います」


「そんな…だってそれじゃあ、澄香があんまりかわいそうじゃないか」



 すみかは、すーっと一筋の涙を流す。


「そう…なんです。私は無意識とはいえ、とんでもないことをしてしまった。自分と同じくらいあなたを愛する女の子を生み出して、しかもその娘は、あなたと決して結ばれることのない妹になった。それはきっと、私よりも先に結ばれたら困るから」



 すみかはうつむいたまま、絞り出すように言う。


「…私はずるい。ずるくて、卑怯で、残酷な人間です」


「そんな…澄香自身は、妹という自覚はあるの?」


「わかりません。どこかで私の気持ちを感じて妹を演じていたのかもしれません。でも私と同じようにあなたを愛してるのは間違いないんです。なのに妹だなんて、どんなに辛かったか…」



 すみかの澄んだ碧の瞳から、改めて涙があふれる。 


「澄香…お前は本当に…優しいのも程々にしろよ…」


「ごめんなさい。私は決して許されないことをしました。私はあなたに愛される資格なんてない。最低の人間です」



 業を背負ったすみか。十字架を背負った澄香。2人の苦悩を知った貴明は動揺するが、すぐに本質的かつ決定的な考えに落ち着いた。



 …で?それが、何だってんだ?



 目の前で重い告白に震えるこの人は、クソみたいな自分を深く愛してくれる、この世で一番大切な人だ。何か言わないと。ここで何か言わないと。



「すみかちゃん!」


「はい…」


「俺が偉そうでわがままで、面倒くさいのは知ってるよね」


「…え?」


「確かに妹のことを思うと辛い。でもおかげで、俺がすべきことがわかったよ」


「貴明さん…」


「だって、俺には2人とも必要なんだ。それならやるこた決まってんだろ。例え神や梨杏と喧嘩してでも、どんな形になっても俺は2人と一緒にいる!もう決めた!」


「貴明さん…たかあ、さ…あなたって…」


 すみかは、涙で言葉にならない。



「どうすればいいかなんてわからない。けど必ずなんとかする。澄香のことは気に病む必要はないよ。だって、あいつも3人一緒にいたいって言うに決まってんだ。俺の妹は、君の想いに縛られるだけの人形じゃない。そんなにひ弱じゃないよ」




 一方、貴明の部屋。1人残された澄香は、2人の強い想いに感応したように叫ぶ。


「お兄ちゃん…私の大切な人…いつまでも一緒にいたい!あなたと一緒にいたい!それが叶うなら何もいらない…」



 その切なる想いはゲートの時空を超えて、すみかに激しくフィードバックする。熱く強大な情念がすみかに流れ込む。すみかは激しい頭痛を覚え、澄香の想いを察知した。


「そうよね。澄香、やっぱりあなたも…」


 澄香の決意を感じ取ったすみかは、覚悟を決めた表情に変わった。貴明はそんな彼女に、こちらも改めて決意を告げる。



「すみかちゃん、もう1回言うよ。俺はわがままで面倒くさいんだ。ちなみに神が味方だなんて思ったことは一度もないので、奴らの言いなりになることもありません!」


「…あなたって…本当に…」


「はは、馬鹿だと言いたいんだろ。でも、馬鹿だからできることもあるんだ!」



 言うなり貴明はがっしりとすみかを抱きしめる。瞬間、ドアが現れて引きずり戻されるのも計算ずくだ。


「私、あなたに会えて幸せ…」


 光に消えゆく貴明に、すみかは言葉で表現できる最大限の想いを吐露した。



「愛してる!愛してる!私は…すみかは一生あなたを愛します。大好きです!」




 部屋に戻った貴明。そこには床に突っ伏してボロボロに泣き崩れている澄香がいた。


「お兄…ちゃん…戻ってくれたの…澄香、1人になるんじゃないかって思って…」


「ったりめえだろ。澄香がいるこの世界が、俺のホームだ」


「おにい…」



 澄香が凄い勢いで貴明の胸に飛び込む。貴明は必死に彼女を抱きしめる。頭を撫でながら、落ち着いた様子で語りかける。



「ごめんな。俺は馬鹿すぎて、お前の気持ちなんてまるで考えてなかった」


「ううん、すみかちゃんは澄香なんでしょ。なんとなく、どこかに自分と同じ人がいるのは感じてた。だからすみかちゃんを愛してくれるのは、私を愛してくれるのと同じ」


「でもさ、澄香は今までずっと妹として…」


「うん。近くにいられて幸せだよ。けど、それと同じくらい寂しかったの」



 澄香が貴明から離れ、深刻な表情に変わる。


「でも私もずるい。結局ずっとみんなを騙してた」


「親も、だよな」


「そう。だから自分の正体がわかった今は、お母さんやお父さんの優しさが辛いの」


「あれ…?俺の妹は優秀だと思ってたけど、意外に頭悪いなあ」


「はい、澄香は救いようがありません」


「違うよ。お前は誰も騙してないし何も悪くないのに、自分をそんなふうに卑下するのが頭悪いって言ってるんだよ。だってお前は突然エクストリームの能力で生み出されて、自分が何者かもわからない不安を抱えたまま、得体の知れない力と戦ってきたんだろ」


「……」



「放り出された世界で、本当の家族もいないまま1人で頑張ってきた。なのに俺みたいな奴を想ってくれるだけでなく、会う人みんなから愛された。そんなの他の誰にできるんだよ」


「違う、私は汚くて忌むべき存在なのがハッキリわかりました。この世の何者でもない…」


「澄香!そんなこと言うな!」



 強い口調に、興奮で強張っていた澄香が一瞬ひるむ。不安と恐怖で震えが止まらないその小さな体を、貴明は改めてきつく抱きしめる。


「もういい、頑張りすぎるな。俺は最初から、いやこれからも一生お前の味方なんだから、死ぬほど甘えていいんだ。お前が甘えないなら、俺がお前に甘えるから結果は同じだぞ?ふふん」



「お兄ちゃん…私の大好きな…」



 澄香は堪えきれず、堰を切ったように慟哭する。



「あああああああああああああ!!!!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい‼︎」



「妹でもそうでなくても関係ない。俺にとって澄香は替えが効かないんだ。それにバンドの連中、紗英や理恵、美優だってお前が大好きなんだ。それは記憶の操作とは関係ないだろ?だいたいだな、俺様を操作しようだなんて100年早えんだよ!ざけんな神!ハハッ!」



「うあああああああああ!お兄ちゃん!お兄ちゃああん!」



 2人は時が止まったように抱きしめ合い、互いの体温で存在のかけがえのなさを確認し合う。残酷な運命に翻弄され、行くあての見えない2人にとっては、誠実な想いだけが今許された精いっぱいのリアルだった。

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