#9 I’m in a different world 〜時に異世界はいい世界なこともあると思ったりした

 4時間ほど電車に揺られ、2人は新潟駅に到着した。駅には両親が車で迎えに来ている。この車…白の色味が象牙のようにも見えるプジョー505。バブル期の東京でさえ滅多に見かけないマニアックなセダンだ。


一見地味だがピニンファリーナが描く極めて優美なライン、伝統の猫足がもたらすしっとりした乗り心地が、貴明は大好きだ。彼の趣味嗜好が全般的に天邪鬼で、車はポンコツなラテン車が好きなのは、こちらも少し変わり者の父の影響だ。


「相変わらずいい感じに枯れてるね。俺が免許取ったらもらうからな、親父」


「新しいの買ってからな。次は母さんと2人で乗れればいいから、フィアットやシトロエンの小さいのにしようと思ってんだ」


「ああ、パンダもいいね。AXや5、ミニも捨てがたいし迷うなあ」


「まずは免許取れ。そして修理地獄を味わえ。はははー」


 貴明の趣味は音楽と車しかないが、車趣味を一番深く話せるのは父であった。



「もう、会うなり車の話とか…ただいま!お母さん」


「澄香ちゃん!また綺麗になって。兄妹でこうも違うもんかねえ」


「なにい⁉︎ま、母さんも元気そうでいいけどさ」


 貴明は怪しげな能力を身につけさせられたが、こうして家族が揃うと何も変わりない時間が流れる。むろん能力や梨杏のことは親に話すつもりはない。



 4人は昼食のため古町へと流れる。実家とはいえ貴明が新潟市に住んだのは高校時代の3年だけ。地元意識はさほどないが、古町界隈の昭和レトロな雰囲気は貴明も澄香もお気に入りだ。そして2人とも新潟独特のかつ丼が大好物である。


「肉は薄くて小さめで玉子もないのに、美味いんだよなあ。俺は特製!7枚!」


「澄香も大好き。7枚で!」


「…よせ、食べきれない。どうせまたしれっと残すんだから、普通の4枚にしなさい」



 こういうとき、母と父は当然のように澄香の味方に回る。


「澄香が残したらあんたが食べればいいでしょ。相変わらず面倒くさいんだから」


「そうだぞ貴明、相変わらず面倒くさいな」


「何で俺が非難されんだよ!てか澄香に甘過ぎ」


「それがお兄ちゃんの人徳だよー」


「いや絶対違…あーっ!本当に7枚頼みやがった。絶対多いってそれ」


「えっへへー、この見た目の満足感がいいんだよ。大きいやつはさあ」


「見た目で満足する趣味やめい!残しても俺によこすなよ、いいか絶対よこすなよ!」


「あれー?振りですかあ?お兄ちゃん」



 両親は賑やかな2人を温かく見守る。そして澄香は予想どおり、


「お兄ちゃん。澄香はとても満足しました。さてどうでしょう」


 と、満面の笑みで残りのかつ丼を押し付けてきた。貴明は結局、妹が半分ほども残した分まで含め、計10.5枚のとんかつと1.6倍のご飯を片付ける羽目に。


「許す…まじ…澄香…」


 貴明ははちきれんばかりの腹をさすり、一同は家に帰った。




 部屋に戻った2人は、アルバムをめくりながら昔話をする。この家にある唯一のアルバムなのだが、写真が1ページに2枚くらいしかなくスカスカだ。



「ウチの写真はほとんどなくなったんだよな。あの火事のせいで」


 5年前。剣崎家は新潟市に来る直前、長野市に住んでいた。そこで隣家の火事が延焼し、家が全焼する不幸に見舞われる。幸いにして人的被害はなかったが、写真や子どもの頃の物など思い出の品はほとんど焼失してしまった。家族は心折れて、焼け出されるように父が転勤願を出し、この新潟に移り住んだのだった。


「子どもの頃の写真も、あれで焼けちゃったんだよ」


「残念だよね。そういえばお兄ちゃん、子どもの頃って覚えてる?」



 貴明は言葉に詰まる。幼少時の記憶は、景護と響子がいた阿寒以外はあまりないのだ。というか転々としたせいで各地ごちゃ混ぜになり、よくわからないという方が正確か。


「俺はあんまり…あっ?」


「なに?」


「いやなんでもない。お前こそ覚えてるの?」


「えへ、実は私も焼け出される前のことはあんまり」


「なんだ、大して変わらないじゃん」


「それよりお兄ちゃん!今、澄香に言えないようなことを思い出したでしょ」


「んなわけねえだろ、女の子の思い出なんて…」


「あーっ!澄香は女の子なんて一言も言ってませんー。へえー、ふうーん?」


 澄香はニカっと悪い笑顔で下から覗き込む。誘導尋問のつもりもなかったが兄の華麗な自爆により、興味津々の悪い顔になっている。



「ち、違うわ!女の子っても幼稚園の…ほらこの娘だよ。これ見て思い出したの」


 貴明が指差した一枚には、幼い貴明とともに大きな瞳の利発そうな女の子が写っていた。


「わー、お兄ちゃんも不自然に可愛いねー。で、この娘がお兄ちゃんの初恋?」


「いや園児だぞ?旭川にいた頃の幼なじみだよ。これは旭山動物園の遊園地。小さい汽車だったかな?昔は動物園なのにこういう遊具の方が人気でさ。今もあるのかな」


「ずるーい。澄香、行ったことないもん」


「そりゃあ澄香は、この頃ならまだ2歳とかだろうしな」


「ふーん。この娘、さぞ美人になってるでしょうね」


「だといいな…本当に」


「え?」



 澄香は、貴明の沈んだ表情を見て慌てる。そういえばこの写真を見つけてから、貴明はどうにも居場所のないような態度になっていた。


「…この娘な、自殺したんだ。中学生のとき」


 初めて聞く話の重さに、澄香はますます焦る。


「あ、あの…ごめんなさい…私知らなくて…」


「いいよ、澄香は面識ないから。こっちこそごめんな」


「ううん…」

 


 写真の娘…天枷恵美子は、6歳まで過ごしていた北海道旭川市でのご近所同士で、同じ幼稚園に通っていた。当時から貴明は斜に構えた面倒くさい子どもで友達が少なかったが、恵美子は委細おかまいなし。なぜか貴明には明るく大らかに接していた。


「わっ!貴明ちゃんまた転んだ!大丈夫?」


「なんもだ、大丈夫だからあっち行ってよ」


「何言ってんの、血が出てるっしょや」


「いいよー、痛くないから」


「だーめ!ちょっと傷見せてよ、あーもう!消毒!」


 恵美子は貴明の肘のスリ傷を拭き、軽く舐める。2人の関係性はまるで緩い主従関係のようであった。淡い初恋…否定はしたが、今も彼女を想うと心が痛む。



「む、むー!むむー‼︎」



 話を聞く澄香に、無駄な嫉妬心が芽生える。幼い頃の話であるのに加え、相手はもうこの世にいない。澄香はどうにも感情の行き場がない様子であった。


「俺が小学2年のときに引っ越して疎遠になったんだ。でも一度、中学の時に会いに来てくれてさ。嬉しかったのに、その1ヶ月後に…」


「……」 


「会った時は何も言ってなかったのにな。後で聞いたら、好きになった相手に酷い扱いをされて、思いが届かないのに絶望したらしいんだ」


「そんな…中学生なのに」


「そうだな。理由がそれなら、俺は何回死ななきゃならないんだか」


「なんだか悲しいし嫌だな。あ、ごめん、悪く言うつもりはないの」


 澄香は、貴明の手にそっと自らの手を重ねる。



「いいんだ。中学生が失恋で自殺なんてきっと間違ってる。もっとも何が正解かなんて誰にもわからないから、軽々しくは言えないけどな」


「うん…」


「当時は理解できなかったけどさ、例えば自分が好きな人に同じ目に遭わされたら…」   



「誰よそれ」


 この流れでそう来るか。やはりこの妹は侮れない。


「そ、それは…」


「どうせすみかちゃんでしょ」


「まあ、そうなるかな」


「澄香は?」


「え?」


「もし澄香が自殺して二度と会えなくなったら、お兄ちゃんはどうするんですか!」


「待て待て待て、なんか話がズレまくってないか?」


「あれれ?そうだね、おかしいね私。あは、あははは」



 一瞬見せた澄香の悲しい表情が、妙に心に食い込む。


「俺も悲しくて腹立たしくてどうしようもなくて、しばらく荒れたよ。直前に会ったのに何も理解できなくて、何もできなかったしな」


「お兄ちゃんらしいかも。変に責任を感じたんでしょ」


「かもな。でも、たかが中坊が、いきなり初恋の人が死んだって聞かされてもね…」


「いま初恋の人って言った」


「うっわ!…いや、やっぱそう…なのか?」



 当時の貴明は1週間学校を休み、その後3ヶ月は誰とも話をしなかった。教師もさすがに心配し、家に事情を聞きに来たほどの落ち込みようであった。


「やっぱり好きだったんだ、この娘のこと」


「だから幼稚園の…ああもうわかったよ!この娘が俺の初恋ですよ!これでいいか!」


「あは、やっと素直になりましたね。偉い偉い」


 澄香が大げさに抱きついてくる。


「澄香はね、自殺なんてしませんよ。安心して」


「そんな心配してないよ。はは」



 澄香は甘える猫のように肩に顔を寄せ、嬉しそうだ。こいつ意外に嫉妬深いのかななどと考えつつ、貴明は彼女の髪を撫でる。それは乱れた心まで癒す、滑らかな感触だった。

 



 夕食を終え、そろそろ休もうかという時間。だが貴明は心がざわついて眠れる気がしない。「ちょっと飲みに行ってくる」と言い残し、家を出た。澄香は心配そうに見つめながらも、今の貴明には自分が入る隙間がない気がして、後を追うのを自重した。


 ぼんやりと商店街を歩く貴明。正月なので開いている店は少ない中、灯のともる居酒屋を見つけた。だがドアを開けた瞬間、白い光に包まれる。


 恵美子を思い出したタイミングで飛ばされるということは…いや、会えるはずはない。もう彼女はこの世にいないのだ。でも阿寒のときのように、過去に飛ぶこともあるのか?貴明は数度のゲート通過を経験し、そんなことを考える余裕ができていた。



 気がついたら見覚えのある街にいた。ここは…駅からまっすぐ伸びる歩行者天国。昔ほどの賑わいはないが、それでも正月なりに楽しげな人たちが行き交う光景。



 北海道旭川駅前だ。何年ぶりだろう。なぜここに飛ばされたんだろう。どうせ飲むつもりだしいいかと思いながら、貴明は繁華街の3.6街に向かい、その前に一休み。イカス彫刻が点在するこの公園で、貴明のお気に入りはサックスのおっさんのベンチだ。



 ホットの缶コーヒーを手に、サックスを眺めながら何も考えずにぼーっとする。案外悪くないひとときだ。不意に「ここいいですか?」との声が聞こえ、隣に黒いダウンジャケット姿の女性が座る。とても綺麗な人だ。


そういや自分は子どもでわからなかったが、親父が、旭川は美人の産地と言っていたな。本当かもと思いつつ、整った横顔をチラチラと見やる。が、その人は意外にも貴明に話しかけてきた。



「お、お久しぶりです。元気そうだね、貴明ちゃん」


「???」


「あ、わかんないよね。ほらこれならどう?」



 彼女は長い髪を両手でツインテールにし、おどけてみせる。その髪型と表情には、確かにあの無邪気で明るい面影があった。


「え…まさかそんなはず…違ってたらごめん、ひょっとしたらえみちゃ…」


「すごい!わかってくれて嬉しいな。私も嬉しい、やっと会えた…」


 

 ゲートは神の力とはいえデタラメすぎる。故人が蘇るとかどんだけだよ。


「い、いやあの…どうして…だって中学の時…」


「私、死んじゃったんだよね。でもね、本当はこうして生きてるんだ」


「意味がわから…いや、もしかして」


「一つの世界で私は死んだ。いえ、正直いうと死んだのかどうなのか、正確には自分でもわからないの」



 確実にゲートが絡んでいる。ならば信じられる話かもしれない。だがそれはそれとして1月の旭川は寒すぎる。街に立つ温度計は−15℃という狂った数値を示し、あたたか〜い缶コーヒーはとっくにつめた〜いに堕していた。



「さ、寒いし、どこかで飲んで話しませんか、えみ…天枷さん」


「あはは、変なの。えみちゃんでいいよ、私も貴明ちゃんって呼ぶから。敬語もなし。いいでしょ」


「わかったよ、えみちゃん」



 何度かゲートをくぐったが、今日は一番不思議でわけがわからない。だが店に入り高砂の熱燗を口にするうち、少しずつ頭が整理されてきた。


「とりあえず喜んでいいのかな。えみちゃんが生きてたことに」


「うん、夢でもお化けでもないよ。ちゃんと成長してるでしょ」


「同じ20歳だもんね。でも中学の頃からはぜんぜん変わってないよ」


「またー、さっきはわからなかったじゃない」


「そりゃそうだよ。見た目じゃなくて、こっちは死んだと思ってるから…」


 居酒屋とはいえ、言葉には気をつけた方がよさそうだ。



「で、どういうことなの?まあだいたいわかるけど」


「わかるって?」


「ゲートだろ。光るドア」


「すごい。それを知ってるということはあなたも?」


「うん。俺もエクスペリエンストなんだ」



 恵美子は驚きを隠せない。


「そうなの⁉︎誰かがドアでここに来るというのは感じたのよ。貴明ちゃんだったんだ」


「昔の写真を見てえみちゃんを思い出してたら、ドアで飛ばされたんだ」


「あ!写真って旭山動物園の…」


「汽車!」


 2人は声を合わせる。


 

「私もその写真持ってるよ。初恋の人との思い出だもんね」


 サラッと口にした恵美子の言葉に、貴明は気恥ずかしさをごまかすようにグイッと燗酒を飲み干す。恵美子の方が余裕があるようで、楽しそうにおちょこを傾けている。


「私さ、中学の頃に貴明ちゃんに会いに行ったでしょ。もう自分も世の中も嫌になって、死ぬことばかり考えてた時だよ」



 恵美子は、グイグイとおちょこを空けながら重い話を軽く話す。


「死ぬ前に、会いたい人に会っておこうって思ったの。どうにか連絡先を調べて、最後にやっと会えたのが貴明ちゃんなんだ。安心したなあ。もう思い残すことはないって」


「そんな…」


 貴明は泣きそうである。


「でも、現にえみちゃんは死なずにここに…」



 ハッと気づく貴明。「ここ」?なるほど、仮に恵美子がここアザーサイドの旭川に飛んだままだとしたら、元々貴明と一緒にいたオーディナリー・ワールドには存在しなくなる。


「そうか、ずっとこっちの世界にいたんだ」


「うん。自分の部屋のドアノブに紐をかけて、首を通していよいよ…ってとこで、ドアが赤くなったの」


 生々しい状況に、貴明は息を呑む。


「そのまま私はドアに引き込まれて、ここにいる。でも一番不思議だったのは…」


「なに?」


「こっちにはあの人がいないの。私が勝手に愛して、勝手に苦しんで、この手で殺したいとさえ思った人がいないのよ」



 理解できてきた。アザーサイドにある少しの環境の違い。恵美子の場合、愛憎入り混じる交際相手が存在しなかったようだ。


「こっちではもう死んでるとか?」


「ううん、誰に聞いてもそんな人は知らないって。怖かったよ。もともと存在しないのか、ほかの街にいるのか。でもとにかく、こっちでは出会うことはないと感じたの」



 ホラーじみた話ではあるが、自殺まで図った失恋の荒療治としては有効…なのか?


「寂しくなかった?」


「狂いそうだったよ。私がこっちに来た時、一緒に彼を消してしまったのかもって。でもきっとこっちの世界のどこかで、日本でもないのかもしれないけれど、彼は違う人生を生きていることは実感できたのよ」


「ああ、そういう感覚は俺にもわかるよ」


「ありがと。それがわかって解放された気がしたわ。時間はかかったけどね」


「ふうん。神も粋なことするんだな。俺には鬼のようだけどな」



 安堵と酒のせいで気分が良くなった貴明だが、まだ気になることがあった。


「周りの人は?死なないまでも、君がいなくなって悲しんだろ。ご両親は特に」


「そう。彼のことがどうでも良くなったら、今度はそれが気になって苦しくて」


 大事な娘が中学生で自殺したという事実は、元々いた側の両親には変わらないはずだ。



「私はもう、元いた世界には戻れないみたいなの。ドアがあまり出なくなったし、たまに出せても入れない。でもこっちにも全く同じ両親や友達がいて、日常も連続してるのよね。彼以外は全部同じ。でもやっぱり何かが違った」


 確かに同じ両親が存在しているとはいえ、それは本当に元々の両親といえるのか?気の持ち方次第かもしれないが、難しい問題かもしれない。



「ご両親は本当に心を痛めたと聞いたよ」


「そう…私、私は…」


 恵美子は、一瞬ためらった後に酒をあおり、感情をあらわにする。



「馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿で!本当に大馬鹿で‼︎」 



 悔しそうに吐き捨てる。大きな瞳から大粒の涙が流れる。


「こっちの両親も全く同じなんだから、そのままでもよかった。でも私は、勝手して残してきた元の世界の両親を考えると…」


 確かに戻れないのは致命的だ。想いを伝える手段さえなく、その意味では死も同然だ。


「私、どうやっていいかわからなかったけど、とにかく元の世界の両親に会って謝りたいって強く願ったの。そしたらある日、ドアから2人が現れて…」


 そんなことがあるのか。家族全員がエクスペリエンストなんてあり得るのか?ないとすれば、恵美子が自身の力で呼び寄せたのか。いずれにしても馬鹿げている。


 

「でもそうなると、こっちの世界にはご両親が2組いるの?」


「ううん、1組だけだよ。来てくれて家族が融合したみたい。そのまま家に帰って普通に生活して、今も家にいるよ」


「融合って…ドアにはわからんことが多すぎるな。でも見た目は同じだろうし、元の世界の両親だってどうしてわかったの?」


「そこは一番簡単だったよ。だって、ドアから来た両親は…」


 また一層の涙を流す恵美子。



「再会した瞬間、私が生きてたって知って、大泣きして抱きしめてくれたんだもの!」


「そうか…素敵なご両親だね」


「遺書を書いたのに、遺体が見つかるまで葬儀はしないことにしてたんだって。一生待つって決めていたんだって。貴明ちゃん、私の親はね、私が生きてるのを信じていてくれたの」


 恵美子の告白に、貴明は涙があふれる。恵美子も号泣していた。周囲が驚く中、手を取り合って互いを気遣う2人。少し落ち着くと近況の話になった。


 

「ねえ貴明ちゃん、今彼女いるの?」


「うん。最近できた。えみちゃんだから話すけど、その娘もエクスペリエンストなんだ」


「すごいね!私は恋愛なんてこりごり。でも、いい出会いがないだけかなあ」


「今度はさ、信頼できる人に会えるといいね」


「そうだね。じゃ例えばこういう人は?初恋の人を想って時空を飛び越えちゃう、馬鹿な人」


「それはいいな。そんな馬鹿ならむしろ…って俺かよ⁉︎」


「あはは。なんだか楽しいな私。会えてよかった」


「こっちに来ないと会えないのなら、たまに来てもいいかな」


「本当⁉︎けど難しいかな。私だんだん能力が消えてるの。来てくれても会えないかも」


「たぶん大丈夫だよ。俺が強く思えば、きっと近くにはえみちゃんがいるはずだから」



 貴明は、恵美子とは逆に自身の力が強まってきているのを感じていた。本当にいつでも会える気がしていた。


「うん待ってる。でも次に来るのは、彼女に振られてからにしてね」


「なんでだよ!えみちゃんまで俺が振られる前提かよ、酷いなあ。ははは」

 恵美子の表情にほんの一分の本気が混じっていたことに、貴明は気づくはずもなかった。



 帰る時に居酒屋のドアを開ければ、すぐに新潟の家に戻れると感じていた。思った通り現れたドアの光の中、再会を約束しながら恵美子に別れを告げる。部屋に入ると澄香が起きていて、不安げな表情で貴明の帰りを待っていた。


「ごめん、起こしちゃったか」


「ううん、なんだか気になって…待ってたの」


 澄香の顔を見た瞬間、一気に感情が昂った。恵美子が生きていた安堵。本気で心配してくれる妹。いろんな想いが複雑に入り混じる。普通じゃいられない。



「お兄ちゃん…泣いてるの?どこか痛いの?」


「んなわけねえよ!」



 貴明は澄香に背を向けて胡座をかく。澄香は何も聞かずその背を優しく抱き、後ろから貴明にぴたりと重なった。貴明はドキッとしつつも、首に回された澄香の手をきゅっと握る。


「俺は…勝手にいじけて、輪に入るのを拒んで…嫌な奴だよな…」

「お兄ちゃん…」


 澄香はより強く貴明を抱きしめる。それはどんな言葉も上回る、澄香にしか表現できない優しさと温もり。包み込まれ、貴明は改めて泣いた。背後の澄香の表情はわからないが、彼女の貴明を見つめる眼差しは、柔らかな慈愛に満ちていた。




 翌日、貴明は両親に恵美子のことを聞く。


「親父、天枷さんのこと覚えてる?」


「ああ、旭川の。娘さんは残念だったな」


「ご両親はよほど辛かったのね。自殺から3ヶ月くらい経って、2人ともいなくなっちゃったのよ」


 恵美子の話と符合する。やはり彼女が親をアザーサイドに呼び寄せたのだ。


「それがさ、えみちゃん、生きてたんだ。しばらく行方不明だったけど何年か前に家に戻っ

たってさ。昨日連絡が取れて、ご両親も元気だって」


「えっ⁉︎」「本当か!」



 ここで、なぜか澄香が泣き始めた。昨日はあえて聞かなかったが、貴明の辛そうで複雑な表情が気がかりだったようだ。


「よ…よかったねお兄ちゃん…」


「うんよかった。本当によかったよ」



 母が、泣きじゃくる澄香の頭を撫でながらしみじみと言う。


「やっぱりね、それぞれ理由はあってもさ、子が親より先に死ぬのはね。ね、お父さん」


「そうだな。辛かったろうなあ天枷さん。でもよかったよ、生きてたんなら何よりだ」


「よがっだねお兄ぢゃーん!びえーん!」


「お前それしか言ってないな、ほら顔拭け!」

 


 

 1月7日、東京。学校が始まるまでしばらくあるが、貴明はライブがあるため戻ってきた。澄香も今は実家にいるより貴明と一緒にいたかったようで、明日から貴明の部屋に泊まり込む気らしい。いつものように寮まで澄香を送り届け、別れ際、


「澄香…今回はありがとな。お前って本当に…」


「うん。なあに?」


「いや、もしお前が妹じゃなかったら、俺様が付き合ってやってもいいと思ってさ。実は意外にモテないらしいし?はははー」


「ばっばっばっ馬鹿なんじゃないの!何言ってんだかほんと変態!ガチ変!」



 澄香はバンッと破裂したように一瞬で赤面。なぜかちょっかいを出した貴明も真っ赤だ。いつもながらの馬鹿兄妹である。

 


 貴明が部屋に戻ると当たり前のように梨杏がいた。すっかり部屋に馴染んでいる。


「お帰り。疲れたろ」


「うん疲れた。いろいろありすぎたわ」


 貴明は興奮気味に恵美子のことを話す。一通り聞いた梨杏は、



「それが本当なら、その娘は『エクストリーム』だな」


「エクスペリエンストじゃなくて?」


「エクストリーム・エクスペリエンスト【極端な経験者】。エクスペリエンストの中でも特殊な力を持つ者だよ。非能力者を遠隔でゲートに通すなんて驚異的だわ。ありえない」


「でも能力のおかげでえみちゃんは生きてたんだ。神もたまにはいいことするね」


「そりゃそうさ、神はいつも人間のことを考えてる…わけでもないか」


「だろ?勝手なやつらだぜ。はは」



「ただ、状況を作るのも打破するのも人間だからね。私たちは中立を保つ傍観者でしかなく、手助けはできない。というより手助けは人間に対しておこがましい行為とみなされて、我々の間では禁忌とされているんだよ」


「へえ、神のくせに人間を尊重するのか。てか梨杏がまともなことを言うと不気味だな」



 貴明が梨杏をからかう。梨杏は逆襲だとばかりに、悪い笑顔で話題を変えた。


「うふふ。ところで貴明。2年参りはずいぶんと熱かったようだねえ」


「なっ、なんだ!何を知っている⁉︎うっわ、とめどなく悪い顔!」


「ふふん、おおむね全部だよ。紗英とキスしたのもすみかとキスしたのも。新年早々、美女とキス三昧のエロエロ大王ですなあ」


「うわあああ、どこで見てた!梨杏のアホー!ヨゴレ使い魔!」



「私は神出鬼没なんだよ。神だけにね。ふふふ」


「別に上手くねえよ、そのまんまじゃねえか。ならむしろ鬼のように没してくれ。ちっくしょー火から顔、いや顔から火が出そうだ」


「はっはっはー、いいねえ人間の恋愛は。一番面白いわ」



 梨杏がいると気が休まらないが、ドアについて推測混じりでも情報を得られるのは大きい。彼女はさらに驚くことを言い出した。



「確証はないけど私の見立てでは、すみかもエクストリームじゃないかと思うんだ」


「そういや能力が強めとは言っていたな。どんな力があるんだ?」


「わからない。エクストリームの力は一人一人違うから」


「ふうん。ま俺には、すみかちゃんは存在自体がエクストリームだけどな」


「はいはいよしよし。もうお休み」



 正負入り混じった様々な想いに遭遇し、貴明たちが少し大人になった正月も過ぎてゆく。明日から澄香が部屋に来る。今は澄香には素直に感謝しているし、優しくしてやろうなどと考えながら、貴明は眠りについた。

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