#7 New year’s day 〜年始の凛とした空気の中どこまでも彼女は気高く美しかった

 今年の締めくくりとなるクリスマスライブ。澄香はやはり来ないが、紗英や理恵のほか同級生数人が観客として集まった。それが証明するとおり、Back Door Menの実力は学内で一目置かれるようになっており、モチベーションは十分だ。クールな透矢もいつになく乗っているようで、汗だくでソロを弾きまくる。ラスト2曲では相棒RK–100を持って前に出た貴明とベースの達哉を加えた3人が絡み、熱気も最高潮だ。


 前に出たことで客席が見やすくなった貴明は、すみかの姿を探す。だがピンクのキャスケットはどこにも見えなかった。


 やっぱり来てない。こないだも気まずかったし…などと考えつつもここはノリに身を任せ、ライブは大盛り上がりのうちに終了した。



「みんな素敵だったよ!やっぱりすごいわあんたたち」


 理恵が興奮した様子でバックステージに乱入し、メンバーの輪に割って入る。理恵はぐいぐい体を押し付けてもおかまいなしで、4人はそのふわふわした感触を味わい感涙にむせぶ。


「ありがとう!理恵ちゃんが応援してくれたおかげだよ」



 相変わらず調子のいい透矢。貴明はしょうがねえなあと周りを見ると、どうも紗英にいつもの勢いがないようだ。


「どした紗英、おかしげな病気でももらったか?」


「何よ失礼ね。あ、今日も良かったわよ。ふん」


「そりゃどうも。いつもみたく、透矢にくっつきに行けばいいのに」


 貴明は笑いながら紗英をからかう。



「うっさいバカ明!私の勝手でしょ」


「変わらずキツイですねー。でも来てくれてありがとな。紗英が見てくれると嬉しいよ」


「ふ、ふん!」



 少し元気のない紗英を気にしつつも、貴明は透矢に目下の関心事を聞く。


「今日はあの娘、来てなかったか?」


「ああ…いたけどほんの短い間じゃないかな。気づいたらいなくなってた」


「そうか…でも来てたのか」


 会えなかったけど、来てくれた。謎が増大する状況であっても、いやだからこそ、それだけで貴明の心は躍った。




 学校は冬休みに入っており、しばらくはバンド活動もないので、仲間たちとは会う機会が少なくなる。なんだかんだ人とのつながりの大切さを実感する出来事が続いたせいか、貴明は珍しくこんな提案をした。


「なあ、来れる奴だけでいいけどさ、2年参りをしないか?大晦日の夜に集まってさ、明治神宮…は混みすぎるから、も少し静かな神社で。どう?」


 言い終わらないうちに、紗英が今日一番の勢いで入ってくる。


「いい!それいい!あんた珍しくいいこと言った!」


「そうだな、このメンツでは最後かもしれないしな」



 達哉の言葉に、一瞬しんみりとした空気が漂う。


「達哉!何言って…じゃそゆことで、幹事は理恵ちゃんにお願いしていいかな」


 透矢が理恵に大役を依頼する。姉御肌で仕切上手の理恵は人望が厚く、理恵なら大丈夫という信頼感がある。


「いいよ!任せなさい」


 こつんと胸を叩く理恵。その癖をわかっている男子はいつも通り胸の揺れに釘付けだ。ついでに、他の女子の笑顔が引きつるのもいつも通りだった。



 貴明はこんな提案をした自分自身に驚いていた。ドアのおかげかもしれないと考えていると、透矢が無駄にヘッドロックをしながら目を輝かせる。


「おいタカアキ、お前が切り出したからには澄香ちゃんも来るんだろうな」


 全員が期待を込めて貴明を見る。澄香は貴明の同級生と頻繁に会うことはなく、数回遊ん

だ程度だ。なのに、みんなが澄香を好きになっていた。愛くるしいルックスに素直な性格。澄香には人を惹きつける天性の魅力があるのだ。


「ええ…どうしようかな。一応声はかけてみるけど、あいつは実家に帰るんじゃないか」


 妹連れに気乗りしない様子の貴明に非難が殺到する。四面楚歌の貴明は、


「わ、わかったわかりましたよ。本人次第だけどなるべく呼ぶから!」


 本人の同意を待たずに慌てて宣言し、どうにか難を逃れた。



 軽い打ち上げが終わり部屋に帰ると、クリスマスの飾りの中に澄香と梨杏がいた。2人は声を合わせて楽しそうに貴明を迎える。


「お兄ちゃん!」「貴明!」


「メリークリスマス!」


 梨杏がサンタ、澄香がトナカイのコスチューム。共にヘソ出しミニスカで無駄にエロい。



「おわっ、なんだその服」


「えへー、可愛いでしょ」


「どうせ梨杏の悪影響だろ。梨杏!澄香に変な格好は…」


「鼻の下伸ばして何言ってんの、むしろナイスアシストであると称えるが良い」


「へいへい可愛い可愛い。てか澄香!このBGM!やっとわかってくれたか。やっぱりダーレン・ラヴが至高だよな!」


「えへへ、去年はビング・クロスビーで古いとか文句言われたからね。フィル・スペクターだって十分古いのにさ、面倒くさ…」


 

 などとひとしきり騒ぎ、クリスマスケーキを囲む3人。


「なあ澄香、年内に実家に帰るつもりだったか?」


「一緒に帰ろ?お兄ちゃんに合わせるよ」


「そうか。いや、なりゆきでさ、大晦日に学校の連中と2年参りを…」


 言い終わらないうちに澄香と梨杏が同時に手を挙げ、同時に答えた。


「私も行く!」「私も行く!」


「それはよかった…って梨杏、お前はどうかと思いますが?」


「酷い!貴明がいじめるよ澄香ちゃん」


「そうだよお兄ちゃん!いいじゃん梨杏さんも一緒で」



 澄香には、苦し紛れに梨杏は後輩ということにしているが当然大嘘。むしろ学校の誰一人として梨杏を知らないのだから、連れて行けば2年越しに悲惨な状況になるのは確実だ。


「でも梨杏、親戚のとこに行くから年末は外国だって言ってたじゃん」


(お前が来ると面倒なんだよ)と、目配せで伝える貴明。梨杏はハッと気づき、渋々承知したようで、


「そ/そうだったねー/じゃ今年は仕方ないかあ」


「う/うん/また来年な」


「なんで2人で棒読みなのよ。まあしょうがないね」

 

澄香はあまり納得していないが、梨杏が来るのはどうにか阻止できたようだ。本当に余計なことを言うヨゴレ使い魔である。



「そうだお兄ちゃん、あの娘は来ないの?ほら、私と同じすみかちゃん」


 よく考えたらすみかの住所も連絡先も知らない。そもそもアザーサイドの住人なのだから、普段はこっちにいる可能性が低いのだ。


「お参りついでにそのまま最後まで行って果てちゃえー!この罰当たりー」


 梨杏の悪魔的な発言に、つい、初詣がすみかと一緒なら…と貴明は幸福な妄想をする。


「ほーら澄香、これがよからぬ妄想をしてる男の顔だよー。猥褻だねー」


「うわあ梨杏さん、いつにも増して助平ですねー。危ないですねー」


「お前ら!いいからもう寝ろー!」


「はーい」「はーい」



 2人同時に返事をして、一緒に就寝の準備をし、一緒にベッドに潜り込む。澄香は梨杏といると存外楽しそうだ。その様子になんだか自分まで嬉しくなってしまう貴明であった。




 大晦日。澄香と貴明は2年参りの待ち合わせ場所にいた。振袖姿の澄香は、いつにも増して華やいでいる。悔しいが確かに可愛いなと兄さえも見惚れるほどなのだから、通りがかるたいていの男が二度見していたのを貴明は気づいていた。


「少し早かったね。でも楽しいな」


「ったくなんだこの人混みは。わざわざ一番混んでるときに来ようなどといったい誰が…」


「あんたでしょ。あー澄香ちゃん!晴れ着可愛いー!」



 晴れ着姿の紗英が2人を見つけ、すぐにツッコミを入れてきた。理恵もいるが、こっちはいつもの露出過多な服をフェイクファー付きのロングコートで包んでいた。


「紗英さんお久しぶりです。やっぱり綺麗な人が着物を着るともっと綺麗ですねー」


「なーに言ってんの、澄香ちゃんが一番可愛いって。てか慣れないから早く着替えたいのよ。人多すぎだしさ」



 文句を言いながら笑う紗英の後ろに、もう1人晴れ着姿の女の子がいた。貴明が声をかける。



「美優か!珍しいね。紗英と一緒に来たの?」


「サエリエに誘われたら来るしかないでしょ。私も一度はしてみたかったしね、初詣。うわーこの人混み、熱気!これこれ、これよー!」


 美優のキャラにないはしゃぎっぷりに、少し驚く貴明。なお最近の紗英と理恵は内外からサエリエの愛称で1セットになっており、どんどん人気が上がっている。


「美優さんですか、初めまして。私、剣崎の妹の澄香といいます」


「あどうも、足利美優です…っていうか噂以上の美少女!しっかりしてるのね。ね、いそべ巻き食べる?いやー可愛いなー、欲しいなーこれ、貴明くん、本当に兄妹なの?」


「ったくどいつもこいつも…」



 澄香は心なしか不満げな、複雑な表情で、美優や紗英を改めて見る。


「どした?澄香」


「いや…周りにこんなに綺麗な人ばかりいるんだな、と思ってさ。なのにこの不肖の兄は…はあ」


「なんだよ?」


「あはー!貴明がモテないって話でしょ。だってこの人、音楽が恋人とか言って女の子に見向きもしないのよー。そりゃあ女としちゃ面倒くさいよねえ!あはははー!」



 理恵が変なテンションで絡んでくる。振る舞い酒でだいぶ仕上がってるな。絡まれながら歩くうち、透矢たちの姿が見えた。



「おーい透矢!この酔っ払いをどうにかして…うわっ!」


 同級生たちの中から透矢と達哉が猛烈な勢いで抜け出し、貴明を3mほど吹っと飛ばしながら澄香に突進する。


「久しぶり!今日は澄香ちゃんが来るって言うから俺も来たんだよ。いいね!若いっていいね」


「やー、いつ見ても可愛いねー。晴れ着最高だよ、やっぱ女子高生は肌が違うね!」


 この後、2人が同級生女子からたいへん厳しいバッシングを浴びたのは言うまでもない。



 美優と澄香は初対面ながらすっかり意気投合した様子で、透矢や達哉たちと一緒に露店巡りで盛り上がっている。片や貴明はサエリエと一緒のグループになり、なんとなく一行は二手に分かれていた。ま、透矢や美優といれば澄香は安心…いや待てよ、透矢は状況次第では最も危ねえなとブツクサ言いながら歩く貴明に、紗英が突っこむ。


「まーた澄香ちゃんの心配してんでしょ。ほんとに妹馬鹿なんだから」


「いや妹馬鹿じゃなく馬鹿妹の心配を…そういや紗英、元気そうで良かった。ライブの時は元気なさげだったからさ」


紗英が困惑したように赤面する。



「だ、大丈夫よ最初からなんともないんだから。もう、なんで時々優しいのよ…バカ」


「え?何か言った?人がすごくて聞こえな…」


「い、いいの別に!」


 花柄のガマ口バッグを貴明の顔に押し付ける紗英。そんな様子を理恵は微笑ましく眺める。やがて澄香が、美優と透矢の猛アタックから逃げるように合流した。



「お兄ちゃん!ちょ、助け…うわあ美優さん、そんな大きいのもう食べらんないって!ひいいい」


「やっぱ露店ったらりんご飴でしょおー!うははーたーのしいなー初詣ー!」


「美優ちゃんって意外にノリいいんだねえ、気に入った!こんど飲み行こっかー!澄香ちゃんも一緒に!」


「いやあの、私高校生で…ははは、はは」



 澄香以外は振る舞い酒やビールを飲みながら歩いているので、なかなかいい具合に酔いが回っている。澄香は半分本気で困っている。


「お前ら…ったくしょうがねえなあ。ほら行くぞ澄香!」


 貴明が少し強引に澄香の手を引き、澄香はほっとする。数人で社殿に向かうと順番に押し出され、左の賽銭箱には貴明、澄香、紗英、理恵の4人が割り当てられた。



(今年の願いは一つ!すみかちゃんに会いたい!すみかすみかすみか…)


 貴明は懸命に、愚鈍なほど純粋にすみかへの想いを祈る。だがいかんせん想いが強すぎた。力み過ぎたのか、だんだん心の声がダダ漏れになってしまう。


「すみかすみかすみかすみか…」



 祈りどころか普通に名前を連呼する貴明。隣の澄香はボッ!と音がするほど瞬間的に紅潮しながらアワアワと困惑し、サエリエは手を合わせながら笑いを堪えるのに必死だ。


「ばっばっばか兄貴、何言ってんのよこんなとこで!」


「んあ?すみかすみ…おう澄香、ちゃんとお願いしたか…うおおっ?し、しまっ…」


「あっははは!やっぱりどシスコンなんじゃないの!」


「もうね面白すぎるわ。そりゃあモテないわ貴明!」



 澄香は赤面しすぎて顔を上げられない。もちろん自分のことではなく、すみかのことであるとわかってはいるのだが、これはさすがにキツイ。


 貴明の方も下を向きっぱなしで、サエリエのいじりに対応する余裕がない。隣の賽銭箱にいた透矢と達哉組も半笑いでこっちを見ながら、


「うん。やっぱり貴明がいると何かが起きるな」


「相変わらず、音楽以外はアホが突き抜けてるなあ」


 全員が合流した途端、貴明をネタにしばらく爆笑が続いた。



 大騒ぎしながらもお参りは終わり、一同は散開状態。「今年もよろしくー!」と言い合いながら、数人に分かれてそれぞれ露店を楽しんだりおみくじを引いたりしていた。


 ちなみに貴明は「俺の運命は神には決めさせねえ。巫女さんなら許す」などと言っておみくじは引かない派。ということを澄香がみんなにバラすと、より一層の面倒くせえ奴評価が定着した。



 喧騒に疲れた貴明はベンチに座る。いつのまにか紗英がついてきて、隣に座った。


「あ、紗英。疲れたね。ライブの方がラクだわ」


「あんたはそうでしょうね。ほら、私は神様を信じてるから、おみくじを引いたよ」


「ああそう、ってここで開けるのかよ。1人で読むもんだろ、そういうのはさ」


「いいじゃない一緒に見てもさ。じゃ、開けまーす」



 紗英がおみくじを一緒に見るため、ぴったりと寄り添う。貴明は少し驚きながら、紗英のなめらかな指の動きに見惚れていた。


「第四三三番、中吉だって!待ち人近くに居る!ほらほら見てよ!」


 中吉よりも番号が気になる。四三三…433?次いで紗英も気づき、その数字にハッとしたまま2人でしばし固まる。この数字で共通の記憶といえば、あの433号室。アザーサイドの池袋で一緒に入ったホテルの部屋であった。


 貴明はジョン・ケージの「4分33秒」と同じと思い、覚えていた。ちなみに貴明は、見聞きするほぼ全ての事象を音楽に結びつける変態である。



 紗英は、貴明と初めて来た部屋の番号として覚えていたのかもしれない。とはいえ今ここにいる紗英は、アザーサイドの紗英とは違うはずだ。そういえば梨杏が、アザーサイドはこっち側と相互に影響する例がある、などと言ってはいたが。本当なのか?



「あれ?私おかしいかも。最近、貴明ととっても近くにいたような…433ってさ…」


 いつになく真剣で、かつ切ない表情で話す紗英。まさか、あの時の記憶が本当にこっちの紗英にもあるのか?


「そんなわけないだろ。だいたい紗英が俺をまともに相手にしたことなんて一度だってあったかよ」


 あれは現実じゃなかったことを再確認したい。でないとまたおかしな夢を見そうだ。


「そうよね。でもさ貴明、私ひょっとしたら、どこかであなたと同じ部屋にいなかった?私、それがとても幸せで…」


「だからそんなはずないだろ。本当に調子悪くないか紗英?」




 ベンチから少し離れた木陰。澄香と理恵が、苦しげな面持ちで2人を見守っていた。


「そっか、好きなのは紗英さんのほうだったんだ…」


「紗英はね、ああ見えて一途で不器用なのよ。何やっても才能あるのに、何やっても間が悪くてさ。損ばっかしてるの。どうせ告るんならもっと早くすればよかったのに、どうしてこんなタイミングでやるかなあ」


「えっ?」


 全てを見透かしたような理恵の言葉に、ドキッとする澄香。



「あの娘は貴明の音楽の才能に嫉妬して、素直になれないところがあるのよ。音楽で張り合っても誰も貴明には敵わないのにね。あーあ、今は最悪だ。他に好きな人いるんでしょ?貴明」


「ど、どうしてそこまで…理恵さん?」


「あは、だって貴明だもん。少し前から紗英への態度が変わったんだよね。余裕ができたっていうかさ。あんまりわかりやすくて、さすがの紗英もおかしいと感じて焦っちゃったかな」


「お兄ちゃんは、元々は紗英さんが好きだったんだと思います。もっと前にどっちかが告白していれば…」


「付き合ってたかもね。でも紗英が悪いのよ。照れ隠しなのか、透矢をダシにして貴明のそばにいようとしたりとかさ。それじゃ貴明でなくても、実は自分に興味があるだなんて思わないよね」


「お兄ちゃん、鈍感すぎるよ…紗英さんが…」


「今はダメだよ、紗英…」




「体はどこも悪くないよ。貴明、私はきっと…あなたを…」


 これ以上甘い声を聞くと流されてしまう。これがほんの1週間前、すみかと気持ちが通い合う前だったなら、何の憂いもなく紗英を受け入れただろう。だが今は…。


 貴明は紗英をリスペクトしている。だからこそ、それがどんなに残酷な言葉でも伝えなければならなかった。紗英が決定的な言葉を口にする前に。この誇り高く美しい人に、自分のことで恥をかかせるわけにはいかない。


「紗英」


「なあに?」


「あ、あのさ!俺さ…俺、好きな人ができたんだ」


「えっ……」


「学校とは関係ない娘。俺を想ってくれてる。す、すごいだろ、人生で初めてなんだ」



 貴明はいつもの調子で強がってみせる。だがその声は震えていた。


「だから紗英、ご、ごめ…」


「あ…ああ…そう…なんだ…」


 絶望的な言葉を聞いても、紗英は泣かなかった。取り乱しもしなかった。



(私は泣かない。失恋?これは違う。何も始まってないのだから失ってもいない。でも後悔が止まらない…。この人は悪くない。私が変な意地を張っていたせいだ)



 それでもあふれそうになる涙を堪えながら、精一杯強がる紗英。むしろ密かに見守る澄香の方が、嗚咽を抑えるのに必死だ。



「こら、このバカ明!」


「うん?」


「あーんたさ、誰を振ったかわかってんでしょうね。私はね、3年、いや2年後には、クラスの誰も手が届かない存在になってんのよ」


「そうだな、俺もそう信じてる」


「ふん!だからね、あんたには特別にチャンスをあげるわ。どうせあんた、その人にはすぐにコテンパンに振られるんだから…」


「そうかもな。いやそんなことねーよ!」


「その時には、1回だけ私に告白するチャンスをあげる。あと、もう1曲私のために曲を作らせてあげる。それで許してあげる」


「意味がわから…いや、ごめん…」


「許してあげるって言ってるでしょ!もう!」



 その刹那、紗英の唇が貴明の唇に熱く重なり、無理やり言葉をさえぎった。貴明は、今の自分が紗英にかける言葉など、全てが無意味なのだと知った。



「紗英…」


「うっさーい!うっさいうっさいうっさい!あんたが上から目線なんて100万年早いのよ!逃した魚は大きいって、いいだけ後悔するがいいわ。ざまあみろ!ふん!」



 紗英はくるりと踵を返し、二度と貴明を振り返らず、足早に澄香と理恵のいる木陰に向かう。紗英はいつから2人がいることに気づいていたんだろう。むろん、貴明はここで初めて2人の存在を知る鈍感ぶりであったが。

 


「理恵っ!私は…私は泣かない!」


「知ってる。だから私は、あんたが好きなんだ」



 紗英は、理恵の胸に顔を埋める。ふわっと抱きしめる理恵。そう時間が経たないうちに、胸の谷間に熱いしずくが一筋流れるのを感じた。



「馬鹿だね。何だって上手くやれるのに、いっつも強がって貧乏くじ引いて。でもね、紗英はそれがカッコいいのよ。私はいつも、あんたの才能に嫉妬してるんだよ」


 そのまま声を殺してむせび泣く紗英。隣には、耐えきれず大声を上げて泣きじゃくる澄香。理恵は澄香もそっと抱き寄せ、2人もろとも大きく温かく包み込んだ。



 そんな光景を見た貴明は、いたたまれない感情でいっぱいになる。心に何本もの鋭いトゲが食い込む。だが同時に3人をとても羨ましく感じた。俺がこいつらに追いつくには、どんだけの修行が必要なんだろう。女ってすげえな。



 別れ際、理恵が貴明に声をかける。


「あのさ、ありがと」


「どうして…俺は紗英に酷いことを」


「うん。だけどね」


 理恵は、キッと鋭い目つきで言う。


「今日はあれでいいの。あなたが悪いわけじゃないもの。でもどんな形であれ、次に紗英を悲しませたら…私、その時は許さないかもね」




 貴明と澄香は、うつろな心持で境内を歩きながら話す。


「理恵さんって素敵な人だね。澄香が男なら絶対に好きになってるよ。とても温かくて柔らかかった」


「そうだな。あいつも紗英もすげえよ、到底敵わない。ったくよ、女ってのは…」


 貴明は、ふと澄香の顔を覗き込む。



「何よお」


「そういう意味じゃお前もだよ。俺は今日、澄香がいてくれて良かったと思ってる」


「な、なに言ってんのよ、そんなことより紗英さんみたいな最高の女性を振ったんだから、絶対にすみかちゃんを大事にしないと…」


「わかってる。何かあれば理恵に殺されるしな。そうじゃなくて、お前がいてくれて良かったと思ったのはさ」


「だから、なによーもう!」


「さっき俺の代わりに大泣きしてくれただろ。なんだかわからんけど救われた。俺が泣かずに済んだ。ありがとな」



 澄香はその言葉で涙がぶり返しそうになる。ごまかす意味も込めて貴明の腕にしがみついた。


「はは、澄香は昔から泣き虫だよなあ」


「そ、そんなことないもん。むしろ澄香が普通で他の人の目が乾きすぎなんだもん」


「あはは、そうかもな。澄香は優しすぎるからな。でも俺は、澄香の泣き顔はけっこう好きだよ」



 またしても涙があふれそうな澄香。豊かな感情にフィルターをかけずに素直に表現する澄香は、日頃から自然と涙を流す場面が多かった。


「根拠はないけどさ、俺は泣き虫の澄香と一緒にいれば、正しい方向に行ける気がするんだ」


「妹に甘える兄なんて…聞いたことないよ。それに、兄妹がずっと一緒にいられるわけないでしょ。いつかはきっと…」


「いやそれがさ、何でだろうな。澄香とはずっといられる気がするんだよ。これからもどんどん甘えるからな、頼むぞ妹よ」


「リアルバカ兄貴…もう…バカなんだから…」



 澄香は、そう遠くないうちに来るであろう別れを意識したせいか、貴明の腕に一層ぐいぐいとしがみつく。露店のチープな灯が、澄香の泣きはらして赤くなった目や頬を柔らかな山吹色に染め上げ、淡く輝かせる。貴明は澄香の頬に光る一筋の涙を何気なくそっと拭う。思った以上の涙の熱量に、この妹の限りなく純粋な心を改めて感じ取る。



 何にも染まっていない新しい年は、まだ始まったばかりだった。

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