#6 Your song will fill the air 〜愛しい歌声が思うさまハートに火をつけた

 ライブ前日の土曜日は、クリスマスイブであった。透矢は朝から3人と時間差掛け持ちの鬼畜デート、純一も彼女とディズニーランドということで、ライブ前日にも関わらずバンド練習は中止。貴明が所在なくグダグダしていると、澄香から電話がかかってきた。


 奴らのせいで暇でしょうがねえ、などと愚痴っていると、澄香はキュピーンと思いついたように「暇なら澄香に付き合うべきですっ!」と、なぜか大乗り気だ。


 部屋にいてもな、と貴明は澄香の買い物に付き合うことにし、いけふくろうで落ち合った。



「な、本当に俺でよかったの?クリスマスなんだし彼氏とさあ」


「だーかーらー、彼氏なんていないって言ったでしょ!今日はアリサもデートだって言うし、お兄ちゃんなら欠員補充や台車的見地からもちょうどいいの」


「荷物持ちならまだしも台車扱いて。どんだけ買うつもりだよ」


 

 相変わらず憎まれ口を叩き合いながらも、澄香はいつになく楽しそうである。クリスマスのきらびやかなショーウィンドウに、長めのポニーテールが揺れてきらめく。


 澄香の髪型は綺麗なストレートが基本だが、先日、斉藤由貴のポニーテールの話をしてからは髪をまとめることが多くなっていた。今日は適当に縛るのではなく、きっちりスタイリングして赤い髪飾りまでつけた、本気のポニーテールだ。



「ふん♪ふふん♪ふん♪」


 髪型アピールのため、澄香は鼻歌まじりで、これ見よがしに貴明の目の前で髪を振る。


「澄香、髪が鼻に…くしょん!」


「む!今日の澄香はひと味違うと思わないの?」


「いつもどおり元気だぞ?」



 澄香は心底がっかりした表情で、


「むむー!このヨゴレ兄に女心の理解を求めた私が間違ってたよ…」


「わけわかんねえなあ、ははは」


 貴明はカラカラと笑いながら、変拍子のような想定外のタイミングで言った。



「そういや、澄香はポニーテール似合うんだな。顔がちっちゃいからかな?それならきっとショートもいいと思うぞ」


 不意打ちで髪型を褒められ、逆に焦る澄香。



「こ、ここで?このタイミング?本当にこの鈍感兄貴は…もう!」


「んだよ、何言っても怒られる日か、ははー」



 無神経な貴明だがごく稀にこういうクリティカルヒットを繰り出すことがある。そんな時澄香の心は、不用意にもプラスの方向に乱されてしまうのであった。



 そうこうしながら、2人は最初の目的地である東急ハンズに到着する。が…


「うっわ見て、ハンズすっごい混んでる」


「こ、これは…先に飯にしないか?」


 ハンズでサクッとプレゼントを選ぶつもりだったが、あまりの混雑に心折れて予定変更。メニューは貴明のゴリ押しでラーメンになった。



「…お兄ちゃん。なんですかこの行列は。これならハンズでも同じじゃないのカナ?」


「何を今さら。ここでは日常だろ」


「だいたいクリスマスなのにラーメンってさあ…ブツクサ」


「まだ言うか、お前も好きだろ大勝軒」



 東池袋随一のこの名店で食べるなら、2時間待ちも辞さぬ覚悟が必要。だがこの日は到着が早かったおかげか、1時間かからずに入れそうだ。


「お兄ちゃん。澄香はお腹が空きました。きゅう」


 並んで30分を過ぎた頃、澄香はそう言って貴明にしなだれかかってきた。この兄妹的には普段のじゃれ合いだが、何しろ相手は超がつく美少女だ。貴明としては、行列にいる大多数のソロ男子からの視線がすこぶる痛かった。気がした。


「わ、わかった。ちょ離れなさい」


「えー、だってさあ、お腹ぺっこぺこー」


 と言いながらますます抱きついてくる澄香の可愛い仕草に、周囲の視線の痛さが増す。澄香は自分の魅力に全くもって自覚がないので、時折こういうことが起きる。



「あは、あははは、困った妹だなあ、あはは」


 残念ながらここでの妹アピールは解決にならないばかりか、ある意味逆効果であろう。そろそろガチでいたたまれなくなって来たところに、「お2人さんどうぞー」という店員の言葉が聞こえ、貴明は救われた。



「お兄ちゃん!澄香はねえ…もりそば大盛!」


「よしなさい。いつもどおり並か、むしろ減らしてもらえ。絶対に食べきれない」


「ええ、憧れなのになあ。じゃあやめとくよ」


「よし偉いぞ。すみません注文…俺は中華そば大盛。あとこっちはもりそば並」「大盛」



 15分ほどして頼んだものが出てくる。ちょうど空腹もピークだ、今日は大盛で正解だったな…と思いつつ、澄香のメニューを見て噴出寸前の貴明。


「ヴフォッ!おま、それ大盛じゃ…」


「そだよ、大盛って付け足したもん。聞いてなかった?」



 澄香の顔の3倍サイズの巨大な麺の玉が、大きな丼にあふれんばかりの勢いで盛り付けてある。


「わー、すごいねお兄ちゃん!一度食べてみたかったんだー。見た目がいいよね」


「やっちまったな…愚か者が。俺は知らんぞ」


 

 最初こそ「美味しいね!美味しいねお兄ちゃん!」と大喜びで麺をすすっていた澄香だったが、三分の一を食べた頃からあからさまにペースがガタ落ちになる。泳いだ目で無駄に水を飲む時間が多くなり、約半分を残したところでおもむろに箸を置き、精いっぱいの作り笑顔を浮かべた。



「あー美味しかった!ご馳走さま。ねえお兄ちゃん。澄香はお腹いっぱいでとっても幸せです。さてどうでしょう」


「阿呆なのかー⁉︎だから言ったじゃねえか、ここの大盛はヤバいんだよ。特にもりそばは元々麺が多いんだからよー、てか俺も大盛でギリギリなのに、どうすんだよコレ?」


「お兄ちゃん?澄香、食べ物を粗末にしてはいけないと思うんです」



 澄香は無意味に爽やかな笑顔で、半分、すなわちまだまだ並盛に近いほども残っているもりそばを貴明に差し出す。結果、もりそばは酢が決めてだよねーと自らに言い聞かせつつ、貴明は顔が青白くなるまで名店の味を堪能する羽目になった。



「よかったね、看板メニューを両方食べられて。アレお兄ちゃん?急に太った?」


「お前…次やったら閉店までかけて完食させて、帰りにあのパン屋で菓子パン大会やってもらうからな…」


 

 貴明は重い足取りと重い腹を引きずりながら、澄香とに東急ハンズに入る。澄香は友だちのプレゼントを選ぶため、羽ばたいて飛んで回る勢いであちこち物色していた。


「これ可愛いな…あっこれも!どうしようお兄ちゃん、澄香はもうだめかもしれません」


「ったくよ、女ってのは、女友達のプレゼントにそこまで燃えられるのな」


「本当にわかってないねえ。女の子は愛し合ってるからね。愛する者にプレゼントするのは当然ですよ」


「へいへいそうですか」


「で、お兄ちゃんは誰にプレゼントするの?」



 悪い顔で覗き込む澄香に対し、貴明は平静を装う。


「んな相手いるかよ、俺は音楽に情熱の全てを捧げてるの」


「つまんないなー、紗英さんとか可能性ないの?そうだ、ライブに通ってるファンの娘は?」


「ああ、一応会えたよ」


「会ったの⁉︎どうだった、可愛かった?欲情した?」


「可愛かった。いやいきなり欲情はしねえけどね⁉︎」


「ふーん。でも好みだったんでしょ。顔に描いてあるよ」



 可愛くて地味で小柄で知的で音楽好き。白い肌にショートカット。オプションでメガネっ娘。確かにすみかの全てが貴明のストライクゾーンだ。さすがに澄香は熟知している。


「そ、そうだ驚け!あの娘の名前さ、すみかっていうんだぜ」


「え?…私と同じ?」


「そう。ひらがなだけどな」


「なら私と同じくらい可愛くて、私と同じくらいお兄ちゃんの好みなんでしょお」


「そう同じくらい可愛い…うわ違う、何しろすみかちゃんは上品だからな」


「一瞬本音が!てか今、どさくさで澄香の評価を相対的にに下げましたね、まいっか、ついにお兄ちゃんにも春が…」


「でもな。向こうは俺とはあまり会いたくないみたいでさ」


「どして?」


「わかんないよ。何もないのに突然泣きそうになって帰っちゃったんだよな」


 

 それを聞いた澄香はしばし無言で、少し悲しそうな表情を浮かべる。


「…澄香?どした?」


「お兄ちゃん。澄香は断言しますが、その人は絶対にお兄ちゃんのことが好きです」


「そうかな。だったらなんで変なとこで帰っちゃうんだよ」


「本当にわかってないねー」


「わかるか!」


「女の子はね、いや男の人もそうかもしれないけど、相手のことを好きになり過ぎると、そのぶん悲しくなる時があるんだよ」


「禅問答か?日本語で頼む」


「お兄ちゃんには一生わからないでしょーねっ!次に会った時は優しくしてあげてね。絶対に責めちゃだめだよ」


「お、おう、別に責めるつもりはないけどさ、わかったよ」



 対人関係自体が苦手な貴明に女心などわかるはずもないが、澄香の切なげな表情を見ているうち、貴明はその言葉を信じてみようと思えてきた。




 普段は賑やかな兄妹には珍しく、割としっとりした雰囲気に流されたのかもしれない。貴明はアクセサリー売場にあった楽器型のシルバー製チャームを何気なく手にすると、未だかつてない想いが湧いてきた。


「なあ澄香、どれがいい?」


「え、えええええ??まさかお兄ちゃんが私にクリスマスプレゼントを??」


「驚き過ぎだろ腹立つわ。でもこないだの病気でも迷惑かけたしさ、今年は…」


 澄香は気のせいか涙目のようにも見える。が、すぐにいつもの調子で、


 

「みなさーん!この鈍感で冷たくて面倒くさい男が、初めて私にプレゼントしてくれるそうですよー!えー、えー、どれにしようかなあ」


「お前な…いいから早く選べ。でも楽器もこうなると可愛いな」


「全部可愛くて。うーん、ここはやはりお兄ちゃんのキーボードかな、でもカッコいいのは透矢さんのギターだし…レホールだっけこれ?」


 その言葉に、貴明はついムキになる。


「そりゃ付け合わせだろ、レスポールだよっ。それより、今はキーボードがバンドの音を作るんだぞ。だからキーボードのがカッコよくて偉い。ギターなんざむしろ飾りだ」


「わあー、面倒くさーい。じゃこれでいい?」



 と言って澄香はアップライトピアノ型のチャームを手にするが、


「いや澄香はうるさくて賑やかだから、イメージ的にピアノではないな。こっちだろ」

 と、シンセサイザー型のチャームを澄香の掌に乗せた。


「ぶー、板みたーい。ピアノの方が可愛いけど、でもいいや。お兄ちゃんが言うならこれにする」


「板ってお前な、これプロフェット5だぞ。いやオーバーハイムかな?パネルの再現性が甘くて判別しにくいな…まあどっちにしろ名機中の名機だ」


「際限なく面倒くさいからこれにするね。あー/澄香/これが/いいなー」


「テキトーに棒読みすんな!それじゃラッピングを…」


「いいの。カバンにつけて帰るの。だから包装紙とかいいの」


 箱や包装紙なんかあったら惜しくて捨てられない…と、澄香はかすかにつぶやいた。




 その後ショップ巡りをし、気づいたらもう夕方。結局澄香は10人分はあろうかというプレゼントを買い込み、貴明に寮の入り口までその荷物を持たせて、部屋に帰るところだ。



「お兄ちゃん今日はありがとう。澄香は楽しかったです」


「これから寮で本当のパーティーなんだろ」


「うん、また連絡するね。あっこれ、メリークリスマス!」

 

 澄香は貴明に小さなギフトボックスを手渡す。


「あとで開けてね!」と言いながら寮に入っていく澄香。バッグにつけたシンセのチャームと、ポニーテールが、嬉しそうに同時に揺れた。



 澄香と別れ、ギフトボックスを掌で転がしながら帰途につく貴明。妹の言葉に刺激されたからかもしれないが、無性にすみかに会いたくなってきた。


「今頃どうしてんのかな。ま、あんな素敵な人がイブに1人でいるはずないか…」


 などと考えつつ、食事のためにいったん池袋駅に戻る。さて飯はどうしようかな、牛丼太郎か…すなっくらんどで立ち食いもいいな。あの怪しいエスニックカレーでクリスマスをデストロイだと考えつつ、地下を歩く。すると真っ白なダウンに身を包み、何かを探すようにキョロキョロしている少女の存在に気づいた。



「す、すすすすみかちゃん…?」


「た、たたた貴明さん、こんばんです…あうあう」



 2人ともにアゴがガクガクしてまともにしゃべれないまま、とりあえず並んで歩く。


「久しぶり、いやそうでもない?でも偶然だね、ははは」


「この間はごめんなさい。でもこれって偶然なんでしょうか?私はどんな形でも、会えれば嬉しいです」



 ずっと君に会いたかったという言葉を口にできるほどには、まだ信頼されても好かれてもいない。だが互いの間に流れる温かな空気感が心地よい。貴明は食事などどうでもよくなり、2人で駅東口を出て60階通り方面に歩いた。



「すごいですねえ、池袋がクリスマスというか、クリスマスが池袋ですねえ」


「ちょっと何言ってっかわからんけど、ほんとだね」



 バブルの残り香漂うこの時代。クリスマスは未だ、恋人たちにとって最大かつ崇高な行事だった。反面、関係ない者【独り者】にとっては歪んだ恋愛至上主義の象徴であり、忌むべき行事として認知されつつあった時代でもあった。



「すみかちゃん」


「は、はい」


 こないだ君が言ったことの意味は…と貴明は口に出しかけたが、澄香の「責めちゃだめだよ」という言葉を思い出し、自重する。


「クリスマスは誰かと一緒に過ごすのかと。だから、こんなとこで会えて驚いた」


「え?」


 すみかが、意外そうな眼差しで見つめ返してくる。



「私、彼氏なんていませんよ。地味だし可愛くないしつまんないし、学校では女として見られてないです。好きな人はいますが…」


 期せずして本心が口に出てしまい、白いコートと対比する深紅に顔が染まるすみか。


「う、うわわわ、あのですね、それは貴…いえ誰ってことではなく…」


 貴明も同じくらい真っ赤な顔をしていたが、澄香に女心がわからないことを馬鹿にされた反動からか、心に決めたことがあった。



 すみかには絶対に自分から告白する。人生初めての告白はこの娘しかない。


「す/すみかちゃんっ」


「は/はいっ」


 コントのような棒読みでガッチガチの2人。



「じ実は俺も好きな人がいます!てか最近できましたっ!」


「そうですよね…あのガールズバンドの綺麗な人ですか?仲良さそうですもんね…」


 すみかはそれが自分とは思っていないようで、寂しげな表情に変わる。そんな顔を続けさせてはいけないと、貴明はさらに蛮勇を振り絞る。



「ちち違う違う!すみかちゃんだよ!俺はきっと、いや間違いなく君が好きで…」


「え?え?ええええええ??」



 気を失いそうになり、卒倒しかけるすみか。倒れさせまいと、とっさに彼女の手をつかむ貴明。そこですみかは正気を取り戻し、


 

「本…当…ですか?会ったばかりなのに」



「時間なんか関係ない。だからなんというか、その…俺と付き合ってほしい」


「は、はい…よよ喜んで…」


 すみかは照れと嬉しさで言葉が出ない。2人はとっさにつかんだ手を離すタイミングを失い、つないだまま店を出る。中学生かお前ら、と笑う梨杏の声が聞こえた。気がした。



 2人とも半分意識を失い、口がカラッカラのまま歩いて東急ハンズに着いた。貴明は本日二度目である。店内を歩くうち、さっき澄香にチャームをプレゼントした売場に差し掛かる。ひょっとしたらすみかに再会できたのはこのチャームのおかげかも、と勝手に良いヴァイヴを感じた貴明は、すみかにも同じものを持っていて欲しいと思った。



「すみかちゃん。今日は特別な日なので、記念に楽器をプレゼントします」


「楽器?私、何も弾けないですよ?」


「いやいや、どれでも弾き放題です。丈夫で壊れないよっ」



 と言って、ディスプレイされているたくさんの楽器型チャームを指差す。顔を見合わせて笑い合う2人。微笑ましい時間。1秒が過ぎ去るのさえ惜しい。


「可愛い…本当にいいんですか?」


「好きなの選んでよ。高級品ではないけどさ」


「そんな…私嬉しいです、こんなの初めて。でも楽器ならこれしかないですね」



 すみかが選んだのはグランドピアノのチャームであった。


「ピアノは、貴明さんの担当だもん」


「そうか、なら俺はこっちかな」と、貴明はアップライトピアノ型のチャームを手にするが、


「あ、だめ!それは私がプレゼントします。今日は記念日ですから」


 と言いながら、自分で買って貴明に手渡した。



「あ/り/がとお…」


 梨杏の空耳どおり、今どき中学生でもこんなに照れないだろうというくらいの純情。互いを愛しく思う特別な時間。貴明にもすみかにも、初めての感覚だった。



「私、ピアノが好きなんです。だから貴明さんのピアノが主役のあの曲が大好きで、最近いっつも歌ってるんですよ。湖の曲」


「どうもそこはみんな雑なんだな。あれは元々、同級生のバンドのために作ったんだ」


「あの可愛い人のバンドですね」


「そ、そうだよ…ははは。評判いいからウチのバンドでもやることにしたんだけど、他の曲とは雰囲気違って、浮いちゃうんだよね」


「でも透矢さんが目立つ曲はちょっとうるさいから、私はあの曲が好き。あ、ごめんなさい。どの曲も好きですよ」


 すみかは、出だしの一節を口ずさむ。



 ♪私だけが止まったような 時を過ごしてた

 でも心が叫ぶままに ここに辿り着いてた



「すごいすごい、なんで歌えるの?まだ1回しかやってないし音源も作ってないのに」


「えへ、この曲は忘れられなくて」


「すみかちゃん、音楽の才能あるかも!覚えが早いし音程は正確だし、なんたって声が綺麗だ。透明感があるよ」


「そんな…恥ずかしいです…」


 自分の曲を好きだと歌ってくれる女の子。こんな人は一生現れないだろうと貴明は思う。ここにきてやっと打ち解けたのか、すみかは少し余裕が出てきた。


「ね。貴明さん。私やってみたかったことがあって…お願いしてもいいですか?」


「何?」


「あれなんですけど…」



 すみかはプリクラの機械を指差し、もじもじしている。彼女のすべての仕草が、貴明を惹きつける。


「もし好きな人ができたら、あれを撮りたいなって…」


 恋愛に無縁だった貴明には、今日まで無関係だったものだ。だがこんなにいじらしいすみかを見れば、断る理由もない。


「いいよ、撮ろう!俺も初めてだ」


「本当に?嬉しい!」



 2人は機械の前に並ぶ。操作に四苦八苦したがどうにか撮影にこぎつけた。


「じゃ、い、いくよ…」


「は、はい貴明さん…」


 どちらもガッチガチで、表情は証明写真のような硬さだ。とてもじゃないが楽しい雰囲気の写真にはなりそうにない。さらに緊張しすぎたすみかは足の力が抜け、転びそうになる。貴明がそれをガードしたタイミングで、無情にもシャッターが切れ始めた。音に驚き2人はカメラを見るが案の定、恋人同士の2ショットとは程遠く、共に慌てた顔で貴明がすみかを後ろから抱きしめるような、意味不明な写真になっていた。



「こ、これは…なんという酷さ…」


「たた貴明さん、私恥ずかし…でもこの写真、なんかいいかも…」


「嘘でしょ?これは撮り直した方が…」


「いいの!まるで私を守ってくれてるみたい素敵に見えてきました。私これがいい」


「まあ、すみかちゃんがいいなら…」


 すみかは真っ赤な顔で写真シールを切り分ける。片方を渡すときに互いの手が触れる、たかだかそれだけのことで、2人の顔の赤さは増した。



「貴明さん…私…私は…」



 お互いの想いが満ち、感極まるすみか。だが上階に行くため乗ろうとしたエレベーターのドアが不自然なブルーに染まる。一緒に乗り込んだ瞬間、何故かすみかだけが白い光の中に吸い込まれていった。


 残された貴明は呆然としつつ、数秒後に我に帰り、


「待って…消えた?どうなってんだ一体…」



 自暴自棄になり、大混乱のまま部屋に帰る。そこには待ち構えるように梨杏がいた。


「りあーーーん!!!」


「お、威勢がいいね。どうした?」


「おい!すみかちゃんがいきなり消えたぞ⁉︎」


「わかるでしょ」


「わかるか!エレベーターが光って消えるなんてまるで…」



 自身の言葉を反芻して、貴明はようやく事態を飲み込んだ。


「すみかちゃんも、エクスペリエンストなんだな」


「わかったようね。でもいつかも言ったけど、エクスペリエンス同士が出会うなんて珍しいのよ。1人出るのもせいぜい1年に1回なのに。」


「俺を想うと不幸になるって言ってた。その意味がわかったよ」


 梨杏は珍しく切なげな表情になっている。



「ドアを介する限り、俺たちは絶対に一緒にはいられない。想いが高まると弾き出されるんだからな」


「うん…」


「でもさ、そもそもすみかちゃんはどっち側なんだ?もしこっち側の人ならドアは関係ないだろ。それならずっと一緒に…」


「残念だ。すみかはアザーサイドの人間だよ」



 貴明は深く絶望する。痛飲して前後不覚になり、クリスマス廃止論を吐き捨てながら床に突っ伏す。澄香のクリスマスプレゼントのスノードームと、すみかのプレゼントのアップライトピアノのチャームを両手に握り締めながら酒を浴びた。



 荒れる彼を梨杏は優しく抱き起こし、膝枕した。


「辛いよね。でもそれはすみかも同じだと思うよ。あんたが頑張らないとね」

 ヤケ酒でぐったりする貴明の額を撫でながら、梨杏は包み込むような声でつぶやいた。




 翌日、ライブ当日の日曜日。ライブは夜からなので日中は余裕があり、貴明は二日酔いの頭を抱えながらセットリストの確認をしていた。不意に、澄香がいい勢いでドアを開けて部屋に上がり込む。すでに梨杏の姿はなかった。


「おっはよーお兄ちゃうっわ酒くさ、ここまでの二日酔いは珍しいね」


「うっせーもうどうでもいいわ。てかお前の声が頭に響くー」


「あ、振られたなこれは」



 その言葉に動揺する貴明。


「ち、ちゃうわ!そんなわけ…あれ?」


 確かに貴明はすみかに振られたわけでも、喧嘩したわけでもない。むしろこれから始まるはずだったのに、こんなに腐った気持ちになるのは何故だ。理不尽。意味不明。


「若いうちはいろいろありまんがな旦那。そんなわけで澄香は、悲惨なクリスマスを過ごしているであろう情けなーい兄を慰めようと、鍋焼きうどんを作りに来たのです」


「澄香っっ!」


「は、はい?なーに?」


「お前って原則生意気だけど、たまーに、いや稀にいい奴だよな!可愛い妹よ!」


 そういいながら貴明は、澄香をぐいぐい抱きしめる。


「ちょ、酒くさ!やめ…もう、しょうがないんだからあ」



 澄香は楽しげな表情で、ひっつく貴明をベリベリと引き剥がして料理を始める。そのうち興が乗って来たのか、鼻歌混じりで出汁をとっている。



 ♪私だけが止まったような 時を過ごしてた…



 昨日すみかと話題にした曲「Ancient Water」の一節だ。いい気分で歌う澄香に、貴明はかすかな違和感を覚える。


「澄香、その曲?」


「お兄ちゃんの…」


 そこまで言って澄香は、少し慌てる。


「そうだけどさ、お前この曲知ってたか?こないだ初めてやったばかりだぞ」


「でもどっかで聴いたよ。ほらアレじゃない?お兄ちゃん、作曲する時ヘッドホンしながら歌ってるから、そのせいだよ」


「あ、あり得る…」


「そうだよ、でかい声で歌うからやかましくてさ。あはー!澄香の記憶力なめんなー」


「あーあーすいませんでしたね、以後気をつけますよ」



 大事な人が自分の曲を覚えてくれる嬉しさに、改めて昨日のすみかを思い出し、貴明は思うさま凹む。


「さあ、澄香特製鍋焼饂飩完成!漢字多め!一緒に食べよ…ってお兄ちゃん⁉︎」



 そこには、テーブルに突っ伏して魂が抜けた様子の貴明がいた。


「わー!背中からなんか出てるよ?エクトなんとか?これまずいやつだよ!」


 澄香はオロオロしながら、貴明の両肩に手を添える。


「もう、何があったか知らないけどさ、一緒に食べよ、ね?」


 優しさあふれる柔らかな言い方に貴明は我に帰る。寂しさからか、無意識のうちに澄香の手を握りしめてしまう。澄香は嫌がる様子もなく、逆に繋いだ手を握り返した。



 少し落ち着き、食卓につく2人。


「美味そうだなー。でもクリスマスにラーメンやうどんって、何なの俺らは」


「いいじゃない。ケーキも買ったから明日のライブの後に食べよ」



 貴明はすみかとの関係に不安を抱えつつ、澄香の鍋焼きのおかげでなんとか気力は整ってきた。ここで澄香がミキサー卓の上のスノードームに気づく。その隣にはアップライトピアノ型のチャーム。2つはなんとなく、嬉しそうに寄り添っているように見えた。


「あ、澄香のプレゼントだ。ちゃんと飾ってくれてたんだ。えへ」


「うん。ありがとな。でも俺には似合わないかな、可愛すぎるだろこれ」


「あれれ、そうかなー。ところで隣のピアノは…」


「あ?あれはだな、いやその、別になんでも…」


「ふうーん?私が欲しいって言ったら拒否されたやつですよねえ?なぜここにあるのかなあ?」



 悪い笑顔で下から覗き込む澄香。元気づけてくれているのであろう態度が愛しい。今晩のクリスマスライブは全てを出し切ろう。それが今の自分にできるMAXだと、貴明はスイッチを切り替え始めていた。

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