#5 Only a memory 〜翻弄されるような思い出ならブチ壊してしまえと思った

 月曜日。貴明は頭の中がすみかで満っち満ちになりながら学校に向かう。週末はクリスマスライブだ。クリスマスったら恋人の日だろうと、バブリーかつ間違った認識でテンションを上げようとするが足が進まない。それはすみかの謎めいた態度に加え、練習で試すために持ち出した、12kgもあるコルグのサンプラー「DSM–1」のせいでもあった。


 重さで手がちぎれかけつつも電車を乗り継ぎ学校に着く。いつものメンバーとくだらない話をした後、貴明は普段あまり交流のない女の子と話していた。



 足利美優。ジャズ科の2年生。同じ学内でも貴明らが属するポピュラー科と、美優のジャズ科は、対立まではないものの相互不可侵的な微妙な距離感があった。どちらかというと音楽バカで ノーフューチャーな連中が集うポピュラー科に比べ、ジャズ科はイメージ先行かもしれないが大人っぽく知的な学生が多い。中でも美優は一段とスノッブな雰囲気の持ち主だ。音楽の知識が豊富で、たまに貴明と顔を合わせると無駄に深い音楽談義を繰り広げる。



「ねえ貴明くん。プリンスってさ、どの楽器が一番上手いと思う?」


「一般的にはギターで決まりだけど、俺がこないだのライブでやられたのは…」


「ピアノ!」


 2人は同時に同じ楽器を口にした。



「『Question of U』だよね。最初のインプロビゼーションからもう鳥肌モノで…PA通してもピアノが鳴りまくってるのがわかるって、これが天才の音なんだなと」


「わかるー!あれが同じ人間なんて神様は不公平だわ。だいたいプリンスはやること全部凄いせいもあるけど、楽器のプレイヤーとしては過小評価されてるのよね。仮に彼が専門のギタリストなら、インギーやスティーヴ・ヴァイ並にリスペクトされる存在なのにさ」



 神と聞けばつい梨杏を思い出してしまう。


「確かに不公平だな神は。わけわかんねーんだよな」


「え?神様に恨みでもあるの?」



 美優は美人だが、貴明は紗英やすみかのような小柄で可愛いタイプが好みなため、異性として惹かれる存在ではない。噂では年上の彼氏がいるらしく、大人っぽくサバサバした雰囲気があるのもその一因だ。他の女子とつるむこともないそうで、そうしたある種の孤高さが、逆にお互い信頼に足る要因なのかもしれなかった。



 ちなみにどうでもいいことだが、悪戦苦闘して持ち込んだDSM–1は練習で思いのほか機能せず、貴明はひどくがっかりして帰途につく。行きは12kgの重さが帰りは20kgくらいに感じ、痺れる左手で部屋のドアを開けた。




 部屋には灯がついていた。月曜なのに澄香がいる。忘れ物か?また風呂に入ってるな。事故とはいえつい裸体を凝視して、痛恨のラリアットをくらった苦痛を思い出す。また半回転させられてはかなわないと、今日は機先を制することにした。


「おーい、俺いるからなー。今日はちゃんと服着ろよー」 


「あ、お帰り」


 貴明が言い終わ流前に風呂場のドアは開いたようで、声が聞こえた。その声に振り向いた貴明は、口に流し込んだ缶コーヒーを盛大に噴出する。



「ヴヴウヴォーーーーッ!」


「あーあ、きったないなあもう」


「お、お、お前…梨杏か⁉︎」



 そこにいたのは澄香ではなく梨杏だった。昨日の澄香は、手に持っていたタオルが最終防御壁になり、丸見えではなかったが、数段タチが悪いことに梨杏は全くの全裸。正々堂々正真正銘のすっぽんぽんであった。


「お前なーっ!だから捕まるっての!心臓に悪いわ!」


「何言っとるんだ、私がお前に欲情するわけがなかろう、安心せよ」


「違うわ、俺がお前に欲情するんだよっ!いやしねーけどね⁉︎」


 貴明は、自分のカーディガンを梨杏に向かってけっこうな勢いで投げつけた。


「相変わらず面倒くさい男だなあ、着ればいいんでしょ着れば」



 梨杏は渋々カーディガンを着るが、オーバーサイズを素肌に羽織っただけなので、逆にグラビアのような狙った雰囲気になってしまった。想定外のエロさが生まれた。


「あのすみません梨杏さん。裸カーディガン、見ようによっては凶器なんですが…」


「まったく面倒だわね、どうしろってのよ。もういいよ、私の美ボディに欲情するのは許す。存分にハァハァせよ」


「美ボディならいいんだよ!問題はようじょ…もういい疲れた。久しぶりだな梨杏」


「おう、ちょいちょい様子は見ていたよ」


 いつどこで…と思いながらも、貴明は梨杏に会えたことに安堵していた。



「お前、昨日はゲートを正しく使えたね」


「見てやがったのか。一体どうやってだよ?」


「ふふ、内緒。ちなみにお前だけでなく、私は面倒見なきゃいけない患者、いやエクスペリエンストが何人かいるの。忙しいのよ」



 相変わらず尊大な態度だが、ドアのことで頼れるのは梨杏しかいない。貴明はすみかについて聞いてみた。


「昨日会ったすみかちゃん。最後によくわからんことを言って帰ったんだ」


「ほう、よっぽど“スミカ“に縁があるのね。席が遠くて細かいとこは聞こえなかったわ」


「俺を追いかけると、良くないことが起きるってさ」


「そりゃあアレだわ。すみかってのが実は人妻で、お前と付き合うと不倫になるからでしょ?簡単じゃない」


「てんめえ…見た目が幼女であるというコンプライアンス上の問題さえなければ、俺はお前を今すぐ折檻したいわ」


「いやいや、仮に熟女でも折檻はダメよ。まあ嗜好によるか?ただ、ね…。貴明が会ったのはアザーサイドのすみかだよね」


「確かに」



「ということは、むしろ貴明の方が本懐を遂げられなかったのが理由で、ドアから出された可能性もあるよね」


「言われてみれば…」


「それに紗英のように、オーディナリー・ワールドのすみかは態度が違ってお前を避けるかもしれないよ」


 その言葉に、一目で丸わかりなほど貴明のテンションがダダ下がりになる。もしライブで会っても、紗英のようによそよそしく冷たい可能性が高いってことか。


「まあまあ、まだ何もわからないんだからさ、そう気を落とすなって」


 

 落胆しながら貴明は言う。


「じゃあ、せめて今後どうなるかわからないの?予知みたいなさ。釈然としなくてさ」


「うーん、SFでは未来の自分に出会うストーリーもあるよね。でも現実問題、自分の未来なんて見たい?良くても悪くても、その未来に向かって頑張ろうと思える?」


 貴明はしばし妄想したあと、


「よし無理だ。俺は良い未来を見ればこれ以上何もしないし、悪い未来なら絶望でさらに堕ちる。あの巨乳…佳奈達みたいになるかもな」


「くはあ、思った以上のクズ野郎だネ。までも、大なり小なりそんなもんだよ。だから神は人間に未来を見せるのをやめたんだ」


「昔は見せていたのかよ⁉︎でも懸命な判断かもな」


「当たり前よ、神なんだから」



 確かに未来を見たところで、今の自分に良い影響があるとは思えない。なら過去はどうだ。過去の失敗をチャラにすることで、結果的に未来を変えることはできないのか。


「じゃあさ、ドアを使って過去にタイムスリップはできるの?」


「過ちをやり直したいという欲求は多いね。人間らしい狭量な思考だが」


「過去を帳消しにすることもできるわけだ」


「だからそれは無理だって。万一過去に行けても未来は変わらないよ。ステンレスの車みたいに年鑑で大儲けとか無理だから。あるとすれば、過ちを犯した場に身を置いて、今の自分がどう感じるかを追体験するくらいね」。



「自分の人生の映画か」


「初めて的確なことを言ったわね。で、『お前が今日を無益に生きている』という不幸な事実以外に、何か大きな過ちを犯したことがあったの?」


「相変わらずサクッと喧嘩売りますね。でも修正したいほど酷い過去はないな。一つなおしたら全部直さなきゃって気がするし、そこまでするなら今のままでいい」


「稀に深いこと言うね。賢いのかバカなのか…確実にバカ寄りだが」


「へいへい。ところでお前、風呂に入ってたってことはまさか…」


「ああ、今夜の宿なら心配するな。お前のベッドで我慢してやるから」


「やはりか…頼むから目立つことはするなよな」




 過去の話をしたせいか、貴明は幼い頃を思い出していた。


 彼は小学4〜5年生の頃、北海道の阿寒町にいた。父は転勤族で全国を転々としたこともあり、貴明自身は地域的なアイデンティティ…つまり「故郷」に関して無頓着である。だがその中でも阿寒は特別だ。東京から見れば地の果てで、マリモなど得体の知れないものが棲んでいる神秘的なイメージが、貴明は深く印象に残っていた。


 当時、毎日のように遊んでいた友達がいた。窪田景護と本間響子。景護は地元の教師の息子、響子は阿寒湖温泉随一の老舗旅館の跡取り娘だ。2人とは阿寒湖で日が暮れるまで、虫取りや隠れんぼ、雪遊びに明け暮れていた。


 なのに、2人とはあまり良い別れ方ができなかった気がする。貴明はあまり思い出したくない、苦い場面を思い出してしまっていた。そんなふわっとした思いを、梨杏の声が破壊する。



「おーい貴明、早く来いよー、一緒に寝ようよー。しっぽりしっぽりー」


「ふざけろ!はいお休み!」


 悪ノリする梨杏を寝かしつけ、自分も寝ようかと寝室のドアを閉めようとした瞬間、そろそろお馴染みになってきた白い光と違和感を感じた。



 

 めまいの後、気がついたら湖のほとり。どうやらここは、さっきまで追憶の中にあった阿寒湖らしい。


 だが今は12月。湖は完全結氷寸前に凍てついているはずだが、湖水はどこまでも透明な青、木々は生命力に満ちた濃緑だ。あらゆる点に違和感を感じたがすぐに、少し遠くにいる3人の子どもに釘付けになった。


 …なんてこった。ありゃ景護に響子…となると、2人に駆け寄ってくるもう1人は俺⁉︎梨杏のやつ、タイムトラベルはできないって言ってたよな。しかも俺は1人しかいないって、大嘘だらけじゃねえか。


「貴明、遅い!今日は遊覧船乗り場で釣りだって言ったべや!」


「私、釣りはやだなー。魚はいいけどエサがさ…虫じゃないの…」


 少年時代の自分に遭遇し、ますます目まいがする貴明。3人に声をかけようと思うが体が動かない。そのうち3人は自分のほうに向かってくる。おかしいぞ、一直線にこっちに走ってくる…



 ぶつかる!と思った瞬間、貴明は自分が霧になったような空恐ろしい感覚を覚えた。3人の子どもが、自分をすり抜けて向こう側に走り去ったように思えたのだ。


(自分の人生の映画を観る…)


 ひょっとしたら俺は、この時空には実在しない傍観者か。だとしたらやっぱり、神ってのは相当に悪趣味だ。



 3人は仲良く並んで桟橋から釣り糸を垂れる。真ん中の響子が巨大なヒメマスをかけたようで、「わああ!どうすんのこれ!貴明ちゃん!景護!凄い力!落ちる落ちるよ!」などと慌て出し、周囲の大人も手伝って釣り上げ、大騒ぎになっている。ハイシーズンではないようで観光客はまばらだが、それにしてものどかな光景だ。



 などと微笑ましく眺めていると、しばらくして響子が切り出した。


「ねえ貴明ちゃん、私たちに何か言うことない?」


「え…何で?」


「どうした響子?」



 この年頃だと、どうしたって女の子のほうがマセて大人びている。人生で2番目にバカな時期(1番バカなのは中学生時代だ)の男子どもとは意識レベルが段違いで、すでに人の心を見透かすようなこともできる。



「貴明ちゃん、転校するかもしれないんでしょ」


「嘘だべ?」


 顔面蒼白の貴明。しばしの沈黙の後、



「…そうだよ」


 驚愕する景護。寂しそうに貴明を見つめる響子。


「来月また引っ越すんだ」


「なんでだよ!去年来たばっかりだべや」


「仕方ないよ景護くん。私らは子どもだも」


「でもさ…!貴明はどうなんだよ」


「ぼくは…」



 うつむいたままの貴明。涙をこらえて顔が上げられないのか。


「ぼくは引っ越しなんてしたくない。もっとみんなと…」


「う…」


 響子がこらえきれなくなる。


「うわあああん!やだよー!みんな一緒でいいっしょやー!」


「そうだよ貴明、1人で阿寒にいれや!」


 小学5年生にそんなことができるわけがない。景護も響子もわかってはいたが、吠えなければやり切れなかった。



 一方、現在の貴明も必死で感情を抑えていた。


「親父が引っ越しするって言ってから2週間、誰にも言えなかった。特に2人には最後まで知られまいと無駄な努力をして隠した。それが2人を傷つけてしまっていたんだな」



 子どもたちは一所懸命に、全力で話を続ける。


「響子はな、響子はお前のこと…」


「いいの景護。どうしようもないもん」


「響子はいつもお前にくっついてたのに、お前はぜんぜん気づかないで」


「ちょっと待ってわからない。響子がなに?」


「もういいよ、どこにでも行っちまえ!」



 貴明は心底からこの2人が好きだった。同い年なのに兄貴のように思いやりのある景護。当時から人付き合いが苦手で周囲から浮きがちな貴明に、ひたすら優しい響子。2人に比べると貴明は子どもっぽく自分勝手だ。この光景を見て改めてそれを思い出した。




「ごめんな景護、響子。俺はガキの頃からぜんぜん優しくなかったんだな。最低だ」

 眼前の過去に介入できない現在の貴明に、小さな心のトゲが蘇る。

「俺が後悔したのは、引っ越しを打ち明けるのがギリギリになったからだけじゃない。想いを渡せなかったからだ。2人への想いを、声にも形にもできなかったからだ」


 その小さな心残りは、貴明の心に鮮明な傷を残していた。たまらず貴明は、無駄だと知りつつも叫ぶ。


「おいこらクソガキ!聞こえるか⁉︎凹んでる場合じゃあねえぞ、あいつらにちゃんと渡すんだよ!」


 貴明の声は幼い自分自身には届かない。だが不意にその時、湖面からの強い風が3人に吹きつけた。カムイ【神】の懐で何万年もたゆたう湖水をたっぷり含んだ、冷たい風。その風が少年貴明の頬を叩き、そのせいかはわからないが、小さな顔がこちらへ向いた。


「おいっ!」


 少年貴明には現在の貴明の姿は見えず、声も聞こえない。それでも確かに、現在の貴明を真正面から見据えていた。


「見えるか!聞こえるか⁉︎いやどうでもいい。それを渡してきちんと話をしないと、ずっと後悔することになるぞ。それでいいのか?…。いやごめんな、後悔してんのは今の俺なんだ。だから頑張れ!頼む!」


 少年貴明は何かを感じたのか、不思議そうに辺りを見回す。しばらく煮え切らない表情でもじもじしていたが、そのうち意を決したように、 



「景護!響子!」

 小さな手に握っていたものを2人に手渡した。


「ごめんね。離れたくなくて、ずっと言えなかったんだ」


 2人の手に、キーリングのついた小さなフクロウの木彫りが手渡される。


「フクロウ…なんだよ…」


「かわいい…」


 泣き顔の景護と響子。



「響子がさ、シマフクロウは阿寒のアイヌの神様だって教えてくれたでしょ。それが忘れられなくてさ。神様が一緒ならみんな一緒にいれるって思って、おこづかいで買ったんだ。みんなでずっと持ってればさ、きっと…」


 少年貴明も、その手に同じフクロウを持っていた。



「う…お前…貴明…」


「やだよー!」


 3人の子どもたちは、立ち尽くしたまま大泣きする。


 たかが転校の別れだ。少し大人になればいつでも会えるようになるのだが、子どもにそれがわかる道理はない。5年生にとって、転校の別れは今生の別れに等しいのであった。



 

「自分を想ってくれる人の気持ちを踏みにじっちゃダメだ。一番ダメなんだ。それをこの時に学んだはずなのに、俺は今まで何をしてきたんだ…」


 当時渡せなかったキーホルダーを渡せた。たったそれだけのことだ。それでこのジャンクみたいな思い出が消えて、未来が変わるはずもないだろう。それでも貴明は、少しだけ清々しい気持ちになれていた。



 別れを告げたこの日から、景護と貴明は互いに複雑な感情が入り混じり、引っ越しの日までまともに話をすることができなかった。その記憶は今この瞬間も変わっていないのだから、未来【つまり現在】は何も変わらなかったのだろうと推測するしかない。


 響子はこの時、貴明の顔や声、言葉を記憶に留めようと必死で貴明に向き合っていた。そのいじらしさが無粋な貴明にも伝わっていたことだけは、思い出すことができた。

 幼い思い出の苦さを残したまま、貴明は近くの温泉旅館のドアを開ける。ドアはそれが当然のように白い光を放ち、彼を自室へと連れ戻した。




 …ここで少しだけ未来の話。貴明が部屋に戻ったこの時点ではまだわからないが、思い出の中にいた景護と響子は、将来結婚することになる。式の知らせが届くのは、ゲートをくぐったこの日から3年後のことだった。厳冬の阿寒で行われた結婚式には貴明も出席した。響子とは一度再会していたが、景護とはこの日まで全く会っていなかったので、実に12年ぶりに3人が揃ったのであった。


「いやー、一瞬で昔に戻っちゃったな」


「貴明ちゃん、あの時は心配したよー。そうだアレなんだけどさ」


「まさか捨ててないべな貴明」


「ったりめえよ、せーの!」


 打ち合わせなどしていなかったが、3人は一斉にフクロウの木彫りを取り出した。それを見て無邪気に笑う声は、響子が大物を釣り上げた日の嬌声と何も変わっていなかった。



(二度目でよく頑張ったな、ガキの俺。おかげでこんなに素敵な日を過ごせたよ)


 貴明は3年前にドアで体験した、修正された阿寒湖の出来事を思い出していた。




 時間軸を現在に戻す。貴明は過去へのドアから部屋に戻り、ビール片手に梨杏と話す。


「ふーん。楽しい過去の旅だったようね」


「やっぱりこのドアってタイムトラベルできるじゃん。未来というか今は結局何も変わってないけど、俺の気持ちだけは少し変わった気がするよ」


「たぶんあの2人の気持ちも、もともとの過去とは少し変わったはずよ。でもね、タイムトラベルなんて誰でもできるわけじゃないのよ。お前は本当にわけわからんな」


「才能?んなもんあるなら全部音楽に回してくれよ」


「はは、どこまでも音楽バカだね。でさ、小さな後悔を克服して、少しは人の気持ちを考えられるようになれそうかい?」


「う、うっせーよ!あの程度じゃ同じだべ。なんも変わんね」


 照れ隠しの北海道弁で強がる貴明を、梨杏は生温かいジト目で見つめた。



「今は…10時。うん、まだ夜中ではないな」


 と言って貴明は、最近買ったコードレスホンの子機を手にする。


「あらあら、人恋しくなって澄香に電話ですか?ま、どうせ一生彼女レス確定なんだから、妹でもいいよねー。神は許すよ」


「誰が澄香だっつったよ!いいから寝ろ」


「はいはい。私は10秒で寝て二度と起きないことにするから、ごゆっくり〜」


 

 ビールと気恥ずかしさで真っ赤な貴明だが、数分後、


「もしもし澄香、寝てた?いやなんでもないけどさ、風邪ひいてないか…いやいや本当になんでもないんだよ、何言ってんだよ怪しくないって。そうだ、お前昨日忘れ物…あ、してない?ああそうだっけか。はは、ははは」



 いつもより少しだけ気弱な貴明の声。澄香は敏感にそれを感じ取る。


「あーお兄ちゃん!寂しいんでしょ。しょうがないなあ、そんな時はすぐに澄香を呼んでいいんですよ?」


「こんな夜中に妹を呼ぶとかありえんわ!俺はただ、今日は寒いから澄香が風邪を…」


「うんありがとお兄ちゃん。大丈夫。澄香も声が聞けて嬉しいよ。あっそうだ、今日アリサがさあ、彼氏と喧嘩したって一日中不機嫌でさ。あの娘怒るとしつこいのよね。参ったよ本当に。あははー」



 この聡明な妹は、兄の心情など一瞬で看破してしまうらしい。だがこの時の貴明は、電話越しに伝わる澄香の思いやりに満ちた声に、陽だまりのような心地よさを感じていた。

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