#4 Listen to the music 〜音楽のおかげでかけがえのない人に出逢えたかもしれなかった

 12月中旬、寒さともにクリスマスムードが盛り上がる時期。バンドBack Door Menは、週末の対バンライブに向けて練習に余念がない。いつものようにその様子を見物している紗英や理恵たち。そのうち理恵が切り出す。



「ねえ透矢、私たちコーラスやってあげよっか」


「いいねえ。どうだタカアキ、頼むか?」


「何い?今からアレンジしろってか。まあいいや、理恵ちゃんたちなら大丈夫か」


「はっはっは、任せなさーい!」


 理恵が得意げにこつんと胸を叩く。過剰に開いた谷間がぽよんと揺れる様子を、彼らは常に決して見逃さない。



 先週学校を休んだ間のことや、ましてやドアのことなど誰も知らない。しかし紗英だけは、もやっとしたものを抱えていた。


「こら貴明!私の理恵とトウくんに偉そうにしないで!」


「へえへえすいませんね」


 普段の何気ない会話。だが紗英はなぜか楽しく感じ、笑みを浮かべる。冷たくしていた貴明に対して、不思議な引っかかりを覚え始めていた。




 金曜夜、貴明の部屋。週末は澄香が視察と親への報告のため訪ねてくる。


「ねえお兄ちゃん。澄香は牛肉とじゃがいもを買ってきました。さてどうでしょう」


「どうでしょうって、今日は肉じゃがかカレーってことだろ。どっちでもいいよ」


「ざんねーん!牛肉とじゃがいものオイスター炒めでしたー。あははー、答え半分出てたのにねー。残念兄ー、兄残念ー」


「実に残念な言い回しだな。やめていただきたい」


「あははー!あにざんねんー!」



 澄香は楽しげに食事の用意を始める。平日はファミマのビックリチキンカツが最大の贅沢である貴明には、澄香の手料理は大きな楽しみだ。何を作っても美味しいのだが、偏屈者の貴明は素直に感謝はしない。この男、一般的に言えば嫌な奴なのである。



 それにしても、あの大ピンチに思い浮かべた一番会いたい人が、彼女でもなく妹とは…。貴明は自分の情けなさを恥じ入りつつ、リズミカルにじゃがいもを洗う澄香を見やる。つやつやと光りながら左右に揺れる澄香の長い髪を見ていると、ボサノヴァのように心地良い音楽を聴いている感覚を覚えるのはいつものことだ。



 料理を待つ間、貴明はパラパラと斉藤由貴の写真集を眺める。「やっぱ斉藤由貴はポニーテールだなあ」とつぶやくと、つられて澄香が振り向いた。初めて見るパステルイエローのエプロンがよく似合う。



「ポニーテールが好きなの?」


「うん。でも由貴ちゃんのポニテが奇跡すぎるだけだよ。見ろよこのAXIAのやつ。神だと思いませんか妹よ」


「ふーん。でもさっき澄香を見て、俺の妹は斉藤由貴以上に可愛いな、とか思ったでしょ。もう、変態なんだからー」


「お、思ってね…いいから腹減った!」


「このエプロンね、今日買ったんだよ。可愛いでしょお?」


「聞いてないしー」



 オイスター炒めが湯気までも美味しそうに出来上がった。2人は床に直で座り。小さなローテーブルに向かい合う。


「いっただきまーす」


 貴明は缶ビールを飲んでいたが、澄香の料理があまりにも美味そうで、秒で箸を伸ばす。待ち切れない兄の様子を、澄香は心から嬉しそうに眺めていた。



「明日のライブさ、紗英たちがコーラスやってくれるんだ」


「へえ、豪華だね。紗英さん綺麗でいいなー、どうしたらあんなに魅力的な女性になれるのかな。てかお兄ちゃん、気になってるんでしょ?」


「何言って…俺が相手にされるわけないだろ。すでに芸プロがわんさか来てて、ちょっとした有名人なんだよあいつは」


「とか言いながら、クリスマスはウォーターフロントのホテルだなんて考えてるんじゃ?どうせ予約なんか取れないよ?」


「阿呆か!そうだ澄香、久々にライブに来ないか?明日のハコは割と落ち着いた客層だから大丈夫だよ」


「うーん、やっぱり怖いなあ。ライブハウスってさ、暗いし狭いしうるさくて」



 澄香は一度だけ兄のライブを観に行ったが、異様な熱気と爆音に怯えてしまったらしく、それ以降来ることはなかった。



「前は1人だったからだろ?不安なら彼氏と一緒に来いよ」


「私、彼氏なんていないもん」


「そうなの?アリサちゃんから澄香はめちゃくちゃモテるって聞いたぞ」



 アリサは澄香の同級生である。ワンレンがトレードマークの遊び人だが、真逆のように純真な澄香とは不思議に気が合うようであった。



「大げさなのよあの子。だいたいアリサの方が可愛いし、私はどうでもいいの!」


 妹のプライベートに干渉すべきでないとは思うが、このルックスで相手がいないのは不思議というか、いや逆にホッとする?親馬鹿ならぬ「妹馬鹿」っていう言い方はあるのかな。


「じゃあさ、いずれ渋公とかでやる時は来いよな」


「それなら行きたいかも」



 

 食事が終わり、貴明が食器を洗っていると、澄香が「わっ!」と驚きの声をあげる。


「お兄ちゃん!キーボードどうしたの?傷だらけじゃない、買ったばかりなのに」


 アザーサイドでの激闘…あの時偶然にも持ち込んだこいつの大活躍で貴明は助かったが、その愛機の惨状に澄香が気づいてしまったらしい。さてどうごまかす?



「か/階段から/転げ落ちました」


「何故に棒読み?でも妹の扱いは粗末なのに楽器だけは大事にするお兄ちゃんが、そんなヘマするかなあ」


「ライブハウスは暗くて狭くて怖いんだよ」


「ついさっき大丈夫って言ったじゃない、あはー」



 そういや梨杏は、澄香にドアのことを…話すわけないか。


「澄香、あれから梨杏に会った?」


「会ってないよ。そういえば、梨杏さんはコーラスやらないの?」


「あいつは危険人物なんで、人前に出しちゃいけない取り決めなんだ」


「なんでよー、可愛いのに。さてお兄ちゃん、澄香は眠くなりました」


「そだな。もう寝よう」



 澄香が来る時は、彼女が寝室のベッドで寝る。貴明はベッドを追われ、居間(といっても2部屋しかないマンションだが)のソファで寝るのがお決まりになっていた。


「今週のアンダーベッドチェーック!アーンド髪の毛チェック!」


「何もねえよ!お前わかってやってるだろ、いいから寝ろ!」



 貴明はライブの構成を再確認してから、寝床(ソファ)についた。


「…ナンチャラ炒め、美味かったな」



 引き戸の向こうから、貴明の独り言に答える声がする。


「じゃ、また作ってあげるね!と、澄香はここに固く約束いたします」


「うっわ、いいから寝なさい」


「はーい」



 やっぱりあんなところで死ななくてよかったと、貴明は心の底から安堵した。




 12月16日、ライブ当日。冬のライブは着膨れした観客でギュウギュウ詰めな気がする。貴明は客席を見回す。ひょっとしたら澄香が来てるかも…いるわけないか。


「澄香ちゃん今日も来てないの?久しぶりに会いたかったのに」


 常々感じているが、どうも透矢は澄香を狙っているフシがある。



「友達と映画だって。どうせあいつは来ないよ、ライブハウスは狭くて嫌いらしい」


「じゃあ渋公とか大きいホールなら来るかな?」


 どうもこいつとは思考回路が似ているらしいと、貴明はゲンナリ&赤面した。



「あ、あの娘また来てる」


 透矢が1人の観客に注目する。


「誰?」


「あの娘だよ。キャスケットとメガネの」


「マスクで顔わかんねえじゃねえか。本当に女かアレ?」


「あんな華奢な男いるかよ。ウチのファンのはずなんだよ。しかも俺の読みでは、ありゃタカアキのファンだぞ」


「なんでわかるんだよ」


「いつもずっとお前を見てるじゃん」


「まじ?」


「常識だろ、女性客はステージ上からくまなくチェック!」


 こんな不純な奴こそ、ドアで酷い目に遭うべきなのにと貴明は真剣に思う。



「てかあんな変装みたいなナリで、よく同じ娘だってわかったな」


「逆にわかるよ、あんなカッコ他にいないもん」


「なるほど。いつから来てた?」


「自分のファンとなると前のめりだな。3、4年くらい前かな」


「高校の頃から?」



 貴明と透矢は、新潟の高校生時代には同じローカルバンドにいた。地域のお祭りなどが主なステージだったが、透矢の兄をはじめ他のメンバーが大学生だったので、東京遠征した際、年齢を隠して夜のライブに出たことが数回あった。



「ハコに来てたか?」


「いた。東京の時だったと思うけど」


「ほんとマメだなあ。でもさ、他の娘みたいに出待ちとかしてくれればいいのにな」


「真面目なんだろ。いつも終わる前にはいなくなってるよ」


「つまり彼女は俺だけを観れれば、満足して帰るということだな」


「清々しいほど童貞丸出しだな。そのも可能性はあるかもしれん」





 貴明は音楽マニアの男性客にはそこそこ知れた存在だが、女性ファンは当然皆無。だがたった1人の女性ファン(の可能性)を知り、誇らしい気持ちになる。こんな俺を見てくれる娘がいるんだ、超絶可愛いに違いない、などと、妄想は中学生のように膨らむ。



「よし。今日はあの娘のためだけにがんばるわ俺」


「正体もわからないし、顔もあんだけ隠すってことは、期待は…」


「可愛いに決まってんだろ。いや既に可愛いよ、俺様の初めてのファンなのだから」


「初めてねえ。ま、お前は女の子に無駄に睨みを効かせたり、マニアックな音楽トークを無茶振りするから逃げられるんだけどな。それさえなきゃ…」



 透矢は意味深かつ楽しげな表情でつぶやいた。貴明は気にも止めず、マスクの女の子に夢中である。



 午後8時半。Back Door Menのステージが開演。前の組が3ピースバンドだったこともあり、紗英ら4人のコーラス隊を伴った8人の特別編成は抜群の華々しさでステージ映えしていた。登場した途端、透矢ファンの女性客と紗英たちのセクシーさに喜ぶ男性客の双方から歓声があがる。



「さあて、行くぞーてめえらー!」


 透矢の煽りでのっけから最高潮の会場。それを尻目に、貴明の関心はただ一つだ。



「マスクの彼女は…」


 なかなか見つからない。自分のファンというのが本当なら近くにいるかもと、キーボードブース側の客席を重点的に探す。


「あれか?」



 熱気のせいか彼女はマスクを外していたため、逆にわからなかったらしい。距離はあるが、貴明の真正面にその娘はいた。本当に貴明を見つめているらしく、確かに目が合った。気がした。


 帽子とメガネのせいで口元しか見えないが、女性らしい丸みを帯びながらもシャープな頬のシェイプ、上品な口元から推測してほぼ確実に美少女。ライブ好きな割にはノリ方がわかってないようで、小さな手でおずおずと控え目に手拍子をする様が可愛らしい。暗くて表情は見づらいが、時折照明に浮かぶ様子から察するに十分楽しんでいるようだった。



 貴明は舞い上がり、ソロは普段の3割増しの激しさで弾きまくる。急ごしらえのコーラス隊も大活躍。貴明のアイディアで紗英には4小節の短いソロパートが追加されたが、彼女のエモーショナルな美声が観客を虜にするのには十分だった。



 終演後、貴明はかつてない充実感を感じながら客席の彼女を探した。


「ああ、あの娘な。最後の曲で俺がソロ弾いてるときにいなくなったよ」


 透矢が、さっき知り合ったばかりの派手な女の子の肩を抱きながら言う。


「そうか…」


 がっかりしながら貴明は、あの娘に会う手段はないものかと真剣に考えはじめていた。




 ライブがハネて、透矢と紗英らは常連を引き連れて打ち上げに流れる。貴明は飲む気分ではなく、どうせ取り巻きもいないしと、いつも通り孤独に部屋に帰ることにした。



 部屋には灯がついている。澄香がいると思い不思議にほっとする貴明。妹は風呂に入っているようだ。貴明はソファに座って缶ビールを開ける。



「ああ、お帰り」


 風呂のドアが開き、その声で貴明が振り向くと風呂上りの澄香がいた。だが貴明はその瞬間、一口含んだビールを盛大に噴出する。



「ウヴォーーーッ!」


「何よお兄ちゃん、きったないわね、もう…」


 髪をタオルで押さえただけ。胸は控えめだが健康的につやつやと輝く肢体が丸出しの澄香に、動揺を隠せない貴明。



「あ、あ、阿呆なのかー!も少し隠せー!」


「何よ今日に限って…あっ」


「そっちこそなんだよ、今日に限って!」


「だってー!いるとは思わなくて…」


 そこまで言ってコトの重大さに気づいた澄香は、ありえない勢いで赤面した。


「わーーッ!わッ!見るなーーッ!」



 澄香のバスタオルが、3D映画のようなわざとらしい迫り方で視界を遮る。同時にそのタオルの影から、スタン・ハンセンばりのレフトアームからのラリアットが繰り出され、芸術的な角度で貴明の首に巻きつく。「いやあああ!」という澄香の叫び声が時折「ウィー!!」と聞こえたのは、あながち気のせいではなかったかもしれない。


 卒倒しながら、最近の自身の身に起こる不幸について考える貴明であった。



「なんだかごめんなさいお兄ちゃん」


「いいよ、俺もつい凝視して…いや別に見たくないですよ?妹の裸なんて興味ないですし、妹ごときは女にカウントされないですし⁉︎」


「それはそれでなんか腹立つけど、やっぱラリアットはいけないね、うん」


 しおらしい澄香。



「いや本当に、俺には無価値だから気にするなって。それに何たって今日の俺は、妹の貧乳ごときどうでもいいほどにツキまくってるのだから」


「一言一言不愉快だけど、何かあったの?」


「ふふふ。それを聞くか妹よ」


「あ、なんだか面倒くさい。やっぱいいや」


「実は、俺の4年越しの熱烈なファンがいることが判明したばかりか、その娘が今日のライブに来ていたのです!」


「いいってのに…」



 明後日の方向を見て生返事の澄香。貴明は構わず、妙なテンションで話を続ける。


「あれはもうね、超絶美少女に間違いないね」


「間違いないって、顔もわからないの?」


「うん、隠してたし暗かったから」


 

 それを聞いた澄香は少し安心したように、


「なーんだ妄想じゃない。その様子じゃ本当にお兄ちゃんを見てたのかも怪しいよね」


「う…」


 反論の決め手がない貴明。



「あの透矢が言ってんだから間違いないよ。アレは確実に俺のファンだね。次のライブで証明してやるぜ」


「まあ期待してないけど頑張ってねお兄ちゃん」


 妹の嫌味さえ気にならないほど、気分がいい。


「いやあ、愛の力は偉大だなあ、なあ妹よ!That’s a power of love!」


「バカなんだから…」



 澄香は呆れつつどこか嬉しそうに貴明を見つめる。妹なりに、偏屈でモテない兄貴を気にかけているのかもしれない。




 翌日の日曜日。澄香は用事があるとかで午前のうちに部屋を出て行った。1人になり、改めてマスクの娘を思い出して妄想する貴明。


 年はいくつかな。声を聞いてみたいな、あれはきっと天使の声だなどと妄想は膨らんでいく。ちなみに貴明は声フェチをこじらせた音楽性変態であり、声さえ刺されば顔などオマケだと常に豪語している。


 妄想しながら記憶をたどる。ピンクのキャスケットに変装感丸出しの大きなダサメガネ。マスク1枚で2/3が隠れる小さな顔。髪型は貴明の好みど真ん中の、少し長めでふわりとしたショートカット。白いセーターの袖口から甲だけが覗く華奢な手で、懸命に拍手する姿…


 100%好みだ。いかん。会いたい。落ち着くために3杯目のコーヒーを淹れようとした瞬間、ピンクに染まった玄関のドアから閃光が漏れる。うわ始まった大丈夫か?これ不純なのでは?と案ずる間もなく、貴明は光の中に吸い込まれていった。



 気がつくとまたも池袋。今度は東急ハンズの前である。なぜ飛ばされたのかを確かめるべく周囲を見渡す貴明。だが知る顔はない。またも不純な動機で飛ばされたのかと、死にかけたホテルでの恐怖が蘇る。


 それを考えると人がいる場所の方がいいし、ちょうどカフェインが足りてなかったので、目に入った森永ラブでコーヒーを飲むことにする。だが自動ドアを踏む直前、両手を体の前で組み、ガチガチに固まりながら自分を見つめる少女の姿に気がついた。



「あ、あ、あの…た、貴明さんですか…?」


「??えっと、誰、かな?」


「あ、あの…あのあの…あのですね…」



 ショートカットに、女の子らしい赤いフレームのメガネ。大人しさを誇示するような青いロングワンピ。頭のてっぺんが貴明のアゴにさえ届かない小柄な体。地味な文学少女的ルックスに見覚えはなかったが、か細い指や小さめで上品な口元を見て、貴明はハッとする。脳内で無理矢理ピンクのキャスケットと冗談みたいに大きなメガネに換装し、マスクをかけると…



「君は、ライブの…」


「そうです。まさかここで会えるなんて…」


 白い頬を真っ赤に染めてうつむきながら、人混みにかき消されそうな頼りない声で話す少女。貴明はこれ以上ないほどに胸が高鳴る。とりあえずラブの店内に入ることにした。



 注文したコーヒーに全く手をつけられないまま、貴明はやっとの思いで切り出した。


「あ、あのさ。いつもライブを見てくれてありがとね」


「え、いつも行ってるってどうしてわかったんですか?」


「いつも顔を隠していたから逆に、ね」



 自分が見ていたような話をするが、これがわかったのは透矢のおかげだ。


「うわうわあ、バレないようにしてたのに逆効果…私のバカバカ…」


 凹む様子さえ可愛い。紗英や理恵に比べれば地味で、さらにメガネが地味な印象を増幅させるが、改めてよく見ると清潔感あふれる超絶美少女だ。ついでにワンピースのラインから察するに、小柄ながら胸は大きめか。顔、スタイル、声、髪型までも完璧に貴明のタイプ。理想の女性といっても間違いない。


 周囲には紗英や理恵のような派手なタイプが多く、こうした清楚系は珍しいというのもポイントが高い。貴明は一緒にいる10分の間、いい知れぬ高揚感を感じていた。



「うん、バレてたよ。でも嬉しいよ、堂々と見てくれていいのに。大事なお金を出してくれるお客さんなんだしさ」


「私ああいうとこが苦手で…」


「その割にはよく来てくれるよね。そうだ、遅れたけど俺は剣崎貴明。専門の2年生って、ひょっとして知ってるのかな。君は?」



「す…み…すみか、です。高嶺すみか。18歳です」



「そう。いい名前だね…って、す、すみかー⁉︎」


「どうしたんですか?何かおかしいでしょうか?」


「いや違う違う違う!とても素敵な名前ですよ。ただ…」


「ただ?」


「俺の妹と同じだから、ビックリしちゃってさ」


「あ…そうなんですね。あはは、そうですか。偶然ってあるんですねー」


「本当だね。はは、はは」



 ひらがななんだ、などと名前で話がはずみ、いい感じに打ち解けてくる。


「ではすみかちゃん、いつもご覧いただきありがとうございます。今後ともよろしく」

 貴明は嬉しさのあまり、普段しないようなおどけた態度を見せた。



「うふふ、笑うと可愛いんですね。くすくすっ」


「そりゃ俺だって人並に笑うよ。って、普段の俺も知ってるの?」


「音楽をやってる姿しか知りませんよ」


「だよね。で、ウチのバンドを聴いてくれるのはどうして?やっぱ透矢かい?」

 こんな可愛い娘が俺のファンとかありえない。どうせまた…と卑屈になりつつ、貴明はあえて面倒な質問をした。



「あ、はい…。いいえ、違います」



 すみかは、何かを決意したように続ける。


「やっとお話できたんだからちゃんと言いますね。私は、貴明さんに会いたいからライブに行くんです。貴明さんは私の特別なんです」



 ハンナ・バーベラのアニメのように、アゴが伸びてテーブルを破壊するほど驚愕する貴明。小さな白い花のような可憐さに満ちたすみかが…信じられない。信じる道理がない。


「ごめんなさい勝手なこと言って。でも、ダメなんです。私が貴明さんのことを想うほどに、きっと良くないことが起きるから…」



 急に深刻な表情で絞り出すようにそう言い、すみかはいきなり出口に走った。突然のことに貴明は驚き、すぐには後を追えない。どうにか外に出るが彼女は日曜日の60階通りの人混みに紛れ、姿は見えなくなっていた。



「どうして…でもきっと、またライブで会えるよね」



 最後のすみかの言葉の謎。それは彼の意識の中でグルグルと回り続けていた。

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