Ton.18 水面のように揺れる瞳に映る、過去の幻影

 ——お前は何者だ?


 簡潔に問えば、慎重な間が返された。リュシアンの言葉の意味を模索しているらしい。


「……何者って、どういう意味ですか」

「さっきの力、あれは法術じゃないな。なぜなら、法術は治癒できない。なのに、オマエは治癒した。オマエは何者だ?」


 このオスティナート大陸には、法則世界と呼ばれる疑似的な世界に干渉し、爆発や様々な物理現象を起こす技術がある。

 法則世界変革技術——略して法術。

 だが、法術では病気や怪我を治癒できない。

 それを可能とするのは、大昔に滅んだオルドヌング族が持っていた万能の力、魔法のみ。

 そして、ティア。彼女は先ほど男の怪我を治してみせた。

 つまり、彼女は法術とは違う力を持っている。怪我を治癒できる魔法の力を持つオルドヌング族はもういない。だとしたら、彼女の持つ力は一体何なのか。


「あるいは、お前はオルドヌング族か?」

「答えません」

「答えろ」


 低く命じる。

 く、とリュシアンの持っている剣の切っ先がティアの喉元の皮膚を小さく押す。


「……それでも、答えません」


 透明な翡翠色の瞳で、ティアがリュシアンを見据える。

 答えられないのではなく、答えない。


「そもそもエルスが普通の女を傍に置くわけがないんだ。オマエには何かある。そうだな?」


 それは質問というより確信だった。

 湖水のようなティアの瞳が水面のようにわずかに揺れる。寂しげな色を落とすように。


「……ごめんなさい。それだけは、どうしても言えないんです」


 そう目を伏せながら謝罪するティア。相当、エルスに固く口止めされているのか、それともよほどの内容なのか。

 ここで彼女を脅威とみなして細い首を跳ねるのは容易だろう。後始末に少々苦労する可能性はあるが。

 一層のこと拷問でもしてみるか、と物騒な思考が脳裏をよぎる。

 一見、普通に見える彼女がどこまで苦痛に耐えられるのか、それを眺めるのは面白そうな気がする。

 どちらにせよ、時間がかかりそうだ。そう判断して、剣を下ろす。


「いいんですか?」

「よくはないが、追求したところでそう簡単に口を割りそうにないっていうのはわかった。ここで問答してる暇もねえし、あんまり重要そうでもなさそうだしな」

「それじゃあ、リュシアンさんにとって重要なことってなんなんですか?」

「俺にとって重要なのは、相手が化け物かそうじゃないか、だ。ほら、くだらねえこと話してないで行くぞ。コイツらが目ぇ覚める前に、とっとと人を呼んでお縄にかけなきゃなんねえんだから」


 リュシアンはそう言うと、ティアの脇をすたすたと歩き出した。

 遅れてついてきたティアが横から聞いてくる。


「……化け物って言いますけど、その判断基準はなんなんですか?」

「そうだなぁ」


 ぼんやりと虚空を見上げる。夕闇が訪れようとする空は濃紺と茜色を混ぜた美しいグラデーションに染まっている。


「俺にとって狩るべきと判断した奴か、そうでないか、ってとこだな。人の姿をしていようが、どれだけ人間らしくしていようが、俺に狩られる奴は全員化け物だよ。例えば、人の皮をかぶって人間を騙して陥れる、底なしの度し難いクズとか、な」


 もちろん、俺自身を含めて、な。

 そうつまらなさそうにリュシアンは付け加えた。





「今夜ですって? そんな急に人員を確保できるわけないでしょう!」


 リュシアンの話を一通り聞いた後、アルフィナはそう怒鳴った。

 場所は戻ってホーラの館、カリディア支部の宿舎の一室。そこでリュシアンは、適当に厚みのある本を台にして書類にペンを走らせていた。


「だからアコースティック・エフェクトでオマエ呼んだんだろうが。ほれ、これ」


 そう言ってリュシアンがアルフィナに差し出したのは今書いていた一枚の書類だった。


「何よこれ」


 怒っているようにも見えない様子で腕を組んだまま、アルフィナは書類を受け取ろうとしない。


自動四輪車オートモービルとライフルの使用許可書。オマエの〈十二騎士〉の権限で許可下ろしといてくれ」

「あのね、そんな公私混同みたいなことできるわけがないでしょう?」

「今夜の取引現場、取り逃しちまってもいいのか?」

「選択の余地がないような言い方しないでちょうだい」

「千載一遇のチャンスだぞ?」


 そう言って、リュシアンは煽るようにアルフィナの鼻先に書類を突きつける。

 アルフィナはものすごく不愉快な顔をすると、書類とリュシアンが手にしていた本を乱暴にひったくる。胸元からペンを取り出して書類の一番下にサインを刻んだ。


「さっすがアルフィナ様。話がわかる。いやぁ、知り合いに〈十二騎士〉がいるって本当便利だよなぁ」

「だからあなたに呼び出されるの嫌なのよ!」


 そう叫んだ後、鋭くアルフィナが睨みつけてくる。


「それで? オートモービルは犯人追跡するためってことだから、わかるけど、ライフルはどうするつもり?」

「もし相手がオートモービルで逃走したら、飛び道具は必要だろ」


 言いながら部屋を出ようとリュシアンは歩き出した。


「どこ行くのよ」


 文句を言いながらもアルフィナは後ろからついてきた。


「ティアのとこ。一応軽い説明だけはしとこうと思ってな」


 アルフィナは何か言いたげな様子だったが、何も言ってこなかった。

 部屋を出て、しばらく通路を歩いた先の扉。リュシアンたちがいた場所から二つ三つ隣の部屋の前には、リュシアンより年下の騎士見習いが立っていた。


「お疲れ様です。中にいる彼女はどうしてますか」


 騎士見習いの少年はリュシアンとアルフィナの姿――正確には、アルフィナの胸の紋章を見ると、ぴしっと背筋を正した。


「はっ、一度は外に出ようとされたのですが、部屋でお待ちくださいとお伝えしたところ、部屋の中に戻られました。今は部屋の中で静かにしているようです」

「ありがとうございます。それと、もう一つ頼みごとが。こちらの書類を十二街区の本部に届けていただきたいんです。申し訳ありませんが、頼めますか?」

「承知いたしました。それでは法の加護を」

「「法の加護を」」


 声をそろえておなじみとなった言葉を交わす。

 騎士見習いの少年が立ち去った後、アルフィナが聞いてくる。


「ティアに見張りをつけていたみたいだけど、どういうつもり?」

「今ティアにうろちょろされたらたまったもんじゃねぇからな。だからといって、俺らの会話に参加させるわけにもいかねぇだろ」

「それもそうね」

「とにかく、コイツには今日の件が終わるまでは、大人しくしていてもらわないと」

「ここで待っててもらえるよう説得できそう?」


 扉を開けながらリュシアンは答える。


「どうだろうなぁ。下手に何も言わないで閉じ込めておくよりはマシだとは思うけ――ど……」


 と、声が途切れる。

 部屋の中を見て、先に声をあげたのはアルフィナだった。


「誰もいないわね」

「おいっ!?」


 頭を抱えてリュシアンは叫んだ。

 部屋はもぬけの空だった。開かれた窓からは夜のひんやりとした風が流れ込んでいる。粗末な明かりがひんやりと、むしろ部屋を暗くしている印象がある。

 どこにでもあるような、ホーラの館の支部にある宿舎の一室だ。ベッドと椅子とテーブル、テーブルの上にあるトレイに乗った水差しとコップ以外何もない小さな部屋。だが、椅子には腰掛けているはずのティアの姿はない。

 見れば、ベッドの足にくくりつけられたシーツが窓の外に続いている。どうやら、それをロープ代わりにして外に逃げ出したらしい。

 リュシアンは窓の外から下をのぞいた。当然ティアの姿はない。見えるのは一階の窓からぼんやりと漏れ出る明かりと、その明かりによってほのかに浮かび上がった地面だった。


「あんにゃろ……。行動力はある方だと思ってたが、脱走とはやってくれるじゃねぇか」

「でも彼女、どこへ行ったのよ。どこにも行く場所なんてないでしょう」


 バカバカしいとリュシアンは首を横に振った。


「どこへ? あの馬鹿娘がどこに行ったなんて決まってんだろうが」

「どこよ」

「アドニス病院」

「なんのために?」


 それは考えたくない質問だった。頭痛がしてくる。


「俺が知るかよ。あの馬鹿娘のことなんか。どうせ、犯人説得するとか、そんなとこだろ。バカなことはやめて投降してくださーいってやつ」

「まさか」


 信じられないと口を大きく開くアルフィナ。

 その気持ちは痛いほどわかる。しかし、丸一日近く、ティアを観察したリュシアンに言わせれば、十分に有り得ることだった。


「説得したところで彼らが処刑されることに変わりはないわよ?」

「投降したら罪が軽くなって処刑されなくなるんじゃないかと思ってるんじゃねえの。あるいは、このままだと殺されるので、悪いことはやめて、殺される前に逃げてくださいとか言ってるかもしれねえ」

「彼女は一体どっちの味方なの?」

「どっちの味方でもねぇよ。しいていうなら、正義の味方ってところか?」


 くだらない、と内心であざ笑いながらリュシアンは部屋を後にした。

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