エピローグ
『わたしを守ろうとしてくれて、ありがとう…』
「う、うーん…」
ミキは左腕にしびれを感じながら、ゆっくりと体を起こした。体にかけられていた薄い毛布がするりと落ち、腰のあたりで丸まった。
見覚えのあるソファーに横になっていて、あたりを見回すと椅子に座っている男、灯台守のユウイチがこっちを見ていた。服は不思議と濡れていなかった。
「ミキちゃん、ようやく起きたようだね。大丈夫かい?」
「え? うん、だいじょうぶ…みたい。わたし、寝てしまってたの?」
ミキは薄い毛布を膝の上に載せ座り直した。
「遺構の前にいたのは憶えてるかい?」
「うん。なんとなく」
「ミキちゃんがいなくなってマスターとふたりで探していたんだけど、やっとあの遺構で見つけたと思ったら今度は急に倒れ込んだから、あのときはほんとにびっくりしたよ。それでマスターが背負って帰ってきたんだけど、それからずーっと、もう3時間くらい経つかな」
「そんなに?」
「疲れてたんじゃないかな。暑かったしね。マスターはちょっと外に出てるけど、もうすぐ帰ってくると思うよ」
「うん…。そういえば、雨はやんだの?」
ミキはわずかに光の弱くなってきた窓の外を見て聞いた。
「雨? ああ、にわか雨だったし、もうずっと前にやんでるよ」
「わたし、まだちょっと寝ぼけてるのかな…」
「麦茶が少しあるけど飲むかい?」
「うん。ありがとうございます」
ミキは毛布をたたんで横に置き、椅子に座って、ユウイチがポットから注いだ麦茶をすすった。温かい麦茶だ。その時ふと思い出した。
「竜…」
「竜?」
「そう、夢に竜が出てきたの。夢にしてはやけにはっきり憶えてるんだけど、でもやっぱり夢は夢だよね…」
「どんな夢だったの? よければ聞かせてくれないかな」
ミキは夢で見たことをかいつまんで話した。遺構を見つけて気がつくと知らない場所にいたこと、不思議な服を着た青年のこと、その人たちが竜を守っているということ、そして間近で見た竜のこと、その竜のガラスのような瞳が深くて濃い青色をしていたこと。
「わたしのペンダント…」
「ペンダントならここにあるよ」
カウンターのテーブルに置かれた緑色のペンダントは、内側から光っているようにも見えたし、外から差し込む光を反射しているだけのようにも見えた。
「そういえばあの本にも似たような竜が出てきたな。どこだったかな」
ユウイチは棚から『竜と生きる人々』の1冊を取り出し、ぱらぱらとページをめくりはじめた。
「おじさん、その本」
「ん? ああ、昼間に話をしてたやつだよ。たしかそんな竜がいた気がしたんだけど…」
「そうじゃなくて、それ6って書いてあるの?」
「そうだよ。これが6巻で最終巻だよ」
『夢の中では5冊しかなかったんだけど…』ミキは言いかけてやめた。夢の話をしてもしかたがないか。
「それでその6巻はどんな話なの?」
「えーとね、勇者たちのおかげで竜はことごとく退治されて、人々は怯えて暮らすこともなくなった、というのが5巻までの話で、6巻は、今度は竜を守らなくちゃいけない、という話さ」
「え? 守るっていっても竜はみんな退治されてしまったんでしょ?」
「そうなんだけど、実は世界中のいろんなところに、人間から隠れるようにほそぼそと生き残っていた竜がいたらしいんだ。人間とうまく共存していた竜もいたらしい。その生き残りの竜を守って卵や子どもを産ませてふやそうとした人たちがいて、やがて地上に再び竜が舞うようになったという話だったよ」
「せっかく退治したのに、今度はふやしたの?」
ミキはそう言いながら、既視感を覚えていた。この話、夢の中で聞いた話と同じだ…。
「まあ、お話だからね。竜がいることで人間にとってもいろいろとメリットがあったって書いてあったし、そもそも、何億年も生きてきた竜に敬意を払うような感覚もあるんじゃないかな。そうだな、例えば神様を敬うような。
「それはそれとして、物語のハイライトは1頭の大きなメスの竜の話なんだけど…、あっ、これこれ、さっき言ってたのはこの竜のことだ。全身が黄金色の竜。んーと、で、嵐の中を飛んできて、それで…、3匹の子どもを産んだ…ところまでで終わってるな。おかしいな、昔読んだときはもっと先まで書いてあった気がするんだけど、記憶違いだったのかな。年をとるとだめだね」
「子どもを産んだかどうかはわからなかったけど、夢の中で聞いた話にすごく似てる」
「本を読んだことはあるんだっけ?」
「ううん、今日初めて知ったの」
「何だか不思議だね。……不思議ついでに、ミキちゃん、アルニレヒトって知ってるかい?」
「いいえ、知らない」
「これはわれわれ灯台守に古くから伝わっている名前で、今の言葉にすると、竜を守る人、という意味なんだ」
「竜を守る?!」
「そう。さっきのミキちゃんの夢の話と、この『竜と生きる人々』の6巻の話。さっきからちょっと気になってるんだ」
「なにが?」
「なにがって、なんで灯台なのに竜なのかってこと。ずっと不思議に思っていて、昔の人は海が荒れるのを竜に例えて、それから町の人々を守るのがわれわれの仕事なんだと思っていたんだけど、ひょっとしたらここで本物の竜を守ることが本来の仕事だったのかもしれない、なんて思ってね」
「でも竜なんて想像の生き物でしょ? わたしのは夢の話だし、本もお話だし」
「まあ、そうだね」
「だったらそんなことあり得ないでしょ」
「でもなんだか似すぎじゃないかい?」
「それはそうだけど…」
ミキはなんだか違和感を覚えた。なにかがおかしい。けどなにがおかしいのかわからない。いつも使っているカップに描かれた
「そうだ、お父さんの話は聞いてるかい?」
「パパ?」
「そう、竜を探しに行くって出てったきり音沙汰がなかったけど、近いうちに帰ってくるっていう連絡が…」
「ほんと?! でもちょっと待って、竜を探しに行くってなに?」
「あれ、てっきり知ってるものと思ってたけど…」
「…オオオォォーーーン」
外から何かが鳴く声が聞こえてきた。
ミキとユウイチは顔を見合わせた。
「行ってみよう」
「うん」
ミキはテーブルに置かれたペンダントをつかみ外へ出た。
*****
空はあかね色に染まりつつあった。
灯台の横に出ると、潮風を頬に感じながら遠くを見つめた。
くっきりと白く輝いた月に向かって、金色に輝きながら羽ばたいていくものがあった。
波が荒々しく打ち寄せる音が反響している。
左手にぶら下げたペンダントから緑の光があふれている。
その時、人が走ってくる音がした。
「やっと見つけたっていうのに、あと一歩遅かったか! まさに灯台もと暗しだな。ちくしょー!」
ミキが振り向くと、顔にホクロのある髭面で白髪まじりの男の姿があった。おばあちゃん? それがミキの第一印象だった。
「ん? その緑の光…」
男と目が合った。
「そのペンダント……ひょっとして、ミキか?」
「誰?」
「おい、ハヤトじゃないか!」
遠くから声がした。
「あ、おじさん…」
男はミキに近寄り、顔をまじまじと見つめた。
「ミキなんだな?」
「え?」
そして男は破顔した。
「やっぱりそうか! おれはお前のとうさんだ。かあさんに似てきたな!」
「パパ?」
ミキの父親だと名乗るその髭面の男はにかっと笑った。
銀色のトンボが2匹寄り添いながらミキの頭の上をくるりと回り、そして大空に向かって、高く、高く、飛んでいった。
おわり
2020年6月21日 夏至
竜と生きる人々 竜守り人〈A tale of the man who conserve Dragons〉 蓮見庸 @hasumiyoh
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