のこされたもの
「うわぁ、派手にやったなあ!」
白髪まじりの男が、そう言葉を漏らしながら扉を開け入ってきた。そして部屋をひと通り見回し、これ以上ないくらい目を丸くした。
「こりゃ驚いた! おいサトル、これはいったいどういうことだ」
座っているサトルの背中に向かって声を投げる。
「あ、お帰りなさい。どうもこうも、こういうことです」
「こういうことですって、おまえ、そこにいるのは…」
サトルを囲むように、ひと抱えほどの大きさの生き物が3匹、ピーピーギャーギャーとやかましく声を上げている。体はころんとして目は大きく、愛らしい姿をしているが、口元には小さいながらも立派な牙が生え、そして体の大きさに見合わない小さな翼をさかんに羽ばたかせている。これは誰が見ても間違いようのない竜だ。
「竜の子どもにしか見えませんよね…。私もさっき気がついて何がなんだか…」
「おいおい『何がなんだか…』なんてのんきなこと言ってる場合じゃないだろ。しかも子どもじゃないか。たいへんなことだぞ」
「わかってるんですけど、でもなぜだか仔犬が産まれたくらいにしか思えなくて、いまひとつ現実感が湧かないんですよ…」
「いっぬぅ、だと? お前やっぱりどれだけのことかわかって…」
「そういえば女の子に会いませんでしたか?」
「女の子? いや、会ってないが」
「下にでもいるのかな…。そうだ、それより、この子どもたち、お腹を空かせてるんじゃないかと思うんですけど」
「ん? あ、そうだな、とりあえず肉でもやってみるか? 下にソーセージがあるよな、あれをやってみたらどうだ?」
「そうしたいのは山々なんですが、さっきからこれです」
サトルが立ち上がり歩こうとすると、竜の子どもたちが行く手を阻み、身動きが取れない。
「わかった、ちょっと待ってろ」
白髪まじりの男は背負ってきた荷物を扉の脇にどっかりと置き、床に散乱した瓦礫を踏みながら階段を下へと向かった。
天井には大きな穴が空き、太陽の光が燦々と降り注いでいた。
『わたしの子どもたちを守ってくれないかしら』
サトルは頭の中に響いた声を思い出していた。目の前の子どもの竜は相変わらずやかましく騒ぎ立てている。
『あの声は、何を守るのかもすぐにわかると言っていた。こいつらはやっぱりほんとうにあの竜の子どもなのか?』
信じられないが、これだけのものを見せつけられてしまっては、信じない理由がない。
白髪まじりの男が階段を上がってきた。首には連なったソーセージを、まさしくネックレスのように何重にも巻いている。その姿が見えるや、竜の子どもたちの目が変わり、いっせいに駆け寄っていき、いちだんと大きな声で鳴きはじめた。
「わかったわかった、今やるから待てって」
「下に女の子はいましたか?」
「いやいなかったぞ。さっきから誰を探してるんだ? あ、いてっ、これは俺の指だって…」
「女の子です。よく思い出せないんですけど、ずっと一緒にいたはずで、でも気づいたらいなくなってしまって…」
「昨日ここを出てから誰にも会わなかったし、今朝もそうだ。そもそもこんな場所に女の子が来るわけないだろ。俺だってやっとたどり着いたんだぜ。それともまた竜を狙ってるやつが出てきたっていうのか?」
「確かに見ないような服を着ていたし、変わった雰囲気でしたけど、悪い人ではなさそうでした…」
「夢でも見てたんじゃないのか?」
「そんなことは…あの子に手伝ってもらったおかげで、今こうしていられるんじゃないかという気がするんですけど…。でも夢と言われたらそうかもしれません…」
サトルは遠くを見つめ、女の子が部屋の中で倒れていたようなおぼろな記憶をたぐりよせながら、独り言のようにつぶやいた。
「そうか。まぁ、何があったのかはあとでゆっくり聞くとして、とりあえず少し休め。しばらくは俺が仕事を代わってやるから。…と言いたいところだが、この状況じゃ何もできないか。おい横取りするなって、なかよく食べろ。そうだいい子だ」
「じゃあちょっと下で休ませてもらいます。あとはお任せします」
「おう、そうしろ」
竜の子どもたちはサトルが通り過ぎるのを目で追い、今にもあとを付いていきそうにそわそわと気が気でない様子だが、男の持つソーセージに食らいつき引きちぎろうと夢中になっている。やはり食欲には勝てないようだ。
サトルが地下へと続く階段を下りると、明かり取りの小さな窓から光が差し込んでいた。倉庫に隠れていたことを思い出しながらなんとなくポケットに手を入れると、ゴツゴツとしたものに手が触れた。石でも入っているのかと取り出すと、それはいびつな形をした緑色の石で、薄暗がりの中、とても淡く光っていた。そしてほんのりと温かい。
サトルはその石を握りしめ、あわてて階段を上り返し、瓦礫に足を取られながら入口の扉へ駆け寄った。しかし瓦礫が引っかかっているのか、扉はうまく開かない。そのうちに竜の子どもたちが集まってきた。
「おい、どうした」
「夢じゃなかったんですよ、やっぱり」
「さっきの女の子のことか?」
「探さなきゃ!」
早く、早く! 気が焦るばかりで扉は一向に開かない。早く開け! なかば強引に、力任せに扉を引っ張っていると、ガタンと音を立てて開いた。その瞬間、外から強い光がサトルの目に飛び込み、全身が真っ白な光に包まれた。
「うわっ!」
反射的に両目を閉じると同時に、左手で目をおさえる。一瞬で目蓋の裏に赤い光が焼き付いたのを感じる。やがて目がなれてきたと思うころ、少しづつ目を開けていくと、そこには、どこまでも続く青い空のもと、一面の草原が広がっていた。
サトルは竜になったように草原の上を飛んでいく自分の姿が頭に浮かんできた。その飛んだあとには風になびく草花の道ができ、草原の次にはごつごつとした岩場の上、緑の濃い森の上、そして群青色の海の上と、視界が次々にめまぐるしく変わっていく。そして最後にあらわれてきた島の先端部分、草花の緑と海の青の境界線に、白亜の細長い塔が建っていた。
ふっと我に返り足元に目をやると、雨に濡れた草の葉が光に照らされ、雨粒がきらきらと光っている。そして、そのきらめきのひとつひとつはまるで水晶玉のようだった。
「ここはどこだ?」
見たことのあるようで、見慣れない風景。
これはあの子のいる世界。同じようで違う世界。いや、違う時代?
きっと、彼女の見ている風景にちがいない、そんな感じがした。
「おいどうした?」
「え? あれ?」
男に声をかけられ、サトルが見ていた景色は一瞬で霧が晴れたように消え失せ、いつもの見慣れた風景が広がっていた。しかし、見慣れないものもあった。そう、さっきからサトルをじっと見上げている竜の子どもたちだ。
いくら努力しても結局は何も変わらないと思っていた日常に、思いがけず異質な歯車が加わり、回転は加速し、予想のできない動きを始めた。
「これ、あの子が持っていたペンダントなんです」
握っていた手を広げて緑の石を見せる。
「ペンダントだって? ちょっと俺に見せてくれないか」
「はい」
サトルが男に石を渡すと、竜の子どもたちがいっせいに騒ぎ出した。まるで、お前が持つものじゃない、早く返せと言っているかのように。
「サトル、これ、何か知ってるか?」
「何かの宝石じゃないんですか?」
「
「何ですかそれ」
「おいおい、お前知らないのか? 成熟したオスだけが持っている石、というか鱗だな。あの胸のところにあるやつだ。本で見たことあるだろ? で、メスはこれを目印にオスを識別しているとも言われているんだ…って教わらなかったか?」
「聞いたような気もしますけど…」
「かなり珍しいものだぞこれは。宝物にでもするんだな」
サトルが石を受け取ると、それは周りの光をすべて吸い込むように一度強く光った。その光を見ながら、もうあの少女には会えない、理由はわからないがそうに違いない、サトルはそう確信した。
『そうだ、娘が産まれたら、あの子が持っていたように、この石でペンダントを作ろう。きっと元気な子に育ってくれるに違いない』
「なんだ? 嬉しそうだな」
「いえ、なんでも。ちょっと娘のことを考えていたんです」
「そういえば、もうすぐ産まれるんだったな」
「はい。この仕事がひと段落したら病院に行こうと思ってたんですけど、こんな状況じゃ当分無理そうですね…」
「本部への報告とかそのあたりは俺が適当にやっとくから、とりあえず今は少し休め」
「そうします」
サトルがふわぁーとあくびをしながら階段を下りていくと、竜の子どもたちも付いていき、部屋には白髪まじりの男ひとりだけになった。
「お腹がいっぱいになったらもうこれか。さながら俺は食事当番ってとこか。現金なやつらだ、まったく…。さて仕事でもするか。それにしても何から手を付けていいやら」
サトルがベッドに横になると、竜の子どもたちもベッドに上がってうずくまり、すぐにスピーと寝息を立てはじめた。
『竜の子どもなんてこれからどうやって育てていけばいいというのか…』
『あなたならきっとできる』
あの声が頭に響いてきた。この子どもたちの母親の声。
「やるしかないか…」
手のひらの中の緑竜石、そして寝息を立ててぐっすりと眠る3匹の様子を見ながら、サトルもいつしか深い眠りに落ちた。
ひんやりとした薄暗がりの部屋の中、ひとりと3匹はあたたかくて淡い緑の繭に包まれているようだった。
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