竜とのめぐりあい

 ふたりはずぶ濡れのコート姿のまま、はぁはぁと荒い息をしていた。扉の向こうから雨が叩きつける音が聞こえてくる。

「今、金色の何かが、見えたような気が、したんだけど」

「金色だと!? どこに?」

「ちょうど、扉の向こう」

「たぶん竜だ。いや、間違いない。もうこんなところまで来てるのか。とりあえず下に逃げよう、早くこっちへ…」

 ふたりが重い足を引きずるように階段へ向かおうとしたとき、部屋の中に強烈な光が差し込んできた。お互いの顔がカメラのフラッシュを浴びたようにハレーションを起こしたその瞬間、轟音と地響きに襲われ、部屋は真っ暗になった。

「あっ!」

「きゃぁ!」

 ふたり同時に声を上げた。

 その後に訪れる静寂。それが永遠にも感じられる。心臓はバクンバクンと早鐘を打ち、このまま血管を破って血があふれ出してくるのではないかとさえ思ってしまう。

 ジーンとした耳鳴りが徐々に薄れてくると、再び雨と風の音が聞こえるようになり、と同時に、焦げくさいにおいが部屋の中に充満してきた。

「なんだこのにおいは」

「なにかが焼けたみたい」

「上か…。ちょっと見てくるから、先に下に行っててくれ。階段を降りてすぐの扉を開けて、その中に入っていてくれ」

「わかった」


 サトルは懐中電灯を手に階段を上がっていく。念のためにずっと肩にかけていたライフルを構え、部屋をひと通り見回してみる。天井に一部穴が空き、そこから雨が吹き込んでいるだけで、他には特に異常はなさそうだった。ライフルを下ろしほっと一息つく。四隅の小窓からも雨が吹き込み、床一面水浸しになっている。ごちゃごちゃとしながらもそれなりに整理して置いてあった道具類は散乱し、黒く焦げているものもあるように見えた。においの正体はこれのようだった。

「雷か。火事にならなくてよかった…」

 そうつぶやいたとき、風と雨の音のなかから竜の声が聞こえてきた。

「オオオォォーーン…」

 その声に続き、

「…ウウウゥゥゥーーン…」

「…ヲヲヲォォーン…」

 というひずんだ音がこだまのようにあたり一面に鳴り響いている。

 さらにその音に反応するように、竜は時間を置いて何度も鳴いているが、竜の声がそれ以上大きくなることはなく、近づいてくる気配もなかった。

 竜は戸惑っているのだろうか。それとも警戒して近づいてこないのだろうか。いずれにしても例の装置がうまく動いているようだ、サトルはそう確信した。


 一方のミキは、サトルに言われたとおり暗い階段を降り、すぐ脇にあった扉を開け、中に入った。そこはひんやりと冷たく、懐中電灯で照らすと、床に置かれた木箱の中に野菜が積まれ、天井には連なったソーセージがネックレスのように何本も垂れ下がっている。どうやらここは食料庫のようだった。

 扉を閉めるとびっくりするほど静かだった。外の音はほとんど聞こえてこない。

 外に繋がっているのであろう反対側の扉の小窓が少し明るくなっていて、野菜の箱を避けながら近づくと、一定のリズムを刻んで水が流れ落ちる音がしていた。

 そして、

「…オオオオォォォーーン……」

と竜の鳴く声が聞こえてきた。それに続いて「ウウウ」とも「ウォー」とも形容しがたい音があたり一面に響き渡っている。聞き耳を立てていると、少しの間を置いてまた竜の声が聞こえる。そしてふたたびいびつな音。それが何度か繰り返されていた。

 ミキはコートのボタンをはずし、胸元を少し緩めると、ふいにペンダントがこぼれ落ち、緑の光が淡く明滅し始めた。


 竜の声が突然ピタリとやんだ。その後に続くいびつな音もピタリと途切れた。


 しばらくして竜が「グオォォー!」と一度大きく鳴いたかと思うと、それから不気味な静寂が訪れた。ときおり雷の音だけが響いてくる。


 ミキが扉に張り付くように外の様子を伺っていると、急に雨の音がなくなり、雨がやんできたのかと思ったのもつかの間、またすぐに音は大きくなり、さらに頭上から「グオオオォォーー!!」という声が聞こえてきた。とても大きな声だった。そして「グルルルル」と鳴きながら飛んでいるようだった。

「あ、ここに来るんだ」

 ミキは何の疑念も持たずそう思った。まだその姿をはっきりと見ていないからなのか、それともあまりにも現実離れした状況だったからなのか、恐怖心などはひとつまみもなかった。ただ、竜がここに来る。漠然とそう確信したのだった。

「グルルルル」という声がだんだんと大きくなり、扉の向こうに竜が降りてきた気配がする。いや、気配どころではなかった。建物全体が一度大きな音を立てて揺れ、ミキは床からもかなりの振動を感じた。巨大な生き物が激しく呼吸する音、そしてゴロゴロと猫がのどを鳴らすような音が聞こえてきた。扉を隔てた向こうから伝わってくる圧倒的な威圧感。早くここから離れなければと思う一方、自分でも不思議なことに、逃げ出そうという気になれなかったのも事実だった。


 ギシギシと音を立て、サトルが扉を開けて入ってきた。暗くてどんな表情をしているのかわからないが、息は荒く切羽詰まった様子がひしひしと伝わってくる。

「そんなところにいると危険だ、こっちに早く」

 奥の扉の前にいるミキを認めたサトルは、懐中電灯の明かりを消し、声を潜ませながら手招きする。

「え?」

 その声に気がついたミキはびっくりして振り向いた。そうだ早く扉から離れなくちゃ。なんでぼーっとしてしまっていたんだろう。床に置かれた木箱にぶつかりながらサトルのほうへと移動した。

「ペンダントもしまって。竜に気づかれてしまうかもしれないから」

 ミキの胸元で緑の光が揺れていた。ミキはペンダントを服の中へしまい込むと、ライフルを抱えて床に座っているサトルの隣に並んだ。

「ケガはないかい? 上にいたら空から竜が近づいてきて、建物のどこかにぶつかったみたいなんだ。それで急いで逃げてきたんだけど、まさかいきなりこんな近くに来るなんて思いもしなかった…」

 サトルはまだ息が荒い。

「この前とは違うの?」

「こないだは、だんだんと近づいてきたから、まだ余裕があったけど、今回はいきなりだからな…。でもここにいれば安全だから、しばらくおとなしく隠れていよう」

「うん」

 ふたりは言葉を交わさず奥の扉をずっと見つめていた。暗く静かな部屋の中、相変わらず竜の気配はするが、幸いなことに近づいてくるような様子はなかった。

 また時間の感覚がなくなってきた。トクントクンと心臓の音が大きくなってくる。

「オオオォォォーーン」

 竜の鳴き声が聞こえてきた。

 ふたりはぎくりとし身構えるが、その声はだんだんと建物から離れるように小さくなっていき、しまいには雨と風の音だけが小さく聞こえてくるようになってきた。

「どうやら飛んでいったようだな。ひとまず安心だ。建物の様子を見てくるとするか」

「まだここにいたほうがいいんじゃない?」

「ちょっと確認したら戻ってくるよ」

 サトルは階段を上がり、懐中電灯の明かりで部屋の中をひと通り見回してみるが、天井から水がしたたり落ち、水たまりができている所がいくつかあるものの、それほど被害はなさそうだった。

 少しほっとして建物の外側もざっと見ておこうと扉を開けると、正面10mくらいだろうか、暗闇の中、周りの空間と比べてぼんやりと明るく、そこだけ雨の当たり方の違う大きなかたまりがあった。壊れた建物の一部が落ちているのかとサトルはいぶかしみ、懐中電灯で照らしてみると、ギラギラとした鈍い金色の輝きが返ってきた。

「これは…」

 ごくりとつばを飲み込む。みしりと物音がして振り向くと、ミキがすぐ後ろにいた。

「あれは…?」

「早く戻るんだ、早く」


 その時、大きなかたまりの動く気配がした。


 やっぱり気づかれてしまったか…。


 それが何であるかはもう明らかだった。


 けれどどうしてこんなところにいるのか…。時間を戻して油断していた自分を叱りたい。


 うずくまっていた竜はゆっくりと首をもたげた。サトルが懐中電灯の光を向けたままだったので、体の動きに合わせて、全身を覆う鱗が金色にギラギラと輝き、ふたりを見据えた目がきらりと光った。


 ふたりの足はすくみ、動こうとしても動けない。


 竜はゆっくりと立ち上がり、そしてえた。


 あとにも先にも聞いたことのない、耳をつんざく咆哮ほうこう

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