嵐の中へ

「ちょっと外へ出てくる」

「えっ、こんなときに外に出て大丈夫なの?」

「今の声はたぶん風にのって聞こえてきただけだから、まだかなり遠くにいると思う。大丈夫かどうかはわからないけど、どうにかしてこっちへ来ないようにやってみる」

「そんなことができるの?」

「これを試そうと思っているんだ」

 サトルは部屋の隅に置いてあった大きな箱を引き寄せ、中に入っているパーツを取り出し組み立てていく。すると、奇妙にゆがんだ球形のスピーカーのようなものができあがってきた。

「これは受信した音を内部で増幅させて、発信源に返す装置なんだ」

「スピーカーとは違うの?」

「似たようなものだと思うけど、通信装置か何かかなと思う。道具屋でたまたま見つけただけだから、実際は何に使うものなのかよく知らないけど」

「え? よくわからないものを使うって…」

「安くて使えるものならなんだって使うよ。ただ安物だからなのか、装置としては重大な欠陥なんだろうけど、発信源にちゃんと音が返らず、いろんな方向に拡散してしまうらしいんだ。でもこの欠陥を逆にうまく使えないかと思ってね。装置の周波数をいろいろ変えて、高い音や低い音が返るように設定しておいて、それをこの建物の周りに何個か置いておけば、竜が鳴いたときに声が反射して、近くにいろんな竜がいるように騙せるんじゃないかと思わないかい? うまくいけばここに来ないようにできるんじゃないかと思ってるんだ。

「前回、竜に小屋を壊されてからいろいろ考えていたんだけど、ほかにいいアイデアが浮かばなくてね。ダメもとでやってみる価値はあるかなと思ってるんだ。ほんとうはふたりでやらないとたいへんなんだけど、なんとかやってみるよ。…さて、できた。全部で5個か。まあこんなもんかな。

「ほら、そんな格好じゃ危ないから、君はこれを着て地下の倉庫に隠れていてくれ。万が一この建物が壊されても、あそこは滅多なことで潰されることはないから」

 サトルは壁に掛けてあった深緑色のコートをミキへ渡した。

「階段を降りてすぐ扉があるから、その中で待っていてくれ」

「わたしも行く」

「ん? あぁ、危ないからだめだよ」

「だってふたりでやれば早くすむでしょ?」

「それはそうだけど、とにかく危ないからだめだ」

「手伝わせて」

 こんなやりとりを何度か繰り返した。しかしミキは一歩も引こうとしない。こうと決めたときの気の強さは母親ゆずりだとよくいわれる。

「……わかった。でも絶対勝手なことはしないでくれよ」

 とにかく時間が惜しい。ただ、この建物にいても安全だとは言い切れないから、サトルとしては目の届くところにいてもらったほうが安心といえば嘘はない。

「じゃあこの荷物をお願いできるかな」

 サトルは小さなリュックに荷物を詰め、懐中電灯とともにミキに手渡した。そして自分はいびつな球形の装置がはみ出したずっしりと重いリュックを背負い、肩にはライフルを忘れなかった。

「そんなものも持っていくの?」

「念のためさ」

 そうだ、念のためだ。いつものくせで手にしてしまったが、できればこんなものは使いたくない、いや何があっても絶対に使ってはいけないと、サトルは自分に言い聞かせた。


 ドアを開けると、外の世界は色を失っていた。部屋の明かりに照らされた雨が、まるで槍のように無数に降り注ぎ、地面に突き刺さっては消えた。奥に広がる暗闇の中では風と雨が渦巻いているのがわかる。

 ミキとサトルはコートのフードを深くかぶり、それぞれ手にした光を頼りに、暗闇の中へ一歩、そしてまた一歩と進んでいった。


 * * *


「とりあえず、一番近いところから始めよう」

 サトルが振り返ると、ミキのコートの首元からペンダントが垂れ下がり、揺れながら光っている。

「そのペンダントは大事なものなんだろ。ちゃんとしまっておかないとなくしたら困る」

「あれ、いつの間に…」

 さっきかがんだときに出てきてしまったのだろうか。ミキはペンダントを服の中にきっちりとしまい込んだ。緑色に光る石は雨で濡れていたが、肌に触れると温かみを感じた。

 冷たい雨は横から叩きつけるようになってきた。手はぐっしょりと濡れ、冷たくなっている。

「このあたりでいいかな。リュックを渡してくれないか」

 サトルは背負ったリュックの中からいびつな球形の装置と棒をひとつずつ取り出し、棒をねじって差し込み、先端部から地面に埋め込んだ。そしてミキのリュックにしまっていたロープをくくりつけ、四方に向けてのばし、ゆるみのないように張り、固定した。

「風で揺れてるみたいだけど大丈夫なの?」

 やはりロープで固定しただけでは十分とはいえないようだ。

「少し心もとないけど、まあ抜けなければなんとかなるだろう。これからスイッチを入れるから、あまり大声は出さないようにしてくれ」

 サトルが装置の下にあるスイッチを入れると、一瞬、カチッという音がし、ブーンと耳鳴りのような音が鳴り続けた。スイッチの横にあるダイヤルを回すとブゥワーァンと低くひずんだ不思議な音になり、だんだんと大きくなっていった。

「ここをこうして…」

 サトルが別のダイヤルを回すと、今度はその音が高くなったり低くなったりした。

「ここは最初の音でいいかな……と」

 再び低くひずんだ音が流れ続けている。

「あとは音量を最大にして。よしこれでいい。ちょっとそれを取ってくれないかな」

「なに?!」

 ゴゥワァァーンと増幅されたミキの声が奇妙な音となって装置から流れてきた。しかも大音量で。

「うわっ…」

「ごめんなさい! あ…」

「うっ…」

 ゴワンゴワンと低い音があたりに響き渡ったが、すぐに雨と風の音にかき消された。

「びっくりしたー。でもこれでこの装置が使えそうなことはわかったから、残りも設置しに行こう。ただここから先は崖沿いを歩くから、絶対に離れないで付いてきてくれ」

 サトルは話しながら荷物をまとめ、リュックを担ぎ歩き出した。

「わかった」

 ミキは声のトーンを落として答え、サトルの足元を照らしながら、ぴったりと後を付いていった。


 どれくらい歩いたのだろう。時間の感覚もなくなってきた。ずいぶん歩いた気もするし、まだ1分も歩いていない気もする。

「きゃっ!」

 ミキは濡れた草に足を取られ、片膝をついてしまった。

「大丈夫か?」

 サトルが振り返る。

「ちょっとすべっちゃった…」

「ケガはないか?」

「これくらい大丈夫」

「ここからちょっと狭くなるからゆっくり行こう」

 そのとき。

「……オオオオオォーーーン………」

 あの声だ。ミキとサトルは顔を見合わせた。さっきよりはっきりと、そして音も確実に大きくなっている。

 ふいに空が光り、海との境界線があらわになった。そして少し間を置いてゴロゴロゴロと雷鳴が響いてきた。

「まだ大丈夫だ。……もうひとつはここにしよう。ロープを出しといてくれないか」

「わかった」

 サトルは、こんなことになるんだったら先にやっとけばよかったとひとりごちながら、装置を組み立てていく。スイッチを入れ、音の高さを調整する。先ほどとは違い、ギュウゥィーンという高い音が流れてきた。

「これでいいだろう。せめてあとひとつ。急ごう」

「うん」

 サトルは懐中電灯の弱い光だけを頼りに先へ先へと歩いていく。ミキは離れないように付いていき、途中何度か滑りながらゆるやかな坂道を下りていった。

「ここにしよう」

「はい」

 ミキがリュックを下ろしロープを出そうとしたとき、突然あたり一面が昼間のように明るくなり、今いる場所の景色がはっきりと映し出された。正面から右には草の茂み、左は断崖絶壁で地面は途切れ、その先に荒れ狂う海がある。続けざまにバリバリバリという轟音が全身を貫き、地面が揺れる。一瞬の出来事に声も出せなかった。

「うわっ」

 サトルの声に振り返ると、荷物でふくれたリュックが淡く光っていた。

「あちっ!」

 サトルは中から球形の装置を引っ張り出しあれこれといじっていたが、何も反応がないようだった。

「だめか…。もうここにいても仕方ない、とにかく危険だから早く戻ろう!」

「わかった!」

 サトルはほとんど駆けるように坂道を上り、ミキも遅れないようにその後を追う。懐中電灯の光はもうほとんど役に立っていない。足元は滑り、気ばかりが焦る。

 空が稲光で光る間隔は短くなり、ついさっきまでくぐもって鳴っていた音はだんだんと鮮明に、そしてトゲトゲしいものに変わっていく。

「……オオオォーーーン!…」

 一瞬ふたりの足が止まる。恐るおそる振り返ってみるが、そこには闇が広がるだけで何も見えなかった。竜の声はいつの間にかずいぶんと大きくなっていた。もう、すぐ近くまで来ているんじゃないのか。しかし口にはしなかった。目深にかぶったフードが風でばさりと揺れる。

「急ごう」

 ふたりはそれからは前だけを見て、重くなった足を必死に動かし続けた。ようやく地面が平らになってきたと思うと、雷の音に合わせて、奇妙な音があたり一面に鳴り響いている。いびつな球形の装置がちゃんと動いているようだ。


 やっとのことで建物にたどり着き、サトルが扉を開け飛び込んでいく。ミキが中に入る瞬間、ちらりと後ろを振り返ると、真っ暗闇のその先に、何か金色に光るものが見えたような気がした。

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